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第三章 時空バイパス

34: 慣れない初仕事

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 桐生院の指令を受けてから数時間後、岩崎と流は旧ボシュロム美術館の事務室にいた。
 事務室の中には、美しい金髪の女性と神秘的な雰囲気を漂わす青年がいた。
 流はすでに、この二人と面識が有るようだったが、岩崎の手前終始沈黙を守っていた。
 岩崎はハートランドに手渡したΩウェブ運営認可証の写しと、別種の契約書を眺めながら、いつ本題に入ろうかと悩んでいた。
 この様な役回りは、岩崎の得意とする分野ではない。
 おまけに事務所の窓からは暖かな陽光が差し込んできており、岩崎がこれから切りだそうとする話の内容がまるで現実とそぐわないように思えていた。

「で。源三郎は、この契約書には、まだサインをしていないのでしょう?これじゃNEOHOKAIシステムは、政府の提灯持ちのソラリスと、なんら変わりがなくなるわ。」
 話の核心に先に入ったのは、ハートランドの方だった。

「それはそのなんというか非公式のものでして、、。それに保海源三郎氏の意向は既に契約の方向でお聞きしています。後は共同事業者である貴方の、、、」
「冗談を言わないで、この契約通りなら、ソラリスが政府に対して結んだ契約よりも、もっと酷いじゃないの!雁字搦めだわ。それにビッグマザーにアクセスしないってどういう事なの!」
 ハートランドがぴしゃりと言った。

「ですから政府は代替えのコンピュータネットワークシステムを提供すると、、。」
 老練な筈の岩崎もハートランドには、しどろもどろに答えた。
「第一、貴方はなんなの?こんな田舎臭い政府の代理人ってこの世にいるのかしら!それにその唐変木がなんの積もりで貴方にひっついてきているの?!」
 流は、岩崎とハートランドのやりとりを聞きながらにやりと笑った。
 それをハートランドが睨み付ける。

「ハートランドさん。それ以上、その人を苛めないで下さい。彼は警部なんですよ。こんな仕事ではもたつくが、本職では腕の立つ人なんだ。」
 保海真言が優しく言った。

 岩崎は不思議そうな目で目の前の青年を見つめた。
 ・・・はて?この青年に何処かであったことがあるのか?
 それにこのハートランドという女性は第一レベルで出会った忍ハートランドと血のつながりがあるのだろうか?
 年齢こそ差があれ彼女に面影がそっくりだ。

 その時、ボシュロム美術館の2階にある事務所の窓ガラスが、外からの投石によって破壊された。
 ハートランドは首を竦めたが、残りの3人の男達は動揺を見せない。
 流が割られた窓際によって外を眺めた。
 階下から大勢の人間の騒ぎ声が聞こえて来る。

「ビニィどもだ。ビッグマザーも焼きがまわったな。ビニィを使ってヤクザまがいの嫌がらせをしてやがる。」
 ハートランドの顔が青ざめる。
「心配するなよ。直ぐに銀甲虫達が追い払う。なにしろ、あんた達は特別待遇だからな。」
 流の言葉通り、階下から乾いた連続音がしたと思うと、さっきまで続いていた騒ぎが数分の後に収まった。
「どういう事なの説明して!?」
 ハートランドの目は室内にいる全ての男達を代わる代わる睨み付けた。

「奴の土俵に乗らない限りは、ビッグマザーはあの程度の事しか出来ないという事だ。まだ、現体制の保持が第一優先という、ビッグマザー独特の論理回路の呪縛から逃れられないのか、、、。それとも、あんたちを傷つけては行けない別の理由があるのか、、。」
 流はハートランドの視線の圧力に耐えかねたように言った。

「ブキャナンは、まだあの森で立ち往生をしていましたよ。まだ望みのものが手に入っていないんでしょう。だからといってブキャナンを甘く見るのは間違いですよ。あれは警告にしか過ぎない。」
 保海真言が岩崎の瞳をのぞき込むようにして言った。
 そこで岩崎は、目の前の青年の正体と、自らが置かれた状況をある程度理解した。
 あの世界での人間の性別などなんの意味もない。

「やれやれ。弥勒会議は何もかもお見通しという訳だ。そうでなければこんな任務を、この私に押しつける訳がない。ところで、君は忍・ハートランドなんだろう。どういうからくりだ?」
 岩崎は緊張を解いて喋りだした。
 いつものアイアンマンの口調が戻っている。
 しかしハートランドの方は、忍・ハートランドの名前を聞いて緊張を増したようだった。

「CUVR・W3の中では、データのディテールが精密なら違う姿になれる。警部が魔法みたいに拳銃を出したり鎮圧用のショットガンをぶっ放すのと同じです。ただ外見だけでも一人の人間を捏造するには、相当なデータが必要ですが、それをやってくれたのはこのハートランドさんです。」
「しかしどうして、女性に化ける必要があったんだ?」
 今度は保海が、その答えを言う前に、ハートランドの意向を伺う必要があった。
 真言の直感は、目の前の岩崎という男を信用してもかまわないと告げていたが、事はNEOHAKAIシステムの起業に関わるのだ、それ以上の説明に彼は躊躇いを覚えた。
 そしてハートランドは、その青い瞳に否定の色を浮かべていた。

「それはこの子の趣味なのよ。今度のNEOHOKAIでは、それも一つの売りなの。」
 真言は心外だという風にハートランドを睨み付けたが、彼女はそれを無視して話を進める。

「そんな事より、肝心の話がどんどん逸れていってるわ。これはあなた方の同窓会じゃないのよ。岩崎さんと仰ったかしら、お仕事を続けになったら?」
「ハートランドさん。お見受けすると貴方は、今回の状況についてかなりの知識を持っておられるようだ。率直に言いましょう。NEOHOKAIシステムを弥勒会議に貸していただきたい。弥勒会議はビッグマザーと対立関係にある。ビッグマザーに接続しないとは、そういう意味だ。勿論、HOKAIシステムの営利面は弥勒会議が全面的にバックアップする。」

「で?断ったら永遠に認可が下りないという訳ね。でもビッグマザーに接続できなければ、NEOHOKAIの魅力は半減するわ。」
「悪魔に接続するのか?」
 流がうっそりと言った。

「HOKAIシステムの真骨頂は、接続した人間意識への高精度のフィードバック機能にあると聞いていますが。ビッグマザーとの接続自体は、2次的なものなのでしょう?」
 岩崎がとっておきの隠し玉を出した。
 これはマーシュ刑事が調べて置いてくれたものだった。
 ハートランドは目の前の田舎臭い老人からNEOHOKAIシステムの神髄を突かれてうろたえた。
 ハートランドにも、保海源次郎が開発した、人間の意識をコンピュータのデータ領域に見立て拡大するサーキットの基本原理が、何であるか良く理解できていなかったからだ。

 ソラリスが、全面的にHOKAIシステムを採用しきれなかったのも、その部分が大きい。
 NEOHOKAIシステムまで手を広げれば、ビッグマザーへの依存度は極端に低くなるが、人間の意識領域がどうなるかの予測が付かないのだ。
 それでは営業には使えない。
 しかしハートランドは、このNEOHOKAIシステムに手を加える事が出来た。

「口では簡単に言えるわ。ソラリスですら源次郎さんのシステムを、より高次なものに出来なかったのよ。私も彼らも源次郎さんの残したものをいじりまわしているだけなのよ。それに閉じたサーキットでは大衆は喜ばない。あれは、悟りを開きたがっている仙人か坊主のものよ。」
「難しいことは私にはよく判らない。ただ貴方は保海源次郎の直接の後継者であり、補助的なコンピュータシステムが必要なら、その準備もあると申し上げているのです。」
「直接の後継者か、、。痛いところを突くわね。さっき貴方は、営利面でも全面的なバックアップをすると言ったわね。約束できる。いえ、弥勒会議とやらに約束させられる?」

「何をですか?」
「最低限、この事業に投資した分の資金回収よ。それとシステムの維持費ね。勿論、維持費の中には社員に支払う給料やその他諸々が含まれるわ。安くはないわよ。」
「出来ます。」

『おいおい、おっさん。なんの権限があってそんな事を、あんた本当に刑事かよ。』
 岩崎の返事に流が、呆れたように肩をすくめた。
「口約束では駄目。デジキャッシュじゃビッグマザーの横やりが入りそうね。5ルード分の金塊とガッツメモリがいいわ。明日の朝、ここに運び込んでくれる?銀甲虫の護衛付きで。それが出来たら、この契約を結びましょう。後、私の条件に対する書類も作って来て。ビッグマザーの目に触れないで済み、しかもこの現実世界で実行力のある奴をね。これが、出来たんでしょう。お手のものの筈だわ。」
 ハートランドは手元の書類をひらひらさせながら岩崎に、話はこれでお仕舞いだという口調で言った。


「なぁおっさんよ。あんな約束をして大丈夫なのか?金塊はともかく、5ルード分のガッツメモリーなんて、おいそれと手に入るもんじゃないぜ。」
 本庁に戻る車を運転しながら、流は岩崎に聞いた。
 彼らが運転する車の流囲には、銀甲虫のガードが付き添っている。
 流の知る限りでは、再編成された銀甲虫達は選抜チームで、しかもそのバトルスーツシステムは混沌王会議がナイトと呼ぶ、独立したコンピュータシステムに繋がっている筈だった。

「おっさんと呼ぶのは止めてくれないか?私には岩崎という名前がある。」
 岩崎は目を瞑りながらシートに深く身体を沈めていった。
「それに君は、弥勒会議とやらをどう考えているんだ?何事も疑ってかかる事だ。相手はブキャナン、いやビッグマザーなんだ。弥勒会議が5ルードのガッツが用意できないようでは、この戦いに生き延びることはできない。」
 岩崎は、自然と自分の首筋に埋め込まれたプラグの挿入口をなぜながら呻くように言った。



  
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