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25、僕と決心と逃避行
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思いを断ち切るように髪を短くして、夜が明けたら、師匠の前でも素直になれた。
自分のことは自分で決める。
もう泣かないって決めた。心の整理もきちんとできた。
だからジューと登校したって大丈夫、と思ったのは僕の勘違いだった。
「あぁ」
吐息みたいな小さな声と共にジューの視線が一点に集中する。
もちろんその先にいるのはクヤだ。まだ僕たちには気がついていない。ふわふわの髪が人混みの中にちらちら覗くだけなのに、ジューはあっという間に彼女を探し出した。
すっかり落ち着いたはずの僕の心は荒れ狂う。
神様とどんな約束をしたら、僕の心は軋むのをやめてくれるのだろう。
終わりにすると決めたのに、あっという間にジューへの気持ちを思い出してしまった。
「具合悪いから、帰る」
いつも通りの声でジューにそう言った。
「おぉ? 大丈夫か?」
僕の方を見もせずに、ジューは応える。視線はクヤに釘付けだ。
「うん。先生に言っておいて」
「わかった。気をつけて帰れよ」
「バイバイ」
もう泣かない。
そう決めたから、これは涙じゃない。
学校に向かう生徒たちの流れに逆らって、僕は一目散に街を飛び出した。
濡れた頬が気持ち悪い。
走って、走って、走って、息が続くのが不思議なくらい、僕は走り続けた。
行き先は家じゃない。
一人になれる、お気に入りの川べりだった。
糸が切れたように、崩れ落ちた。
座って、水面を覗き込む。サラサラと顔にかかる髪は不揃いで不恰好だ。
髪を切れば思いを断ち切れるなんて嘘じゃないか。
魔術師にとって髪の毛は大切なのに、細く切れやすい僕の髪はなかなか伸びない。
やっと肩を越しそうだったのに、台無しにしてしまった。
師匠をガッカリさせただけの大損だ。
「国一番の魔術師になる」
まだ幼かった僕の宣言を師匠は笑わなかった。
「そうか」
真剣な顔で頷いたのをはっきりと覚えている。
今だって、その思いは変わらない。
師匠のようなすごい魔術師になりたい、それがずっとずっと昔からの僕の夢だ。
小さい時から、たまに街へ行くと、大人たちの噂が聞こえてきた。
どうやら師匠は凄い人、らしい。
大きな川に橋を掛ける作業をたった一日でやり遂げた、とか、何十年もぼろぼろだった街道を平らにしたとか。
それがどのくらい凄いことなのか、本当のところはよくわからない。だって師匠はそんな大掛かりな術を発動させることはない。普段はせいぜいカマドに火を入れたり、洗濯物を乾かす風を起こしたり、風呂の湯を沸かしたりだろうか。
でもたった一度だけ、僕もそれ以外の術を見たことがある。
ジューと共に川遊びをしていた時のことだった。
いつもより少し下流で遊んでいた時に足を滑らせた。たったそれだけだったけど、場所が悪い。カーブがあるせいで水の勢いは強くなり、ジューと二人でどんどん流された。何度も顔が沈みそうになる中で僕が声を上げたのはたった一度だけ。
「ししょー、たすけて」
次の瞬間には、もう僕たちは川べりに引き上げられていた。
横には家にいるはずの師匠が立っていて、僕たちを小脇に抱えると大きく飛んだ。
鹿が跳ねるのとも、鳥が大空を羽ばたくのとも違う。走り出すように足を上げ、地面を蹴りあげただけで、僕たちは空高く浮かび、着地したのは家の前だった。
「風呂に入るぞ」
いつもより低い声で師匠に言われ、僕たちは急いでびしょ濡れの服を脱いだ。
そのまま風呂場に連れて行かれたが、浴槽は空っぽ。
「チッ」
師匠は大きく舌打ちしたが、面倒くさそうに腕を振れば、みるみるうちに浴槽はたっぷりの湯で満たされた。
「すっごい!!」
思わず歓声を上げた僕たちに、チラリと視線をやると顔をしかめた。怒鳴られるんだろうかと身構えたが、大きな息をひとつ吐いただけで行ってしまった。
ジューは見る見るうちに浴槽を湯で満たした師匠の術をすごい、すごい、と興奮していたが、僕の心は別の興奮を抱えていた。
師匠は、僕のSOSを聞き逃さなかった。あんなに小さな声だったのに。
それが何より嬉しかった。
あの日、僕の命は師匠に助けられた。
だから僕だって、いつか師匠を助けたい。ずっとそう思っている。
学校に行くのだって、そのためだ。
師匠が人と関わり合いたくないのなら、僕が代わりに街へ行く。
早く一人前になりたい。国一番の魔術師になりたい。
師匠よりすごい魔術師になって、師匠の力になるんだ。
髪の毛よ、早く伸びろ。
自分のことは自分で決める。
もう泣かないって決めた。心の整理もきちんとできた。
だからジューと登校したって大丈夫、と思ったのは僕の勘違いだった。
「あぁ」
吐息みたいな小さな声と共にジューの視線が一点に集中する。
もちろんその先にいるのはクヤだ。まだ僕たちには気がついていない。ふわふわの髪が人混みの中にちらちら覗くだけなのに、ジューはあっという間に彼女を探し出した。
すっかり落ち着いたはずの僕の心は荒れ狂う。
神様とどんな約束をしたら、僕の心は軋むのをやめてくれるのだろう。
終わりにすると決めたのに、あっという間にジューへの気持ちを思い出してしまった。
「具合悪いから、帰る」
いつも通りの声でジューにそう言った。
「おぉ? 大丈夫か?」
僕の方を見もせずに、ジューは応える。視線はクヤに釘付けだ。
「うん。先生に言っておいて」
「わかった。気をつけて帰れよ」
「バイバイ」
もう泣かない。
そう決めたから、これは涙じゃない。
学校に向かう生徒たちの流れに逆らって、僕は一目散に街を飛び出した。
濡れた頬が気持ち悪い。
走って、走って、走って、息が続くのが不思議なくらい、僕は走り続けた。
行き先は家じゃない。
一人になれる、お気に入りの川べりだった。
糸が切れたように、崩れ落ちた。
座って、水面を覗き込む。サラサラと顔にかかる髪は不揃いで不恰好だ。
髪を切れば思いを断ち切れるなんて嘘じゃないか。
魔術師にとって髪の毛は大切なのに、細く切れやすい僕の髪はなかなか伸びない。
やっと肩を越しそうだったのに、台無しにしてしまった。
師匠をガッカリさせただけの大損だ。
「国一番の魔術師になる」
まだ幼かった僕の宣言を師匠は笑わなかった。
「そうか」
真剣な顔で頷いたのをはっきりと覚えている。
今だって、その思いは変わらない。
師匠のようなすごい魔術師になりたい、それがずっとずっと昔からの僕の夢だ。
小さい時から、たまに街へ行くと、大人たちの噂が聞こえてきた。
どうやら師匠は凄い人、らしい。
大きな川に橋を掛ける作業をたった一日でやり遂げた、とか、何十年もぼろぼろだった街道を平らにしたとか。
それがどのくらい凄いことなのか、本当のところはよくわからない。だって師匠はそんな大掛かりな術を発動させることはない。普段はせいぜいカマドに火を入れたり、洗濯物を乾かす風を起こしたり、風呂の湯を沸かしたりだろうか。
でもたった一度だけ、僕もそれ以外の術を見たことがある。
ジューと共に川遊びをしていた時のことだった。
いつもより少し下流で遊んでいた時に足を滑らせた。たったそれだけだったけど、場所が悪い。カーブがあるせいで水の勢いは強くなり、ジューと二人でどんどん流された。何度も顔が沈みそうになる中で僕が声を上げたのはたった一度だけ。
「ししょー、たすけて」
次の瞬間には、もう僕たちは川べりに引き上げられていた。
横には家にいるはずの師匠が立っていて、僕たちを小脇に抱えると大きく飛んだ。
鹿が跳ねるのとも、鳥が大空を羽ばたくのとも違う。走り出すように足を上げ、地面を蹴りあげただけで、僕たちは空高く浮かび、着地したのは家の前だった。
「風呂に入るぞ」
いつもより低い声で師匠に言われ、僕たちは急いでびしょ濡れの服を脱いだ。
そのまま風呂場に連れて行かれたが、浴槽は空っぽ。
「チッ」
師匠は大きく舌打ちしたが、面倒くさそうに腕を振れば、みるみるうちに浴槽はたっぷりの湯で満たされた。
「すっごい!!」
思わず歓声を上げた僕たちに、チラリと視線をやると顔をしかめた。怒鳴られるんだろうかと身構えたが、大きな息をひとつ吐いただけで行ってしまった。
ジューは見る見るうちに浴槽を湯で満たした師匠の術をすごい、すごい、と興奮していたが、僕の心は別の興奮を抱えていた。
師匠は、僕のSOSを聞き逃さなかった。あんなに小さな声だったのに。
それが何より嬉しかった。
あの日、僕の命は師匠に助けられた。
だから僕だって、いつか師匠を助けたい。ずっとそう思っている。
学校に行くのだって、そのためだ。
師匠が人と関わり合いたくないのなら、僕が代わりに街へ行く。
早く一人前になりたい。国一番の魔術師になりたい。
師匠よりすごい魔術師になって、師匠の力になるんだ。
髪の毛よ、早く伸びろ。
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