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第2章 スラップスティックな上昇と墜落
18: 嗤う黒い天使達
しおりを挟む「私たちは彼を捜しています。この人物をご存知ですね?彼は私の所轄で起こった殺人事件の重要参考人です。しかも第一級のです。」
漆黒には、今まで過去の捜査の中で、堅く閉じた殻の中にある真実を探り出すために、違法と言える脅しやはったり、さらには「同情」までも総動員してきた経験があった。
しかし、それらのやり口は、既に捜査のための裏付けがある程度存在したから出来たことだ。
今回は、それがまったくない。
あるのは『推測』と、頼りない証言と、いくつかの事実とも呼べない『事柄』があるだけだった。
しかし、手堅い捜査をする為の準備の時間はとれない。
漆黒とレオンの競争相手であるジッパーは、強大すぎ、その動きも素早かった。
漆黒の考えからすれば、犯人をあげられるのなら誰があげても良いようなものだが、それをさせないのは、あのラバードールの死体を見て片付けたのは自分だという拘りであり、そしてジッパーの介入は何か別の思惑から来るものだという疑惑だった。
突きつけられた写真を見る神父の瞼が、薄く引き絞られる。
画像に焦点を合わしているだけではないのだろう。
神父は、この一瞬にあらゆる事を計算しているのだ。
漆黒は、幾度もこんな場面に出会ってきた。
ひょっとすると「いける」かも知れない。
漆黒の動悸が早くなった。
「これは鴻巣神父ですね。彼がどうしたというのです?」
『かかった!』
写真の人物は中央ID管理局で浚えなかったのだ。
つまりこの写真の男には、名前がないはずなのだ。
だが神父は「鴻巣」と言った。
そこから突破口が開ける。
中央IDでの曖昧検索誤差の許容量二十パーセントは伊達ではない。
その上、ブルーノから抽出した画像は法的に十分証拠能力を持つ精度を持っている。
人間の記憶層から科学的に抽出されフィルタリングされた画像は、似顔絵などという曖昧なものではないのだ。
「鴻巣」と呼ばれる男は存在するが、IDとは一致しない。
隠れた犯罪者が浮かび上がってくる時の定番パターンだ。
あとの問題は、マッカンダルにより深く食いついていくタイミングだけだった。
「しかし、よくこんな写真が手に入りましたね。彼はつい最近、改心してバイオアップ処置を元に戻したばかりですよ。それからは誰にも自分の写真や映像は取らせていないはずだ。俗世からは縁を切りましたからね。それに彼の過去の写真も、彼の被った心の痛手と共に全て処分されたはずだ。」
神父は、心底驚いた表情を見せた。
これが漆黒の抱いた疑惑への、神父側の先制攻撃なら驚くべき才能と言えた。
要するにこの神父は、ID消失者は全て犯罪者とは言えないと、遠回しに表現しているのだ。
そして彼らの宗教は、ID消失者を神の愛情の元に庇護しているのだと。
漆黒は、せっかく手に入れたカードを相手に見透かされた腹立ちから直線的な質問にでた。
「実を言うと、この写真は事件の関係者から提供してもらったイメージ写真なんです。人間の記憶ほど曖昧なものはないとされているが実際はそうではない。要はそれを記憶から抽出する為の手順と技法の問題なんですよ。まあこれ以上の説明は私には出来ませんがね。私が知っているのは、これが法廷に提出された時、物証として成り立つという事だけだし、それで十分だ。私はここに来るまでに、警察官の捜査活動上で許されているレベルで、この写真を元に中央のID管理局で検索を行った。その意味がお判りですか、神父?」
「私たちは人間の精神の構造について常に深い関心を抱いている。警察が時々使う記憶抽出の方法はとても興味深い。」
神父は、漆黒の意図をわざとはぐらかそうとしているのか、見当のずれた受け答えをした。
意識してそうしているなら、頭のいい人物だった。
「検索結果は、このような人物は何処にもいないと出た。刑事である私の知っている限りでは、IDを待たずこの社会に生きている人間は非常に特殊な状況下に置かれてる。神父はその事をどう、お考えです?」
神父は暫く悩ましげな表情を見せたが、決して追いつめられたという様子ではなかった。
「確かにその通りです。鴻巣神父は今、特殊な状況下にいる。まあこれは世間一般的に言ってと言うことですが。私たちの教義からいえば、ごく当たり前の成り行きだと教会は判断している。人がバイオアップなどの変容処置を受けるのは、なぜですかな?酷く単純に言えば、神の存在を信じていない為だ。私たちは、そう定義している。その過ちに気付いた者は、神が与えた元の姿に戻る。鴻巣神父もそうだった。彼は私たちの教会にいながら長年の間、バイオアップである事を隠していた。それは彼が自分の変容を受け入れざるを得なかった惨たらしい過去と密接な関係があるのだが、、。とにかく彼がバイオアップを解くという事は非常に大きな解脱へのステップだったのです。その時、鴻巣神父は自分の過去と、今という時代・社会を精算したのです。つまり彼は自らIDを破棄した。刑事さん。ここの所は、よく覚えておいて貰いたいのだが、IDの破棄者名簿という様なものはないのですよ。つまりIDの消失に限って言えば、自ら進んでであろうが、剥奪されようが、それは同じ事だ。一旦、輪から出た者は死者となる。誰の記憶にも残らない死者にね。それがこの偽りの世界の基本原理なのだ。しかし、私たちは、その基本原理を否定している。偽りの世界の基本原理に価値などない。私たちは、この社会に未来をもたらす、唯一の存在、ロアなのですよ。」
漆黒はひどく、ゆっくりと顔写真をポケットにしまい始めた。
マッカンダルに感化された訳ではなかったが、『IDの破棄者名簿はない。』という言葉が、彼の奥深い部分を突いたからだ。
「、、遠回りをし過ぎたようです。鴻巣神父のアリバイを教えてもらえますか?今の調子だと、貴方に答えられない事は何一つなさそうだ。」
漆黒が続けて言ったラバードールの殺害推定時刻と年月日を、マッカンダルは慎ましく聞いていた。
神父は先ほどの自分の受け答えが、傲慢な説教口調になったのを少し羞じていたのかも知れない。
「それなら完全なアリバイが鴻巣神父にはあります。その日、彼は、この講堂で講話をしていた。彼の講話は人気があって大勢の信者が参加している。その数は百人を下らないはずだ。熱心な信者の中には、その講話を毎回、DDVなどで記録をしている者もいます。なんなら、、。」
「いや、もう結構です。今日の所は、ですが。ところで、鴻巣神父ご本人にお会いできますか?」
「それは、出来ないと思います。」
「なぜです?居場所が掴めれば、地の果てでも。」
漆黒は興奮気味に言った。
DDVで録画だと?話が出来過ぎている。
この神父の答えたことは、全てがでたらめではないか?
そう感じだした瞬間、漆黒はどす黒い怒りが、自分の心の底からわき出してくるのがわかった。
その感情は『IDの破棄者名簿はない。』という言葉に反応した自分への反動とも言えた。
「貴方には残念だが、その『地の果て』に近いと思います、追いかけていけないでしょう。鴻巣神父は、今、静止衛星都へ布教活動に出かけています。」
静止衛星都、、、宇宙に浮かぶ静止衛星都市ヘブンの事だ。
漆黒は、天井に巣くう黒い天使たちが、自分達を見て、あざ笑っているような気がした。
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