唯我独尊

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幸福な

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その日、僕はこの上無く幸福な気持ちで道を歩いた。雨が降ろうと、トラックのはねた水が自分にびしゃりとかかろうと、構いやしなかった。そんなことは、この幸福な僕に何の影響も及ぼさなかった。僕はこの上無く幸せで、もう別の何かに侵されてたまらなかった。楽しくて、不安で、嬉しくて、悲しくて、その他に何があったのか分からない。いいや、その他に何が要るのだろう?それだけで、もう十分じゃあないか。この事象と、空想と、焦燥の中で、僕はどれだけ幸せなのだろう?もう、十分だ。足が浮ついて、あの憎い女のことなんかどうでも良くなって、心底僕を嫌っている家族の顔がちらつくのも快感になって、道端の捨て猫がやけに可愛らしく見えた。空を仰いで、降り注ぐ雨をこの世の終わりみたいに美しく思った。そのうち、なんだか遣る瀬無くなって、はらはらと涙が零れた。何がそうさせたのかと考えるなら、それはきっと捨て猫に同情し、この世の終わりを悲しんだからだ。僕はあの女を愛していたのかもしれない。もしかすると、一緒に旅をしたいと考えていたのかもしれない。その思考は僕の幸福に掻き消されて何にも残らなかった。僕は淡々と、しかしながらこの上無く幸福な気持ちで坂道を下った。
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