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第30話 運命の日(2)

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 それは巨大な全国地図だった。
 いくつかの黒い点が点滅しており、そこから赤い放射状の曲線がさまざまな方向に向かって描かれている。そして、その曲線の先には大小様々な円が赤色で塗られていた。

『これはなんだ? いや、この点滅している黒い点は基地だな。この線と円はなんだ……?』
『これは、各基地から発射されたミサイルの弾道とその被害地域を表しています』
『待て、どういうことだ? それが事実なら、全ての基地からミサイルが発射されているだけでなく、その目標が全て国内の都市ではないか?』
『その通りです。衛星からの分析によると、すでに大都市の全てが壊滅状態です……』

 しかも、スクリーン上の地図では、リアルタイムで次々と新たな放物線と赤い円が付け加えられていた。こうして見ている間にも、被害地域の赤い円が国中を覆ってしまう勢いである。

『……国内各都市の状況です』

 兵士がコンソールをタイプすると、画面が切り替わり、衛星から撮られたとおぼしき画像がスクリーンに何枚か並べて写された。次々と画像が切り替わる。いずれも、様々な都市がすでに焼け野原と化している惨状を写していた。

『な、なんということだ……』
『しかも、これをご覧ください……』

 今度は、地図が切り替わり、世界地図が映された。

『おお、神よ……』

 クラークの口から悲痛の声が漏れる。他の兵士もスクリーンを呆然と見つめている。

 世界地図に描かれたもの。それは、各国のありとあらゆる基地から発射されたミサイルの弾道を表す線と、その被害を表す円だった。そして、その円で世界全域が塗りつぶされようとしていたのだ。

『世界全域で、ここと同じことが起こっています。基地の同士討ち、ならびに自国の都市への総攻撃です』
『これでは、世界が滅亡するではないか……。これは、本当に現実なのか……?』 

 クラークの目が大きく見開かれている。
 つい先ほどまでは世界は平和だったのだ。そして、自分たちにとってもいつもの何事もない一日が始まろうとしていた。それが、たかが20分も経たないうちに、人類が滅亡するかもしれないという事態に陥っている。しかも、この基地も攻撃されたとはいえ、司令室内はまったく普段と変わらないのだ。あまりの現実感のなさで、世界で起こっていることが信じられないのも無理はない。

 これは他の兵士たちにとっても同じだった。家族や友人など、基地外にいるものはもう亡くなっている可能性が高い。たが、彼らはよく鍛え上げられているらしく、涙ぐんでいるものもいたが、取り乱すものは誰一人いなかった。

 この間にも、スクリーンの世界地図上で、次々とミサイルを表す放物線とその被害地域を表す赤い円が書き加えられている。

『司令、ご命令を……』

 しばらくの間、スクリーンを見つめていたクラークは、やがて決意を固めたかのように声を張り上げた。

『総員避難命令を出せ。我々はこの基地を放棄する』
『司令!?』
『この地図を見ろ。特に重点的に攻撃されているのは、人の住んでいる地域と、軍事基地だ。この図が正しければ、もう、我々が守るべき人々もいないどころか、このままだと我々が人類最後の生き残りになりかねん。ここを退去し、他の生存者たちと合流するのだ』

 そのとき、持ち場のコンピュータースクリーンを見ていた、兵士が叫び声を上げた。

『司令、別のミサイルがウォーリック基地からこちらに向かっています。解析によると、弾頭は放射分解爆弾です』

「放射……分解爆弾……」

 思わず、リョウが呟く。
 それは放射線兵器の一種で、生物の細胞にのみ作用し、細胞間の結合を弱めた挙句、分子にまで分解してしまう爆弾である。建物などを壊さずに兵士だけを殺傷できるという利点があるが、有効範囲が数百メートルと少なく、シールドにも弱いという弱点もある。

『ふっ。ご丁寧なことだ。シールドは起動しているな?』
『すでに作動中であります』
『よし、いいだろう。それでは、基地の退去プロトコルに従い、我々はこの基地から撤退する。非戦闘員から、脱出する準備をさせろ、そして……』

『し、司令!』

 兵士が大声で叫び、クラークの話を遮った。

『何だ?』
『シールドが……、シールドが突然解除されました』

 報告しながら、必死にコンソールを操作する。
 
『何だと? システムの異常か?』
『い、いえ、システムは全て正常ですが、勝手に解除されてしまうのです。こちらの命令を全く聞きません』

 だが、クラークはもう驚かなかった。

『誰が何のつもりかはわからないが、どうあっても私たちを生かしておく気はないようだな。仕方がない、対空砲で撃ち落とせ』
『了解』
『複数の基地からのミサイルを確認! 弾頭は分解爆弾です。やはり、目標は当基地であります』
『わかった。まとめてスクリーンに出せ』

 スクリーンには、飛来中のミサイルが映った、だがその数合計でおよそ30ほど。しかも、本来なら、複数の基地から発射されたのだから、バラバラに飛んでくるはずなのに、まるで一箇所から同時に発射されたかのように編隊を組んで飛行していた。

 そして、シールドが起動していない今、一発でも撃ち損じたら基地は全滅である。

『間もなく、射程に入ります』
『射程内に入り次第撃ち方始め。対空ミサイルも全ランチャーから撃て』
『了解であります』
『射程内に入りました』
『撃て!』

 その号令とともに、スクリーン上には対空砲のレーザー光が何条も映り、同時に、基地からは対空ミサイルが発射された。
 次々とミサイルが撃ち落とされていく様子が映される。

『いいぞ、その調子だ』

 残り数発になったときに、対空ミサイルが飛来するミサイルの一発に当たった。大きな爆発が起こる。そして、その爆発で、近くを飛んでいたミサイルも次々と誘爆した。

『おおっ』
『やったぞ』

 司令室に兵士たちの歓声がこだまする。
 だが……。

『司令、爆発を逃れて飛行中のミサイルが一発だけあります!』
『なんだと、どこだ?』

 スクリーンは、爆発の煙で一杯であり、視界が妨げられていた。そのため、対空砲が完全に当てずっぽうの射撃になっている。対空ミサイルの使用が完全に裏目に出た形となった。

 やがて、

『ミサイルの現在位置が特定できました。着弾まであと、10秒』

 その叫びと同時に、スクリーンがミサイルの姿をとらえる。そして、また、対空砲のレーザー光が激しく行き交う。だが、ミサイルには命中しない。

『着弾まで、5秒前』
『当てろ! 当てるんだ!』

 クラークの叫びが、むなしく司令室に響く。

『4、3、2、1……』

 そして、兵士のゼロという言葉と同時に、まばゆいばかりの光が、司令室を貫いた。
 リョウも手をかざして、目を閉じた。

『神よ、人類を救い給え……』

 閃光の中、クラークのつぶやくような声が聞こえてくる。
 すぐに光は消えた。しかし、人々の動きが完全に止まり、まるで白黒の静止画のように色を失っている。そして、まるで砂でできた人形が風に吹かれたかのように、さらさらと崩れていった。
 そして、後には何も残らず、司令室は無人になったのだった。


 そこで映像が止まり、司令室の照明がつけられた。
 二人はしばらくの間、身動き一つせず中空を見つめていた。

「……」
「……」

 ややあって、先に口を開いたのはキースだった。

「なるほどな……。惑星規模の壮大な同士討ちという訳か」
「なぜそんなことに……」

 世界中の基地が一斉にミサイルを発射し、自国の都市をことごとく壊滅させる。

 これは彼の予想と仮説を遥かに超える。
 リョウは動揺からまだ立ち直れず、思うように言葉にならなかった。
  
「世界同時に同じことが発生したことから考えて、作為的に行われたのは間違いないだろう。コンピューターウイルスか、ハッキングか、いくつか考えられるが確証はないな」
「……」
「あの様子では、人類は絶滅寸前まで行ったのだな。それで、一万年もたって蘇ったと思ったら、このざまという訳だ。フッ」

 侮蔑の眼差しで、キースが鼻であざ笑った。

「とはいえ、あの日何が起こったかは分かったが、これだけではカレンの言っていたことが正しいかどうかもわからんな」
「何のことだ?」

 物思いから引き戻され、リョウは顔を上げた。

「なぜこんな同士討ちが仕組まれたのか、そして、誰がこれを仕組んだのかだよ。お前は知らないのか」
「ああ。だが、カレンはなぜ知っているんだ? あいつだってカプセルで寝ていたんだろう?」
「なんだ、それも知らないのか?」

 キースが呆れた声を出す。

「どういうことだ?」
「カレンは我々とは違って、この同士討ちの前にカプセルに入ったのではない。これが起こった後も数ヶ月は起きていたのだ」
「なんだって? 数ヶ月は起きていた……?」

 リョウは動揺した。これまで、彼女も自分と同じ日にカプセルに入ったものとばかり思い込んでいて、一人だけ後から眠りについた可能性は思いつきもしなかったのだ。

「何を驚く必要がある。あやつはあの日カプセルに入る理由などなかったからな」
「それは、そうだが……」

 つまり彼女は、人類が滅亡する寸前までいったこの災厄を生き延び、数ヶ月は一人で生き抜いたということになる。

(カレン……)

 人が死に絶え、瓦礫となった世界で、彼女はたった一人でどんな気持ちで生きていたのか。
 それを考えるだけでリョウは胸が締め付けられる思いだった。

「……じゃあ、あんたはこの同士討ちの目的、それに、カレンがこの後どうしていたのかも知っていると言うんだな」
「ああ、本人から聞いたからな」
「教えてくれ……。たのむ」

 リョウの懇願を聞いて、キースは皮肉げな薄笑いを浮かべた。

「いいだろう。ただし条件がある」
「なんだ?」
「私の仲間になれ」
「なんだと?」
「この基地を可動した状態で維持するには、保守が必要だ。だが、この時代の野蛮人どもには我らのテクノロジーなど扱えまい。お前のような人間がいれば役に立つ」
「何をバカな。断る」
「ならカレンの話も諦めるのだな」
「……そうか。ならいい」

 リョウは、唇を噛んだ。
 地球規模の同士討ちが起きた原因、そして、その後のカレンの消息は、リョウにとっては最も知りたい情報である。
 だが、一方で、アルティアにミサイルを打ち込むような輩と手を組むのはできなかった。

(いつか、分かる日が来るのだろうか)

 一つため息を付いて、リョウはまた自分の思いに沈み、彼女の一生に思いを馳せた。


「まあいい。面白い見世物だった」

 今の映像が、何も心の動揺を引き起こさなかったかのように、キースは肩をすくめた。

「コンピューター、ミサイル発射までどれくらいかかる?」
『後55分程度必要です』
「まだもう少しかかるな。なかなか気が急くことだ」

 リョウは現実に立ち返り、キースに目をやる。

(なんとしても発射を止めないと)

 市民の命を守るためだけではない。自分もこの世界に目覚めた以上、ここで生きていかなければならない。先程の映像のようなこと許すわけにはいかないのだ。

(みんな早く来てくれ)

 リョウは、クラーク司令官が砂のように消えた場所を見つめながら、ひたすらアリシアたちの到着を願うのだった。


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