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最終章 ユディト作戦の結末

73: 煙が出そうだ

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 吉住は、それとなくハンドルを握っている鉄山の手元を横目で盗み見ていた。
 最初、鉄山が髪の毛を編み詰めたコーンロウスタイルの髪型で、彼の前に現れた時にも驚いたが、それには直ぐに慣れた。
 戦闘女の鉄山響が、そんなヘヤースタイルをする事は不思議ではない。

 それよりも手だった。
 スーツの袖口から見える鉄山の手は、硬質な光沢のある手甲で覆われている。
 ドライビンググローブの頑丈なモノといった感じか。

「なに?これが気になるの?」
「あっ、いや。別に。それ、かえって運転しにくいんじゃないかなぁって、思ってね。」
「別に、いいんじゃない。私、こういうのに慣れてるし、、。それに、今度は、普通にやったら確実に拳を痛めるからね。」

 鉄山が「こういうのに」と言ったのは、つい自分の身体を強く緊縛拘束する感覚が好きだと、漏らしてしまったからだが、彼女は特にそれを後悔するような気持ちには、なっていない。
 この相手には、自分の性癖がバレても気にならないのだ。
 要は、吉住は鉄山にとってその程度の存在だという事だった。

「ああ、今、拳で思い出したけど。吉住、あんた時々、人を殴るとき、自分の親指を拳に握り込んでるよ。あれ、止めといた方が良い。自分が怪我するからね。親指は最後に外から拳をガチッとロックする。」

「それは、ご忠告をどうも、、。でも、僕、そんなに人を殴ってるかなぁ。それに、僕の基本は大学で習った逮捕術なんですけどね、それで今まで、ヘマをした積もりはないし、、。でも、感情が乱れると、知らないうちに、時々やってるかも知れませんね。昔、喧嘩の強い人間に、そういうやり方を擦り込まれた事があるんです。自分が凶暴な状態になると、厭でもそいつとつるんでた頃の事を思い出す。喧嘩の時は、他にやり方を知らない。鉄山さんみたく、僕はあまり喧嘩はした事がないんですよ。」

「あっ、そう、それはご愁傷様。とにかく人の手元をあまりジロジロみないで、それともこういうので、しごいてほしいの?」
「遠慮しておきますよ。それで高速でやられると、あそこから煙が出そうだ。」

「しかし、能都って人、女だてらにアーマー持ち出すとか、一体何考えてるんでしょうね?」
 吉住が助手席で優雅に顎を自分の手の上に載せて首を傾げた。
 こんなポーズをしても、気障さより、見栄え上の爽やかさが上回るのが不思議だった。
 勿論、車を運転している鉄山には、そんな吉住マジックはまったく通用しない。

「女がってとこ、余計だろ。今時、女はエプロンが一番似合うて言ってるのと同じだよ。」
「しかし、突入任務用の中軽量アーマーで、運動機能をブーストするタイプなんですよ。護身用ってわけじゃないんだ。女性に扱えるのかな?」

「能都は遣り手のロボテクコンサルなんだよ。しかも国立工科大を主席で卒業してて、ラボ内の実務にだって精通してる、おまけに肝まで据わってる。能都にしてみれば、自分の家のキッチンから包丁を持ち出したようなものなのよ。それに、兵士じゃないんだから、自分が怪我しても一回だけ目的を果たせれば、それで充分なのよ。それより、能都が持ち出した対抗ウィルスのほうが問題だよ。あれ、絶対に使わせちゃ駄目だ。」

「対抗ウィルスね。所長が作ったアンチを拝借して、金で買収した技術者に、またそのアンチを作らせて、アンチのアンチか、、たく、きりがない、」
「鶏が先か卵が先かなんて意味ないよ。どっちか食べちゃったら、それでケリが付くんじゃない?死んだ方の前のが先だよ。」

 自民族中心主義グループの中では、若手の論客と位置づけられている吉住も、何故か、鉄山には歯が立たない、というか、元から話が噛み合わない。
 思考回路が全く異なっていて、しかも鉄山のそれが強靱だからだ。
 勿論、吉住はいつかそんな鉄山を潰したいとは思っていたが、今はどこまでも爽やかな青年を演じ通すつもりだったから、そんな素振りは微塵もみせなかった。

「しかし、能都が赤座さん達の所へ行く筈っていう見当は、自信あるんですか?」
「このタイミングで、赤座さんがレッド捜索の戦列を離れたのよ。それと能都が兵器を持っての逃走、推して知るべし。私のカンじゃ、コードFだって、じきに発令されるわ。」
「・・うむ、赤座さんも、コミューターの位置情報を僕達にマークさせたままにしてるしな。お前ら黙って、こっちに来いって感じではある。赤座さん、上には報告せずに、又、何か、やらかす積もりなんでしょうね。」

 鉄山が、ちらりと吉住の横顔を見る。
 どこまで吉住が別の勢力と通じているのかが、分からない。
 赤座もそれが判っているから、最後の最後は、部下に情報を与えず単独行動を取る。
 鉄山は、それに多少の苛立ちを感じていたが、吉住は駄目だが自分は信用しても良いとは言えず、それを受け入れていた。

 それに、今までの職務を通じて、赤座が信用に足る上司だという事は判っていた。
 だが吉住は信用しきれない。
 そんな位置づけの吉住だったが、彼が刑事としての基本的な部分を外した事は、今まで一度もない。
 それが鉄山と吉住が、辛うじて今まで一緒にやって来られた理由でもある。

 赤座が、レッド退魔に新しいアクションを起こしかけていて、それを妨害しようと能都が何かの企みを仕掛けようとしている。
 鉄山はそれを阻止しようとしているのだが、同僚の吉住が、その事自体をどう思っているのかが、未だにわからない。
 響はそれが不安だった。

「だけど不思議なのは、能都が今でもオロチの事を愛してるのかってことだな。いくら異常愛っていっても限度があるんじゃないかな。オロチは、もう人を殺しすぎてる。子供に手を掛けたってのは、女性にしてみれば論外だと思うんだけどな。」

「ロボットの身体に、最初、Aという人口知能を入れた。Aは人を殺した。その後、同じロボットに、Bという人口知能を入れた。このロボットBは、人を殺さない優しい性格だった。さて、この時、このロボットBは罪を冒したと言えるのか?どう思う?能都は、そんな見方で、あのロボットを愛してるんじゃない?それか、悪魔に騙されてるのか。」

「悪魔に、騙されてる?」
「疑ってるね。でもそこの所は、私も吉住と一緒だよ。こんな部署に配属されているのに、今でも本音では、超常現象とかはね、、、それに近いもの位は、認めるものの、いまいち悪魔とかには懐疑的。でも、やっぱりいるわよ、悪魔って。比喩的な意味じゃなくね。」
 鉄山は、山奥の別荘での出来事を、まざまざと思い出す。

「悪魔って言葉の持つイメージが、俗っぽ過ぎて、私達がそれに振り回されてるだけなのよ。悪魔はやっぱりいる。姿をくらます直前の能都を思い出すと、能都はその悪魔に騙され始めてるって感じがした、、彼女に植え込まれた妄想の種が急激に育ってるって感じ。最初から変だったのが、途中で悪魔に取り憑かれた、、きっと無茶やるよ、能都は。」
 鉄山のハンドルを握るグローブから、微かにキリリという音が聞こえた。



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