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ウソカマコトカ2 第5話
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※『ウソカマコトカ1』⇒『ユメカマコトカ』⇒『ウソカマコトカ2』となり、こちらは続編となります。
※BLのため苦手な方はご遠慮下さい。
※性描写なし
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雨音が、ひどく強い。
終わろうとしていた夏の、最期の力を振るうようなゲリラ豪雨が、ありったけの力で初秋の夜ふけを打ち付けた。
暗がりの玄関先。
帰ろうと靴を履いた神代がこちらを向いたまま、じっと動きを止めた。
神代は無言のまま、ゆっくりと下を向き、左の手元を眺めた。
シャツの袖口をぎゅっとつかみ、引き止めるもの。
それは向かい合わせに立つ、俺の右手だった。
吐息が震える。
息を詰めて真正面から見つめ合うと、暗闇の中の整った表情が、微かに歪んだのが見て取れ、胸が締め付けられた。
なぜこんなにも、苦しい思いばかりさせてしまうのだろう。
この手を離せば済む事、なのか?
そう気づいても、それが何故だか、出来ない。
それが出来れば。出来れば――どれ程楽なのだろうと思う。
やはり俺は酔っ払っている。
そう自覚するのは本日何度目か。
ここへきて、俺の呼吸はいよいよ乱れた。
明らかに正常ではない。
正常を装った異常。
酔っていないと、のたまっていた今の自分が、夢の中にいた欲深い方の自分なのだと腑に落ちた。
いつからだったのか。
店を出る前。ビールを飲む前。
スマホが鳴る前。夢から覚める前。
いや、もしかして、もっとずっと――?
ずっと俺が俺だと認識していたのは、酔った後にしか現れないと思っていた、艶めかしく後輩を誘う、不都合な方の自分だった。
その証拠に、こんな苦しい最中でも、目の前にある唇が恋しいと思う。
綺麗な首筋に抱きつきたい。
抱きしめられたい。
キスがしたい。
あの声で好きと囁かれたい。
今ならまだ、全力で誘えば落とせるかもしれない。
そんな化け物じみた考えが浮かんでは消える。
目の前の胸元に、顔をうずめてしまいたい。
夢ようなふわふわした世界で、何度も何度も欲深い思いに取り憑かれては、大きく瞬きをして、頭を軽く振り、その浮ついた想像を追い払う。
分からない。何もかも。自分でさえ。
ただ。ただ。苦しい。
この感情がどこから来て、どこへ向かうのかも分からない。
伝えられる事は全て伝えたのに――出来る事は全てしたのに――なぜ、開放されない。
どうすれば、いい。
もう片方の手でも神代の袖口をつかみ、こちらへぎゅっと引き寄せた。
上半身を倒し、向かい合わせの広い肩に額をあてる。
「くるし、い……」
かすれた声でそう呟くと、神代の肩はぴくりと跳ねた。
ひどい雨と風の音が、玄関扉一枚隔てたこちら側の空気を奪っていくようで、まるで真空のように空虚な時間だった。
向かい合い、抱き合うでも無く、ただ両手の袖口を握りしめ、相手の肩に顔をうずめただけの距離が、どうにも虚しかった。
しばらくして、「本当に……」と神代は柔らかな声で話し始めた。
「本当に、もう飲み過ぎるのは、やめた方がいいです。体も心配だし……、変な関係に巻き込まれて、傷付いて欲しくないんです。今日だって――」
言い辛そうに言葉を濁すと、神代はそれを飲み干すように息を吸ってから、大きな溜息を吐き出し、また続けた。
「俺が言える立場じゃないけど……幸せに、なって欲しいんです。隣にいられるのが、自分じゃないのは、寂しいけど……」
俺は目をつむり、さらにぎゅっと顔を押し付けた。
「初めてなんです。こんなに本気で、好きになったのは……先輩が」
そう囁いた顔はたぶん、少し照れくさそうに笑ったようだった。
「――って言っても、明日にはきっと、忘れちゃうけど」
最後にぽつりと、優しい声はつぶやいた。
「忘れさすな! 忘れさせるなよ! 俺に! そんな大事なこと!」
俺は思わず、顔を押し当てたまま叫んでいた。
身勝手で、子供のようで、地団駄を踏んで暴れたくなるほど、自分の苦しみの正体が分からず、怖さも、もどかしさも、ごちゃ混ぜになり、どうすればいいのか分からなかった。
「わすれ、たく……ない……」
そうは言っても、忘れるだろうと思う。
いや、忘れる。
そう確信じみたものがある。
「くる、しい……」
吐く息に、また本音が漏れ出る。
「どうすれば、いい? どうしたら……楽に、なれる? どうしたら、お前のこと……楽にしてやれる?」
鼻声でそう言うと、閉じたままの瞼から堰を切ったように、雫が溢れ出た。
熱い水滴が頬を伝い、顎からぽたぽたと立て続けに落ちていく。
涙が暗がりに消えていく。
子供のようにしゃくり上げながら、俺は泣いた。
中学生の時以来に、自分の泣き声を聞いた。
なぜこんなに苦しいのかも分からないまま。
この苦しみから逃れるための経路が既に閉ざされているのだろうと、何となく分かるところがまた悲しくて、余計に泣けた。
時間が解決するのを待つには、あまりにも残酷で、それは遠くに思えた。
ずいぶん長い時間、そうしていた。
俺の呼吸が少し落ち着いた頃、神代は「先輩、俺……考えたんですけど――」と、なだめるように、やや明るい声を出した。
「今度、俺――先輩に――――、――ます。――の先輩に」
神代の声は、突如音量を上げた嵐のような轟音にかき消された。
俺はゆっくりと顔を上げ、神代を見上げた。が、その景色は、水中のようにぼやけて滲んだ。
「ちゃんと――向き合――」
神代は優しい顔で、何かを説明しているようだった。
なのに、一つ一つの言葉が、俺の中には留まらず、指の間からすり抜けていくように流れ、言葉の意味を捉えられずにいた。
雨のせいか、あるいは、もうこの記憶を忘れ始めているのか。
目の前で、さまざまな事がかき消されていく。
夢の中の俺が、消えていく。
「それならきっと、二人とも新しい――を歩き始――かもって……」
神代の表情から、何か、とてつもなく寂しい事を言っているように感じられた。
分からないまま過ぎ去る声を、追うこともせず、じっと雨と風の音だけを聞いていた。
「俺、自分から――も、――初めてだけど……、先輩ならいいです」
ぼやける視界の中で、神代は悲しそうに微笑んだ。
それから、とびきり優しい声で言った。
「先輩が、俺のために泣いてくれた事、一生忘れません」
不思議と聞き取れたその言葉さえ、忘れてしまうであろうことが、悲しかった。
また一筋、熱い雫が頬を伝う。
すると温かな手のひらが、俺の頭を優しく撫でた後、頬を包み込み、長い親指が涙をすくう。
心地いい。
俺は、気が付いた。
冷静を装い、冴えない工学部男子を演じて、夢の中の俺が必死に欺こうとしていた相手は、同級生でも、神代でもなく、誰でもない、自分自身だった。
いつも暗くて、性格が悪くて、何もできない、誰からも愛されない、つまらない普通の、酔っていない自分に、俺は心底憧れていた。
何故なら――それは。
目の前の存在が、心から望んで、欲していた人物だったから。
初めて。
初めて俺は、夢の外の自分を。
羨ましいと思った。
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【後書き】
またずいぶん遅くなってしまいました。
どうして最近こんなに眠たいのか……。
一応、あと2話で「ウソカマコトカ2」は完結予定です。
寝ます。おやすみなさい。
※BLのため苦手な方はご遠慮下さい。
※性描写なし
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雨音が、ひどく強い。
終わろうとしていた夏の、最期の力を振るうようなゲリラ豪雨が、ありったけの力で初秋の夜ふけを打ち付けた。
暗がりの玄関先。
帰ろうと靴を履いた神代がこちらを向いたまま、じっと動きを止めた。
神代は無言のまま、ゆっくりと下を向き、左の手元を眺めた。
シャツの袖口をぎゅっとつかみ、引き止めるもの。
それは向かい合わせに立つ、俺の右手だった。
吐息が震える。
息を詰めて真正面から見つめ合うと、暗闇の中の整った表情が、微かに歪んだのが見て取れ、胸が締め付けられた。
なぜこんなにも、苦しい思いばかりさせてしまうのだろう。
この手を離せば済む事、なのか?
そう気づいても、それが何故だか、出来ない。
それが出来れば。出来れば――どれ程楽なのだろうと思う。
やはり俺は酔っ払っている。
そう自覚するのは本日何度目か。
ここへきて、俺の呼吸はいよいよ乱れた。
明らかに正常ではない。
正常を装った異常。
酔っていないと、のたまっていた今の自分が、夢の中にいた欲深い方の自分なのだと腑に落ちた。
いつからだったのか。
店を出る前。ビールを飲む前。
スマホが鳴る前。夢から覚める前。
いや、もしかして、もっとずっと――?
ずっと俺が俺だと認識していたのは、酔った後にしか現れないと思っていた、艶めかしく後輩を誘う、不都合な方の自分だった。
その証拠に、こんな苦しい最中でも、目の前にある唇が恋しいと思う。
綺麗な首筋に抱きつきたい。
抱きしめられたい。
キスがしたい。
あの声で好きと囁かれたい。
今ならまだ、全力で誘えば落とせるかもしれない。
そんな化け物じみた考えが浮かんでは消える。
目の前の胸元に、顔をうずめてしまいたい。
夢ようなふわふわした世界で、何度も何度も欲深い思いに取り憑かれては、大きく瞬きをして、頭を軽く振り、その浮ついた想像を追い払う。
分からない。何もかも。自分でさえ。
ただ。ただ。苦しい。
この感情がどこから来て、どこへ向かうのかも分からない。
伝えられる事は全て伝えたのに――出来る事は全てしたのに――なぜ、開放されない。
どうすれば、いい。
もう片方の手でも神代の袖口をつかみ、こちらへぎゅっと引き寄せた。
上半身を倒し、向かい合わせの広い肩に額をあてる。
「くるし、い……」
かすれた声でそう呟くと、神代の肩はぴくりと跳ねた。
ひどい雨と風の音が、玄関扉一枚隔てたこちら側の空気を奪っていくようで、まるで真空のように空虚な時間だった。
向かい合い、抱き合うでも無く、ただ両手の袖口を握りしめ、相手の肩に顔をうずめただけの距離が、どうにも虚しかった。
しばらくして、「本当に……」と神代は柔らかな声で話し始めた。
「本当に、もう飲み過ぎるのは、やめた方がいいです。体も心配だし……、変な関係に巻き込まれて、傷付いて欲しくないんです。今日だって――」
言い辛そうに言葉を濁すと、神代はそれを飲み干すように息を吸ってから、大きな溜息を吐き出し、また続けた。
「俺が言える立場じゃないけど……幸せに、なって欲しいんです。隣にいられるのが、自分じゃないのは、寂しいけど……」
俺は目をつむり、さらにぎゅっと顔を押し付けた。
「初めてなんです。こんなに本気で、好きになったのは……先輩が」
そう囁いた顔はたぶん、少し照れくさそうに笑ったようだった。
「――って言っても、明日にはきっと、忘れちゃうけど」
最後にぽつりと、優しい声はつぶやいた。
「忘れさすな! 忘れさせるなよ! 俺に! そんな大事なこと!」
俺は思わず、顔を押し当てたまま叫んでいた。
身勝手で、子供のようで、地団駄を踏んで暴れたくなるほど、自分の苦しみの正体が分からず、怖さも、もどかしさも、ごちゃ混ぜになり、どうすればいいのか分からなかった。
「わすれ、たく……ない……」
そうは言っても、忘れるだろうと思う。
いや、忘れる。
そう確信じみたものがある。
「くる、しい……」
吐く息に、また本音が漏れ出る。
「どうすれば、いい? どうしたら……楽に、なれる? どうしたら、お前のこと……楽にしてやれる?」
鼻声でそう言うと、閉じたままの瞼から堰を切ったように、雫が溢れ出た。
熱い水滴が頬を伝い、顎からぽたぽたと立て続けに落ちていく。
涙が暗がりに消えていく。
子供のようにしゃくり上げながら、俺は泣いた。
中学生の時以来に、自分の泣き声を聞いた。
なぜこんなに苦しいのかも分からないまま。
この苦しみから逃れるための経路が既に閉ざされているのだろうと、何となく分かるところがまた悲しくて、余計に泣けた。
時間が解決するのを待つには、あまりにも残酷で、それは遠くに思えた。
ずいぶん長い時間、そうしていた。
俺の呼吸が少し落ち着いた頃、神代は「先輩、俺……考えたんですけど――」と、なだめるように、やや明るい声を出した。
「今度、俺――先輩に――――、――ます。――の先輩に」
神代の声は、突如音量を上げた嵐のような轟音にかき消された。
俺はゆっくりと顔を上げ、神代を見上げた。が、その景色は、水中のようにぼやけて滲んだ。
「ちゃんと――向き合――」
神代は優しい顔で、何かを説明しているようだった。
なのに、一つ一つの言葉が、俺の中には留まらず、指の間からすり抜けていくように流れ、言葉の意味を捉えられずにいた。
雨のせいか、あるいは、もうこの記憶を忘れ始めているのか。
目の前で、さまざまな事がかき消されていく。
夢の中の俺が、消えていく。
「それならきっと、二人とも新しい――を歩き始――かもって……」
神代の表情から、何か、とてつもなく寂しい事を言っているように感じられた。
分からないまま過ぎ去る声を、追うこともせず、じっと雨と風の音だけを聞いていた。
「俺、自分から――も、――初めてだけど……、先輩ならいいです」
ぼやける視界の中で、神代は悲しそうに微笑んだ。
それから、とびきり優しい声で言った。
「先輩が、俺のために泣いてくれた事、一生忘れません」
不思議と聞き取れたその言葉さえ、忘れてしまうであろうことが、悲しかった。
また一筋、熱い雫が頬を伝う。
すると温かな手のひらが、俺の頭を優しく撫でた後、頬を包み込み、長い親指が涙をすくう。
心地いい。
俺は、気が付いた。
冷静を装い、冴えない工学部男子を演じて、夢の中の俺が必死に欺こうとしていた相手は、同級生でも、神代でもなく、誰でもない、自分自身だった。
いつも暗くて、性格が悪くて、何もできない、誰からも愛されない、つまらない普通の、酔っていない自分に、俺は心底憧れていた。
何故なら――それは。
目の前の存在が、心から望んで、欲していた人物だったから。
初めて。
初めて俺は、夢の外の自分を。
羨ましいと思った。
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【後書き】
またずいぶん遅くなってしまいました。
どうして最近こんなに眠たいのか……。
一応、あと2話で「ウソカマコトカ2」は完結予定です。
寝ます。おやすみなさい。
応援ありがとうございます!
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