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ウソカマコトカ2 最終話
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※『ウソカマコトカ1』⇒『ユメカマコトカ』⇒『ウソカマコトカ2』となり、こちらは続編となります。
※BLのため苦手な方はご遠慮下さい。
※性描写なし
--------------------------------------------
帰り支度をして外へ出ると、もう日が暮れようとしていた。
「それ私が出しとくよ、帰り道だし。早く行ってあげれば? 神代くん待ってるんでしょ?」
幸野さんの言葉に甘えて申請書を託すと、大学構内にある小さな博物館のカフェ――神代が言った待ち合わせ場所へ向かった。
しばらく歩き、駐輪場が見えると、その裏手に広がる黒い森が、風に撫でられ大きく波打つのが見えた。焦げた秋の匂いがする。
大学が管理する歴史ある里山らしく、小さな博物館と生協のカフェが併設されている。
木立の奥へ続くなだらかな坂を上がると、古めかしい二階建ての博物館が見えた。
カフェの入口に面した外のテーブルには、誰もいない。
カフェの中で待っているのかと思ったら、神代は入口の横にある森へと続く石段に座り、スマホをさわっていた。
足が自然と止まる。
ひと月前まで、ただの後輩だった男を遠くから眺めた。
夕暮れの暖色が髪に反射して、きらきらと光っていた。
歩きながらずっと考えていた。
あの日に関する話だろう。それだけは確かだ。
弁明なのか謝罪なのか。
あるいは、逆に俺を責めようと思えば、いくらでも材料はあるように思えた。
それくらい酔った時の俺と神代は、深く際どい関係で、その時の俺は我ながら酷かった。
酔った勢いで肉体関係をもった男女の方が、ずっと分かりやすくて潔いだろうと思えた。
男女でも無く、体だけでも無い俺達の関係は、暗く重く複雑に絡み合い、俺の想像をはるかに超えて、手に負えなかった。
最悪あの性格では脅迫なんてことも。そんな考えがよぎるたび、あの悲しい声が聞こえる気がして、この想像は違うのだろうと感じた。
もしそうだったとしても、そんな風に神代を変えてしまった一因が自分にある気がして、責める気にはならなかった。
俺に気がついた神代は、スマホをしまって立ち上がり、こちらを眺めた。
やはり表情は乏しく、血の気の少ないくたびれた顔だった。それでもやはり、誰がどうみてもイケメンだった。
「ここ、もうすぐ閉まるんで、少し歩きませんか?」
神代が言ったのでカフェの奥を見ると、確かにスタッフが片付けを始めていた。
ゆっくりと石段を上がり始めた神代の、数歩後ろを行く。
両手には木々がしげり、部分的に竹林になっている。古い石造りの貯水槽が蔦に覆われていた。
さらに上がると、ツツジがアーチ状に連なったトンネルがあらわれる。そこを抜けると階段は終わり、開けた場所へ出る。
右に行けば下りの階段。そのまま構内にある池の畔まで続く。
左に入るとコンクリートだった道は完全な山肌の道となり、鬱蒼と茂る里山の森だ。
「この先行き止まり」と書かれたプラスチックの看板をよけて、神代は左の道へ入っていった。
夏が終わり、つもり始めた枯れ葉と乾燥した枝を、音を立てて踏みしめながら、神代は無言で歩いていく。
反対方向なら校舎へ続くので近道に使う学生がまれにいるが、こちらは逆方向なので、散歩目的の一般人か、数時間に一度訪れる見回りの守衛くらいしか入って来ない。
少し進むとまたコンクリート造りの小さな踊り場へ出た。
神代はそこで歩みを止めた。
そしてゆっくりと上を見上げた。
桜の木があり、春には満開だったのが、今はちらほらと葉が黄色くなって落ち始めていた。
遠くで、にぎやかな歓声がこだまする。どこかのグラウンドでまだ練習をしているサークルがあるのだろう。
日暮れのせまった里山の森は、はちみつ色の光と香ばしい枯れ葉の香りに満ちていた。
「最近は来ないんですか?」
わずかな時間、二人して桜を見上げていたら神代が聞いた。
「え?」
聞き返すと神代は「昔はよく来てましたよね? このあたり」とこちらを振り向いた。
「あー、だいぶ前な? 最近は来てない、かな」
気持ちのこもらない返事をする。
「ここで本、読んでましたよね?」
「そうだっけ?」
もうかなり前だが、この場所が好きでよく通っていた時期があった。
バイトまでの空き時間をつぶすのに、図書館は人が多くて落ち着かない。ここなら人が来ない。なによりも落ち着く。
今来てみても、やはり落ち着く。
自分だけの秘密基地のような安心感。
今でこそクラブにバイトに飲み会に忙しいが、根っからの内気で友達も少なく、逃げるように一人の時間に没頭していた我が本質を、ぼんやりと思い出した。
「ここで俺と会ったの、覚えてます?」
少し優しい声で神代は聞いた。
「え、あー。なんか、あったかもな。めちゃくちゃ前だろ?」
俺はもう一度桜を見上げた。
そういえば、読書中に声をかけられて、顔を上げると知らない奴が立っていた事があった気がする。
その時も、桜は咲いていなかったように思う。
校舎と真逆なのにどうしてこんな場所に迷い込んでくるのだろうと、不思議に思った。
そいつは派手な髪色をしていたので、俺は一瞬身構えたが、確か「弓川さんですよね?」と俺の名前を知っていた。
同じクラブなんです、というような事を二、三言話した。俺は、ふうんと思った。それ以外は覚えていない。
まだ神代と親しくなるずっと前の話だ。
「初めて先輩と話した場所なんで、俺にとっては、思い出の場所なんです」
ややうつむき加減で小さく言ったと思ったら、急に顔を上げてこちらを見たので、しっかりと視線がかみ合った。
澄んだ焦茶色の瞳に動揺し、俺は顔をそむけた。
「話……って?」
俺が聞くと、神代は言いづらいのか、しばらく喋らなかった。
俺はふと、今しかないと思い立った。
思いきって口を開く。
「あの、実はさ。俺からも言っときたい事があって――」
すると神代は不安気に眉をひそめた。
「あの……俺、その全部では無いんだけど、ちょっと思い出したんだ。酔ってた時の、お前との事」
風が吹き、黒々とした木立の輪郭が音を立ててざわめく。足元で落ち葉が走る。
「何て言ったらいいか……えっと、その、あれ、嘘じゃなかったんだな。お前が俺と恋人同士だって言ってたやつ。疑って、悪かったよ。なんか……ほんと――」
「あの!」
遮るように、神代は右手を軽くかざした。
「その話、大丈夫です。あの、もうちゃんと、謝ってもらってるので……」
「は?」
「あの、とにかく、大丈夫です」
そう神代は言い張った。
俺は全く納得がいかなかったが、神代は「俺の話っていうのは」と話し始めてしまった。
「この間の事。謝って済まされる話じゃないのは分かってるんですけど、その、本当に、すみませんでした。先輩の事、沢山傷つけたこと」
そう言って神代が深々と頭を垂れたので、俺はどうしていいか分からず一人で慌てた。
「先輩が気が済むなら、どういう風にしてもらっても構わないっていうか……えっと、ちゃんと最初から覚悟は――」
「いや、いいよ。もーそういうの。俺も、お前に謝らなきゃいけない事、たぶん、いっぱいあるし」
俺がさえぎって言うと、神代は深刻な顔で黙りこくり、何かを考え込んでいるようだった。
「お前って、案外、真面目なんだな」
話の内容がわかった安心感もあってか、一気に緊張がとけ、俺は吹き出すように笑った。
すると神代は困ったような表情をして、しばらく俺を見つめていた。
「先輩って、やっぱり変わってますよね。あんな事された相手に、よく笑ってられますね」
「お前の方こそ、どうなんだよ。あんな事した相手に笑われるのはさ」
勢いで言うと、神代は何も答えず小さく息を吐いてうつむいた。
俺は少し考えて「まあ、でも」と言葉をつないだ。
「ああいう事はやめろよな。普通に犯罪だし。ってかお前みたいな奴、いくらでも向こうから寄って来るのに、なんであんな思考になんだよ」
笑いながら言うと、神代はうつむいたまま何も言わなかった。
「せっかくモテるんだからさ――幸せになれよな」
自然と自分の口から出たその言葉が、なぜか自分は幸せになれないから、と言っているようでひどく心がえぐられた。
そして、もうこうやって二人で話す事が最後なのだと、今さらながらに気がついた。
恋人同士なら別れ話。クラスメイトならお別れ会。
いわばこれは、少しの思い出話と、ほんのちょっとの心残りを断ち切る、さよならの挨拶なのだ。
そしてそれは当然、それぞれが新しい道を歩き始める一つの節目でもある。
それなのになぜ、こんな経験した事のない種類の苦しみと悲しみに俺は打ちひしがれているのか。
かと言って、以前の関係に戻れるほどの修復力は俺にはなかった。
なにもかも分からないまま、全てが終わろうとしている。
だからこそ、やはりもう自分は幸せになれずに、神代の幸せを願うことしか出来ない気がした。
視線を落とす。
先程までの笑顔が急速に頬から抜けて冷えていく。無理に笑っていたのだと気がついた。
全身の力が抜けていく感覚が、失恋の時に似ていたが、失恋よりもずっと重厚な圧迫感と虚無感がある。
鼻の奥がツンとしたので、慌てて桜を見上げるふりをし、体を背けた。
太く黒い幹に目を落とすと、カラカラに乾いた木肌に、スペードの形をした小さな葉の蔦が生き生きと巻き付いていた。
次に桜が咲く頃にはどうしているだろう。
神代は俺のことなど忘れているかもしれない。もしかすると可愛い彼女を連れて、いや彼氏なのか、この桜を一緒に見上げるのかもしれない。
俺はその頃には、笑えているだろうか。
今のところ、どうも、それすらも危ういと感じた。
背後で、神代が遠慮がちに「あの……」と言った。
瞬間的にこの話し合いが、もう終わるのだとわかった。
さよならだと分かった時から、俺は内心ずっと迷い、焦っていた。
呼吸が乱れて、視界が揺れる。
このままだと終わってしまう。
何か、伝えないと。
追い立てられるように、桜をまた見上げる。
やわらかな風に真っ黄色の丸い葉がまた舞った。
必死で考える。
自分でさえ分からないこの感情を、どう伝えればいい。
どうにかして形となってあらわれた、唯一の言葉は。
忘れないで欲しい――。
それだけだった。
一生、とは言わない。せめて次の桜が咲くまで。
俺のことを覚えていて欲しい。
こんな事を伝えて意味があるのか、とは思った。
ただ実際のところ、こんな事すら伝える勇気が出ずに、俺は下唇をかんで下を向いた。
虚しさで押し潰される。
下瞼に勝手に熱いものがあふれ出す。
「あの、それで」
神代が呼びかけるように発したので、俺はかすかに首をひねって後方に意識を向けた。
「俺、こんな事言える立場じゃないのは、分かってるんですけど――」
緊張した声で神代はそう告げた。
それから大きく息を吸い込んだのがわかるくらい、刹那に森は静まりかえった。
一瞬のことだった。
「あの――俺と、付き合ってもらえませんか?」
――は?
振り返ったひょうしに、目の縁に溜まっていた大粒の雫が、頬を伝った。
「好きです。真さん」
神代はしっかりと俺の目をみつめて、そう言い放った。
俺は、息を止め、我を忘れた。
ずっとずっと、はるか昔から幻聴のように頭に響いていたセリフが、今リアルな音を肉付けし、不意にこちらに飛んできた。
なのに、全然違う。
なにもかも、響きも意味も全てが違う。
悲しみと苦しみにみちた呪いのようなその言葉が、今はあたたかく柔らかな光にみちているような、妙な具合だった。
森も風も空気も全てがぴたりと止まった世界で、俺は目の前の表情に、意識を吸い取られた。
紅葉前の桜の木も、ずっと変わらずそこにある里山の森も、目の前に立つずっと後輩だった男も、全てがチカチカと瞬き煌めいて見えた。
どういうわけか。
ああ、俺はずっとこれを待っていたのだと、不思議と納得した。
俺の中の何かが微笑む。
手が届きそうになかった、何か。
それが今、目の前にある。
それは――。
それは、例えば――。
それは例えば。
例えば。
例えようの、無いくらい。
「大好き」な――笑顔だった。
完
------------------------------------------------
【後書き】
こんばんは。
最終話、とってもとっても遅くなってしまいました(;´Д`)
いかがだったでしょうか?
短編で終わる予定だった『ウソカマコトカ』。書き始めると、ありがたい事に沢山の方に読んでもらい、ずるずると続いてしまいました。
元々、短編予定だったのでどれくらい私が軽い気持ちで書き始めたかと言うと、季節や年齢など細かい設定無しで書き始めてしまい、後からいろんな設定を後付しながらの執筆^^;
ほんとに、こんなに長くなるなら、ちゃんとプロットを詰めておけばよかった…そういう点でも、読みづらかったり、分かりづらかったりする点が多々あったかと思いますが、ここまでたどり着いて下さった、あなた。本当に感謝です。
続き、考えてない事もないんですが、どうしようかな。今私生活が少し忙しいので、新作は置いといて、続編だらだら書いてもいいけどなぁ。また少し迷います^^;
なんにせよ、ここまで読んで下さった皆様!
本当にありがとうございました!!
※BLのため苦手な方はご遠慮下さい。
※性描写なし
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帰り支度をして外へ出ると、もう日が暮れようとしていた。
「それ私が出しとくよ、帰り道だし。早く行ってあげれば? 神代くん待ってるんでしょ?」
幸野さんの言葉に甘えて申請書を託すと、大学構内にある小さな博物館のカフェ――神代が言った待ち合わせ場所へ向かった。
しばらく歩き、駐輪場が見えると、その裏手に広がる黒い森が、風に撫でられ大きく波打つのが見えた。焦げた秋の匂いがする。
大学が管理する歴史ある里山らしく、小さな博物館と生協のカフェが併設されている。
木立の奥へ続くなだらかな坂を上がると、古めかしい二階建ての博物館が見えた。
カフェの入口に面した外のテーブルには、誰もいない。
カフェの中で待っているのかと思ったら、神代は入口の横にある森へと続く石段に座り、スマホをさわっていた。
足が自然と止まる。
ひと月前まで、ただの後輩だった男を遠くから眺めた。
夕暮れの暖色が髪に反射して、きらきらと光っていた。
歩きながらずっと考えていた。
あの日に関する話だろう。それだけは確かだ。
弁明なのか謝罪なのか。
あるいは、逆に俺を責めようと思えば、いくらでも材料はあるように思えた。
それくらい酔った時の俺と神代は、深く際どい関係で、その時の俺は我ながら酷かった。
酔った勢いで肉体関係をもった男女の方が、ずっと分かりやすくて潔いだろうと思えた。
男女でも無く、体だけでも無い俺達の関係は、暗く重く複雑に絡み合い、俺の想像をはるかに超えて、手に負えなかった。
最悪あの性格では脅迫なんてことも。そんな考えがよぎるたび、あの悲しい声が聞こえる気がして、この想像は違うのだろうと感じた。
もしそうだったとしても、そんな風に神代を変えてしまった一因が自分にある気がして、責める気にはならなかった。
俺に気がついた神代は、スマホをしまって立ち上がり、こちらを眺めた。
やはり表情は乏しく、血の気の少ないくたびれた顔だった。それでもやはり、誰がどうみてもイケメンだった。
「ここ、もうすぐ閉まるんで、少し歩きませんか?」
神代が言ったのでカフェの奥を見ると、確かにスタッフが片付けを始めていた。
ゆっくりと石段を上がり始めた神代の、数歩後ろを行く。
両手には木々がしげり、部分的に竹林になっている。古い石造りの貯水槽が蔦に覆われていた。
さらに上がると、ツツジがアーチ状に連なったトンネルがあらわれる。そこを抜けると階段は終わり、開けた場所へ出る。
右に行けば下りの階段。そのまま構内にある池の畔まで続く。
左に入るとコンクリートだった道は完全な山肌の道となり、鬱蒼と茂る里山の森だ。
「この先行き止まり」と書かれたプラスチックの看板をよけて、神代は左の道へ入っていった。
夏が終わり、つもり始めた枯れ葉と乾燥した枝を、音を立てて踏みしめながら、神代は無言で歩いていく。
反対方向なら校舎へ続くので近道に使う学生がまれにいるが、こちらは逆方向なので、散歩目的の一般人か、数時間に一度訪れる見回りの守衛くらいしか入って来ない。
少し進むとまたコンクリート造りの小さな踊り場へ出た。
神代はそこで歩みを止めた。
そしてゆっくりと上を見上げた。
桜の木があり、春には満開だったのが、今はちらほらと葉が黄色くなって落ち始めていた。
遠くで、にぎやかな歓声がこだまする。どこかのグラウンドでまだ練習をしているサークルがあるのだろう。
日暮れのせまった里山の森は、はちみつ色の光と香ばしい枯れ葉の香りに満ちていた。
「最近は来ないんですか?」
わずかな時間、二人して桜を見上げていたら神代が聞いた。
「え?」
聞き返すと神代は「昔はよく来てましたよね? このあたり」とこちらを振り向いた。
「あー、だいぶ前な? 最近は来てない、かな」
気持ちのこもらない返事をする。
「ここで本、読んでましたよね?」
「そうだっけ?」
もうかなり前だが、この場所が好きでよく通っていた時期があった。
バイトまでの空き時間をつぶすのに、図書館は人が多くて落ち着かない。ここなら人が来ない。なによりも落ち着く。
今来てみても、やはり落ち着く。
自分だけの秘密基地のような安心感。
今でこそクラブにバイトに飲み会に忙しいが、根っからの内気で友達も少なく、逃げるように一人の時間に没頭していた我が本質を、ぼんやりと思い出した。
「ここで俺と会ったの、覚えてます?」
少し優しい声で神代は聞いた。
「え、あー。なんか、あったかもな。めちゃくちゃ前だろ?」
俺はもう一度桜を見上げた。
そういえば、読書中に声をかけられて、顔を上げると知らない奴が立っていた事があった気がする。
その時も、桜は咲いていなかったように思う。
校舎と真逆なのにどうしてこんな場所に迷い込んでくるのだろうと、不思議に思った。
そいつは派手な髪色をしていたので、俺は一瞬身構えたが、確か「弓川さんですよね?」と俺の名前を知っていた。
同じクラブなんです、というような事を二、三言話した。俺は、ふうんと思った。それ以外は覚えていない。
まだ神代と親しくなるずっと前の話だ。
「初めて先輩と話した場所なんで、俺にとっては、思い出の場所なんです」
ややうつむき加減で小さく言ったと思ったら、急に顔を上げてこちらを見たので、しっかりと視線がかみ合った。
澄んだ焦茶色の瞳に動揺し、俺は顔をそむけた。
「話……って?」
俺が聞くと、神代は言いづらいのか、しばらく喋らなかった。
俺はふと、今しかないと思い立った。
思いきって口を開く。
「あの、実はさ。俺からも言っときたい事があって――」
すると神代は不安気に眉をひそめた。
「あの……俺、その全部では無いんだけど、ちょっと思い出したんだ。酔ってた時の、お前との事」
風が吹き、黒々とした木立の輪郭が音を立ててざわめく。足元で落ち葉が走る。
「何て言ったらいいか……えっと、その、あれ、嘘じゃなかったんだな。お前が俺と恋人同士だって言ってたやつ。疑って、悪かったよ。なんか……ほんと――」
「あの!」
遮るように、神代は右手を軽くかざした。
「その話、大丈夫です。あの、もうちゃんと、謝ってもらってるので……」
「は?」
「あの、とにかく、大丈夫です」
そう神代は言い張った。
俺は全く納得がいかなかったが、神代は「俺の話っていうのは」と話し始めてしまった。
「この間の事。謝って済まされる話じゃないのは分かってるんですけど、その、本当に、すみませんでした。先輩の事、沢山傷つけたこと」
そう言って神代が深々と頭を垂れたので、俺はどうしていいか分からず一人で慌てた。
「先輩が気が済むなら、どういう風にしてもらっても構わないっていうか……えっと、ちゃんと最初から覚悟は――」
「いや、いいよ。もーそういうの。俺も、お前に謝らなきゃいけない事、たぶん、いっぱいあるし」
俺がさえぎって言うと、神代は深刻な顔で黙りこくり、何かを考え込んでいるようだった。
「お前って、案外、真面目なんだな」
話の内容がわかった安心感もあってか、一気に緊張がとけ、俺は吹き出すように笑った。
すると神代は困ったような表情をして、しばらく俺を見つめていた。
「先輩って、やっぱり変わってますよね。あんな事された相手に、よく笑ってられますね」
「お前の方こそ、どうなんだよ。あんな事した相手に笑われるのはさ」
勢いで言うと、神代は何も答えず小さく息を吐いてうつむいた。
俺は少し考えて「まあ、でも」と言葉をつないだ。
「ああいう事はやめろよな。普通に犯罪だし。ってかお前みたいな奴、いくらでも向こうから寄って来るのに、なんであんな思考になんだよ」
笑いながら言うと、神代はうつむいたまま何も言わなかった。
「せっかくモテるんだからさ――幸せになれよな」
自然と自分の口から出たその言葉が、なぜか自分は幸せになれないから、と言っているようでひどく心がえぐられた。
そして、もうこうやって二人で話す事が最後なのだと、今さらながらに気がついた。
恋人同士なら別れ話。クラスメイトならお別れ会。
いわばこれは、少しの思い出話と、ほんのちょっとの心残りを断ち切る、さよならの挨拶なのだ。
そしてそれは当然、それぞれが新しい道を歩き始める一つの節目でもある。
それなのになぜ、こんな経験した事のない種類の苦しみと悲しみに俺は打ちひしがれているのか。
かと言って、以前の関係に戻れるほどの修復力は俺にはなかった。
なにもかも分からないまま、全てが終わろうとしている。
だからこそ、やはりもう自分は幸せになれずに、神代の幸せを願うことしか出来ない気がした。
視線を落とす。
先程までの笑顔が急速に頬から抜けて冷えていく。無理に笑っていたのだと気がついた。
全身の力が抜けていく感覚が、失恋の時に似ていたが、失恋よりもずっと重厚な圧迫感と虚無感がある。
鼻の奥がツンとしたので、慌てて桜を見上げるふりをし、体を背けた。
太く黒い幹に目を落とすと、カラカラに乾いた木肌に、スペードの形をした小さな葉の蔦が生き生きと巻き付いていた。
次に桜が咲く頃にはどうしているだろう。
神代は俺のことなど忘れているかもしれない。もしかすると可愛い彼女を連れて、いや彼氏なのか、この桜を一緒に見上げるのかもしれない。
俺はその頃には、笑えているだろうか。
今のところ、どうも、それすらも危ういと感じた。
背後で、神代が遠慮がちに「あの……」と言った。
瞬間的にこの話し合いが、もう終わるのだとわかった。
さよならだと分かった時から、俺は内心ずっと迷い、焦っていた。
呼吸が乱れて、視界が揺れる。
このままだと終わってしまう。
何か、伝えないと。
追い立てられるように、桜をまた見上げる。
やわらかな風に真っ黄色の丸い葉がまた舞った。
必死で考える。
自分でさえ分からないこの感情を、どう伝えればいい。
どうにかして形となってあらわれた、唯一の言葉は。
忘れないで欲しい――。
それだけだった。
一生、とは言わない。せめて次の桜が咲くまで。
俺のことを覚えていて欲しい。
こんな事を伝えて意味があるのか、とは思った。
ただ実際のところ、こんな事すら伝える勇気が出ずに、俺は下唇をかんで下を向いた。
虚しさで押し潰される。
下瞼に勝手に熱いものがあふれ出す。
「あの、それで」
神代が呼びかけるように発したので、俺はかすかに首をひねって後方に意識を向けた。
「俺、こんな事言える立場じゃないのは、分かってるんですけど――」
緊張した声で神代はそう告げた。
それから大きく息を吸い込んだのがわかるくらい、刹那に森は静まりかえった。
一瞬のことだった。
「あの――俺と、付き合ってもらえませんか?」
――は?
振り返ったひょうしに、目の縁に溜まっていた大粒の雫が、頬を伝った。
「好きです。真さん」
神代はしっかりと俺の目をみつめて、そう言い放った。
俺は、息を止め、我を忘れた。
ずっとずっと、はるか昔から幻聴のように頭に響いていたセリフが、今リアルな音を肉付けし、不意にこちらに飛んできた。
なのに、全然違う。
なにもかも、響きも意味も全てが違う。
悲しみと苦しみにみちた呪いのようなその言葉が、今はあたたかく柔らかな光にみちているような、妙な具合だった。
森も風も空気も全てがぴたりと止まった世界で、俺は目の前の表情に、意識を吸い取られた。
紅葉前の桜の木も、ずっと変わらずそこにある里山の森も、目の前に立つずっと後輩だった男も、全てがチカチカと瞬き煌めいて見えた。
どういうわけか。
ああ、俺はずっとこれを待っていたのだと、不思議と納得した。
俺の中の何かが微笑む。
手が届きそうになかった、何か。
それが今、目の前にある。
それは――。
それは、例えば――。
それは例えば。
例えば。
例えようの、無いくらい。
「大好き」な――笑顔だった。
完
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【後書き】
こんばんは。
最終話、とってもとっても遅くなってしまいました(;´Д`)
いかがだったでしょうか?
短編で終わる予定だった『ウソカマコトカ』。書き始めると、ありがたい事に沢山の方に読んでもらい、ずるずると続いてしまいました。
元々、短編予定だったのでどれくらい私が軽い気持ちで書き始めたかと言うと、季節や年齢など細かい設定無しで書き始めてしまい、後からいろんな設定を後付しながらの執筆^^;
ほんとに、こんなに長くなるなら、ちゃんとプロットを詰めておけばよかった…そういう点でも、読みづらかったり、分かりづらかったりする点が多々あったかと思いますが、ここまでたどり着いて下さった、あなた。本当に感謝です。
続き、考えてない事もないんですが、どうしようかな。今私生活が少し忙しいので、新作は置いといて、続編だらだら書いてもいいけどなぁ。また少し迷います^^;
なんにせよ、ここまで読んで下さった皆様!
本当にありがとうございました!!
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