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第1章 耕起、西の旅

06: ベチョタレ雑炊を食べる

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 雷は山寺の境内にスーパーカブを駐めた。
「なんだか、滅茶滅茶静かだね。」
 パタタタというカブの乾いた擬装エンジン音が途絶えると、周囲の山の静寂が迫ってくる。
 雷は相変わらずメットを右肩にかけ、リュックを背負ったままの野戦服ポンチョのスタイルで、山寺の戸口にたった。
 隣に立っている鳴の明度は、いつもよりもやや低めに抑えてある。
 この時代の人間には、明るすぎるよりも、やや暗めの見え方の方が、違和感を与えないだろうと思ったからだ。

「ちょっと、お頼の申します、今晩わ。」
 雷の口調が少し時代がかっている。
 これは多少なりとも雷の「学習結果」によるものだった。
 郷にいれば、郷に従えだ。

「はい、どなた?」
 戸板の向こうから艶のある女性の声が返ってきた。

「伊勢参りの旅のもんでございますが、道を取り違えまして、行き暮れて難渋しとります。すいませんが、一晩泊めていただけないでしょうか?」
 雷はそうは言ったが、もちろん伊勢が何処にあるのかさえ知らない。
 これも『歩き方』からの受け売りだった。
 その代わり、一帯一路弾丸鉄道の西端の駅が、アイルランドにある事を雷は知っている。

「それはお気の毒な、しかし当寺(てら)は尼寺でございますのでな、殿方をお泊めするといぅわけにはまいりませんので、下の村のお庄屋さんの所へでも行て泊めておもらいなさったらいかがで?」
「それが下の村も上の村も、もぉ歩きくたびれてましてね。お庭の隅でも、軒の下でも結構でございます、雨露さえしのげましたら結構なんで。」
 嘘八百だった。
 この一日で自分の脚で歩いたのは、煮売屋の周辺と、店の中だけだった。
 それに例え、表に駐めてあるカブが見つかったとしても、実際に動くところを見ない限り、この尼僧にカブが乗り物であるとは判らないだろうと、雷は思った。
 雷には、耕起の事や、自分の旅の経緯を一から説明するより、この罪のない嘘の方がずっと簡単だったのだ。

「人を助けるは出家の役と申します、今も言ぃましたよぉに尼寺、男のお方をお泊めするといぅわけにはまいりませんが、本堂でお通夜(つや)をなさるといぅのなら、雨露だけはしのげますでのぉ。」
「有り難い事で、そういうことで、ひとつよろしゅう、お頼の申します。」
「それでしたら、ちょっと、お待ち願えますか?」
 戸の奥で、ぱたぱたと足音が聞こえ、何やらゴトゴトと用意をしている気配がした。

「ねぇねぇ、さっきの人、何って言ってたの?」
 すかさず鳴が聞いてくる。

「ここは尼寺だ、女の坊(ぼん)さんが勤めてる尼寺だよ。男を泊めるわけにはいかないって事なんだけど、本堂でお通夜するんなら、泊めてあげる、って言ってくれてだんよ。」
「つまり、本堂でオツヤさえしたら良いって事?」
「そいう事だ。」

「お艶はんというのは、別嬪かなぁ?」
「お前何を考えてるんだ……、お通夜をするといぅのはな、夜通し寝ないで、仏さんのお守をする事を言うんだよ。」
「嫌やだよ、そんなの。夜通し、寝ないのなら、何にもならないじゃないか。明日も旅があるんだぜ。」
「だから、それは表向きなんだよ、本当は寝ても良いんだ。」
「ほぉ、表向きお通夜、裏向きは布団宿か?」

 再び戸口に気配が戻ってきたのを察した雷は、大きな声を出した。
「……、どぉぞ、ひとつよろしゅ~、お頼の申します。」
「掛け金も何も掛かったないので、こっちどぉぞ、お入りを。」
 戸を開けた雷と鳴の二人の前に、尼さん頭巾を被った年増の僧が現れた。
 切れ長の目に細面の顔立ち、不必要に艶のある女性だった。

「手桶に水が汲んでございます。そこにタライがありますよってにな、足袋脱いでワラジ脱いで、足洗ろぉて、どぉぞ、こっちお上がりを。」
「雷、やっぱり止めとこうよ。」
 鳴が小声でいう。

「どうしてだ?」
「尼さん、難しいこと言ってるし。『足袋脱いで、ワラジ脱げ』だなんて、ワラジ脱いでからでないと、足袋は脱げないだろうと、僕は思うんだよね。」
「何をくだらねぇ事を言ってる。俺みたいに、今すぐワラジ脱いで、足袋脱いで、足洗らったように、見せかけて、早く上がって来い。」
 上がりがまちには雷の履いていたソフトスニーカーが行儀良く並べて置いてあった。

「足袋に、ワラジねぇ。僕の場合、雷がホロで作った方が早いじゃん、、。」


     ・・・・・・・・・


「どぉも、えらいご無理なことをお願いいたしまして。」
「いやいや、何のおもてなしもできゃいたしません。あのぉ、お二人とも空腹そうなご様子で。」
「何の不服なことがありますかいな、中に入れてもらっただけでも、ありがたいと思とります。」
「『不服』そうやない、『空腹』、お腹が空いてござるよぉな、ご様子かと思いましてな。」
「それでしたら、ちょっと減っとります、よぉなこって。」
 雷が尼僧の口調につられて、そう言った。

「そこに雑炊が炊いてございますので、よろしかったらお上がりを、」
「雑炊、わたし好きでんねやがな、まんでやんがな、フグ雑炊、カキ雑炊、マッタケ雑炊。」

「いやいや、寺方には、そのよぉな贅沢な結構なものはございませんが、今日は当寺の開山のお上人の忌日(きにち)にあたりますので、月にいっぺんずつ炊きます『ベチョタレ雑炊』といぅのができてございます。」
「ベチョタレ雑炊? あまり聞ぃたことがないなぁ、」

「そこに茶碗も箸も出てますんで、勝手によそて勝手にお上がりを」
「そしたら遠慮なしに……、手ぇ出すんじゃない、俺が入れてやるから、ちょっと待て。ウワァ~ッ、湯気が立ってるなぁ、さ、よばれよ……、ほな、遠慮なしにいただきます。」
 ところが鳴は、雷がよそった椀を覗き込んだ後、じっと動かない。
 いつもは実体のない身ながら、それらしい演技をする所なのだが。
 だが雷の方は、そんな鳴の姿にも気が回らない、相当、空腹だったのだ。
 フゥ~ッ、ズズゥ~……と雷が、ベチョタレ雑炊なるものをかき込んだ。

「ちょっとお尋んねしますが、庵主さん。この舌の先にザラザラしたものが残るのは、何が入ってまんねん?」
「それは味噌が切れたんで、山の赤土が入れてございます。」

「え、そんなもんが食べられますか?」
「赤土は体に精ぇを付けますでなぁ、」

「赤土で精を付ける、何やら盆栽みたいになってきたなぁ……。この一寸ぐらいに切ってあって、噛みしめると甘ぁい汁が出まんねけど、藁みたいなもの、こら何でんねん?」
「それは『藁みたいなもん』やない、藁でおます。」

「聞ぃたか、おい、鳴。言いようがあるもんやなぁ、『藁みたいなもんやない、藁』だそうだ、、。ところで、藁が食べられますか?」
「あれは、体をホコホコと温めますでな、」

「ほいほい、藁食って土食って、これで壁塗りコテを呑んだら、腹の中に壁が出来る……。この草みたいなもんが出て来ましたが?」
「それはゲンゲン花の陰干しで、」
「ゲンゲン花……、」
 急いで雷は、膝元に置いたヘルメットに手を掛けてゲンゲン花を検索する。

「体毒下しだろ、これ。、、もしもし庵主さん。カエルみたいなもんが出て来ましたが?」
「出すのん忘れとりました。ダシを取るためにイモリが入れてある。」

「おおきに、ごっつぉはんでございました。」
 雷は顔が青くなっている。

「遠慮せんと、どぉぞぎょ~さん……」
「いやいや、今のイモリでぐっとお腹が膨れましたんで、ありがとうございます。」

「お口には合いますまい、明日になったら、また麦飯(ばくはん)なと炊いてしんぜましょ。ところでお泊り願う早々、こんなことお願いして何でございまんねやが、実はちょっとお二人に留守番をお願いしたいんで。」
「え~っ、こんな寂しぃ山寺で留守番なんて。こんな時刻から、どこけへお出かけになるんですか?」
 慌てた雷の口調が、元の時代のものに戻り初めている。

「実は下の村にお小夜後家といぃましてな、金貸しのお婆さんが住んどりまして、貧乏なお方に、高い利子でお金を貸し付けては、厳しゅ~取り立てる。あんまり評判のえぇお方やなかったんですが、今朝ほどポックリとお亡くなりになられましてな。村の衆が寄って棺桶に納めてお勤めをしてましても、貸し付けてあるお金に気が残ってますねやなぁ、またしても棺桶のふたをポ~ンと跳ねのけては『金返せぇ~、金返せ』出て来るんやそうで。悪い人でも死にゃ仏、これから行て、ありがたいお経を上げて成仏さしたげよと思いますので、ちょっとお二人にお留守番を。」

「そんな怖い話、言わないでください。こう見えても我々怖がりなんで。そんなん、かなんがな!」
 最後だけ雷は、この時代の人間になりきることが出来た。
 まさに『そんなん、かなんがな。』の気持ちだったのである。

「いえいえ、このお寺も、宵の口は寂しゅございますが、夜が更けると賑やかになります。」
「不思議な寺ですよね。宵が寂しゅ~て、夜が更けると賑やか……。そうか庵主さん、貴方がまだ若くてお綺麗だから、夜中に村の若い衆が遊びに来たりするんですね?」

「そのよぉなことはございませんが、この本堂の真ぁ裏が、墓場になっとります。夜中になりますと、骸骨がぎょ~さん出て来て、相撲を取って遊びます、『八卦よい残った残った、ガチャガチャ、ガチャガチャ』まことに賑やか。」
「何の賑やかですか!?俺ら骸骨の相撲なんかきっぱり、大嫌いです!」

「それにもぉ、少々夜が更けて丑満つといぅ頃になりますとな、ご本尊の真ぁ後ろに、新仏の墓がございます。これは。上の村のお庄屋さんの娘さんが、よそへ縁付かはって間なしに亡くなってでおましたが、お腹に稚児(ややこ)ができてるのを、そのまま土に埋ずめたところが、土の温気(うんき)で、どぉやら赤子が産まれたよぉな具合で。」
 そういう庵主の切れ長な目が、やけに熱っぽい。

「そこの廊下にポ~ッと明かりが差しますと、庄屋の嬢(いと)さんが、こぉ赤ん坊を抱いて、『ねんねん、よぉ~~、おねやれ、やぁ~~』とあやして歩かはります。そらもぉホン情があって……」
「何の情が!そんな話聞いて、俺らとてもじゃないが留守番なんか出来ません。その夜伽(よとぎ)、日延べするというわけには?」
「夜伽は日延べにはでけしません。いやいや、そういぅ魔性のものも、あのご本尊の阿弥陀さんの前のお灯明、あのおみ明かしさえ消えなんだら、そういぅもんは出てまいりません。あの灯にさえ気を付けててもらいましたら大丈夫でございます。ほんなら、ちょっと行てまいりますで、お二人さん。どぉぞお留守番あんじょ~お願いいたします。」

「ちょっと、待ったぁ、待ったぁ~。お~~い……」
 鳴はたまりかねたように、尼の背中に声をかけた。
「行ちゃったよ、雷、どうしょう~。」
「どうもこうもないだろ、もうこうなったらこっちに来て座れ。度胸据えなきゃ、仕方がない。そうそう、あの灯が頼りだ。鳴、油の具合、ちょっと見てこい。あれが消えたら大変だ……」

「えぇ~ッ、雷、これもぉ、油がいくらも入ってないよ」
 阿弥陀の前の灯明あたりから鳴の声が聞こえた。
「それヤバイ、継ぎ足さないと。」

「油徳利ってのは~、どこにあるのかなぁ~。あった、あった。」
「どれ、どこだ。こういう時は実体がないと頼りないな。結局、俺がやる事になる。」
 雷は鳴が見つけた油徳利で、灯明に油を注いだ。

 ジュジュジュ、パチ。ジュ~パチ、ジュ~パチ……

「あれ? あ、油差したら、灯が点いたり消えたりする?」
「鳴、お前見つけたの本当に油か?」
 そう言われた鳴は、雷が床に置いた油徳利を見た。 

「これは……、醤油」
「馬鹿、油と醤油と間違えるやつがあるか!」
「入れたのは雷だろ。確認しないのが悪い。あんな崩した文字、僕には読めないよ。あぁ~、消えた、点いた、またパチパチしてる、点いた、消えた……。消えちゃったよー……。」

「『ねんねん、よぉ~』」

「雷っっ!幽霊出たぁ~!」
「、、今のは俺だ。」
「アホ、こら、雷!僕、寿命が縮んだぞ!」
 鳴が涙目で言った。




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