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艶やかな毒花(2)
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街の艶やかな花よりも、影の中にひっそりと転がっている紅玉に目を奪われるのだ。
「それで、何で今回はあたしと、とんびの旦那とそこの坊っちゃんの三人だけなの?三人でするのはお断りだと言ったのだけど」
不満げに椿は眉を寄せた。不機嫌そうでも美しさは損なわれず、本当に花のような女だと時雨は思った。化粧や着物は派手すぎず、彼女本来の美しさを際立たせており、紅を引いた唇はあまりにも艶やかだ。
「安心しろ。俺は複数人で一人の女を抱く趣味なぞ持ってはおらん。まあ、もっともお前と俺でこいつを苛めるのは面白そうだけどな」
政暁は横に座った時雨をちらりと見てにたりと笑う。行灯の明かりに照らされたその笑みに背筋が凍り、本当にそんなことをされそうで時雨の顔は青ざめた。
「あらそれは楽しそう……って今日はそのつもりはないんでしょう? 顔に書いてあるわ」
椿は、目の前で片膝を立てて笑みを浮かべながら酒を飲む政暁を睨み付けた。
「流石花街の大輪の姫、俺の腹の中はお見通しか」
くくっと笑った後、政暁は盃の酒を飲み干すと、獣のような笑みを消して鋭い目で椿を見据えた。
「ならば率直に聞こう。お前、最近変な奴に付きまとわれてはいないか」
怪訝そうに首を傾げた後、椿は少し怒ったような顔をした。
「変な奴?……あのねえ。あたしの客の情報を明かすなら、簡単にはいかないわよ。それ相応の対価を用意してもらわないと困るんだけど」
「対価か。構わん。お前の要求ならば何でも呑もう」
政暁が椿に軽く微笑むと、椿は恐ろしい程の綺麗な微笑みを返した。
「なら目の前で交わってみてくれないかしら」
「「は?」」
まさか本気でそんなことを要求するとは思っても見なかったので、時雨は思わず椿と政暁を交互に見ると、政暁も冗談のつもりであったらしく目を見開いて困惑しており、対する椿は妲己を思わせるような妖艶かつ悪女のような笑みをしていた。
「あたし、同性同士が交わる様って見たことが無いのよね。だから一度見てみたいのよ。まあ。今日は旦那がその気分では無さそうだから次の月まででいいわ。さてどうするの? 矜持が大事? それとも情報が大事?」
形の良い唇から発せられる言葉は、矜持の高い時雨にとってあまりにも残酷で、混乱した。どうしよう。しかし拒否するために、貴女を助ける為に情報が欲しいなどと恩着せがましいことは口が裂けても言えない。時雨が政暁を見ると、珍しく心配そうに此方を見ていた。暫く時雨は俯いていたが、覚悟を決めたように顔をゆっくりと上げると口を開いた。
「はい……承知致しました」
真剣な顔をした時雨に驚いたのか、椿は少し目を見開いたがやがて艶《あで》やかな微笑みを浮かべた。
「なら決定。交わる時に仏頂面の坊っちゃんがどんな顔をするか見てみたいのよね」
椿は楽しげに手をパチンと叩き、にこりと笑うと煙管を片手に取った。そして紅を引いた艶やかな唇に煙管をくわえて吸うと煙を吐いた後、口を開いた。
「なら教えましょう。そうねえ...名前は明かさないけど、最近とある大店《おおだな》の若旦那が頻繁にあたしを呼ぶけど、その分、他の馴染みの客が減っている気がするのよねぇ。あと最近妙に肩がこるわ。禿に肩揉ませても効き目が無いのよ」
椿は煙管を持っていない方の手で肩を揉むような仕草をした。
「ほう。問題の若旦那はどんな奴だ?」
「少し暗いけど優しい方よ。抱き方は壊れ物でも扱う感じかしら、とんびの旦那と違ってね」
そう言いながら椿は軽く政暁を睨み付けた。
「いやあそれはすまんすまん。しかし、昔よりは大分制限出来たつもりだぞ」
「そりゃそうよ。あたしが手解きしたんだから」
そう言うと椿は呆れたような顔をした。その一方時雨は、初めて抱かれた時に妙に政暁との情交が甘ったるかったのはこの女のせいかと納得していた。そして、この女が政暁に手解きしていなければ政暁に複雑な感情を抱かずに済んだのではと思い始めた。
「お前はその若旦那に身請けされたいのか?」
政暁が問うと、椿は笑みを浮かべた。
「あの若旦那に身請け? あはは、ないない。あたしはもっと別に好きな人がいるの。勿論とんびの旦那じゃないわよ。だって旦那、男も女も見境なく抱くんだもの。ねえ、坊っちゃん。貴方も旦那の餌食になったんじゃない?」
「別に……私は餌食になど……」
椿の獲物を狙うような眼差しに、時雨は目を背けてしまった。
「あら、そう?」
椿は暫くまじまじと時雨のことを見ていたが、興味を失ったかのように煙管を再び手にした。
その後半刻程雑談をすると、政暁と時雨は茶屋をあとにした。
「本当に椿とあんな取引して良かったのか?正直、椿の為に情報が欲しいと言えばあんな取引せずに済んだだろ」
「いや、それでは鬼祓いだと露見する危険性があります。それに、貴方だって椿殿と一緒に私を苛めたいなど言っていたではありませんか」
軽く時雨に睨まれて、政暁はすまなそうな顔をした。
「冗談でも言うべきではなかったな。ならお詫びに俺の秘蔵の酒でもやろう」
「別に酒など要りません。……心配して頂けるだけで充分でございます」
時雨の口調がいつもよりも柔らかく、彼が少しずつ己に心を開いているような気がして政暁は、少し嬉しくなった。しかし、それをゆっくりと噛み締めている余裕はない。
「で、黒い影というのは若旦那の生き霊という奴かね」
「はい、おそらくは。大人しい人程抑え込んだ感情は恐ろしいものです」
一応、椿には近所の神社の御守りと言って魔除けの護符を渡したが、不安は残る。
「ならば、早急に若旦那の居場所を突き止めた方がいいな。恐らく何度も花街に通っているとすれば、相当な大店だ。すぐに分かりそうではあるな」
そんなことを話している内に、花街の門を過ぎ人気の無い道に入った。すると木の下に浮浪者のような男がおり、木の幹にもたれ掛かっていた。男の顔は襤褸布を被っている為よく見えず、時雨と政暁はこの男に近づくことは直感的に危険だと判断し、目を合わせないようにした。
「もし、そこのお方。『とんび』という遊び人を知らんかね?」
目の前に差し掛かった時、男に呼び止められ、政暁は足を止めた。男の浮浪者のようななりもそうだが、男の声は怪しげな声も亡霊のようである。
「俺がそのとんびだが」
答えるつもりは無かったのに、勝手に応えが口を突いて出て、政暁は嫌な予感を感じた。
「それはそれは好都合」
男が手に持っていた鈴を鳴らす。ちりんという鈴の音がした途端、政暁の背筋が凍り付いた。何かが己を見ている。逃げろと直感が訴えているのにも関わらず、金縛りにあったかのように動けない。もう駄目かと思った瞬間、突如肩を捕まれ後ろに引き倒された。
「邪魔だ、うつけがっ」
恐ろしい鳴き声とともに、時雨の罵声が政暁の耳に響く。政暁は地面に身体を強く打ち、痛みに呻いた。文句を言おうと時雨を見ると、政暁は固まってしまった。
すぐそばにいた時雨はその場に片膝をついて苦しげに呻いていた。片手で肩を押さえているが、血が指の隙間からぽたぽたと音を立てて零れ落ち、顔は苦痛に歪んでいる。そして目の前には、十尺もある化け物が、おそらく時雨の肩を切り裂いたであろう爪から血を滴らせて二人を睨んでいた。
「動くなっ!!」
政暁が時雨に駆け寄ろうとした途端、時雨の怒号が政暁の身体を地に縫い付けた。そこには、あの時肌を重ねた男は居らず、ただ抜き身の刃のような雰囲気を醸し出し、業火の如き怒りを瞳に浮かべ、化け物を見据える男がいた。政暁が呆気に取られているうちに、すぐに時雨は立ち上がり、素早く小刀を鞘から取り出して駆け出すと化け物の懐に入る。その途端化け物の絶叫と血飛沫が舞い上がり、化け物が倒れた。あっさりと化け物が倒されると思ってもみなかったらしい男は驚愕を隠せないでいるようだった。
「貴様、鬼祓いか!?」
「さあどうかな。俺が何者であろうと貴様には関係なかろうよ」
普段の丁寧な口調は取り払われ、血を流しながらも凄まじい殺気を放つ時雨は鬼のようである。そんな時雨に臆し戦意を喪失したのか、男は逃げようとする。時雨は男を追い掛けようとしたが、騒ぎに寄ってきた魑魅魍魎に足を止められた。
「ちぃっ……! 」
時雨は大きく舌打ちをしてから懐から霊符を取り出すと、小声で何かを唱えて素早く政暁の方に投げる。本来ならひらひらと落ちるそれは、矢のように政暁の方に向かうと半透明の結界となり、政暁を包み込んだ。
「祓詞を唱えている暇は無いか……」
口元に笑みを浮かべると、時雨は小刀を手にして魑魅魍魎に向かって走り出す。妖が襲おうとすると、舞を踊るかのように時雨はひらりと避け、小刀で妖を切り裂いていく。血飛沫や肉片が飛び散る中で天女が舞うかのように戦う姿は恐ろしくも美しく、政暁は目を逸らすことが出来なかった。よく見てみると、時雨の口元が動いており、何かを唱えているかの様であった。二十数体程倒した頃であろうか。時雨は立ち止まったと同時に小声で唱えるのを止めた。
「急急如律令!」
凛とした声で時雨が叫んだ途端、業火が魑魅魍魎を包んだ。化け物どもの絶叫が耳をつんざく中、時雨は冷たい目でそれを見つめる。炎は化け物を焼き付くし、時雨の長い黒髪を揺らす。やがて炎が消えると、魑魅魍魎の姿は消え去っていた。それを確認した後、時雨は此方に歩み寄ってきた。
「若……様、ご無事ですか?」
時雨の声は疲れきったような声で、ふらふらと此方に歩み出した時雨は自分の血か化け物の血か判別がつかないほど赤黒いものにまみれており、顔は貧血のせいか青ざめていた。ふらりと時雨の身体が傾ぎ地面に倒れ込む寸前、政暁は駆け寄って時雨の身体を受け止めた。それに驚き、離れようと必死に抵抗しもがく時雨を、政暁は痛いほど抱き締めた。
「貴方は馬鹿か。そんなことをしては貴方が穢れてしまう」
時雨を抱き締めたことよって政暁の衣が血で濡れ、鉄の匂いが鼻腔を擽る。しかし政暁にとってはそのようなことは些末なことであった。
「穢れもくそもあるものか。暴れるな、血が止まらんだろう」
時雨の肩からは血が流れ続け、生温かいそれは政暁の手を濡らす。政暁は時雨を胸の前で抱えて木の側に降ろすと、時雨の着流しの襟に手を掛けた。
「止血ぐらい自分で出来ます」
時雨が自ら着流しをはだけると、肩には大きな傷があり、赤く染められた肌が露になった。時雨は蛤の薬入れを取り出して薬を塗ろうとしたが、政暁がすかさずそれを取り上げた。
「何をなさるのですか」
「そこでじっとしていろ」
時雨が睨み付けるのをちらりと一瞥すると、政暁は何処かに走っていった。
先程の恐ろしさに頭でも狂ったのだろうか。時雨が政暁を追いかける為、立ち上がろうとしたが、目眩がしてその場に座り込んだ。そこへ、政暁が濡らした手拭いを片手に戻って来ると、時雨の目の前にしゃがんだ。
「薬を塗る前に傷口を清潔にするぐらい常識だ。大人しくしろ」
政暁は濡れた手拭いでそっと傷口やその周りを拭く。そして政暁は蛤に入った塗り薬を指に付けると傷口に塗り始めた。
「いっ……」
「動くなよ。余計痛むぞ」
薬が滲みて辛そうに呻く時雨の無傷な方の肩を掴んで動かないようにして、丹念に傷口に薬を塗り込む。塗り終わると、政暁はびりりと自らの着物を護身用の懐刀で裂いて、時雨の傷のある箇所に巻いて固く縛った。
「申し訳ございません」
傷を布の上から押さえつけながら時雨はすまなそうな顔をして謝った。
「何故お前が謝る。お前は命をかけて俺を守っただろうが。悪いのはあの浮浪者だ」
「しかし藩主の嫡男たる御方に、この私めの手当てなどさせたこと面目次第もございません」
時雨はその場に平伏すると震える声でそう言った。
「時雨、顔を上げろ」
時雨がおずおずと顔を上げると、政暁は時雨の額を軽く指で弾いた。
「っ……」
「たわけ、いつもの悪態はどうした。傷の手当てをされたぐらいで畏まるな」
政暁は穏やかな声で時雨に笑いかける。その笑顔があまりにも無邪気で、眩しくて、時雨は目を伏せた。
「しかし、私がいち早く気づいていれば貴方を危険な目にあわせずに済んだのです。……それに、先程の私の姿はおぞましかったでしょう?」
時雨の声は弱々しく、先程まで抜き身の刀ような雰囲気放っていた男とは思えないほどである。
「確かにお前の姿は怖かった。でもそれ以上に、ますますお前に惚れた。ただでさえお前に一目惚れしたというのに、惚れた相手が命懸けで俺のことを守ってくれたのだ。こんなにも嬉しいことはない」
時雨は目を大きく見開き驚いたような顔をしていたが、やがて困ったように微笑んだ。
「貴方の目はおかしいですよ。普通ならこんな血塗れの男に惚れたりなど致しません」
「それでも構わんさ」
政暁は微笑むと薬入れを時雨に返した。
「まだ血が足りんのだろう。抱えてやる」
「いえ、これ以上若様の手を煩わせる訳にはいきません」
そう言って時雨は立ち上がろうとしたが、また目眩に襲われふらふらと木の幹に手をついた。
「無理をするな」
政暁は、難なくひょいと時雨を前で抱え上げたが、時雨はそれに抵抗せずされるがままになっていた。
「やはりお前、男にしては軽すぎるぞ。ちゃんと食ってるのか?」
正直、男を抱えるのは苦労する筈なのに、時雨の場合はあまりにも抱えやすいのである。政暁は怪訝そうな顔で時雨を見た。
「ちゃんと二食食べてますよ」
「二食だけとは情けない。山くじらや紅葉とか食べて精を付けろ」
「そう……ですね」
貧血と疲れからかそう言い終えて、霊符を飛ばすと、時雨はぎゅっと政暁の衣にしがみついた。そんな初めて自分に甘えるような態度を取った時雨に、政暁は嬉しさを隠しきれず、笑みを浮かべるのであった。
政暁と時雨が城の自室に着くと、そこには黒い三つ編みをした着流しの男が立っていた。男は人の姿に見えるものの、妖気を放っているので人の類いではないことは、政暁にも一目で分かる。
振り返った男の目は漆黒で、振り返って此方を見た瞬間大きく目を見開いたが、やがて無表情になった。時雨が胸板を押したので、政暁は時雨をその場に下ろしてやると時雨は戦闘時のような冷たい雰囲気を放ち始めた。
「次代様、何の用件で私をお呼びになったのです」
男の声はさざなみのように穏やかであるのに、漆黒の目が闇のようである。
「影縄、先程襲撃を受け魑魅魍魎に遭遇した。城下の結界が壊されている可能性があると、長にくれぐれも伝えろ」
「承知しました。……ところで、何故次代様は血塗れで、お姫さんのように抱き抱えられていたのです?」
怪訝そうな顔で男問われた途端、時雨の顔が真っ赤になり、顔を伏せた。
「襲撃を受けたと言っただろ。俺は傷を負って貧血でろくに歩けないのを若様に運んで貰ったのだ。別にやましいことなどない」
顔は伏せても耳まで真っ赤になっているため、恥ずかしがっているのが目に見えるほど明らかだ。影縄と呼ばれた男は政暁と時雨を交互に見た後、何かを察したように静かに微笑んだ。
「そうですか。怪我の件もお父上に伝えておきましょう。……それと若君、次代様のことをくれぐれも頼みます」
そう言い残すと、男は影となり何処かへ消えた。
「……時雨、あやつは何者だ?」
「影縄という名の父の式神です」
それを聞くと政暁は子供のように目をきらきらと輝かせた。
「あれが式神なのか。人のようだが、妖気がちゃんとあるのだな。そういえば紅原は土御門から十二天将の騰蛇を賜ったと聞いているが、騰蛇はどんな奴なんだ」
騰蛇というのはかつてあの伝説の陰陽師こと安倍晴明が従えた式神、十二天将の1柱である。驚恐怖畏を司ると言われており、炎に包まれた蛇の姿をしているのだと書物に書いてあり、政暁は騰蛇を一目でも見たかった。
暫く考え込むと時雨は複雑そうな顔で口を開いた。
「恐驚を司ると言われていますし、鬼祓いの式神の中でも最強を誇りますが……詳しいことは申し上げられませぬ。はっきり言えることは甘味好きで甘味処によく通っています」
「……十二天将の騰蛇が?」
「ええ、十二天将の騰蛇が」
騰蛇が甘味を貪っている姿とは一体どんなのだろうと考え込んだが、時雨の衣が血塗れなのを思いだし政暁はぽんぽんと軽く時雨の肩を叩いた。
「そんなことはいい。お前、早くそれを脱がんか。いつまでも血の臭いをさせるわけにはいかんだろ」
「承知しました」
時雨が帯を解いてはだけると止血の布と褌だけを纏った身体が露になる。憂いを帯びたような顔は艶やかで、筋肉が適度についた無駄の無い肢体にある傷跡さえ色気を感じてしまう。政暁はごくりと生唾を飲み込むと、時雨は困惑した顔をした。
「若様……、飢えた獣のような目で見ないでくださいまし。あまり禁欲していると本当に獣になってしまいますよ」
「ああ、すまん」
時雨の言葉に我に返ったが、以前より時雨の声音に嫌悪感が含まれていないことに気がついた。
「なあ、もし俺が抱きたいと言ったらどうする?」
流石に許してはくれないと思ったが、案の定、時雨はムッとした顔をすると、襟元を手で隠した。
「私の傷が開いて茵が血だらけになってもいいならどうぞ。私より色子を相手にした方がいいと思いますが」
流石に怪我人を組敷いて情交をする趣味は無いものの、何故か情欲が湧き上がって来たので質問したら案の定断られ、情欲が少しだけ収まった。だが、いつかは、いつかは俺のものにしたい。俺だけの懐刀になって欲しい。
「いや、本気で聞いた訳ではない。すまんな不快にさせて」
胸の内に抱いた想いは口には出さず、困ったように笑う政暁に驚いたのか時雨は少し目を見開いたがすぐに目を伏せた。
「別に気にしてなどいません。それと、この着流しは必ず元通りにしてお返ししますので、暫く預からせてください」
時雨の手には血を吸って黒く染まってしまった着流しがある。ここまで汚れてしまってはもう元通りにならないのではと思ったが黙っておいた。
「別に元通りにしなくてもよいのだが、お前がしたいのであればそうしてくれ。俺はもう寝る」
政暁が長襦袢に着替えるとさっさと床に着くと、部屋には時雨の姿はなかった。解決したいことは色々ある。明日から一つずつ片付けねば。そう考えている内に眠りの世界に入った。
「それで、何で今回はあたしと、とんびの旦那とそこの坊っちゃんの三人だけなの?三人でするのはお断りだと言ったのだけど」
不満げに椿は眉を寄せた。不機嫌そうでも美しさは損なわれず、本当に花のような女だと時雨は思った。化粧や着物は派手すぎず、彼女本来の美しさを際立たせており、紅を引いた唇はあまりにも艶やかだ。
「安心しろ。俺は複数人で一人の女を抱く趣味なぞ持ってはおらん。まあ、もっともお前と俺でこいつを苛めるのは面白そうだけどな」
政暁は横に座った時雨をちらりと見てにたりと笑う。行灯の明かりに照らされたその笑みに背筋が凍り、本当にそんなことをされそうで時雨の顔は青ざめた。
「あらそれは楽しそう……って今日はそのつもりはないんでしょう? 顔に書いてあるわ」
椿は、目の前で片膝を立てて笑みを浮かべながら酒を飲む政暁を睨み付けた。
「流石花街の大輪の姫、俺の腹の中はお見通しか」
くくっと笑った後、政暁は盃の酒を飲み干すと、獣のような笑みを消して鋭い目で椿を見据えた。
「ならば率直に聞こう。お前、最近変な奴に付きまとわれてはいないか」
怪訝そうに首を傾げた後、椿は少し怒ったような顔をした。
「変な奴?……あのねえ。あたしの客の情報を明かすなら、簡単にはいかないわよ。それ相応の対価を用意してもらわないと困るんだけど」
「対価か。構わん。お前の要求ならば何でも呑もう」
政暁が椿に軽く微笑むと、椿は恐ろしい程の綺麗な微笑みを返した。
「なら目の前で交わってみてくれないかしら」
「「は?」」
まさか本気でそんなことを要求するとは思っても見なかったので、時雨は思わず椿と政暁を交互に見ると、政暁も冗談のつもりであったらしく目を見開いて困惑しており、対する椿は妲己を思わせるような妖艶かつ悪女のような笑みをしていた。
「あたし、同性同士が交わる様って見たことが無いのよね。だから一度見てみたいのよ。まあ。今日は旦那がその気分では無さそうだから次の月まででいいわ。さてどうするの? 矜持が大事? それとも情報が大事?」
形の良い唇から発せられる言葉は、矜持の高い時雨にとってあまりにも残酷で、混乱した。どうしよう。しかし拒否するために、貴女を助ける為に情報が欲しいなどと恩着せがましいことは口が裂けても言えない。時雨が政暁を見ると、珍しく心配そうに此方を見ていた。暫く時雨は俯いていたが、覚悟を決めたように顔をゆっくりと上げると口を開いた。
「はい……承知致しました」
真剣な顔をした時雨に驚いたのか、椿は少し目を見開いたがやがて艶《あで》やかな微笑みを浮かべた。
「なら決定。交わる時に仏頂面の坊っちゃんがどんな顔をするか見てみたいのよね」
椿は楽しげに手をパチンと叩き、にこりと笑うと煙管を片手に取った。そして紅を引いた艶やかな唇に煙管をくわえて吸うと煙を吐いた後、口を開いた。
「なら教えましょう。そうねえ...名前は明かさないけど、最近とある大店《おおだな》の若旦那が頻繁にあたしを呼ぶけど、その分、他の馴染みの客が減っている気がするのよねぇ。あと最近妙に肩がこるわ。禿に肩揉ませても効き目が無いのよ」
椿は煙管を持っていない方の手で肩を揉むような仕草をした。
「ほう。問題の若旦那はどんな奴だ?」
「少し暗いけど優しい方よ。抱き方は壊れ物でも扱う感じかしら、とんびの旦那と違ってね」
そう言いながら椿は軽く政暁を睨み付けた。
「いやあそれはすまんすまん。しかし、昔よりは大分制限出来たつもりだぞ」
「そりゃそうよ。あたしが手解きしたんだから」
そう言うと椿は呆れたような顔をした。その一方時雨は、初めて抱かれた時に妙に政暁との情交が甘ったるかったのはこの女のせいかと納得していた。そして、この女が政暁に手解きしていなければ政暁に複雑な感情を抱かずに済んだのではと思い始めた。
「お前はその若旦那に身請けされたいのか?」
政暁が問うと、椿は笑みを浮かべた。
「あの若旦那に身請け? あはは、ないない。あたしはもっと別に好きな人がいるの。勿論とんびの旦那じゃないわよ。だって旦那、男も女も見境なく抱くんだもの。ねえ、坊っちゃん。貴方も旦那の餌食になったんじゃない?」
「別に……私は餌食になど……」
椿の獲物を狙うような眼差しに、時雨は目を背けてしまった。
「あら、そう?」
椿は暫くまじまじと時雨のことを見ていたが、興味を失ったかのように煙管を再び手にした。
その後半刻程雑談をすると、政暁と時雨は茶屋をあとにした。
「本当に椿とあんな取引して良かったのか?正直、椿の為に情報が欲しいと言えばあんな取引せずに済んだだろ」
「いや、それでは鬼祓いだと露見する危険性があります。それに、貴方だって椿殿と一緒に私を苛めたいなど言っていたではありませんか」
軽く時雨に睨まれて、政暁はすまなそうな顔をした。
「冗談でも言うべきではなかったな。ならお詫びに俺の秘蔵の酒でもやろう」
「別に酒など要りません。……心配して頂けるだけで充分でございます」
時雨の口調がいつもよりも柔らかく、彼が少しずつ己に心を開いているような気がして政暁は、少し嬉しくなった。しかし、それをゆっくりと噛み締めている余裕はない。
「で、黒い影というのは若旦那の生き霊という奴かね」
「はい、おそらくは。大人しい人程抑え込んだ感情は恐ろしいものです」
一応、椿には近所の神社の御守りと言って魔除けの護符を渡したが、不安は残る。
「ならば、早急に若旦那の居場所を突き止めた方がいいな。恐らく何度も花街に通っているとすれば、相当な大店だ。すぐに分かりそうではあるな」
そんなことを話している内に、花街の門を過ぎ人気の無い道に入った。すると木の下に浮浪者のような男がおり、木の幹にもたれ掛かっていた。男の顔は襤褸布を被っている為よく見えず、時雨と政暁はこの男に近づくことは直感的に危険だと判断し、目を合わせないようにした。
「もし、そこのお方。『とんび』という遊び人を知らんかね?」
目の前に差し掛かった時、男に呼び止められ、政暁は足を止めた。男の浮浪者のようななりもそうだが、男の声は怪しげな声も亡霊のようである。
「俺がそのとんびだが」
答えるつもりは無かったのに、勝手に応えが口を突いて出て、政暁は嫌な予感を感じた。
「それはそれは好都合」
男が手に持っていた鈴を鳴らす。ちりんという鈴の音がした途端、政暁の背筋が凍り付いた。何かが己を見ている。逃げろと直感が訴えているのにも関わらず、金縛りにあったかのように動けない。もう駄目かと思った瞬間、突如肩を捕まれ後ろに引き倒された。
「邪魔だ、うつけがっ」
恐ろしい鳴き声とともに、時雨の罵声が政暁の耳に響く。政暁は地面に身体を強く打ち、痛みに呻いた。文句を言おうと時雨を見ると、政暁は固まってしまった。
すぐそばにいた時雨はその場に片膝をついて苦しげに呻いていた。片手で肩を押さえているが、血が指の隙間からぽたぽたと音を立てて零れ落ち、顔は苦痛に歪んでいる。そして目の前には、十尺もある化け物が、おそらく時雨の肩を切り裂いたであろう爪から血を滴らせて二人を睨んでいた。
「動くなっ!!」
政暁が時雨に駆け寄ろうとした途端、時雨の怒号が政暁の身体を地に縫い付けた。そこには、あの時肌を重ねた男は居らず、ただ抜き身の刃のような雰囲気を醸し出し、業火の如き怒りを瞳に浮かべ、化け物を見据える男がいた。政暁が呆気に取られているうちに、すぐに時雨は立ち上がり、素早く小刀を鞘から取り出して駆け出すと化け物の懐に入る。その途端化け物の絶叫と血飛沫が舞い上がり、化け物が倒れた。あっさりと化け物が倒されると思ってもみなかったらしい男は驚愕を隠せないでいるようだった。
「貴様、鬼祓いか!?」
「さあどうかな。俺が何者であろうと貴様には関係なかろうよ」
普段の丁寧な口調は取り払われ、血を流しながらも凄まじい殺気を放つ時雨は鬼のようである。そんな時雨に臆し戦意を喪失したのか、男は逃げようとする。時雨は男を追い掛けようとしたが、騒ぎに寄ってきた魑魅魍魎に足を止められた。
「ちぃっ……! 」
時雨は大きく舌打ちをしてから懐から霊符を取り出すと、小声で何かを唱えて素早く政暁の方に投げる。本来ならひらひらと落ちるそれは、矢のように政暁の方に向かうと半透明の結界となり、政暁を包み込んだ。
「祓詞を唱えている暇は無いか……」
口元に笑みを浮かべると、時雨は小刀を手にして魑魅魍魎に向かって走り出す。妖が襲おうとすると、舞を踊るかのように時雨はひらりと避け、小刀で妖を切り裂いていく。血飛沫や肉片が飛び散る中で天女が舞うかのように戦う姿は恐ろしくも美しく、政暁は目を逸らすことが出来なかった。よく見てみると、時雨の口元が動いており、何かを唱えているかの様であった。二十数体程倒した頃であろうか。時雨は立ち止まったと同時に小声で唱えるのを止めた。
「急急如律令!」
凛とした声で時雨が叫んだ途端、業火が魑魅魍魎を包んだ。化け物どもの絶叫が耳をつんざく中、時雨は冷たい目でそれを見つめる。炎は化け物を焼き付くし、時雨の長い黒髪を揺らす。やがて炎が消えると、魑魅魍魎の姿は消え去っていた。それを確認した後、時雨は此方に歩み寄ってきた。
「若……様、ご無事ですか?」
時雨の声は疲れきったような声で、ふらふらと此方に歩み出した時雨は自分の血か化け物の血か判別がつかないほど赤黒いものにまみれており、顔は貧血のせいか青ざめていた。ふらりと時雨の身体が傾ぎ地面に倒れ込む寸前、政暁は駆け寄って時雨の身体を受け止めた。それに驚き、離れようと必死に抵抗しもがく時雨を、政暁は痛いほど抱き締めた。
「貴方は馬鹿か。そんなことをしては貴方が穢れてしまう」
時雨を抱き締めたことよって政暁の衣が血で濡れ、鉄の匂いが鼻腔を擽る。しかし政暁にとってはそのようなことは些末なことであった。
「穢れもくそもあるものか。暴れるな、血が止まらんだろう」
時雨の肩からは血が流れ続け、生温かいそれは政暁の手を濡らす。政暁は時雨を胸の前で抱えて木の側に降ろすと、時雨の着流しの襟に手を掛けた。
「止血ぐらい自分で出来ます」
時雨が自ら着流しをはだけると、肩には大きな傷があり、赤く染められた肌が露になった。時雨は蛤の薬入れを取り出して薬を塗ろうとしたが、政暁がすかさずそれを取り上げた。
「何をなさるのですか」
「そこでじっとしていろ」
時雨が睨み付けるのをちらりと一瞥すると、政暁は何処かに走っていった。
先程の恐ろしさに頭でも狂ったのだろうか。時雨が政暁を追いかける為、立ち上がろうとしたが、目眩がしてその場に座り込んだ。そこへ、政暁が濡らした手拭いを片手に戻って来ると、時雨の目の前にしゃがんだ。
「薬を塗る前に傷口を清潔にするぐらい常識だ。大人しくしろ」
政暁は濡れた手拭いでそっと傷口やその周りを拭く。そして政暁は蛤に入った塗り薬を指に付けると傷口に塗り始めた。
「いっ……」
「動くなよ。余計痛むぞ」
薬が滲みて辛そうに呻く時雨の無傷な方の肩を掴んで動かないようにして、丹念に傷口に薬を塗り込む。塗り終わると、政暁はびりりと自らの着物を護身用の懐刀で裂いて、時雨の傷のある箇所に巻いて固く縛った。
「申し訳ございません」
傷を布の上から押さえつけながら時雨はすまなそうな顔をして謝った。
「何故お前が謝る。お前は命をかけて俺を守っただろうが。悪いのはあの浮浪者だ」
「しかし藩主の嫡男たる御方に、この私めの手当てなどさせたこと面目次第もございません」
時雨はその場に平伏すると震える声でそう言った。
「時雨、顔を上げろ」
時雨がおずおずと顔を上げると、政暁は時雨の額を軽く指で弾いた。
「っ……」
「たわけ、いつもの悪態はどうした。傷の手当てをされたぐらいで畏まるな」
政暁は穏やかな声で時雨に笑いかける。その笑顔があまりにも無邪気で、眩しくて、時雨は目を伏せた。
「しかし、私がいち早く気づいていれば貴方を危険な目にあわせずに済んだのです。……それに、先程の私の姿はおぞましかったでしょう?」
時雨の声は弱々しく、先程まで抜き身の刀ような雰囲気放っていた男とは思えないほどである。
「確かにお前の姿は怖かった。でもそれ以上に、ますますお前に惚れた。ただでさえお前に一目惚れしたというのに、惚れた相手が命懸けで俺のことを守ってくれたのだ。こんなにも嬉しいことはない」
時雨は目を大きく見開き驚いたような顔をしていたが、やがて困ったように微笑んだ。
「貴方の目はおかしいですよ。普通ならこんな血塗れの男に惚れたりなど致しません」
「それでも構わんさ」
政暁は微笑むと薬入れを時雨に返した。
「まだ血が足りんのだろう。抱えてやる」
「いえ、これ以上若様の手を煩わせる訳にはいきません」
そう言って時雨は立ち上がろうとしたが、また目眩に襲われふらふらと木の幹に手をついた。
「無理をするな」
政暁は、難なくひょいと時雨を前で抱え上げたが、時雨はそれに抵抗せずされるがままになっていた。
「やはりお前、男にしては軽すぎるぞ。ちゃんと食ってるのか?」
正直、男を抱えるのは苦労する筈なのに、時雨の場合はあまりにも抱えやすいのである。政暁は怪訝そうな顔で時雨を見た。
「ちゃんと二食食べてますよ」
「二食だけとは情けない。山くじらや紅葉とか食べて精を付けろ」
「そう……ですね」
貧血と疲れからかそう言い終えて、霊符を飛ばすと、時雨はぎゅっと政暁の衣にしがみついた。そんな初めて自分に甘えるような態度を取った時雨に、政暁は嬉しさを隠しきれず、笑みを浮かべるのであった。
政暁と時雨が城の自室に着くと、そこには黒い三つ編みをした着流しの男が立っていた。男は人の姿に見えるものの、妖気を放っているので人の類いではないことは、政暁にも一目で分かる。
振り返った男の目は漆黒で、振り返って此方を見た瞬間大きく目を見開いたが、やがて無表情になった。時雨が胸板を押したので、政暁は時雨をその場に下ろしてやると時雨は戦闘時のような冷たい雰囲気を放ち始めた。
「次代様、何の用件で私をお呼びになったのです」
男の声はさざなみのように穏やかであるのに、漆黒の目が闇のようである。
「影縄、先程襲撃を受け魑魅魍魎に遭遇した。城下の結界が壊されている可能性があると、長にくれぐれも伝えろ」
「承知しました。……ところで、何故次代様は血塗れで、お姫さんのように抱き抱えられていたのです?」
怪訝そうな顔で男問われた途端、時雨の顔が真っ赤になり、顔を伏せた。
「襲撃を受けたと言っただろ。俺は傷を負って貧血でろくに歩けないのを若様に運んで貰ったのだ。別にやましいことなどない」
顔は伏せても耳まで真っ赤になっているため、恥ずかしがっているのが目に見えるほど明らかだ。影縄と呼ばれた男は政暁と時雨を交互に見た後、何かを察したように静かに微笑んだ。
「そうですか。怪我の件もお父上に伝えておきましょう。……それと若君、次代様のことをくれぐれも頼みます」
そう言い残すと、男は影となり何処かへ消えた。
「……時雨、あやつは何者だ?」
「影縄という名の父の式神です」
それを聞くと政暁は子供のように目をきらきらと輝かせた。
「あれが式神なのか。人のようだが、妖気がちゃんとあるのだな。そういえば紅原は土御門から十二天将の騰蛇を賜ったと聞いているが、騰蛇はどんな奴なんだ」
騰蛇というのはかつてあの伝説の陰陽師こと安倍晴明が従えた式神、十二天将の1柱である。驚恐怖畏を司ると言われており、炎に包まれた蛇の姿をしているのだと書物に書いてあり、政暁は騰蛇を一目でも見たかった。
暫く考え込むと時雨は複雑そうな顔で口を開いた。
「恐驚を司ると言われていますし、鬼祓いの式神の中でも最強を誇りますが……詳しいことは申し上げられませぬ。はっきり言えることは甘味好きで甘味処によく通っています」
「……十二天将の騰蛇が?」
「ええ、十二天将の騰蛇が」
騰蛇が甘味を貪っている姿とは一体どんなのだろうと考え込んだが、時雨の衣が血塗れなのを思いだし政暁はぽんぽんと軽く時雨の肩を叩いた。
「そんなことはいい。お前、早くそれを脱がんか。いつまでも血の臭いをさせるわけにはいかんだろ」
「承知しました」
時雨が帯を解いてはだけると止血の布と褌だけを纏った身体が露になる。憂いを帯びたような顔は艶やかで、筋肉が適度についた無駄の無い肢体にある傷跡さえ色気を感じてしまう。政暁はごくりと生唾を飲み込むと、時雨は困惑した顔をした。
「若様……、飢えた獣のような目で見ないでくださいまし。あまり禁欲していると本当に獣になってしまいますよ」
「ああ、すまん」
時雨の言葉に我に返ったが、以前より時雨の声音に嫌悪感が含まれていないことに気がついた。
「なあ、もし俺が抱きたいと言ったらどうする?」
流石に許してはくれないと思ったが、案の定、時雨はムッとした顔をすると、襟元を手で隠した。
「私の傷が開いて茵が血だらけになってもいいならどうぞ。私より色子を相手にした方がいいと思いますが」
流石に怪我人を組敷いて情交をする趣味は無いものの、何故か情欲が湧き上がって来たので質問したら案の定断られ、情欲が少しだけ収まった。だが、いつかは、いつかは俺のものにしたい。俺だけの懐刀になって欲しい。
「いや、本気で聞いた訳ではない。すまんな不快にさせて」
胸の内に抱いた想いは口には出さず、困ったように笑う政暁に驚いたのか時雨は少し目を見開いたがすぐに目を伏せた。
「別に気にしてなどいません。それと、この着流しは必ず元通りにしてお返ししますので、暫く預からせてください」
時雨の手には血を吸って黒く染まってしまった着流しがある。ここまで汚れてしまってはもう元通りにならないのではと思ったが黙っておいた。
「別に元通りにしなくてもよいのだが、お前がしたいのであればそうしてくれ。俺はもう寝る」
政暁が長襦袢に着替えるとさっさと床に着くと、部屋には時雨の姿はなかった。解決したいことは色々ある。明日から一つずつ片付けねば。そう考えている内に眠りの世界に入った。
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