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33、僕と手のひらと新メニュー
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一生懸命、いつも通りに、いつも通りにと一日中考え続けて、もうわからなくなってしまった。
師匠はやっぱり、僕を怒ってくれない。
今度こそ「いい加減にしろよ!」と怒鳴られると思った。
頭を動かせば耳が出る髪の長さだから「破門だ」と言われたら「ギリギリ出ていない」と言い返す予定だった。
「しょうがないやつだな」
そう言う師匠の声は優しくて、胸が苦しい。
もう泣かないって誓ったのにな。
髪をすく指の熱が、僕の決意をあっという間に溶かした。
堰き止めていた気持ちがあふれて、涙に変わる。
静かに流れる涙の止め方を僕は知らなかった。
バラバラに首筋を撫でていた毛先は師匠の手に編み上げられた。
師匠はこんなことまで出来るなんて。
またひとつ、僕は師匠のことを知らないと突きつけられる。
師匠に腕を引かれて家の中に入れば、窓ガラスに姿が映った。
モスグリーンの真新しい髪紐が楽しげに揺れる。
よく僕が森で摘んでくる大好きな草のようだった。
寝台に連れて行かれ、身体を横たえれば、涙が耳に流れ込む。
いつまでも止まらない涙をなかったことにしたい。
強く擦るのを見越したかのように、師匠の手がそっと瞼の上に重ねられた。
乾いた感触が懐かしい。
空っぽの胸が少し満たされた気がした。
両手を伸ばして、師匠の手の上に重ねる。
「やめとけ。擦ると明日ひでぇことになるぞ」
「……ん。しない」
今なら師匠に言っても良い気がした。
「どうしたら恋って終わるの」
「さぁな。……自分の心からは逃げようがないから、どうにもならん」
「強い光を見ると魂抜けるんだっけ? 一緒にどうにかならない?」
「んなわけあるか。魔術と一緒だ。正解は人の数だけある。誰かに倣ってどうにかなるもんじゃないんじゃねぇの」
「いっそ魂だけ持って行かれるんでも良いかな」
フッと耳元に風を感じた。
「お前のことは、絶対逃がさない」
「え?」
師匠が地を這うような低い声で囁くと、グルルと唸り声が続いた。
いつもと違う様子に慌てて、目の上の手をどけようとするが、びくともしない。
「お前は大きく育ったなぁ?良い年頃だ」
ペロリと舌なめずりをする音がした。
「丸々太った腹が美味そうだ」
そう言って師匠の指が僕の脇腹をくすぐった。
「ひゃッ! やめて、やめて……」
まだ僕に目隠ししているから、師匠は片手しか使えないはずなのに、右に左に脇腹を突かれて、くすぐったい。息が吸えないほどゲラゲラと笑い、勝手に身体が跳ねた。
「もう、降参! お願い、しーしょー!」
「こんだけ笑えば、全身クタクタになっただろう。寝ろ!」
頭から、すっぽりと布団をかぶせられる。
いつの間にか涙は止まっていた。
「師匠、お腹すいた」
「まじか」
「起きる!」
布団を跳ね除けて起き上がれば、師匠が頭を抱えていた。
「……飯作るの忘れたわ」
「えええ⁈ 今日忙しかったの?」
「ああ。……二日酔いでな」
「それ忙しいって言わない」
僕は偉そうに、しょうがないなぁって言いながら師匠の背中をバンバン叩いた。
台所へ向かいながら、すぐ出来上がるものってなんだろうと考える。
「腹減ってきたな。俺、今日何も食べてないんだわ」
「二日酔いで?」
「そう」
「うわぁ。もう酒飲まないとか言ってた人は誰?」
「そんなヤツいるわけねぇ」
「ダメ師匠」
「生意気弟子」
ベーっと舌を出せば、師匠も同じ顔をしていた。くだらな過ぎて笑ってしまう。
「僕、パンケーキがいい」
「おーいいぞ」
「焼けたやつに、木の実の砕いたのとシロップかけたい」
「それは旨いやつだわ。やるか」
「やろ!」
「あ、シロップあるか?」
僕がパンケーキを作る横で、師匠はシロップを探した。
材料を混ぜるだけだからすぐに生地は出来て焼き始めるが、師匠はお目当てのものを見つけられないようだ。
「師匠、どう?」
「ダメだ。シロップねぇ。ジャムもねぇ」
「え~!」
「魚にかけたスパイスならある」
「あれ辛過ぎる。お酒飲めなきゃ無理だよ」
「ところが……チーズかけたらどうよ?」
「いいかも!」
出来上がったのは、予定とは全く違うものだった。
流石に今夜は酒を飲まない師匠は、僕と同じくらいパンケーキを食べた。
「これ、いいな。朝食にしても腹持ち良さそうだ」
「薄パン以外のメニュー増やして欲しい!」
「考えとく」
「絶対、やらないやつじゃん!」
「いやいや。とりあえずこれは朝食に作る。週一か?」
「じゃあ、またメニュー考える」
「あぁ、一緒に夕飯作るのもいいな」
思いがけない楽しい時間になった。
あんなにも暗く沈んだ気持ちは消え、布団に入ればすぐ眠くなる。
髪紐を解くのは惜しくて、そのままにした。
寝返りを打てばごろごろとする感触は邪魔なはずなのに、嬉しくて仕方がない。
師匠がくれたから、大事にしたい。
明日はこれで学校に行こう。
師匠はやっぱり、僕を怒ってくれない。
今度こそ「いい加減にしろよ!」と怒鳴られると思った。
頭を動かせば耳が出る髪の長さだから「破門だ」と言われたら「ギリギリ出ていない」と言い返す予定だった。
「しょうがないやつだな」
そう言う師匠の声は優しくて、胸が苦しい。
もう泣かないって誓ったのにな。
髪をすく指の熱が、僕の決意をあっという間に溶かした。
堰き止めていた気持ちがあふれて、涙に変わる。
静かに流れる涙の止め方を僕は知らなかった。
バラバラに首筋を撫でていた毛先は師匠の手に編み上げられた。
師匠はこんなことまで出来るなんて。
またひとつ、僕は師匠のことを知らないと突きつけられる。
師匠に腕を引かれて家の中に入れば、窓ガラスに姿が映った。
モスグリーンの真新しい髪紐が楽しげに揺れる。
よく僕が森で摘んでくる大好きな草のようだった。
寝台に連れて行かれ、身体を横たえれば、涙が耳に流れ込む。
いつまでも止まらない涙をなかったことにしたい。
強く擦るのを見越したかのように、師匠の手がそっと瞼の上に重ねられた。
乾いた感触が懐かしい。
空っぽの胸が少し満たされた気がした。
両手を伸ばして、師匠の手の上に重ねる。
「やめとけ。擦ると明日ひでぇことになるぞ」
「……ん。しない」
今なら師匠に言っても良い気がした。
「どうしたら恋って終わるの」
「さぁな。……自分の心からは逃げようがないから、どうにもならん」
「強い光を見ると魂抜けるんだっけ? 一緒にどうにかならない?」
「んなわけあるか。魔術と一緒だ。正解は人の数だけある。誰かに倣ってどうにかなるもんじゃないんじゃねぇの」
「いっそ魂だけ持って行かれるんでも良いかな」
フッと耳元に風を感じた。
「お前のことは、絶対逃がさない」
「え?」
師匠が地を這うような低い声で囁くと、グルルと唸り声が続いた。
いつもと違う様子に慌てて、目の上の手をどけようとするが、びくともしない。
「お前は大きく育ったなぁ?良い年頃だ」
ペロリと舌なめずりをする音がした。
「丸々太った腹が美味そうだ」
そう言って師匠の指が僕の脇腹をくすぐった。
「ひゃッ! やめて、やめて……」
まだ僕に目隠ししているから、師匠は片手しか使えないはずなのに、右に左に脇腹を突かれて、くすぐったい。息が吸えないほどゲラゲラと笑い、勝手に身体が跳ねた。
「もう、降参! お願い、しーしょー!」
「こんだけ笑えば、全身クタクタになっただろう。寝ろ!」
頭から、すっぽりと布団をかぶせられる。
いつの間にか涙は止まっていた。
「師匠、お腹すいた」
「まじか」
「起きる!」
布団を跳ね除けて起き上がれば、師匠が頭を抱えていた。
「……飯作るの忘れたわ」
「えええ⁈ 今日忙しかったの?」
「ああ。……二日酔いでな」
「それ忙しいって言わない」
僕は偉そうに、しょうがないなぁって言いながら師匠の背中をバンバン叩いた。
台所へ向かいながら、すぐ出来上がるものってなんだろうと考える。
「腹減ってきたな。俺、今日何も食べてないんだわ」
「二日酔いで?」
「そう」
「うわぁ。もう酒飲まないとか言ってた人は誰?」
「そんなヤツいるわけねぇ」
「ダメ師匠」
「生意気弟子」
ベーっと舌を出せば、師匠も同じ顔をしていた。くだらな過ぎて笑ってしまう。
「僕、パンケーキがいい」
「おーいいぞ」
「焼けたやつに、木の実の砕いたのとシロップかけたい」
「それは旨いやつだわ。やるか」
「やろ!」
「あ、シロップあるか?」
僕がパンケーキを作る横で、師匠はシロップを探した。
材料を混ぜるだけだからすぐに生地は出来て焼き始めるが、師匠はお目当てのものを見つけられないようだ。
「師匠、どう?」
「ダメだ。シロップねぇ。ジャムもねぇ」
「え~!」
「魚にかけたスパイスならある」
「あれ辛過ぎる。お酒飲めなきゃ無理だよ」
「ところが……チーズかけたらどうよ?」
「いいかも!」
出来上がったのは、予定とは全く違うものだった。
流石に今夜は酒を飲まない師匠は、僕と同じくらいパンケーキを食べた。
「これ、いいな。朝食にしても腹持ち良さそうだ」
「薄パン以外のメニュー増やして欲しい!」
「考えとく」
「絶対、やらないやつじゃん!」
「いやいや。とりあえずこれは朝食に作る。週一か?」
「じゃあ、またメニュー考える」
「あぁ、一緒に夕飯作るのもいいな」
思いがけない楽しい時間になった。
あんなにも暗く沈んだ気持ちは消え、布団に入ればすぐ眠くなる。
髪紐を解くのは惜しくて、そのままにした。
寝返りを打てばごろごろとする感触は邪魔なはずなのに、嬉しくて仕方がない。
師匠がくれたから、大事にしたい。
明日はこれで学校に行こう。
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