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会食

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 私、田邊凛は自室で今晩行われる会食の為に着替えていた。

 相手はこの地域で大きい小売り企業『オオヒラスーパー』の社長の孫、大平清太さん。
 先日、営業先で出会ってから一度食事に誘われて、その時は幼馴染のこーちゃんが熱を出して、看病の為に直前に断ってしまった。
 内心、嫌われただろうな……と取引相手に失礼な事をしたと思った。
 それに、こーちゃんからのメールを見た時にその事も頭に過ったけど、それをすっ飛ばして、私は早足でこーちゃんの許に向かってしまった。

 相手はその事を知らないけど、一度断った私をもう一度誘って来た。
 多分…………そういう事なのだろう。
 
 もし本当にそれなら、私は正直行きたくない。
 だけど、相手は仮にも取引先で、しかも会社の一番大手の取引先、無碍にする事はできない。
 断りたかったけど、これ以上相手に悪い印象を与えては会社の不利益になると考え、渋々だが会食を受けた。

「…………憂鬱だ」

 心をその一言で表した。
 だけど、私も1人の社会人だから、自分の勝手な判断で会社間の接待を断る事は出来ない。
 ………………って、前にしておいて何を言ってるのだろうか私は。

 約束の時間まで2時間。服は選んだから化粧をしないと。
 私は洗面所の鏡で自分の顔を見る。
 最近、肌が少し荒れてきたな……。歳かな?
 お母さんが童顔だったから後何年かは大丈夫だと思ってたけど、少し気を付けないとな。

 先の事を少し不安になりながら、私は薄く化粧を施す。
 自分の顔を鏡で見てると……何故か、先日のこーちゃんの言葉を思い出した。

『俺がもし、お前のことが……………好きだって言ったら、お前は俺の気持ちに応えてくれるか?』

 突然の事に驚き、私は言葉を詰まらせ何も言えなかった。
 だけど直ぐにこーちゃんは『冗談冗談』と言って笑った。
 私はその時本気でムッとした。人を冗談で好きって言うなんて、こーちゃんってそこまで最低だったかな!?思い出しただけで今もムカムカする!
 …………だけど、こーちゃんだけじゃなくて、私自身への怒りも感じた。

 私は……自分で相応しくない、付き合うつもりも、付き合えるわけもないと自嘲していながら、いざ言われると、あの時……少し揺れてしまった。
 やっぱり私は、こーちゃんに未練たらたらなんだね。

「…………冗談じゃなければいいのにって思っちゃうんだよね」
 
 今日の会食も、他の人とって考えても嬉しさよりも憂鬱が勝つけど、こーちゃんの場合……。
 私って本当にどうしたいんだろうな。

「…………よし。化粧も終了。移動時間を考えてもかなり早いけど遅刻は厳禁だし。教えて貰った会食場の近くに中古本店もあるから、そこで時間を潰そう」

 鈴音は今日はバイトで家にいない。
 夜食は適当に弁当を買って貰おうとお金を千円置いて行く。
 そして支度を終えた私は、待ち合わせ場所へと向かった。



 待ち合わせ時間よりも早めに着いた私は、予定通りに中古書店で本を物色して時間を潰した。
 本を探している内に夢中になって、幾つか本を買ってしまった。
 昔読んでいた本とか鈴音が好きそうな漫画とか。
 色々買ったはいいけど、この荷物を持ったまま会食に行くわけにはいかず、スマホで近くのコインロッカーを探して、そこに購入した本を預ける。
 そして戻った時に待ち合わせ時間の10分前で、会食場である料亭……うわっ、ここって高そうな店じゃん。いや、会食なんだからある程度の高級は覚悟していたけど、ここまで高そうなんて。
 
「あ、田邊さん。お待たせしまったようで申し訳ございません」

 待ち合わせ時間の5分前になると今回の会食相手である大平清太さんが現れた。

「いえ、私も今来た所ですので大丈夫です。本日の会食にお呼び頂きありがとうございます」

 一社会人としての礼儀として深々と頭を下げる私。
 そんな私に大平さんはニコニコと甘い笑顔を浮かばせ。

「いえいえ。それにしても先日は断られてしまったので、もしかしたら今回もと少し不安でしたが、こちらも来て頂きありがとうございます。ここは私の馴染みの店で料理は絶品なので楽しみにしてください」

「あ、はい……楽しみにしてます」

 なんだろう。終始ニコニコで少し不気味だな。
 結城さんや下野目さんの情報では好青年で悪い噂はないって聞くけど、確かに良い人だし、仕事は誠実で真面目に対応してくれてある程度の信頼はあるけど、少し……きな臭いな。

「では中に入りましょう。外は少し冷えますので」

 もう少しで夏到来の時期だけど夜風はまだ冷たい。
 大平さんに招かれ中に入ると、冷えた体を温めてくれる室内。
 旅館の様な外観から予想はついてたけど、ジャンルは和食みたいだ。
 和食って事は懐石料理かな? そう言えば私、懐石料理は初めてかも。
 本当にプライベートならウキウキ気分だけど、これはあくまで取引相手との接待を含めた会食だからね。マナー違反とかで失礼が無いように気を付けないと。
 それにしても、凛にも一度ぐらいははこんな所に連れて来てあげたいな……うぅ、甲斐性ないお母さんでごめんね。

 料亭に入ると中は仲居さんが案内してくれて、個室に案内される。
 個室の内装はTHE・和で、私の中の想像と殆ど一致している。中から見える石庭も綺麗だ。

「では食事は事前に店側に伝えてますので、料理が届くまでお話でも致しましょう」

 気配りが出来る男性ではあるけど、私は身構える。何を話すのだろうか……。

「えっと確か、田邊さんは33歳だと前に仰っておりましたよね?」

「え、あ、はい……今年で33になります」

 え、普通女性の年齢を直球で聞く? 思わず答えたけど普通聞く!?

「そうですか。いやー。それにしても年齢に見合わずお若いですね。前にも言いましたが、本当に20代前半でも通じる若さです。それに美しくて見惚れてしまいそうです」

「え、あ、はい……ありがとうございます」

 年齢よりも若く見られるのは普通に嬉しいけど、なんか鳥肌が立って来たんだけど。
 あまりのデリカシー無い質問に「え、あ、はい……」が二回続いたんだけど。

「田邊さんはまだご結婚されてないと仰っておりましたが、恋人はおられるんですか?」

「えっと……恋人もいません。人肌寂しい未婚者です」

 我ながら詰まらない冗談を言うと、大平さんは優しく微笑み。

「それは良かったです。つまり私にもチャンスがあるということですね」

 ビクッと私の心臓が跳ねる。そして、首筋の冷や汗が吹き出す。
 
「え、えっと…………チャンスとは?」

 戸惑い目を泳がす私が尋ねると、大平さんは真剣な目で私を見つめ。

「単刀直入に言います。田邊さん。僕とお付き合いしてください」

 ……………………………あ、今、思考停止していた。

「えっと……大平さん? 今、何とおっしゃいましたか?」

「お付き合いしてくださいと言いました。初めてお会いしてから貴方に一目惚れしてしまのったのです。貴方は美しく、仕事も優秀且つ真面目で、こんな素晴らしい女性が何故誰の物にもなってないのか不思議なぐらいです。そして僕は、そんな貴方が欲しい。ですので、是非僕との交際をお考え頂けないでしょうか?」

 私から一切の視線を外さずに気恥ずかしい台詞を吐く大平さん。
 私も一女性であるから熱烈な告白が嬉しくないってことはないけど、正直言って私の琴線に全く触れていない。先日のこーちゃんの冗談告白と比べると全然私の胸の波が荒立ってないしね。
 あー思い出したらまたムカムカして来た。こーちゃんの馬鹿!

「あの……田邊さん? 何かご立腹の様に眉間に皺が寄ってますが、もしかして迷惑でしたか?」

 心の中の憤りで無意識にしかめっ面になっていた私は、大平さんの一言で跳ねる様に我に返る。

「いえいえ。全然迷惑だと思ってません!」

 嘘。社交辞令だ。正直かなり迷惑している。
 てか、そもそもまだ顔を合わすのも少ないのに、いきなり告白って。
 ここで率直に断るのは印象に悪い。……これもどうかとは思うけど、万一にお付き合いした後も、この問題には直面する。なら、ここでハッキリ言っておく必要がある。

「大平さんのお気持ちは大変嬉しいです。ですが、先に言っておく必要があります。私には、高校生の娘がいるんです」

 私の告白に大平さんは驚いた表情をする。

「高校生の娘さんって、確か田邊さんの年齢は……。養子ですか?」

「いえ、実子です。所謂若気の至りってやつで、学生の内に出産した、私の大切な娘です。黙ってて申し訳ございません。私は子を持つ訳有です。ですから、大平さんのお気持ちに応える資格はありません」

 恐らく大平さんは私を独身女性だと思っていただろう。
 けど私には大切な娘の鈴音がいる。それを隠すつもりは毛頭ない。
 学生出産は世間的に悪印象だろう。だけど、私は鈴音を産んだ事に後ろめたさはない。
 これで大平さんの中で私の印象が悪くなろうと、私は一向に構わない。
 会社にその報いが来るのかが心配であるが、言った後では遅い。
 私は何を言われるか気構えていると、

「正直な話、かなり驚きました。ですが、だからと言って田邊さんを諦めるつもりはございません」

 ……汚らわしく思われると予想していたのが外れ私は唖然となる。
 
「確かに経済力などの責任能力が乏しい学生の出産は世間から冷たい風があります。ですが、だからと言って田邊さんが社会的悪だとは断定できません。子を産むのは生物の摂理。そこに間違いはありません」

 まるで哲学者の様な言葉を並べられる。
 これは学生の内に出産した私への慰めか、それとも私を口説いているのか。
 下心があるのかもしれないけど、必死に語る大平さんはやっぱり優しい人なのかもしれない。

「もし娘さんがいる事で私との交際に躊躇っているのなら、私は気にしておりません。全てを受け入れるつもりです。ですから、どうか自分との交際を考えてくれないですか?」

 大平さんは私の隣に移動をして、私の手を優しく握り真剣な眼差しで言う。
 グイグイと迫る大平さんに僅かな嫌悪感を抱く。……違う。
 これは私のトラウマが思い出してるんだ。

 だってそうだ。
 相手はこの地域では大手企業の社長の孫。上手く行けば後々の社長候補だ。
 仕事も真面目で人当たりも良い、経済面からも優れてるかもしれない。顔だって悪くはない。
 そんな人に迫られれば、多少でも心に波打つはずなのに……それがなかった。

 私は選択を迫られてる。この誘いに乗った方がいいのか、それとも断った方がいいのか。
 
 考えれば考えるだけ胸が締め付けられる。
 鈴音は父親という存在を欲している。なら、私が我慢して受け入れて結婚すれば、鈴音の願いは成就される。相手は優良物件なんだ。私が我慢すれば……。

 私が自分の気持ちを押し殺し、逆手で大平さんの手を握り返そうとした時だった。
 私の脳裏に鈴音の言葉が思い出す。

『娘はね、母親が幸せじゃないと、幸せになれないんだよ』

 その言葉が私の手を止めた。
 
 私の幸せ……それは。

 そして思い浮かぶ人物は、こーちゃんただ1人。
 
 夢物語の実現しない願い。私は未だに幼馴染に未練を抱いている。
 私が昔、先生の口車に乗せられず、こーちゃんと結ばれてたらって何度も考えた。
 だから奇跡的に再会した今、もしもって考えた。駄目だって分かってる。
 私はこーちゃんを裏切った。傷つけた。そんな私がこーちゃんと一緒に幸せになりたいなんて思っては駄目なんだ。
 ごめん鈴音。貴方の気持ちは本当に嬉しい。だけど私は、女である前に、貴方の母親なんだから。

「…………大平さん。先程も言いましたが、私には娘がいます。その娘と、仲良くしてくれますか?」

 自分の気持ちを押し殺し尋ねると、大平さんは呆気な顔をした後に困った様に髪を掻き。

「正直難しいですね。娘さんは高校生と言うことは思春期の最中の気難しい時期です。そんな子の所に血の繋がりがない男性が来ても受け入れてくれる事だろうか……」

 私はここで僅かな疑心感を抱いた。だけど、確定材料は少ないから決められない。

「娘は人懐っこい性格をしていて人見知りもしません。おそらく、血の繋がりがなくても大平さんを受けいれるはずです」

「そう言われましても……。そうだ。娘さんを寮がある学校に編入させましょう。そうすれば、僕と顔を合わす必要はなくなり、田邊さんも親子関係で悩む必要はないはずです。そうすれば、僕と2人キリの夫婦生活を送る事ができますよ」

 純真無垢の様な己の発言に絶対的自信がある発言。
 その言葉を聞いて私は、葛藤で燃える心が瞬時に冷めた。
 
 最初に努力をしてくれるなら仕方ない部分もあるかもしれない。
 だが、最初からこの人は鈴音との関係を諦めている。つまり、この人は鈴音の事をどうとも思っていない。
 先刻さっき、全てを受け入れるって言ったのは、学生の内に出産した私であって、そこに鈴音は含まれていない。 
 この人からすれば、鈴音は私の付属品。目障りなら遠くにやる魂胆だ。


 この人は……鈴音を大切にしてくれない。

「申し訳ございません。やっぱり私、大平さんのお気持ちに応えることはできません」

 私は大平さんの手を振り払い立ち上がる。
 今の行動を拒絶と捉えたのか、大平さんは慌てた様子で。

「ど、どうしたんですか!? ぼ、僕が何か気に障る様な事を!?」

 この人は何も気づいていない。いや、気づいて欲しいなんて思うのは私のエゴだ。
 だけど、こうも人の娘をどこかにやろうとしている本心を聞けて、私の意志は固まった。

「私にとって娘は掛け替えのないモノです。私の人生はあの子がいてのもの。そんな娘を蔑ろにしようとする人と、付き合いたいとは思えません」

 突き放す私に大平さんは尚も食い下がって来る。

「だけど実際問題。結婚しても血の繋がりがなければ上手くいかないもの、親子とはそういうものです!

「確かに血の繋がりが大事だと思います。だけど、私が知る最も尊敬出来て憧れる人は、血の繋がりがなくても本当の親子の様に接してくれる。そんな彼にあの子は、本物の笑顔を浮かばせているんです」

 鈴音はこーちゃんを本気で慕っている。それは本当の父親の様に。
 もし本当に私がこーちゃんと結婚をして、こーちゃんが鈴音の父親になってくれたらって思った。
 だがそれは私との確執で叶わぬもの。鈴音には本当に辛い思いをさせてしまっている。
 だから私は、鈴音が幸せになれる選択をしたい。そして、この人は鈴音を幸せにしてはくれない。
 そう判断して私は、深々と頭を下げる。

「娘を大切にしてくれないのなら、私は貴方のお気持ちに応えることは出来ません。だから―――――ごめんなさい」

 


「お食事をお持ちいたしました……あれ? お連れの方は?」
 
 食事を運んで来た仲居は部屋に大平清太だけしかいない事に首を傾げる。
 
 凛は娘を大切にしようとしない人と付き合うつもりはないという理由で、清太を振った。
 流石に振った相手と食事をする空気にもなれず、凛は一口も食事を取らずに料亭を去っている。
 凛に振られ一人部屋に残った清太は俯き座っているが、その体は微かに震えていた。
 そして憎悪に満ちた剣幕を浮かばせ。

「底辺が調子に乗ってるんじゃねえぞ、クソあまがッ!」
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