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第4章 精霊達

47: 悲しみからは誰も逃げられない

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 漆黒達が追いつめた男は、姿を変え、息も絶え絶えに隔離室内のベッドの上で横たわっていた。
 後少し遅ければ、漆黒よりも先に、死が彼を逮捕していたのではないだろか?
 磔刑に処されたキリストのような痩せこけた肉体。
 先ほどの猛々しいモンスターが、彼と同一の存在だとは、どうしても思えなかった。

「マッカンダル!鴻巣!どこにいる?聞こえているんだろう?」
 漆黒が苛立ったように宛もなく吼える。
 真田が隔離された隔離室の壁に大きく填め殺してあるガラス窓には、漆黒と鷲男とサリンジャーの3人の姿が写り込んでいた。
 その向こうでは、真田が裸体にシーツを巻き付けてくの字になって横たわっている。
 鷲男が、彼らがいる室内を見渡し、後方の壁の一点を指さした。

 鷲男の指さした天井近くに、換気口があった。
「中に監視カメラです。」
「そんなの、もうどうでも、いいじゃない!早く彼を助けて上げましょうよ!」
 サリンジャーが裏切られたような声をだして鷲男をなじった。
 彼女は、何よりも真田の救出が優先されるべきだと思っている。

「ああ、、そうしよう。こうなったら、逮捕するのも救助するのも同じ事だからな。しかし、ここのドアが開かないんだ。フレースヴェルグは今、彼の救出方法を探っているんだよ。」
 漆黒が鷲男の代わりに答えてやる。
 まだ鷲男には、サリンジャーのような思いこみの激しい人間への対応は無理だろう。
 しかもこの女性は、鷲男に対して、ただならぬ好意を抱いているのだ。

 隔離室はおそろしくしっかりした作りだった。
 真田が入っているのは病室というより、監獄の独房といったほうが似合っている。
 まるで彼が空気伝染性の病原菌保持者というよりも、凶暴な実験動物であるかのような扱いだった。

「あなたのあの銃で窓を撃ったら?」
「彼が何故、隔離されていると思うんだ?こっちは人間の姿をしてる。ナノではなく別の何かに取り憑かれているのか、感染性の病気を発症させているのかも知れない、、。それが天敵の不調の原因なのかもな。あなたの話の時も、真田はガラスの向こうにいたと言ったじゃないか。」
 サリンジャーは不服そうな表情で顔を背ける。
 初めて聞く「天敵」の言葉の意味も、教主との接触のある彼女は、その大体を掴んでいるようだった。

「マッカンダル!監禁は立派な犯罪なんだぞ。それだけでも俺はお前を引っ張れるんだ。真田をなんとかしてやれ!」
 漆黒が監視カメラの方を向いて再び怒鳴る。
 マッカンダルとなら、一度は直接顔を合わせて会話をしている。
 しかも、その時は、一応ながらも理の通った話をした人物だった。
 漆黒はマッカンダルに期待したのだ。

 それに呼応するように、突然、部屋の中でどこからともなくクスクス笑いがわき起こった。
 漆黒は、その乾いた声に聞き覚えがあった。
 、、黒い天使だ。、、いやマッカンダルか、、。
 だが前に、この声を教会内部で聞いた時には、これ程の邪気は含まれていなかったはずだ。

 漆黒は問うように、鷲男を見た。
 鷲男の聴覚と記憶力は、人間を遙かに凌ぐ。
 鷲男は軽く頷いた。
 これがもしマッカンダル神父の忍び笑いなら、きっと、ブゥードー教以外のあらゆる神は、彼を神父ではなく己に敵対する人間と考えただろう。

「くそったれ。やっぱり奴らは、こっちの話を聞いてやがる。」
 漆黒は、怒りのあまり隔壁用の窓ガラスを拳で叩いた。
 するとその音が聞こえたかのように、真田は痙攣を起こし激しく反り返った。
 そして口から光の奔流のようなものを吹き上げた。
 真田の身体が、どんどん縮んでいく。
 その様子はミイラ男が爆発して数頭の竜になったのとよく似ていた。
 そうやって真田は、前にミイラ男として漆黒達に攻撃を仕掛けて来たのだ。
 その光の噴水は直ぐに消滅し、替わりにそれは、漆黒達の背後に新たな存在として生まれ変わろうとしていた。
 それを一番最初に関知したのは鷲男だった。

「彼が、またナノ移動を使って転移したようです。」
 漆黒はゆっくりと振り返った。
 部屋の中央だった。
 そこには、先ほどまで戦っていたミイラ男がいた。
 だが今度のミイラ男の背丈は人並みの状態まで縮んでいる。
 身体の幾らかを、隔離室内の真田に残してきているのだろう。

 漆黒がニードルガンを構えて、前に出る。
 サリンジャーを後ろに庇うためだ。
 鷲男もサリンジャーを自分の背後に誘導していた。

「真田か?」
 ミイラ男がゆっくりと頷く。
「真田信道殺しの疑いで逮捕する。弟殺しだ、、。認めるな。?」
 今度はミイラ男の身体がぐらりとゆらいだ。
 鷲男が着込んでいるスーツの生地が裂ける音がした。
 危機に備えて、鷲男の全身の筋肉が瞬間的に膨張したのだ。

「弟ってなんなの?殺されたのは娼婦じゃないの?」
 事情をある程度聞かされているサリンジャーが、漆黒を睨む。

「被害者のジェシカ・ラビィは、彼が幼い頃、生き別れになった彼の弟だ。」
 この秘密は、張果が漆黒に漏らしたのものではない。
 娼館ライジングサンの女達に、張果の甥っ子として正式に紹介された漆黒が、こまめに彼女たちのところに足を運んで得た情報と、判別課から得た情報を集約した彼の最終推理だった。

「、、初めから知っていて、弟を殺めたわけじゃない。」
 現実の声帯を持たぬミイラ男の声は、何処か作り物めいて歪んではいたが、コンピュータの合成音より遙かに人間らしいものだった。

「この変態野郎め、、何を今更、、お前が弟に手を出したから、ああなったんじゃないのか?」
 漆黒の口調は挑発でも、単純な義憤でもなかった。
 だがその言葉の内には、静かな「怒り」が確かにあった。

「弟は、悲しんでいたわけじゃない。他人のお前に何が判る!」
 ミイラ男の顔面を包んでいる光るカミソリが、その中身を絞り上げるように収縮する。
 泣いているのかも知れない。

「そうか、、。弟の信道がああなったのは、お前の気を引くためだったんだな?」
 ミイラ男の身体が倍に膨れ上がり、そのカミソリのような包帯のすき間から、まばゆいばかりの光が外に放射された。
 しかし予期していたような攻撃はなかった。

「やめなさい、猟児。今、彼を挑発しても何の意味もない。あなたは、刑事なんだ。それを忘れないで下さい。」
 鷲男が見かねたように言った。

「刑事だって?コイツはお笑いだな、、。お前、本当に刑事なのか?あのライジングサンが雇った警備保障じゃないのか?」
 ミイラ男の脇腹の包帯が解けて、光の臓物を吐き出す。
 真田は、今のこの姿ですら維持しているのがつらいのかも知れない。
 病気の進行と、先ほどの隠し通路内でのナノシャワー弾の被爆が原因なのか。

「死んだお前の弟の第一発見者は、年老いた婆さんだった。彼女は昔の警察の姿を覚えていてくれたってわけだ。何かあったら直ぐに警察に連絡をってな。それで、今、ようやく俺がここに辿り着いた。」
「弟が、、迎えを寄越したのかもしれないな、、。いいさ。喜んで、逮捕されてやる。」
 先ほど、ずり落ちた光る内蔵は、強力な磁場の上の鉄粉のように回れ右をして、真田の身体に入り込んだが、今度は勢い余って、彼の反対側の体側を膨らませた。

「なぜ、弟の所に行った?」
「言ったろう?偶然だ。俺は女が、いや、柔らかい身体が欲しかっただけだ。」
「なぜ、ライジングサンなんだ?」
「俺のような身体をした客を、あの店以外のどこが迎えてくれるんだ?ジェシカ・ラビィは俺を抱いてくれた。抱く度にズダボロになるのを承知でだ。」

「いつ自分の弟だと知った?」
「、、、、。信道を殺してしまう少し前だ。マッカンダル神父から、その事をきいた。」
「ひょっとしてお前。ライジングサンの事は、マッカンダル神父に紹介されたんじゃないのか?」
「ああ、、。」
 真田の顔面の包帯が奇妙に歪んだ。
 真田の中のナノコントロールは滑稽なほど、彼自身の精神の動きとシンクロしているようだった。

「それに毎回、鴻巣がお前に付き添っていただろう?え?大の大人が売春宿に毎回つき合って来るのはおかしいとは思わなかったのか?」
「何が、言いたいんだ?」
「血の巡りの悪い野郎だ。実験されてたんだよ、お前は。」
「、、、、、。」

「俺なりに調べてみたんだ。ナノと人間のハイブリッドが難しいのは、技術面の問題もあるが、どちらかというと精神とのバランスの課題の方が大きいらしい。精神は情報伝達の塊だからな。あんな風に細胞がバラバラになると返って厄介になる。きっとお前は数少ない成功例だったんだろうな。だが、やつらは、それだけでは物足りなかったんだろう。お前は人類の天敵になるべく仕立て上げられた生体兵器だからな。脆弱な精神構造を持っていちゃ困る訳だ。わざとお前をどん底に突き落として、お前という人間兵器の耐久性を調べてみたかったんだろうさ。」
 その言葉に、時が一瞬、凍結した。
 誰もが、次のミイラ男の反応を待った。

「マッカンダルならやるかも知れない、、、。だが、鴻巣神父は違う。彼は俺を苦海から拾い上げてくれたんだ、、。宇宙のタコ部屋で、飛蝗人間に無理矢理改造される寸前の俺を、鴻巣神父が救ってくれたんだ。」
 予想に反してミイラ男の声は、余りにも静かだった。

 真田は実験体の身でありながら、彼らの企みのほぼ全てを、理解していたのかも知れない。
 漆黒は自分の後方にある監視カメラの向こう側の混乱を想像してみた。
 しかしマッカンダルなら、うろたえる所か、今の真田の言葉に、にやりと笑ったかも知れない。

 一方の鴻巣が、どんな男なのかは想像もつかなかった。
 真田は飛蝗人間になる所を鴻巣に救われたと言ったが、真田の今の姿が、飛蝗人間とどう違うと言うのか、、。
 なぜ鴻巣に恩義を感じる?
 鷲男が鴻巣の背景を調べてくれたが、それだけでは彼の人となりまでは分からなかった。
 娼館ライジングサンの雇われマネージャー・ブルーノの印象によれば、鴻巣は一見、気の弱そうな、優しげな男だったらしい。
 だとすれば、まんざら真田の言うことも、的を外れてはいないのかも知れないが。

「苦海から身をもたげる方法は、人、様ざまなんだよ、、。少なくとも、お前の弟は、あんな方法だが、そこから自分ではい上がったようだぜ、、。弟はお前に殺されようと決めたんだ。」
 漆黒の怒りに、やさしさが混じった。

「俺達は二人とも、、人間じゃないものになっちまった。お笑いだな。俺はカミソリ人間だし、弟は生きたダッチワイフだ、、。まったくのガラクタさ。挙げ句の果ては、弟は俺の腕の中で破裂しちまいやがった、、。あの時、IDがなくなった時点で、俺達は既にこうなる運命になっていたんだ。」
 漆黒の顔が険しくなった。

「ごたくは聞きたくない。死体は波止場にあったぞ?あれは何故だ?」
「死ぬ間際に、せめて外に連れて行って欲しい、と言われた。だからアイツを包んで転移した。」
 『弟思いの兄貴ってわけか。ふざけるな、この甘ちゃん野郎が。』
 だが真田が、漆黒を先回りして言った。

「もういい、、。あんたが俺に何を言いたいのか、、、判るよ。でも、もう遅い。俺は、やりなおせないんだ。あっちで弟に謝るさ。」
 その言葉に鷲男が素早く反応して、真田の身体を確保しに行った。

「止めろ!」
 鷲男は、犯人であってもその命は大切だと思ったのか。
 ミイラ男の身体が、一瞬にして崩れた。
 それに巻き込まれて鷲男の両腕が消失していた。
 真田の崩れた跡は、何も残らなかった。
 おそろしくあっけない幕切れだった。

 漆黒の側で、サリンジャーが身を固くした。
 真田の本体も死んだようで、窓から見える針金のような真田の身体は、苦悶に捩れていた。
 だがその苦悶のスタイルは、その苦痛からは死後も解放されない事を約束するかのように、凍り付いて微動だにしなかった。

「マッカンダル達を、追いかけますか?」
 両腕がない鷲男が静かに言った。
 苦痛を感じているのか、鷲の頭部からは判らない。
 それに、鷲男には流れる血がないのか、ミイラ男が鷲男の腕の切断面を焼き閉じたのか、鷲男の身体が血を止めているのか、それも判らない程に、鷲男の腕は「ただない」だけだった。

「いや今はいい、、。今はな。奴ら今頃は、もうこの病院から脱出してるさ。」
 漆黒はそう言言いながら鷲男の腕から無理矢理、目を逸らした。
「残った真田の死体は、どうします?」
 腕を失ったにも関わらず鷲男の声は極めて平静だった。
 だがそばにいるサリンジャーの顔色は青ざめ引きつっている。

「警察に送致する。科研が驚くぞ、、。」
 鷲男の黒と金色の目が煌めく。
 パートナーの目の色だった。
「驚くのは、科研だけではありませんね。」
 鷲男は、洒落た話の継ぎ方だって心得ている。

「そうさ、、上層部のやつらも、処理に困るだろう。いくら上でも、一つの変死体と、この隠病棟の存在は、ごまかせないだろうからな。」
「それにあなたの報告書の存在もです。インテレビのkoyoTVに情報をリークするのも一つの手ですね。それは、精霊である私がやりますよ。私なら、インテレビはきっと飛びついて来る筈です。」
 鷲男が、漆黒を元気づけるように言った。

「そうだ。それでこの件を知った誰もが身動きがとれなくなる。それでいい、、。その分、俺に又、チャンスが巡ってくることになる。この件は、まだ全部が終わちゃいないんだからな、、。」

「終わっちゃいないさ、そう言うことだ、、。俺は、必ずピギィを殺ったあの元締め共を、ぶち殺してやる。」
 漆黒の言葉に被せるように、陰惨な声が返ってきた。
 彼らがいる病室の入り口に、いつのまにかレオンがいた。
 漆黒の目には、彼の肥満した身体が萎んでいるように見えた。
 彼の身体に充満していた悲哀がきっと抜け出て、その後に何か得体の知れないものが残ったに違いない。
 レオンの豚男の血にまみれた凄惨な姿は、それを見る者の暗部を触発し不安な気持ちにさせた。

 その姿に怯えたように、サリンジャーの右手が、さりげなく鷲男の胸に当てられた。
 、、、そうさ。人はなんにでも惚れる。
 鷲男はまるでその手の圧に押されたかのように、その場に倒れた。

「ひっ!」
 サリンジャーは訳が判らず、立ちすくんだ。

「なんなんだ。?これは、、。」
 鷲男を助け起こそうとする漆黒の顔が青ざめている。
 鷲男の命の気配がなかった。
 鷲男の両腕の切り口が、熾火のようにチリチリと燃えて光っていた。
 制御を失ったナノマシン達が、今も無秩序に、鷲男の身体を攻め続けているのだった。

「、、、漆黒、お前も憶えておけ、それが精霊ってヤツだよ。」
 レオンがそう呟いた。





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