精霊捜査線・錬金術師達のマリオネット パラケルススの魔剣と天国にいる敵

Ann Noraaile

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第3章 永き命、短き命

37: ミスター・ファットの憂鬱

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 雨の日に道を歩いていて、たまたま側を通る車が水飛沫を上げているというような出来事が、日常生活にはある。
 その水が我が身にかかるかどうかは、雨の強さや車のスピードにより、避けられるかどうかは、自分の能力による。

 例えば最近、水飛沫を上げて漆黒の側を走り去った出来事は、人材派遣会社レヴィアタンの会長である政商・竹中鍛造が、政府の経済財政政策・特命担当大臣に就任した事だ。
 漆黒は、人材派遣会社レヴィアタンの陰の部分を利用して警察に潜り込んだのだが、特にこの会社に恩義を感じているわけではない。
 レヴィアタンはアンダーワールドに対してだけではなく、人間社会でもそうとう悪辣な経営活動をしていて、漆黒は刑事になってから、その方面への個人的な調査をした程だ。
 しかし竹中鍛造の大臣就任は、レヴィアタンの不正情報を握っている漆黒にとっては、怒りと共にチャンスが同時に生まれたようなもので、彼自身には直接的な被害が出るようなものではなかった。
 だがもう一つの出来事は、漆黒の挙動とはまったく関係のない所で起こった事にもかかわらず、その影響は大きかった。

 ・・・この男は、きっと病気だ。
 原因は過労と不摂生、そして薬袋もないピュア主義の肥満しきった身体。
 だがそれらのどれを取っても、本人が自ら望んだものだ。
 男の前にあるコーヒーカップの側に散らかった砂糖のように、漆黒の忠告など、その男にとってなんの役にも立つまい。
 男には、カウンターの上の皿に残った食べ残しのドーナッツの方が、まだ値打ちがあるだろう。

「何だって?カミソリで出来た男だって?」
「そうだ、サリンジャーはそういった。」
 漆黒の話の相手はレオンだ。
 丸く膨らんだ顔に疲労の油が浮いている。
 レオンの顔は太ってはいるが、基の骨格は鋭く細面の筈だ。
 皺が酷く深い。
 それらが相まって、コーヒースタンドのカウンターに俯いた彼の容貌は陰惨に見えた。

 それに、いつもと違って口数が少ない。
 レオンとの出会いの頃と比較するなら信じられない程の変貌だった。
 最近、彼の相棒である豚男が深く傷ついて、調整槽に入っているのが相当響いているようだった。

 本人は決して口にしないが、漆黒の集めた情報によると、昔レオンが取り扱った事案で、ある組織から恨みをかっていた彼が、最近闇討ちに会い、それを豚男が身を挺して守ったのだという。
 その際、襲撃してきた相手が、人間でなければ豚男もきっと反撃をしていただろう。
 警察に配置された精霊は、人間を大きく傷つける事が出来ない。
 襲撃者はそれを見越していたのか、全員、人間だった。
 そして残念ながら、レオンの戦闘能力は極めて低くかった、、。

 調整槽行きと聞けば、簡単に精霊が蘇るように聞こえるが、その時、現場に急行した救急隊員達の話では、豚男は正にミンチ肉一歩手前の状態だったらしい。
 最近ようやく、鷲男に心を許し始めた漆黒であっても、相棒が傷つくとこたえるのだ。
 ましてレオンと豚男の繋がりは、端から見ていても尋常ではない。
 レオンの焦燥ぶりはしごく当たり前だった。
 お互いが顔をつき合わせての情報交換の場としてもうけられた場だったが、漆黒としては気持ちの落ち着かない時間だった。

「例の殺しに使われたカミソリだよ。科研の奴らは、未だに凶器を特定できずにいるが、俺はこれでラバードール殺しと容疑者は凶器で繋がったと考えている。あんたは単純すぎだと笑うかも知れないがな。」
 レオンは、返事のかわりに冷めかけたコーヒーを啜る。
 漆黒にもっと話せと、言っているのだ。

 大抵の場合、漆黒が集めた情報よりも、レオンの集めた情報のほうが密度が高い。
 レオンは漆黒に全てを話させてから、自分の番が来た時に、漆黒の努力を水の泡にしてしまうのが好きなのだ。
 しかし今度ばかりは、漆黒にはレオンを脅かす自信があった。
 それにレオン自体が元からしおれていた。

「サリンジャーが言うには、その男は、自分の身体を数万枚のカミソリのような薄い金属片に分解したかと思うと、再び元の身体に再構成しなおしたらしい。昔、空間のイリュージュンを弄るのが好きな画家のに、そんな絵があったな。男の顔が、薄い皮膜のようになっていてミイラの包帯のようにめくれかかっているんだ。その中には真っ暗な宇宙が覗いている。」
 漆黒は、空になった自分のコーヒーカップをみる。
 二杯目を頼もうか。
 意気消沈しているレオンの前でも、無遠慮に自分自身が興奮しているのが判ったが、意志の力では冷静になれそうもなかった。

「ところがだ。その変身を、サリンジャーの前で何度かやっている内に、男の身体の様子がおかしくなってきたらしい。サリンジャーは、彼女を連れてきた神父に、変身を止めさせるように願い出たらしいんだが、神父の方は、あなたの神話の着想がわくまで止めさせる訳には行かないと答えた。その上、神父は、この男は既に、自らの内に芽生えた邪心によって、神の姿をした悪魔に変わりつつあるのだと吹いたらしい。」

「最後は、どうなったんだ?」
「そのカミソリ男が、完全にぶっ倒れて、それを見た感受性豊かなサリンジャー先生がヒステリーを起こし、、、まあ、後はお定まりだ。」
「やっぱり、その時点で、既に奴は壊れてたんだな、、。」
 『今度』も、レオンはつまらなさそうに言った。

「やっぱりだと?その時点ってのは、お前の言う『既に』から数えて、何番目のどの時点なんだ?」
 思わず漆黒の声が硬くなる。
 漆黒は、一時でも、「こんな奴」を気遣った自分を後悔した。

「俺はな、俺達への締め付けや、パーマー捜査官への処遇がやけに甘いのが気になっていたんだ。パーマー捜査官は、ああは言ったが、俺達を泳がしていて誰にとってもメリットはないだろ?あるとすればパーマー捜査官の個人的な意地ぐらいのもんだ。上は、やろうと思えば、一気に俺達を潰せた筈だ。だがロアが起こした件を、急にもみ消したくなるような状況や、他の勢力が存在するのなら話は別だ。そっちの方が大きい。そいつは具体的にいうと誰だ?俺はその発想で、今度の調査をやり直してみた。ビンゴだったよ。」

 ・・・あの時、俺達が取るに足りない存在だから無視されると言ったのはお前だぞ。
 それにパーマー捜査官は、お前の言う第二勢力の存在にもちゃんと触れてたじゃないか?
 お前が今言ってる事は、パーマー捜査官のパクリだろうが・・・
 漆黒はそう思ったが、やはり窶れたレオンの顔をみると、悪態がつけなかった。

「確かにお前が調べてきたように、ロアの奴らは、一度ヘブンに上がっている。奴らが作った『人類の天敵』を、仙人の皆の衆にお披露目するためにな。しかしそれは旨くいかなかったようだぜ。肝心の天敵サンプルが酷く不安定だったらしい。だがその発想自体は、仙人衆にはいたく気に入られたらしくて、様子見とあいなったわけだ。教主は、そのままヘブンに客分として残り、教主の付き人数人と、サンプルは、コンデション調整の為に、一旦下界に戻ることになった。天国は一般市民が長く滞在できるほど広くはないからな、、。この情報と、お前が聞き出してきたサリンジャーの話を総合すると、我らが『人類の天敵』君は、教団がヘブンにかました大ハッタリ的存在だったてのが判るな。しかし仙人衆は、間抜けじゃない。そこんとろこも見抜いた上で、物事が自分たちの思惑に旨く沿うよう画策してるって寸法だ。俺達が泳がされているのは、いざとなったらロア教団を排除する為に残しておいた掛け捨ての安価な保険というわけだ。、、、まあ、そんな所だ。」

「随分見てきたような事を言ってくれるじゃないか。『ヘブンの出来事』があんたに調べられるのか?」
 『あんたなんかに』と言わなかったのが、漆黒の遠慮だった。
 レオンの小さくて丸い目が底光りして漆黒を見つめた。

「ヘブンに流れるこれだけの噂を、俺がどうやって手に入れたと思う?」
 そう言われて、漆黒は言葉に詰まった。

 レオンは、いつも漆黒に言っていた。
『お前は、今の世の中じゃ、警察や政府のデーターベースの奥深くに真実が隠されていると思ってるだろ?ID全能のこの時代だ、確かに、あそこには色々な意味でのビッグディックデータがある。、、だがな、それは半分合ってて、半分間違ってるんだ。考えてみろ、今じゃ、半年前までみんながこれこそが真実だと思っていたものが、情報操作や隠蔽・捏造・消去であっけなく嘘にされるんだ。情報ってのは本来そんなものだ。だから俺は、どこまで深い階層のものであろうが、電子データは半分しか信用しないし、そんなのを追いかける為に、自分のエネルギーを使い果たしたりはしない。肝心なのは人間だよ。人間に会って、その人間に取り入る。足で稼ぐんだ。』
 言われてみれば、その通りだった。

 現に漆黒の原体である漆黒賢治という人物を描き出す情報は、あれ程、有名な人間であったにも関わらず、今の世の中にはもう殆ど残っておらず、人々の記憶からも忘れ去れ、ついには「人造生命体創造の基礎を作ったろくでなしの天才科学者」という記号だけが残るといった状況になっている。
 それらは意図的に誰かがやっているのだが、つまりその人物なり集団は、情報の根っ子の側にいると言うことになる。
 その人物あるいは集団にかかれば、情報上の「真実」はいつでも「虚偽」に、「虚偽」は「真実」に変わるのだ。

 人を辿る。
 ・・・俺が調べるならドク・マッコイの線しかないだろう。
 しかしマッコイは、ここまで喋ってはくれまい。
 俺達には、ヘブンに対してまったく力がない。
 今、使えるのは、レオンの得意な「策略・謀略・詐欺まがい」の駆け引きだけだ。
 しかもそれらの元手には、自分の身体と存在をかけるしかない。
 今の俺達には、警察権力はあてに出来ないからだ。
 いや、あてに出来たとして、ヘブン相手に何が出来ようか?
 漆黒はレオンが、これだけの事を調べ上げるのに払った彼の代償を考えて暗澹たる思いになった。

 ・・・俺達、刑事はいざという時の為の「切り札」を、幾つか隠し持っている。
 その「切り札」は、脅しに使ったり、交換条件として使う。
 例えば、俺で言うなら例の飛蝗人間の正体だったり、レヴィアタンの闇のカラクリだ。
 それらについて、俺は秘密にしたままだ。
 誰にも喋っていない。
 その秘密は、俺が窮地に陥ってイザという時の取引に使うつもりだった。
 勿論、それは諸刃の刃で、危機回避の為にそれを使った時点で、自分もやばくなるのだろう。
 だが、何もないよりはマシだ。

 ・・・レオンは公安だ。
 彼の切り札は、もっと闇が深くて、威力のあるものだろう。
 同時にその取り扱い危険度は高くなる。
 もしかしてレオンはそんな切り札を、今度の捜査の為に、切り売りしているのかも知れなかった。
 ・・・あるいは、もっと他の、、。

「済まない、、。俺が悪かった。」
「いいさ。それよりお前、これからどうするつもりだ?」
 レオンは静かに言った。
 怒りを堪えている様子でもなかった。

「あんたこそ大丈夫か?豚男なしで続けられるのか?」と言いかけて、漆黒は言葉を呑んだ。
 教主が長寿族のお膝元に登った今、レオンのやれる事は一つだけだ。
 つまり、この件については、もう諦めて深追いをしないことだ。
 そして、誰かが、教主が天国に登るために使った梯子を、外すのを待つしかない。
 逆説的だが、ヘブンがヘブンで居られるのは「地上」があるからだ。
 それが本物の神話とヘブンとの違いだった。
 梯子が外れれば、ヴードゥー教団ロアなど、その日の内に壊滅するだろう。
 しかしヴードゥー教団の解体など、その背景を知った今のレオンにとっては、何の意味も持たない筈だ。
 一公安が相手をするには、背景が大きすぎるのだ。

 一方、漆黒にはドール殺しの犯人逮捕という動かない目標がある。
 それが刑事課と公安課の大きな違いだった。
 レオンの漆黒への問いは、その違いを踏まえたものでもあった。

「俺はカミソリ男を、ドール殺しの容疑者として逮捕する。」
 漆黒が静かに言った。
「お笑いだな。」
 レオンが苦く笑う。
「お笑いさ。」
 漆黒がレオンに相づちをうった。
「だが、俺はそれでやる。、、、、ピギィの事は気の毒だったな。」
 漆黒はテーブルの上に置かれたレオンの手を上に掌を軽く重ねてから席をたった。


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