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第21話 亡き母との恋話

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「なんだか、のんびりするな……」

 敷物の上で寝っ転がりながら、リョウはぼんやり昼間の空を見上げていた。
 日差しは柔らかく、ポカポカといい陽気である。時折、鳥のさえずりも聞こえる。先ほどまでの激動が嘘のように穏やかに時間が過ぎていく。

 ここは、首都アルティアから少し離れたところにある草地。
 見晴らしは良く、遠くには山々が連なり、近くに森や湖が見え、そして、すぐそばに小川が流れる長閑のどかな場所である。ここで二人は休憩をとっているところであった。
 自分の隣では、アリシアが横になっている。

 ヴェルテ神殿を出て帰路に着いた二人だったが、疲労が激しいアリシアの状態を鑑み、早めに休憩を入れることにしたのだ。
 敷物を敷き、持参した弁当を食べ一息ついた後、リョウは彼女に横になるように勧めた。

『そうね、ちょっとお行儀が悪いけど、お言葉に甘えてそうさせていただくわ』

 そう言って、彼女は少し恥ずかしげに、リョウの左隣で体を横たえた。

『ああ、少しでも疲れを取らないとな』
『それはリョウも同じでしょ。あなたも、少し横になったら? それに……私一人だけじゃ恥ずかしいから』
『そうか? じゃあ、そうするか』
『ええ』

 そんなやりとりがあって、二人は並んで横になり、これまでに起こったことを振り返っていたのだ。

「アリシア……?」
「……」

 横を見ると、いつの間にか彼女はこちらに体を向けたまま、目を閉じ気持ちよさそうに眠っていた。安らかな寝息が聞こえてくる。

(寝ちまったか。無理もない)

 あまりに色々な事がありすぎた上に、リズと通信しあの動画を見たのだ。心身ともに疲弊しきっているだろう。

(それにしても……)

 初めて見る彼女の寝顔は、心臓を鷲掴みされるほど可愛らしかった。
 
(寝ている時まで反則級に可愛いってのは、どうなんだ)

 思わず見惚みとれてしまう。

 それだけではない。まるで、安心しきった子供のような無垢な表情であった。

 ずっと彼女と一緒にいて、一つ気がついたことがある。
 それは、彼女を見ていると無性に守ってやりたくなるということだ。
 彼女は芯が強く、しっかりしている方だと思うのだが、ひたむきで健気な様子が彼の庇護欲を刺激するらしい。とにかく、彼女の身の安全と心の平安が自分の責任のように思えてしまうのだ。
 そこに、この寝顔である。それはまさにリョウに頼り切り、彼のそばにいれば何も怖くないと思っている表情だった。

(ああ、もう。どうしろっていうんだよ、こんなの)

 彼女に対する想いが心から溢れかえる錯覚にとらわれる。

「お前が好きだ、アリシア」

 自分の想いを抑えきれず、思わず気持ちが口からこぼれてしまう。
 同時に、自分の言葉が脳内にエコーし、身悶えするほどの羞恥心に駆られた。

(う、やべえ、恥ずかしいことをやっちまった。似合ってもねえってのに)
 
 ところが、

「私も……愛してるわ……」
「!!」

 そのアリシアの言葉で、体が二十センチは飛び上がった。

「え、あ、あの……」
「……」

 だが、それきり彼女は動かない。静かな寝息が聞こえるだけだ。
 どうやら寝言らしい。

(なんだよ。というか、誰のことだ?)

 もしかして、自分のことか、それともまだ見ぬ恋敵でもいるのかと警戒した矢先、

「お母さん……」

 微かな呟きが聞こえた。
 そして、彼女のまぶたの奥から涙が滲み出してきた。

(そうか、カレンの夢を見てるんだな……)

 彼女の母、カレンは五年前に亡くなったと聞いている。ということは、当時のアリシアはまだ思春期に入るかどうかの少女だったはずだ。普通ならまだ母に先立たれる年齢ではない。多感な年頃に死なれてさぞかし辛かったろう。
 五年経ってもまだその悲しみは完全には癒えていないというのは、普段の言動を見ていれば分かる。そして、リョウと出会い、母親の正体を知ることで、悲しみを新たにしたのかもしれない。
 
 アリシアは、唇をきゅっと結び、何か辛いことに耐え忍ぶような表情を見せる。微かに肩が震えていた。

(アリシア……)

 リョウは、自分の手を彼女の手のひらに重ね、大丈夫だと言い聞かせるように力強く握った。
 すぐに彼女が握り返してきた。
 それはおそらく無意識な反応だと知りつつ、リョウは幸せな気持ちになる。

 数分ほどそうしていただろうか。やがて彼女の表情が和らぎ、また静かな寝息が聞こえてきた。握った手の力も抜けている。

(落ち着いたか……)

 一息つくと、やがて、彼自身も体が暖かくなり、そのまま眠りに落ちたのだった。

 


 一方、リョウが寝入ってしばらくして。

(あれ、私……)

 アリシアは仰向けに寝返ったところで、目が覚めた。
 澄み渡る青空が見える。
 一瞬、どこか分からなかったが、すぐに、アルティアからの帰り道で休憩していたのだと気づいた。

(そっか、夢か……)

 しばらく見ていなかった母親の夢を久しぶりに見た。
 その原因は分かっている。リョウに会って、母の話を聞いたからだ。

 ふと隣を見ると、彼はこちらを向いて眠っている。
 アリシアはじっと彼の寝顔を見つめた。

(無邪気な顔しちゃって)
(起きている時は、あんなに勇敢なのにね)

 神殿では、本当に危ない目に遭った。
 だが、彼と一緒にいれば何も怖くなかった。処刑されそうになったときも、彼が『大丈夫だ』と言ってくれただけで、勇気が出た。
 彼と一緒にいると、それだけで心が落ち着くのだ。

(あれ……?)

 彼の方に寝返りを打とうとした時、自分の手が握られているのに気がついた。

(もしかして、あの時……)

 さっきまで見ていた夢の中でも、彼と手をつないだことを思い出す。

 それは母の悲しい夢だった。というより、つらい思い出の再現に近い。
 病床の母が、自分に『愛してる』と言い残して、天に召されてしまうのだ。
 大好きな母が逝って、大泣きしてしまうアリシア。寂しさにどうにかなってしまいそうだった。
 そのとき、なぜかリョウがそばにいて、手を握ってくれたのだ。おかげで、心を強く持ち悪夢にならずにすんだ。
 きっと、寝ている自分の手を握ってくれたのは、その時だったに違いない。

(そっか、夢の中まで、助けに来てくれたのね……)

 アリシアは、肘を地面について身を起こした。そして、彼の手を握り直す。

(いいわよね……。彼が握ってきたんだし)

 自分に言い訳して、彼の顔を覗き込んだ。
 少年のような寝顔を見ていると、愛おしさが込み上げてくる。

「リョウ……、私ね、あなたが好きよ」

 思わず呟いて、顔が熱くなる。

(あなたはどう? 少しでも私のこと好きでいてくれるの?)

 彼は相変わらず、静かな寝息を立てているだけだ。

 そして、自分では思ってもみないことをした。
 顔を寄せて、彼の頬にキスしたのだ。

(やだ、わたしったら……)

 自分で自分の行為に驚いて、唇に手をやった。

(お母さんに怒られちゃうわね……)

 実は、まだリョウには告げていない、遠い母の記憶が一つある。
 それは、まだアリシアが十歳ぐらいの頃。
 何かの折に、母と二人で恋の話をしていた時のことだ。
 
『お母さんは、お父さんに会う前に好きな人はいなかったの?』

 何気なく聞いた一言だったが、不意を突かれたのか、母はしばらく言葉を探して黙っていた。

『……いたわよ。だけど、ご縁がなくてお別れしたのよ』
『おたがい好きあってたのに?』
『そうね』
『……ふうん』
『でもそのおかげで、私はあなたのお父さんと結婚できて、あなたが生まれてきてくれたの。だから、これでよかったのよ』

 そう言って母は自分を抱きしめてくれた。

 まだ当時、大人の恋愛について無知だったアリシアも、母の言葉の裏に何か癒えない心の傷のようなものを感じた。そして、これ以上深入りすべきではないと子供心に察した。それ以来、亡くなるまで母とはその話はしなかった。
 今から考えれば、あれはリョウの事を言っていたに違いない。

 昨日、父の小屋で立ち聞きした話では、母は遺跡に埋まっているリョウを助けようとして、結局あきらめて父と結婚した。
 母が父を愛していたことは、娘から見ても間違いないと思う。
 ただ、だからと言って、彼のことを忘れられるわけではなかったというのは、今なら分かる。

(お母さんは、もし私がリョウの恋人になっても祝福してくれるのかな……)

 ふとそんな疑問が心に浮かぶ。
 だが、母の声も神の啓示も聞こえてはこない。

(ちゃんと報告しなきゃ)

 今後、リョウとどうなるか分からない。しかし、どちらにしても、次に自宅に戻る時は、墓参りして母にリョウに対する気持ちを伝えようと心に決めた。



 しばらくして、リョウの瞼が小刻みに震えたのに気づいた。もう目覚めるようだ。
 アリシアは、握っていた手をあわてて離して、身を起こす。
 リョウがゆっくりと瞼を開いて、何度か瞬きした。

「あら、もうお目覚め?」

 そういえば、前にもこんな事があったと思い出す。

「お、アリシア。もう大丈夫なのか」
「ええ。すっかり元気になったわ。心配かけたわね」 

 彼が今度は自分の名前を呼んでくれて少し安堵する。

「そうか、それはよかった。んじゃ、俺も起きるとするか」

 リョウは立ち上がると、大きく伸びをした。
 それを眩しい思いでアリシアが見上げる。

「ついつい、俺まで寝ちまった。そろそろ行くか?」
「そうね」
「ほら」
「あ……」

 リョウが手を差し出したのだ。
 アリシアが手を握ると、彼が力強く引っ張り上げた。

「馬を連れてくるよ」
「うん、ありがと」

 リョウは少し離れたところで草をはんでいた馬のところに歩いていく。
 アリシアは、その後姿を見守りつつ、今握られた右手を自分の胸に抱きしめるのだった。



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