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Ⅱ 開演、ダンカン氏、恐るべき暗がり
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開演当日の朝、ミハイル・アバルキンは宿まで私を迎えに来てくれた。私はミハイルと連れだって道を歩きだし、彼の喋る興味深い話の内容を頭に刻みつけていた。
「……ザヴィニエ劇団の一連の公演は、太古に由来する、伝説の物語を基にしていることがほとんどだ。といっても、我々のような一般のものが見知っている物語は扱わない。ブリュムヒルデを救うジークフリートの猛々しい英雄譚や、ブッダの御心を訪ね行く三蔵法師の冒険譚のようなものは彼らの興味を引かない。
「彼らが脚本の引用元を詳しく述べたことはない。人間の好奇心とは大胆なものだが、あらゆる学者がこの町へ来て彼らの舞台を観てみても、いままでの五回の公演に使われた伝説の、確かな起源を特定できた例はたったひとつだけだ。人類学、民族学並びに民俗学、言語学、歴史学、伝承学、きみの専門でもある神秘学、それに宗教学、脳科学、そのどの碩学もザヴィニエ劇団の艶めかしい躍動感と目も眩まんばかりに煌めく優雅さの源泉を解き明かせてはいない。
「もっとも、そういった方々がいざ公演を目にすると、その圧倒的な魅力に浸りきってしまって、まともな鑑定を望むべくもなくなる、という話さえある。学術目的で観劇に訪れたイスラーム文化学者ハサン・A=アッバース氏の姿が、その後二回にわたって、エレンデリンホールの特等席に見かけられたという噂も出回っている。
「こういった事情を、いまのいまになってきみに話したのは、あの愉快なイワンが言ったとおり、ゆらめかしい憶測や不要な物思いをなるべくなくしたかったがためだよ。いまこのときからは、きみは神秘学者としてというよりかは、僕の敬愛すべき友人のひとりとして観劇してほしいのだ」
こう饒舌に話すミハイルの様子は、無邪気な子供のように嬉々として浮き足立っており、私としても、この辺境の地へ足を運んだ報いは得られるだろうことを、期待せずにはいられなかった。それゆえ、ザヴィニエ劇団自らが演劇の解説をすることはないのか、明らかにされたひとつの公演の内容はどんなものだったのか、など、当然質問すべきことがらを話題に引き上げて友人いわくところの不要な物思いを示し、きたる純粋な芸術の愉悦に水を差そうという気分にはならなかったのである。
町には人が蟻のように溢れていた。到着したときとは違って晴れ間ない空と鬱屈な町並みとは対照的に、静かな熱気を秘めた観覧者たちが、そぞろ歩いてMの中央へと向かっていた。莨屋で耳にしたとおり、多様な国籍の多様な人種の人々がいて、どこそこのだれとまでは判らないとまでも、新聞に載っていた人物の横顔を見た気もする。
私は大いに驚いた。これほど大規模な集会が、この寂れた田舎町でほんとうに開かれるとは思っていなかったからだ。せいぜい業界の深いところで知られるような、売り出し中の小さな劇団の小さな公演であろうと考えていたのだ。もちろん、莨屋やイワンから聞いた話を受けて、私のなかの予想は変わっていったが、実際に目の当たりにしたMの雑踏はそれをさえ上回り、モスクワの夕を思い起こさせた。
いよいよエレンデリンホールを覆い隠す美術館に近づいたとき、あの入り口に不釣り合いなほどの観客にも関わらず、人混みができていなかったことで、その地下に広がる劇場が実に膨大な容量を誇ることが知れた。
私は怖じ気付いてはいなかったが、ミハイルに申し出て、入り口の横で莨を一本吸うことにした。薄暗い館内に潜りこむ前に、客層についてもう少し観察しようと思ったのだ。
「気構えることはないよ」
と軽口をたたくミハイルへ微笑みを返し、何気ないふうでチョコレート味の葉巻に火を点けた。速やかな人の流れのなかに、イワンとゴトーを見つけたが、彼らはこちらに気づかないで、転ばないようにか足元を気にしながら美術館へ吸いこまれていった。
私がその規模を前に呆然とした様子でいると、思いもよらない人物の横顔が見えた。私が痛ましい事件について口を開く気になった一因――あの事件で絶命したことが報じられたことで、エレンデリンホールに当局の捜査が入った大きな理由のひとつである、ジェイムズ・ダンカン氏であった。
彼はアラビア半島の砂漠に埋没する、摩訶不思議な遺跡について熱心な研究を行ってい
た人物で、私はアメリカ西部にある彼の自宅で話をしたことがあった。ダンカン氏は私の研究する神秘学、特に超自然的神秘の分野にも精通しており、一九〇八年にシベリアのある一角を襲ったツングースカ爆発を調査する際に、知恵を貸してくれた碩学の一人でもある。
私が事実と物証から現象の本質を汲み取る、言うなれば演繹的手法を用いて調査を行う一方、ダンカン氏は心理学や気候学、地質学などの膨大な知識のソースを用いて小さな蓋然性を潰しながら本質へと近づく、いわば消去法的手法をとる学者だ。博識で注意深い氏の目が、このような僻地まで及んでいることに驚いた私は、気分が和らぐ気がして機嫌まで良くなった。
長身痩躯のダンカン氏は、人混みとともに入り口の門をくぐって行った。
タールの香りが舌の奥をいやらしく撫で回してきたので私は葉巻の火を片づけた。そしてミハイルと連れだって人混みに混ざりこみ、エレンデリンホールの薄暗い劇場へ続く、換気の悪い階段を下っていったのだった。
美術館の地下は、実に複雑で多岐に渡る分岐点を備えた通路と、まるで気紛れに設けられたかのように信用のおけない階段によって、ミノタウロスの牢もかくやというほどの迷宮となっていた。蜘蛛の巣のほうがよほどよく区画を整理されていると思える、あの奔放な地下建造物の構造そのものが、私が語る出来事の全体に、不穏に湧出する暗がりを感じさせる最重要の事物だと言えるだろう。
階層という概念はそこには存在せず、ある階段を上ると一つの小部屋、またある階段を下るとただ真横へ伸びる通路の先に上へ上る階段、はたまたある十字路を曲がると乱雑な倉庫、といった具合に、とにかく画一性のない構造をしていた。これを細かく説明することはとてもできないが、先行く人々がいなかったら、あるいはミハイルと共に行動していなかったらば、私はひょっとするとあの地下通路で迷い人になり、だれにも見つからない小部屋の隅で死体になっていたかもしれない。エレンデリンホールへ続く地下通路は、町の中央から円状にMの半分をその範囲内に収めつつ、縦横無尽に地底を這っていたので、どこかしらで小耳に挟んだ、戦争中に掘られた地下シェルターのようなところへ繋がっているという噂話も、その蓋然性について疑うところはなかった。
やはり、あの場所ではあらゆること、人類が今までに経験したものもそうでないことも、すべての物事が明瞭に現出する蓋然性が存在していたのだ。それはエレンデリンホールの奇怪な空間に宿っていたのか、それともザヴィニエ劇団の蠱惑なパフォーマンスによって放たれていたのか。どちらにしても、恐ろしい場所だった。それらは大いなる芸術の神聖さに覆われて、不躾に、我々の眼前に華やかに躍り出ては、徐々に、その身に纏った輝かしい舞台芸術の衣を脱いでゆき、最後には。
そう、それら異様な、あるべくもないはずの蓋然性から這い出たものが、最後には、さらにまばゆく煌めく、ある種の結晶のような概念上の形態をとり、多面の表面を覗きこむ私に歪曲した世界の絶頂を見せつけたのだ。事象へ移りこむ像を観測することしか叶わない我々人類が、制限された感覚器官によってあまりにも多くの真実を隠匿せしめていることは、今の私には疑う余地もなく、贋物の安寧が良いものであれ悪いものであれ、文明を築いた知的生物の進化がその能力を自然選択してきたというのならば、ダーウィンに誓っ
て、知らないことでのみ身を守ることができる諸現象が実在することを私は確かに知った
のである。
「もうじきホールに着く」
とはいえそのときの私は、ミハイルのこの声を聞いて、やれやれやっとか、と安堵しながら自分の腿をさするほどの感情しか抱いていなかった。Mの高揚に私も呑まれつつあったし、なんといっても、かつての学友と共に観る芸術に勝る喜びは、そうそうあるものではないだろう。
縦ではなく横に長い奇妙な両開きの扉を抜けると、黴の匂いが鼻先を突いた。そこは下手側の出入り口で、都合私の左手に舞台が、その前から右手へ客席が広がっていた。最初にミハイルが言ったとおり、席と同数の観劇券しか出回っていないのだろう、観客がすべて座れるか不安になる広さのエレンデリンホールは、劇場特有の強烈なスポット照明で座席を照らしており、その主要な部分を取り囲む暗がりのせいで、さらに鬱屈な印象を私に与えた。
記憶というのは怠慢で、その場凌ぎの仕事しかしない、信用のおけない友人である。経験の細部について、特筆すべきものがない場合などは、自我が頼みもしないのに省略してしまう。ましてその経験の一部分の前後に、よりくきやかで鮮烈な経験があれば、なおのことどうでもよい部分などは忘却の海へと放り投げてしまうのが、記憶というものだ。
劇場の暗がりに、漠然とした空恐ろしい感じを覚えた後、私の神経や認識能力は、正常さを多少欠いていたものと思われる。経験は割れた宝玉の欠片のように、細切れな印象の煌めきを記憶に散らせるばかりで、見聞きしたもの、劇の内容、自身の感情の推移、それらのことはどうしても確たる言葉にできずに、私の胸の内部で脂ぎった極彩色の粘土の形態をとって座りこんでいるのだ。
確かに、夢を見ているかのような感覚だった。劇を観ているときは三日三晩同じ場所にいる感覚だったのが、終わったときは実際の上演時間の半分にも満たない時間が過ぎただけだと思うこともできた。大道具の並々ならぬ、ほとんど常軌を逸したともいえるほどの、緻密で周到な仕事の出来を察することもでき、計算し尽くされてなお、観客の、漸次的に静かに高ぶる感情をよく刺激するように臨機応変な動作をみせる照明の活躍を目に焼きつけた。
では劇の内容は? 私はその点を評価するのに確たる自信がないのであるが、例の事件が起こる背景にあったことごとくについて、いい加減な記憶が、忘れられるべきでない印象を握り潰してしまう前に、努めて細かく言い添えておきたく思う。
古代ギリシャが隆盛を極めた時代にあらわされた物語らしかった。世界中に散見されるユートピア伝説に絡む叙事詩のひとつであっただろう。似たようなものでは近世のロシア正教の一部で信じられたキーテジ、ギリシャ神話におけるヒューペルボリオス、コンキスタドールが血眼で探し求めたエル・ドラド、またアトランティスやアガルタなどの水没都市および地底都市も含まれる。普通の人類にとって、地理的に到達困難もしくは太古に滅亡したなどの理由で異次元的に言い伝えられながらも、ほとんどの場合宗教上の信念や冒険家の逞しい好奇心によって、実在するとされてきた型のユートピアだ。
ザヴィニエ劇団の公演においては、アリボルンという風変わりな名前の女性がユートピアを旅し、とある王を探すという筋書きだったように思う。ユートピアでは物質世界と精神世界が重なって現存しており、それぞれに秩序がある。一応、物質世界の秩序として物理、精神世界の秩序として魔法があてられており、その意味での魔法は魔術的はたらき以上に、純粋な魔力をもつ法律として重視されていた。魔の法律に精通しそれらを弁護士や法律家のように扱う人々がゼノと呼ばれ、一方物理に明るい科学者はアルケマと呼ばれているようだった。アリボルンはアルケマの素質をもつ血の元に生まれたが、精神世界を敏感に察知する耳を得た希有な女性で、現実に生きる私たちにはとうてい発想できないような世界を旅し、これまた希少な経緯で遠方の街を治めることとなったとある王を探して旅をする。
一日目の公演が終わったとき、確かに私はひどく高揚していて、これからの展開、明かされゆく秘密について空想が膨らんだ。狂気はすでにその興奮の底に撒かれた種子として観客の魂に根を張らんと準備されていたのだが、私は宿やバーでの心地よい酩酊のなか、エレンデリンホールで目の当たりにしたひとつの芸術の到達点たる経験について、ミハイルやイワンに饒舌な賛美を繰り返していたのだった。ユートピア世界の雄大な山岳や黒々とうねる大洋を、奔放な様式で表現する舞台芸術を褒めたたえ、主人公である魔女アリボルン、狡猾な旅の友ビージャルをはじめとした役者たちの、重厚な演技力への期待を募らせた。
「……ザヴィニエ劇団の一連の公演は、太古に由来する、伝説の物語を基にしていることがほとんどだ。といっても、我々のような一般のものが見知っている物語は扱わない。ブリュムヒルデを救うジークフリートの猛々しい英雄譚や、ブッダの御心を訪ね行く三蔵法師の冒険譚のようなものは彼らの興味を引かない。
「彼らが脚本の引用元を詳しく述べたことはない。人間の好奇心とは大胆なものだが、あらゆる学者がこの町へ来て彼らの舞台を観てみても、いままでの五回の公演に使われた伝説の、確かな起源を特定できた例はたったひとつだけだ。人類学、民族学並びに民俗学、言語学、歴史学、伝承学、きみの専門でもある神秘学、それに宗教学、脳科学、そのどの碩学もザヴィニエ劇団の艶めかしい躍動感と目も眩まんばかりに煌めく優雅さの源泉を解き明かせてはいない。
「もっとも、そういった方々がいざ公演を目にすると、その圧倒的な魅力に浸りきってしまって、まともな鑑定を望むべくもなくなる、という話さえある。学術目的で観劇に訪れたイスラーム文化学者ハサン・A=アッバース氏の姿が、その後二回にわたって、エレンデリンホールの特等席に見かけられたという噂も出回っている。
「こういった事情を、いまのいまになってきみに話したのは、あの愉快なイワンが言ったとおり、ゆらめかしい憶測や不要な物思いをなるべくなくしたかったがためだよ。いまこのときからは、きみは神秘学者としてというよりかは、僕の敬愛すべき友人のひとりとして観劇してほしいのだ」
こう饒舌に話すミハイルの様子は、無邪気な子供のように嬉々として浮き足立っており、私としても、この辺境の地へ足を運んだ報いは得られるだろうことを、期待せずにはいられなかった。それゆえ、ザヴィニエ劇団自らが演劇の解説をすることはないのか、明らかにされたひとつの公演の内容はどんなものだったのか、など、当然質問すべきことがらを話題に引き上げて友人いわくところの不要な物思いを示し、きたる純粋な芸術の愉悦に水を差そうという気分にはならなかったのである。
町には人が蟻のように溢れていた。到着したときとは違って晴れ間ない空と鬱屈な町並みとは対照的に、静かな熱気を秘めた観覧者たちが、そぞろ歩いてMの中央へと向かっていた。莨屋で耳にしたとおり、多様な国籍の多様な人種の人々がいて、どこそこのだれとまでは判らないとまでも、新聞に載っていた人物の横顔を見た気もする。
私は大いに驚いた。これほど大規模な集会が、この寂れた田舎町でほんとうに開かれるとは思っていなかったからだ。せいぜい業界の深いところで知られるような、売り出し中の小さな劇団の小さな公演であろうと考えていたのだ。もちろん、莨屋やイワンから聞いた話を受けて、私のなかの予想は変わっていったが、実際に目の当たりにしたMの雑踏はそれをさえ上回り、モスクワの夕を思い起こさせた。
いよいよエレンデリンホールを覆い隠す美術館に近づいたとき、あの入り口に不釣り合いなほどの観客にも関わらず、人混みができていなかったことで、その地下に広がる劇場が実に膨大な容量を誇ることが知れた。
私は怖じ気付いてはいなかったが、ミハイルに申し出て、入り口の横で莨を一本吸うことにした。薄暗い館内に潜りこむ前に、客層についてもう少し観察しようと思ったのだ。
「気構えることはないよ」
と軽口をたたくミハイルへ微笑みを返し、何気ないふうでチョコレート味の葉巻に火を点けた。速やかな人の流れのなかに、イワンとゴトーを見つけたが、彼らはこちらに気づかないで、転ばないようにか足元を気にしながら美術館へ吸いこまれていった。
私がその規模を前に呆然とした様子でいると、思いもよらない人物の横顔が見えた。私が痛ましい事件について口を開く気になった一因――あの事件で絶命したことが報じられたことで、エレンデリンホールに当局の捜査が入った大きな理由のひとつである、ジェイムズ・ダンカン氏であった。
彼はアラビア半島の砂漠に埋没する、摩訶不思議な遺跡について熱心な研究を行ってい
た人物で、私はアメリカ西部にある彼の自宅で話をしたことがあった。ダンカン氏は私の研究する神秘学、特に超自然的神秘の分野にも精通しており、一九〇八年にシベリアのある一角を襲ったツングースカ爆発を調査する際に、知恵を貸してくれた碩学の一人でもある。
私が事実と物証から現象の本質を汲み取る、言うなれば演繹的手法を用いて調査を行う一方、ダンカン氏は心理学や気候学、地質学などの膨大な知識のソースを用いて小さな蓋然性を潰しながら本質へと近づく、いわば消去法的手法をとる学者だ。博識で注意深い氏の目が、このような僻地まで及んでいることに驚いた私は、気分が和らぐ気がして機嫌まで良くなった。
長身痩躯のダンカン氏は、人混みとともに入り口の門をくぐって行った。
タールの香りが舌の奥をいやらしく撫で回してきたので私は葉巻の火を片づけた。そしてミハイルと連れだって人混みに混ざりこみ、エレンデリンホールの薄暗い劇場へ続く、換気の悪い階段を下っていったのだった。
美術館の地下は、実に複雑で多岐に渡る分岐点を備えた通路と、まるで気紛れに設けられたかのように信用のおけない階段によって、ミノタウロスの牢もかくやというほどの迷宮となっていた。蜘蛛の巣のほうがよほどよく区画を整理されていると思える、あの奔放な地下建造物の構造そのものが、私が語る出来事の全体に、不穏に湧出する暗がりを感じさせる最重要の事物だと言えるだろう。
階層という概念はそこには存在せず、ある階段を上ると一つの小部屋、またある階段を下るとただ真横へ伸びる通路の先に上へ上る階段、はたまたある十字路を曲がると乱雑な倉庫、といった具合に、とにかく画一性のない構造をしていた。これを細かく説明することはとてもできないが、先行く人々がいなかったら、あるいはミハイルと共に行動していなかったらば、私はひょっとするとあの地下通路で迷い人になり、だれにも見つからない小部屋の隅で死体になっていたかもしれない。エレンデリンホールへ続く地下通路は、町の中央から円状にMの半分をその範囲内に収めつつ、縦横無尽に地底を這っていたので、どこかしらで小耳に挟んだ、戦争中に掘られた地下シェルターのようなところへ繋がっているという噂話も、その蓋然性について疑うところはなかった。
やはり、あの場所ではあらゆること、人類が今までに経験したものもそうでないことも、すべての物事が明瞭に現出する蓋然性が存在していたのだ。それはエレンデリンホールの奇怪な空間に宿っていたのか、それともザヴィニエ劇団の蠱惑なパフォーマンスによって放たれていたのか。どちらにしても、恐ろしい場所だった。それらは大いなる芸術の神聖さに覆われて、不躾に、我々の眼前に華やかに躍り出ては、徐々に、その身に纏った輝かしい舞台芸術の衣を脱いでゆき、最後には。
そう、それら異様な、あるべくもないはずの蓋然性から這い出たものが、最後には、さらにまばゆく煌めく、ある種の結晶のような概念上の形態をとり、多面の表面を覗きこむ私に歪曲した世界の絶頂を見せつけたのだ。事象へ移りこむ像を観測することしか叶わない我々人類が、制限された感覚器官によってあまりにも多くの真実を隠匿せしめていることは、今の私には疑う余地もなく、贋物の安寧が良いものであれ悪いものであれ、文明を築いた知的生物の進化がその能力を自然選択してきたというのならば、ダーウィンに誓っ
て、知らないことでのみ身を守ることができる諸現象が実在することを私は確かに知った
のである。
「もうじきホールに着く」
とはいえそのときの私は、ミハイルのこの声を聞いて、やれやれやっとか、と安堵しながら自分の腿をさするほどの感情しか抱いていなかった。Mの高揚に私も呑まれつつあったし、なんといっても、かつての学友と共に観る芸術に勝る喜びは、そうそうあるものではないだろう。
縦ではなく横に長い奇妙な両開きの扉を抜けると、黴の匂いが鼻先を突いた。そこは下手側の出入り口で、都合私の左手に舞台が、その前から右手へ客席が広がっていた。最初にミハイルが言ったとおり、席と同数の観劇券しか出回っていないのだろう、観客がすべて座れるか不安になる広さのエレンデリンホールは、劇場特有の強烈なスポット照明で座席を照らしており、その主要な部分を取り囲む暗がりのせいで、さらに鬱屈な印象を私に与えた。
記憶というのは怠慢で、その場凌ぎの仕事しかしない、信用のおけない友人である。経験の細部について、特筆すべきものがない場合などは、自我が頼みもしないのに省略してしまう。ましてその経験の一部分の前後に、よりくきやかで鮮烈な経験があれば、なおのことどうでもよい部分などは忘却の海へと放り投げてしまうのが、記憶というものだ。
劇場の暗がりに、漠然とした空恐ろしい感じを覚えた後、私の神経や認識能力は、正常さを多少欠いていたものと思われる。経験は割れた宝玉の欠片のように、細切れな印象の煌めきを記憶に散らせるばかりで、見聞きしたもの、劇の内容、自身の感情の推移、それらのことはどうしても確たる言葉にできずに、私の胸の内部で脂ぎった極彩色の粘土の形態をとって座りこんでいるのだ。
確かに、夢を見ているかのような感覚だった。劇を観ているときは三日三晩同じ場所にいる感覚だったのが、終わったときは実際の上演時間の半分にも満たない時間が過ぎただけだと思うこともできた。大道具の並々ならぬ、ほとんど常軌を逸したともいえるほどの、緻密で周到な仕事の出来を察することもでき、計算し尽くされてなお、観客の、漸次的に静かに高ぶる感情をよく刺激するように臨機応変な動作をみせる照明の活躍を目に焼きつけた。
では劇の内容は? 私はその点を評価するのに確たる自信がないのであるが、例の事件が起こる背景にあったことごとくについて、いい加減な記憶が、忘れられるべきでない印象を握り潰してしまう前に、努めて細かく言い添えておきたく思う。
古代ギリシャが隆盛を極めた時代にあらわされた物語らしかった。世界中に散見されるユートピア伝説に絡む叙事詩のひとつであっただろう。似たようなものでは近世のロシア正教の一部で信じられたキーテジ、ギリシャ神話におけるヒューペルボリオス、コンキスタドールが血眼で探し求めたエル・ドラド、またアトランティスやアガルタなどの水没都市および地底都市も含まれる。普通の人類にとって、地理的に到達困難もしくは太古に滅亡したなどの理由で異次元的に言い伝えられながらも、ほとんどの場合宗教上の信念や冒険家の逞しい好奇心によって、実在するとされてきた型のユートピアだ。
ザヴィニエ劇団の公演においては、アリボルンという風変わりな名前の女性がユートピアを旅し、とある王を探すという筋書きだったように思う。ユートピアでは物質世界と精神世界が重なって現存しており、それぞれに秩序がある。一応、物質世界の秩序として物理、精神世界の秩序として魔法があてられており、その意味での魔法は魔術的はたらき以上に、純粋な魔力をもつ法律として重視されていた。魔の法律に精通しそれらを弁護士や法律家のように扱う人々がゼノと呼ばれ、一方物理に明るい科学者はアルケマと呼ばれているようだった。アリボルンはアルケマの素質をもつ血の元に生まれたが、精神世界を敏感に察知する耳を得た希有な女性で、現実に生きる私たちにはとうてい発想できないような世界を旅し、これまた希少な経緯で遠方の街を治めることとなったとある王を探して旅をする。
一日目の公演が終わったとき、確かに私はひどく高揚していて、これからの展開、明かされゆく秘密について空想が膨らんだ。狂気はすでにその興奮の底に撒かれた種子として観客の魂に根を張らんと準備されていたのだが、私は宿やバーでの心地よい酩酊のなか、エレンデリンホールで目の当たりにしたひとつの芸術の到達点たる経験について、ミハイルやイワンに饒舌な賛美を繰り返していたのだった。ユートピア世界の雄大な山岳や黒々とうねる大洋を、奔放な様式で表現する舞台芸術を褒めたたえ、主人公である魔女アリボルン、狡猾な旅の友ビージャルをはじめとした役者たちの、重厚な演技力への期待を募らせた。
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