10 / 10
終
続
しおりを挟む
翌朝、朝食を知らせに離れに行ったはずの鏡子が、戻らない。
雪原が様子を見に行くと、鏡子は渡り廊下の手前で立ち尽くしていた。
その視線の先で、柚月と栗原が立ち合いをしている。
雪原に気づいた鏡子が、どうしましょうと目で問うと、雪原は鏡子の肩に手を掛けて制した。視線は、二人の立ち合いにくぎ付けになっている。
狭い庭で、木刀を手に向き合い、互いの様子をうかがっている。
柚月の方が押されているのか、息が上がっている。一方、栗原は涼しい顔だ。
「まだまだじゃの、若造」
挑発する元気まである。
悔しさをにじませた柚月が、突きに転じた。
速い。
決して本気ではないだろう。だが、真剣なら確実に相手を仕留めている。そんな速さだ。
だが、栗原はあっさりかわした。
「イノシシか」
猪突猛進な一撃を、笑っている。
「くそっ!」
柚月は肩で息をしながら悔しそうにそう漏らすと、すっと正眼に構えた。
柚月を取り巻く空気が変わった。
栗原もそれを感じたのだろう。柚月に向き直る。
次第に柚月の呼吸が整い、カッと強い眼力で栗原を捉えると、恐ろしい速さで胴を狙った。
栗原は予想していたかのようにかわすと、面を打ち込む。
その一刀が、見事に柚月の脳天を打った。
「いぃいいいいいいいぃいいいぃ!」
痛い。とさえはっきり言えないほど痛かったのだろう。柚月は頭を押さえてうずくまった。
勝負あった。
「修業が足りんのう」
栗原が高らかに笑う。
「くっっそう」
柚月は涙目になりながら、その栗原を悔しそうに見上げた。
雪原に笑みが漏れる。
いい朝だ。
そう思った。
***
「ちょっと、城に行かないといけなくて」
朝食を終えると、雪原はそう苦笑して、栗原の見送りに行けないことを詫びた。
代わりに、柚月に関所まで送くらせるという。
栗原はもう抵抗もせず、雪原の気遣いを受け入れた。
「じゃあ、ちょっと行ってきます」
柚月は、なんの疑いもなく、面倒くさがる様子もない。
雪原と鏡子、椿はそろって玄関で栗原と柚月を見送った。
見送りながら、鏡子が、
「栗原様って、柚月さんの…。」
と言いかけた。
鏡子は勘づいている。
たびたびの雪原の気遣い、それに対する栗原の反応。
柚月は気づいていない。
だが、あの二人は、きっと本当の—。
雪原は何も言わず、ただ、含みのある笑みを浮かべた。その脇で、椿も嬉しそうに微笑んでいる。
椿もまた、知っているのだ。
二人の関係を。
鏡子はそれ以上聞かなかった。
だが、不思議と安堵し、胸が温かくなった。
***
日はまだ高くない。
冬の空気は冷たいが、よく晴れて、気持ちのいい朝だ。
町はすでに起きていて、人々が行きかい、活気がある。
柚月と栗原が宿場町のあたりまで来ると、大工たちが景気のいい声をかけあいながら、作業をしていた。
先の戦で被害が出た場所だ。
だが、復興は着々と進み、何より、活気ある職人たちのおかげで、町全体が元気で明るい。
「よう、ゆづ坊!」
威勢のいい声に振り返ると、顔なじみの大工の棟梁が手を振っていた。
その後ろから、棟梁の弟子が顔を出す。
「親方。もうゆづ坊なんて呼べやせんよ。宰相様のお小姓様っスよ」
そう言いながら、笑っている。
「そうかそうか、そりゃ出世したな」
棟梁も笑っているが、肩書など、みじんも気にしている様子はない。もとより、権力にこびない質なのだろう。
「いやいや、やめてください」
柚月も両手を振って苦笑する。
そういうところを、棟梁は気に入っている。
「じいさんと散歩か?」
柚月は一瞬、何のことだろうと思った。が、棟梁は柚月の隣りにいる栗原を見ている。
「ああ、いや。雪原さんの客人ですよ。帰られるから、関所まで見送りに」
「お小姓様のお勤めっスか」
棟梁の後ろからさっきの弟子が茶化した。
だが棟梁は気にもとめず、どこか腑に落ちない顔をしている。
「そうかい」
と漏らすと、、
「籠でも呼んできやしょうか」
と栗原に声をかけた。
「いやいや、お構いなく」
栗原は両手を振り、苦笑する。
その姿が、つい先ほどの柚月の姿と重なる。
棟梁は、ますます腑に落ちないような顔になった。
「じゃあ、また」
柚月の声に我に返ると、「おう」と応えたが、まだしまりのない顔だ。
「ゆづ坊、家族いたんスね。ずっと家に帰らなかったから、独りなのかと思ってやしたよ。」
二人の背中を見送りながら、また弟子が言う。
先の戦の直後、このあたりの復興が始まってすぐに、柚月はケガをした足を引きずりながらやって来た。
とても力仕事ができるような状態には見えず、皆止めたが、本人は手伝うと言って聞かない。しかも、家にも帰らず、連日泊まり込んでいた。
帰る家がないのではと、内心、皆心配していたのだ。
「で、ゆづ坊、じいさんとどこ行くんスか?」
「いや、じいさんじゃないらしい。雪原様のお客なんだと」
「え?」
弟子は驚き、やはり腑に落ちない顔になった。
その視線の先で、柚月と栗原が肩を並べて歩いてく。
その後姿。
弟子は小首をかしげた。
「あんなに似てるのに?」
よく晴れた冬の午前。冷たく澄んだ空気の中。柚月と栗原は、よく似た背中を並べ、よく似た歩き方で、互いに子供のようにムキになって言いあいながら、だが、どこか楽しげに歩いて行く。
雪原が様子を見に行くと、鏡子は渡り廊下の手前で立ち尽くしていた。
その視線の先で、柚月と栗原が立ち合いをしている。
雪原に気づいた鏡子が、どうしましょうと目で問うと、雪原は鏡子の肩に手を掛けて制した。視線は、二人の立ち合いにくぎ付けになっている。
狭い庭で、木刀を手に向き合い、互いの様子をうかがっている。
柚月の方が押されているのか、息が上がっている。一方、栗原は涼しい顔だ。
「まだまだじゃの、若造」
挑発する元気まである。
悔しさをにじませた柚月が、突きに転じた。
速い。
決して本気ではないだろう。だが、真剣なら確実に相手を仕留めている。そんな速さだ。
だが、栗原はあっさりかわした。
「イノシシか」
猪突猛進な一撃を、笑っている。
「くそっ!」
柚月は肩で息をしながら悔しそうにそう漏らすと、すっと正眼に構えた。
柚月を取り巻く空気が変わった。
栗原もそれを感じたのだろう。柚月に向き直る。
次第に柚月の呼吸が整い、カッと強い眼力で栗原を捉えると、恐ろしい速さで胴を狙った。
栗原は予想していたかのようにかわすと、面を打ち込む。
その一刀が、見事に柚月の脳天を打った。
「いぃいいいいいいいぃいいいぃ!」
痛い。とさえはっきり言えないほど痛かったのだろう。柚月は頭を押さえてうずくまった。
勝負あった。
「修業が足りんのう」
栗原が高らかに笑う。
「くっっそう」
柚月は涙目になりながら、その栗原を悔しそうに見上げた。
雪原に笑みが漏れる。
いい朝だ。
そう思った。
***
「ちょっと、城に行かないといけなくて」
朝食を終えると、雪原はそう苦笑して、栗原の見送りに行けないことを詫びた。
代わりに、柚月に関所まで送くらせるという。
栗原はもう抵抗もせず、雪原の気遣いを受け入れた。
「じゃあ、ちょっと行ってきます」
柚月は、なんの疑いもなく、面倒くさがる様子もない。
雪原と鏡子、椿はそろって玄関で栗原と柚月を見送った。
見送りながら、鏡子が、
「栗原様って、柚月さんの…。」
と言いかけた。
鏡子は勘づいている。
たびたびの雪原の気遣い、それに対する栗原の反応。
柚月は気づいていない。
だが、あの二人は、きっと本当の—。
雪原は何も言わず、ただ、含みのある笑みを浮かべた。その脇で、椿も嬉しそうに微笑んでいる。
椿もまた、知っているのだ。
二人の関係を。
鏡子はそれ以上聞かなかった。
だが、不思議と安堵し、胸が温かくなった。
***
日はまだ高くない。
冬の空気は冷たいが、よく晴れて、気持ちのいい朝だ。
町はすでに起きていて、人々が行きかい、活気がある。
柚月と栗原が宿場町のあたりまで来ると、大工たちが景気のいい声をかけあいながら、作業をしていた。
先の戦で被害が出た場所だ。
だが、復興は着々と進み、何より、活気ある職人たちのおかげで、町全体が元気で明るい。
「よう、ゆづ坊!」
威勢のいい声に振り返ると、顔なじみの大工の棟梁が手を振っていた。
その後ろから、棟梁の弟子が顔を出す。
「親方。もうゆづ坊なんて呼べやせんよ。宰相様のお小姓様っスよ」
そう言いながら、笑っている。
「そうかそうか、そりゃ出世したな」
棟梁も笑っているが、肩書など、みじんも気にしている様子はない。もとより、権力にこびない質なのだろう。
「いやいや、やめてください」
柚月も両手を振って苦笑する。
そういうところを、棟梁は気に入っている。
「じいさんと散歩か?」
柚月は一瞬、何のことだろうと思った。が、棟梁は柚月の隣りにいる栗原を見ている。
「ああ、いや。雪原さんの客人ですよ。帰られるから、関所まで見送りに」
「お小姓様のお勤めっスか」
棟梁の後ろからさっきの弟子が茶化した。
だが棟梁は気にもとめず、どこか腑に落ちない顔をしている。
「そうかい」
と漏らすと、、
「籠でも呼んできやしょうか」
と栗原に声をかけた。
「いやいや、お構いなく」
栗原は両手を振り、苦笑する。
その姿が、つい先ほどの柚月の姿と重なる。
棟梁は、ますます腑に落ちないような顔になった。
「じゃあ、また」
柚月の声に我に返ると、「おう」と応えたが、まだしまりのない顔だ。
「ゆづ坊、家族いたんスね。ずっと家に帰らなかったから、独りなのかと思ってやしたよ。」
二人の背中を見送りながら、また弟子が言う。
先の戦の直後、このあたりの復興が始まってすぐに、柚月はケガをした足を引きずりながらやって来た。
とても力仕事ができるような状態には見えず、皆止めたが、本人は手伝うと言って聞かない。しかも、家にも帰らず、連日泊まり込んでいた。
帰る家がないのではと、内心、皆心配していたのだ。
「で、ゆづ坊、じいさんとどこ行くんスか?」
「いや、じいさんじゃないらしい。雪原様のお客なんだと」
「え?」
弟子は驚き、やはり腑に落ちない顔になった。
その視線の先で、柚月と栗原が肩を並べて歩いてく。
その後姿。
弟子は小首をかしげた。
「あんなに似てるのに?」
よく晴れた冬の午前。冷たく澄んだ空気の中。柚月と栗原は、よく似た背中を並べ、よく似た歩き方で、互いに子供のようにムキになって言いあいながら、だが、どこか楽しげに歩いて行く。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました
由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。
尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。
けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。
そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。
再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。
一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。
“尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。
静かに離婚しただけなのに、
なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。
その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。
そこで待っていたのは、最悪の出来事――
けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。
夫は愛人と共に好きに生きればいい。
今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。
でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。
妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。
過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
人間嫌いの狐王に、契約妻として嫁いだら溺愛が止まりません
由香
ファンタジー
人間嫌いで知られる狐族の王・玄耀に、“契約上の妻”として嫁いだ少女・紗夜。
「感情は不要。契約が終われば離縁だ」
そう告げられたはずなのに、共に暮らすうち、冷酷な王は彼女だけに甘さを隠さなくなっていく。
やがて結ばれる“番”の契約、そして王妃宣言――。
契約結婚から始まる、人外王の溺愛が止まらない和風あやかし恋愛譚。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる