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6、俺とおしゃべりと余計な言葉

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 数日経てば、初日の泣きべそが嘘みたいに、弟子は機嫌良く帰ってくるようになった。
 
「それで、先生がね、火事が起きたらどうするかとか色々質問してくるから、みんなでどうするか考えるの」

 夕飯だって食べるより、しゃべるのに忙しくて、ちっとも進まない。

「手が止まってるぞ」
「ん! それでね……」
「食べ終わってから話せ」

 弟子はむくれながらも、話すのをやめる気はないらしい。
 早く食べ終わろうと、次々に口の中へ豆の煮たのを運ぶから、顔の形が変わっている。
 
「喉に引っかけるなよ」
「ング、師匠はずるいよ! ご飯食べないんだもん」
「食べてるだろ」
「お酒はご飯じゃないよ」
「そうか?」

 夕飯を食べるより、酒を飲みたくなるのは、弟子の顔が晴れやかだからか。
 俺がでしゃばらなくても、こいつは自分の人生を歩き始めているのを忘れちゃいけない。

 弟子の皿が空になったから、温かい茶を淹れ小さな砂糖菓子を出してやる。

「あ! やったぁ! これ大好き」

 知ってるさ。
 大事にしすぎて前歯で少しずつ齧るのも、いつか口いっぱいに頬張りたいと思っているのも。

「街には色んな物があるんだねぇ」
「何度も行ってるじゃないか」
「そうだけどさ、街で火事が起きたら鳴らす専用の鐘があるなんて知らなかった」
「そうか」

 授業で理想の街の地図を作ったことがよっぽど楽しかったらしい。
 何日経っても、街の話を続けている。
 
「お店って、モノを売るところだけじゃないんだね」
「そうだな」
「髪の毛を切る専門の店があるなんて知らなかった」
「そうか」
「みんな月に一度は行くんだって」
「家で切るやつもいるだろ」
「うん」

 カリコリと小さな砂糖が削れる音が響く。
 ぼんやりとした顔で弟子がいじる髪は淡い紫色。
 歳を重ねるごとに少しずつ灰混じりに色を変える。
 1日過ごした弟子の髪はくしゃくしゃに絡まっていた。
 俺の硬い髪とは違い、絡まりやすく、切れやすいから、中々長くは伸びない。
 
 本格的に魔術を教え始めてから、弟子の髪を切るのをやめた。
 魔術を使うということは、自然に溶け込むことだ。風に舞い広がる髪はその助けになる。
 人間はいつの間にか知恵をつけ、自然から離れていった。
 それでも、完全に自然を捨てることは出来ない。
 その中途半端になった関係を仲裁するのが魔術師なのかもしれない。

「髪の毛のことで何か言われたか?」

 カリリ、と砂糖が削れる音が止まる。
 一文字に弟子の口が結ばれたので、余計なことを言ったのだとわかる。
 色が違う、質が違う、長さが違う。
 指摘されて、当然か。

「学校の授業は楽しいか?」
「さっき楽しかったって話した」
「そうだったな」

 眠いのか、不機嫌そうな弟子には何を言ってもまずい気がした。
 それなのに、手元のカップは空っぽであおる酒がない。

「友達はできたか」
「ジューがいる」
「あぁ。わかる。ジュー以外は? いっぱいクラスに人間がいるだろ?」
「いるよ」
「話すのか?」
「話す」

 ジューのことなら、朝食の内容から、夢の話までベラベラしゃべるのに、途端に口が重くなる。
 弟子は慎重だが、臆病ではない。
 素直に話も聞けるし、朗らかに笑う。
 それでも友達が出来ないのは、やっぱりここにいることが問題なのだろう。

「なぁ、お前は街の中のこと知りたいんだろ?」
「うん? みんなの話を聞いたのは楽しかったよ」

 今思いついたわけじゃない。
 こいつを拾ってから何度も繰り返し考えたことだ。

「お前、街に住むか?」
「引っ越すの?!」

 声が弾み、目が輝いた。
 元々、好奇心の強い子だ。刺激の多いところのが合ってるに決まってる。
 
「道具屋の女将と話をしておくよ」

 お茶を飲んでいる途中だった弟子の瞳が丸くなる。
 
「なんで? 師匠も一緒でしょ?」
「俺の家はここだ」
「行かない!」
「街が気になるんだろう?」
「違う!」

 みるみる瞳に水の膜が張る。
 闇夜の青に星が散り、頬を流れた。

「もう寝ろ」
「街には住まない」
「わかったから」
「おやすみなさい」

 怒りの涙はすぐ枯れるだろう。
 それでも明日の朝までに元通りの笑顔になるかはわからない。

 なんであんなことを言ったんだか。
 俺の口はろくな言葉を吐かない。
 
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