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しおりを挟む宵の宴も終わり、静けさを取り戻す広場には、僕とリュウだけが座っていた。
「さていくか、アヤ」
ささやくような声でリュウは言うと、腕を伸ばし、僕の手をつかんだ。
「あ……。手を出さない約束ですよ」
キリッとにらんだ僕の目を、さわやかな笑顔で見つめ返すリュウは、そんなの関係ないと言わんばかりに、ぎゅっと力強く手を握ってくる。
「違う、俺は少し酔った……。だから、手を貸してくれ……」
「それなら仕方ありませんね」
僕は先に立ち上がると、リュウの手を引いてあげる。
ゆっくりと膝を伸ばすリュウの顔は赤く、お酒に酔っているのは嘘ではなさそうだ。
彼を信じよう、そう心のなかで思った。
リュウの手を引きながら、広間を出て廊下を歩く。
なんとも嬉しそうに、ニヤニヤしながら笑う彼の横顔を見ると、こちらまで嬉しくなってきて、それとなく訊いてしまう。
「何をそんなに笑っているんですか?」
「アヤの手は柔らかいな、そして、すべすべだ」
「……あ、温泉に入ってきたので、たぶんそのせいです」
「そうか、獣人旅館の湯は気に入ったか?」
「はい。とろっとしてて気持ちがよかったです」
「とろとろ、してたろ?」
「は、はい……」
リュウは目を細め、僕の顔を見つめた。
なんですか? と尋ねたが、なんでもない、と答えつつ足を進める。
「リュウさん、もう自分だけで歩けそうですね?」
「ああ、そろそろ酔いが覚めてきた」
「はやい、ですね……」
「ああ、俺は竜人なんでね。回復力が強いんだ」
「ふーん、だったら蛇の毒もそのまま、ほかっておけばよかったですね」
いやいや、とリュウは首を振る。
「流石に蛇の毒には勝てない。アヤ、助けてくれてありがとう」
「いえいえ、僕が先に助けられたのですから、当然のことをしただけです」
「だが、アヤにキスしてもらえるなら……」
「なんですか?」
「蛇に噛まれても良いかもしれんな」
「リュウさんって……バカなんですね」
「アハハハ」
ふぅ、まったく、と僕はぼやいた。
呆れた目でリュウの手を見つめ、もう離してもいいのではないかと考えたが、特に離す理由もないので、そのままにしておく。
やがて、彼の部屋までたどり着いた。
「さあ、あがってくれ」
「おじゃまします」
絢爛豪華な和室が広がっている。
磨かれた艶やかな柱、黄金色に輝く畳、暖色に灯る照明、真っ白な障子が閉じられ、漆黒の夜の帳を隠していた。
閉ざされた密室な空間に、僕は彼と二人きり。
とはいえ、僕とリュウは男同士なので、特に緊張感はない。
彼は手を出さないと約束してくれたので、僕には余裕があった。
だが、ふと心のどこかで、冷徹な竜騎士というリュウの残像が、薄っすらと影を潜め不安感を掻き立てる。それでも、か弱い人間の僕は、彼を信用するしか道はない。
「よし、寝るか」
とリュウに誘われたが、首を横に振って断る。
「歯磨きしてもいいですか? っていうか、リュウ様もしなきゃダメですよ」
「それもそうだな」
リュウの部屋を観察すると、ひとつ襖が閉まっている。
開けてみると幅の広い廊下が伸びていた。
床から暖色の照明が灯り、奥行きまで導く。
そこにはトイレや洗面台、さらに奥には露天風呂まであった。
突き動かされるように、足を踏み入れる。
たゆたう湯煙が月明かりに照らされ、まるで幻想的な泉のように美しい世界が広がっていた。
黒い御影石で掘られた浴槽に、自然豊かな岩場から、こんこんと湯が湧き出ている。
悠久に流れる水の音が、さわやかな緑風と遊ぶ。
「わぁ! 岩風呂なんて風流だなぁ。寝るまえにまた温泉に入れますね」
「ああ、一緒に入ろうか、アヤ」
「……嫌です」
「なっ、なぜだ? そんなに俺のことが嫌いか?」
「いや、一人でのんびり湯船に浸かりたいし、恥ずかしいし……それに……」
「なんだ?」
「嫌いだったら、まずこの部屋に入っていませんよ?」
突然、顔を赤く染めるリュウ。
僕は不敵な笑みを浮かべつつ、
「歯磨きしよっ」
と言って、洗面台の前に立った。
抽斗に新品の歯ブラシが何本かあったので、一本だけ取り出して封を切る。
しゅこしゅこ歯を磨いていると、リュウも隣に立って歯磨きを始めた。
鏡に映る僕らの絵面は、家族みたいだなと思った。
「同棲しているみたいだな?」とリュウが訊く。
「ですね」
そう答えた僕は、ガラガラ、ぺっと口をゆすいだあと、すすっとトイレに駆けこむ。
用を足しながら、個室空間の天井を見上げ、
「はあ、男と一緒に寝るなんて……」
とぼやく。
内心では、もしも彼が手を出してきたら、秒で逃げようと決めていた。
もっとも、強引な力で犯されたらどうしようもないが、そのときは潔く諦め、従順な子犬みたいな可愛さで、尻尾を振って彼に身をまかせよう……上手くできるかは、わからないけど。
そして、もう二度と獣人旅館へは召喚しない。
「よし、いくぞ」
気合を入れた僕は、トイレの水を流し、外へ出る。
リュウはいなくなっていた。
淡い暖色の照明だけが、ほのかに揺れて部屋のほうまで導く。
ここは天国か、それとも地獄か……。
一歩、一歩ずつ、廊下を進み部屋へ戻る。
リュウはベッドの上で座禅を組んでいた。
瞑想、しているのだろうか?
目を閉じて、深い呼吸をしている。
声をかけてもいいものか戸惑い、そのままベッドに手をついてあがっていく。
ふかふかとした高級な絹の肌触り、清潔な石鹸の香りとともに、雄々しいリュウの呼吸が聞こえてくる。
「ふー、ふー」
僕は横たわり、身体を柔らかいベッドに沈ませる。
そのまましばらく、瞑想するリュウを眺めた。
つい見惚れてしまう。
僕は男だけど、リュウがいいやつで、かっこいいことは認める。
眉目秀麗な顔立ち、男らしい喉仏、寝衣からのぞかせる厚い胸板が膨らんだりしぼんだり、呼吸とともに躍動する様子は、女だったら惚れてしまうだろう。
すると、やおら目を開けたリュウは、
「何を考えている?」
と訊いた。
「別に、リュウさんはイケメンだな、と」
「嬉しいことを……」
「女なら、最高の夜になるだろうね」
「アヤ、君はどうやら勘違いをしている」
えっ? と僕は首をかしげた。
「どういうこと?」
「こういうことだ……」
とリュウはささやきながら、突然、僕に覆い被さってきた。
仰向けの僕の目の前に、リュウの顔がある。
暖色の淡い照明に照らされた彼の表情は、真剣そのものだ。
「わっ、リュウさん? 手を出さない約束では?」
「手なんか出していない、肉薄しているだけだ」
「……うっ、卑怯です」
「そうか? アヤの方がよほど卑怯ではないか?」
「僕が? なぜ?」
「俺の心を乱した」
「え? そんなつもりは……」
「女装して誘惑した」
「それは、すいません。怖くてつい……」
怖い? と訊き返すリュウの唇は、もう僕の唇に触れる寸前だった。
「男だとバレたら殺されるのではないかと思い、それで女装したのです」
「君は誤解をしている。こんなに美しいのに殺すわけがない」
「……でも、生贄は女性でないと、リュウさんを癒すことはできないでしょ?」
「どうかな? 試してみよう」
「……んっ」
キスされた。
うわ、男にキスされた。なんなんだ、この背徳感は……。
イケナイことをしている。
絶対にありえないことだ。
男と男がこんなことをするなんて、僕は今までまったく考えたこともない。
逃げよう!
逃げなければ犯される。
だが、まったく身体がいうことを聞かない。
ああ、こうなってしまうと、僕はなんて非力なのだろう。
力を入れて抵抗しても、覆い被さってくる彼の大きな身体が重くて身動きがとれない。
人肌の温もりさえ伝わってくる。
嘘だ、嘘だ、嘘だ。
嘘みたいだが、嫌な気分はしない。
むしろ……。
ドキドキと興奮している自分がいて、びっくりする。
ふいに、重くのしかかっていた彼の身体が離れ、キスが弾けた。
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