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第一章 都市伝説の天才科学者
残念な美形と正直ドリーマーと子供の皮を被ったおっさん
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時は西暦2150年。
「ドクター・サイ」という科学者の名を、世界で知らない者はいないという。
その理由は、世界中の老若男女に、彼の偉業が知られているからだった。
彼の開発したものの中で有名なものが三つある。
ひとつめは世界最強の軍事兵器。
ふたつめは地熱を自然土と同じく再現し、地球温暖化問題を解決した道路舗舗装技術。
みっつめは実際の肌の感触を99パーセント温存したコンドーム。
特にコンドームは世界中の若者の心を鷲掴み、セーフセックスの救世主と名を馳せた。このコンドームの普及により、中絶手術する女性が世界的規模で激減したと言われている。
しかし、当の本人は世間に一切姿を出さず、本名も不明。ドクター・サイを知るのはごく一部、直接彼を知る者のみである。その為、「最初からいないんじゃないか?」「すでに死んでるんじゃないか?」「すっごいブスなんじゃないか?」などという憶測があとを立たない。存在が都市伝説になりつつあった。
ドクター・サイの研究室「psy lab」を嗅ぎ回る者もいたが、さすがにセキュリティが万全でつけ入る隙もないという。宅配を装って訪問した者もいたが、可愛らしいメイド姿の女の子が応対に出たらしい。そしてドクター・サイの都市伝説に「メイド系ロリータ趣味があるらしい」という項目が加わった。
さて、この日の塩崎真人もまた「psy lab」を嗅ぎ回る者達の1人だった。
彼は科学者を志す者として、ドクター・サイの熱烈なファンであり、いつか彼のラボで働きたいと夢見ていた。しかし、「psy lab」へ入所する方法がさっぱり分からない。ドクター・サイはどこかの大学に所属先する研究者ではなく、完全に独立して研究を行っているため、大学によるツテが全くないのだ。一個人の財力で研究所を成立させているのは実に珍しいが、それもドクター・サイの所有している数多の特許による莫大な収入が可能にしているらしい。
しかし塩崎は諦めきれなかった。ツテがないなら、直接ラボを訪ね、本人に直談判するしかないと思い、こうして決行しているわけだ。事前に電話もしてみたが、常に留守電に転送されてしまう。
そして来てみたはいいが、塩崎は最初の壁にぶち当たっていた。
玄関が何処なのか分からない…
ラボを一周して出入口を探しているが、この円形の建造物は、どこを見てもそれらしきものが見当たらない。
ラボと思われる建物は、同じく円形の壁に ぐるりと囲まれているのだが、その壁に切れ目がない。一体この建物はどこから出入りするのだろう。塩崎は頭を抱えていた。
宅配を装って訪ねたという人物は、一体どうやってインターホンを見つけたのだろうか。塩崎は壁に頭を打ち付けて項垂れた。
そんな時だった。
「おいお前。そんなところで何をしている?」
不意に背後から声をかけられた。
振り向くと、長身で眼光鋭い青年が立っていた。歳は20代前半くらいだろうか。声は少し高いが、目鼻立ちははっきりしていて整っている。塩崎は素直に「カッコいい!」と心から思った。
服装は白い襟付のシャツとジーンズという無難でラフなものだが、カッコいい人は着飾らなくても十分カッコいい、塩崎の正直な感想だ。もしかして…塩崎の頭に閃いたのは。
「ひょっとして、貴方がドクター・サイですか?」
すると青年は、あからさまに眉をひそめた。塩崎は「怖いっ!」と心の中で悲鳴を上げる。
「サイを知らないということは、お前部外者だな。ぶっ飛ばす」
「え?」
青年はラボの壁に向かって、いきなり右手で正拳突きを繰り出した。突きを受けた壁が鈍い音と共にひび割れた。
塩崎は顎が落ちそうになった。「この人も大概不審者だ!」と。
ドクター・サイかどうか訊いただけで、何故にぶっ飛ばすことになるのか。ぶっ飛んでるのはこの人の思考回路じゃないか。塩崎はあわてふためいて首を何度も振った。
「ままま待ってください!僕があなたから見て不審者なのは否定しませんが、何で部外者=ぶっ飛ばすになるんですか!普通は警察に通報とかじゃないんですか?」
「疑わしきはぶっ飛ばす。それが私の流儀だ」
「どこの独裁者の論理ですか!」
塩崎は逃げようかとも思ったが、ここで逃げたらきっとドクター・サイには二度と会えない。そんな気がして半泣きになりながらも、目の前の強敵に立ち向かうことにした。
「僕だって『はいそうですか』と簡単に諦めて帰るわけにはいかないんです!子供の頃からドクター・サイに憧れて科学者を目指してきたんだ!ドクター・サイのラボに入りたい一心で今まで頑張ってきたんだ!」
「……」
青年は冷ややかな目で塩崎を見下ろし、ぽつりと言った。
「震えた内股で何言ってるんだ?」
「ほっといてくださいよ!あんた怖いんだからしょうがないでしょ!」
その時だった。壁の内側から何やら争うような声が聞こえてきた。少年の怒鳴り声と、大人の男性の声だろうか。青年と塩崎は互いに顔を見合わせた。
「何でしょう…今の」
青年の顔が一層険しくなった。
「…行くぞ」
そう言うと、青年は壁に向かって大きく深呼吸をし何やら構えている。そして疾風のような動きで壁に回し蹴りを入れた。蹴りの直撃を受けた壁は、意外にも脆く粉々に砕け散った。
「…案外弱い壁だったんですね…」
「ここだけ脆い素材でできてるんだ」
青年が壁を指差すと、うっすら壁に印のようなものが付いていた。
「何でここだけ?」
「『壁を破るならここにしろ』と言ってた」
「…つまり、あなたが壁壊しまくってるんですね…」
「凄いな。何で分かった?」
「…考えなくても分かります」
この人、すごく残念な美形だ。塩崎はそう思った。
「とりあえず行ってみましょう。只ならぬ様子でしたし」
塩崎と青年は、壁に空いた穴からラボの敷地内に入った。
敷地の中は建物の周りを芝生が囲んでいた。そしてその芝生にて、少年と大人の攻防が繰り広げられていた。
黒いジャンパーとジーンズ姿でサングラスをかけた男が、銀髪の少年を肩に担いでいる。少年は脚をバタバタさせて、男の体に蹴りを入れていた。
「痛っ!おとなしくしてくださいっ!」
「るっせえ!拉致られそうになっておとなしくしてるバカがいるかっつうの!痛いならてめえが放せや!」
なんとも口の悪い少年だ、塩崎は思った。ひょっとして、ドクター・サイの息子だろうか。それならば助けなければ!そう思った塩崎は、警察に電話しようと電話を手に取った。
「こらぁ!そこのガキ!警察なんか呼ぶんじゃねーぞ!」
そう叫んだのは少年の方だった。
「え…でも」
「警察なんか呼んだらめんどくせえんだよ!ここの見取り図とかセキュリティとかが外部にバレちまうだろうがよ!」
「でも…警察なら…」
「警察が聖人だとでも思ってんのか?めでたいお祭りはてめえの頭の中でやってろバーカ!」
初対面の他人にここまで罵られたのは初めてだった塩崎は、ショックで呆然と立ち尽くした。すると、塩崎と共に入ってきた青年が飛び出し、サングラスの男に足払いをかけた。男の肩から落ちそうになった少年を地面スレスレで受け止めた。そのまま少年を地面に転がすと、今度は男の腕を取って関節技を決めた。
「今すぐ出ていくなら放してやる。今度は骨を折るぞ」
痛みに悶える男に忠告して解放すると、男は一目散に逃げていった。
危機を脱したことを確認して、青年は銀髪の少年に手を差し伸べた。 しかし少年はその手を取らず、自力で立ち上がった。
「大丈夫か、哉」
「え…哉って…ドクター・サイ?」
塩崎は銀髪の少年をまじまじと見た。
顔立ちはまるでアイドルタレントのように整っていて、女の子と間違えそうな美形だが、年齢はどう見積もっても15~6歳くらいにしか見えない。
「なんだよ、人の顔じろじろ見てんじゃねーよ。羨ましいのかバーカ」
どうやら自分の顔立ちが整っている自覚はあるらしい。
「いえ、あの…貴方はドクター・サイですか?」
塩崎は恐る恐る尋ねてみた。すると少年は鋭く大きな目で塩崎を睨み付けた。
「あ?だったら何だよ」
塩崎は眩暈がした。
長い間憧れて、そんな彼に近づきたくて必死に勉強して理系の大学院にまで進んだというのに…まさか憧れの天才科学者が、自分より幼い少年だったなんて…
「お前、全部顔に出てるぞ。大方俺に憧れて押し掛けて来てみれば、お前より若そうな美男子がドクター哉だったもんだからがっかりしてんだろ」
若干の語弊を除いては全部読まれている。
塩崎は背中が寒くなった。
「会ったこともない俺に勝手に憧れて、勝手にがっかりしてんじゃねーよ、このガキが。俺に失礼だろうが」
塩崎は返す言葉がなかった。確かに会ったこともないドクター・サイに勝手に幻想を抱いていたのは自分だ。他人の幻想に、哉が付き合う義務は欠片もない。
「幻滅したんならさっさと帰れや。こったは忙しいんだよ」
哉はさっさと塩崎に背を向けて、研究所内に戻ろうとした。しかし…
「いいえ!僕は諦めません!」
塩崎は哉の前に回り込んで通せんぼした。
「僕は塩崎真人と言います!『psy lab』に入って働くために小学生から頑張ってきたんです!見た目の幻想なんかで諦めきれないです!」
「…お前、意外とはっきり言うじゃねーか。この正直ドリーマーめ」
「お願いです!僕を貴方の元で働かせてください!何でもやりますから!」
「この展開で厚かましい奴だな!とか言って、絶対あとで『そんなことできません!』とか言い出すタイプだろお前」
「そうですけど、ここで働けるなら文句言いながらでも何でもやります!」
「認めるのかよ!んで文句も言うのかよ!」
「思ったことは口に出して言えって育てられてきたんです!だから嫌なことは嫌って言います!でもここで働けるなら嫌なそとでもやります!」
「それってただの使いづらい奴じゃねーか!お前本当に働く気あんのか?」
「あります!僕は子供の頃にドクター・サイの偉業に感動したんです!だから僕はここでその偉業のお手伝いをしたいんです!」
ハチャメチャなやり取りの後、塩崎はふと気がついた。
自分より年下にしか見えないドクター・サイの偉業に感動したのが、塩崎自身が子供の頃のことだ。
では、目の前のドクター・サイ=ドクター哉が本物なのだとしたら…
「あの、あなたはおいくつなのでしょうか?」
すると哉は忌々しげに塩崎を睨み付けた。
「お前さっきから失礼発言しかしねえなあ。35だよ、それがどーした」
「…えええええー!」
シミシワひとつないという類いの驚きではなく、目の前の哉は本当に10代の少年にしか見えないのだ。それが35歳で塩崎より10歳以上年上だというのだから、塩崎のリアクションは当然といえる。
「うるせえな。お前が子供の時に俺が何か特許取ってたんなら、普通に歳食ってりゃそうなるだろうがよ」
確かに冷静に考えればそうなのだ。どんなに若く見えようと、哉は塩崎より年長でなければ辻褄が合わない。
「…ドクター哉の都市伝説、実は子供の皮を被ったおっさん」
「なんだとこらぁ!」
「哉」
下らないやり取りの合間に、ふと青年が哉に声をかけた。
「早く医者を呼んだ方がいい。でないと…」
「いいよ。これくらい運動のうちに入らねえよ。それよりまたお前はうちの壁壊しやがって。お前が毎回毎回壁破壊して入ってくるから、この『塩焼き』っていう部外者にも内部見られちまったじゃねーか」
「…塩崎です。ところで貴方は、ドクター哉のお知り合いですか?」
そう、さっきからずっと気になっていた。壁を破壊してもあんまりゃ怒られている様子がない辺り、きっと知った仲なのだろうとは思うが。
「私はカズキ。哉とは幼稚園からの幼なじみだ」
「そうだったんですかー。それでドクターを助ける為に…」
「別に頼んでねえし。いつも余計なことすんなよ」
哉はぼそりと吐き捨てるように呟いた。塩崎は、二人はてっきり仲がいいのかと思っていたが、そうでもないのか哉はカズキに助けられることを面白く思ってないらしい。
「そうはいかない、哉のご両親に哉のことをよろしくと頼まれているんだから」
「小学生の時の話してんじゃねーよ!俺はもういい大人なんだから、自分の身ぐらい自分で守れるって言ってんだよ!」
「拉致られそうになったくせに」
「うるせー!」
いや、仲は悪くないのか。まるで漫才の掛け合いを見ているようだ。この二人の会話を、多分真剣に聞いてはいけないんだろう。
すると、哉が突然その場に座り込んでうずくまった。
「…どうしたんですか?」
「立ちくらみだろう。だから医者に行った方がいいんだ」
そう言ってカズキは、芝生で丸くなっている哉の身体を軽々と抱き上げた。
カズキは175センチはあろうかという長身、哉は恐らく160センチあるかどうかの小柄、まさに王子様のお姫様抱っこだ。
「哉、病院か主治医を呼ぶかどっちだ」
「…寝てりゃ治る。どっちもいらねえ。あとそこの塩焼き、お前もついてこい」
「え?」
「お前は知りすぎた。話つけるから中入れ」
「…はい!」
こうして塩崎は、憧れの「psy lab」への入室を成功させた。それと引き換えに、山ほどの面倒事に巻き込まれることにはなるのだが。
「ドクター・サイ」という科学者の名を、世界で知らない者はいないという。
その理由は、世界中の老若男女に、彼の偉業が知られているからだった。
彼の開発したものの中で有名なものが三つある。
ひとつめは世界最強の軍事兵器。
ふたつめは地熱を自然土と同じく再現し、地球温暖化問題を解決した道路舗舗装技術。
みっつめは実際の肌の感触を99パーセント温存したコンドーム。
特にコンドームは世界中の若者の心を鷲掴み、セーフセックスの救世主と名を馳せた。このコンドームの普及により、中絶手術する女性が世界的規模で激減したと言われている。
しかし、当の本人は世間に一切姿を出さず、本名も不明。ドクター・サイを知るのはごく一部、直接彼を知る者のみである。その為、「最初からいないんじゃないか?」「すでに死んでるんじゃないか?」「すっごいブスなんじゃないか?」などという憶測があとを立たない。存在が都市伝説になりつつあった。
ドクター・サイの研究室「psy lab」を嗅ぎ回る者もいたが、さすがにセキュリティが万全でつけ入る隙もないという。宅配を装って訪問した者もいたが、可愛らしいメイド姿の女の子が応対に出たらしい。そしてドクター・サイの都市伝説に「メイド系ロリータ趣味があるらしい」という項目が加わった。
さて、この日の塩崎真人もまた「psy lab」を嗅ぎ回る者達の1人だった。
彼は科学者を志す者として、ドクター・サイの熱烈なファンであり、いつか彼のラボで働きたいと夢見ていた。しかし、「psy lab」へ入所する方法がさっぱり分からない。ドクター・サイはどこかの大学に所属先する研究者ではなく、完全に独立して研究を行っているため、大学によるツテが全くないのだ。一個人の財力で研究所を成立させているのは実に珍しいが、それもドクター・サイの所有している数多の特許による莫大な収入が可能にしているらしい。
しかし塩崎は諦めきれなかった。ツテがないなら、直接ラボを訪ね、本人に直談判するしかないと思い、こうして決行しているわけだ。事前に電話もしてみたが、常に留守電に転送されてしまう。
そして来てみたはいいが、塩崎は最初の壁にぶち当たっていた。
玄関が何処なのか分からない…
ラボを一周して出入口を探しているが、この円形の建造物は、どこを見てもそれらしきものが見当たらない。
ラボと思われる建物は、同じく円形の壁に ぐるりと囲まれているのだが、その壁に切れ目がない。一体この建物はどこから出入りするのだろう。塩崎は頭を抱えていた。
宅配を装って訪ねたという人物は、一体どうやってインターホンを見つけたのだろうか。塩崎は壁に頭を打ち付けて項垂れた。
そんな時だった。
「おいお前。そんなところで何をしている?」
不意に背後から声をかけられた。
振り向くと、長身で眼光鋭い青年が立っていた。歳は20代前半くらいだろうか。声は少し高いが、目鼻立ちははっきりしていて整っている。塩崎は素直に「カッコいい!」と心から思った。
服装は白い襟付のシャツとジーンズという無難でラフなものだが、カッコいい人は着飾らなくても十分カッコいい、塩崎の正直な感想だ。もしかして…塩崎の頭に閃いたのは。
「ひょっとして、貴方がドクター・サイですか?」
すると青年は、あからさまに眉をひそめた。塩崎は「怖いっ!」と心の中で悲鳴を上げる。
「サイを知らないということは、お前部外者だな。ぶっ飛ばす」
「え?」
青年はラボの壁に向かって、いきなり右手で正拳突きを繰り出した。突きを受けた壁が鈍い音と共にひび割れた。
塩崎は顎が落ちそうになった。「この人も大概不審者だ!」と。
ドクター・サイかどうか訊いただけで、何故にぶっ飛ばすことになるのか。ぶっ飛んでるのはこの人の思考回路じゃないか。塩崎はあわてふためいて首を何度も振った。
「ままま待ってください!僕があなたから見て不審者なのは否定しませんが、何で部外者=ぶっ飛ばすになるんですか!普通は警察に通報とかじゃないんですか?」
「疑わしきはぶっ飛ばす。それが私の流儀だ」
「どこの独裁者の論理ですか!」
塩崎は逃げようかとも思ったが、ここで逃げたらきっとドクター・サイには二度と会えない。そんな気がして半泣きになりながらも、目の前の強敵に立ち向かうことにした。
「僕だって『はいそうですか』と簡単に諦めて帰るわけにはいかないんです!子供の頃からドクター・サイに憧れて科学者を目指してきたんだ!ドクター・サイのラボに入りたい一心で今まで頑張ってきたんだ!」
「……」
青年は冷ややかな目で塩崎を見下ろし、ぽつりと言った。
「震えた内股で何言ってるんだ?」
「ほっといてくださいよ!あんた怖いんだからしょうがないでしょ!」
その時だった。壁の内側から何やら争うような声が聞こえてきた。少年の怒鳴り声と、大人の男性の声だろうか。青年と塩崎は互いに顔を見合わせた。
「何でしょう…今の」
青年の顔が一層険しくなった。
「…行くぞ」
そう言うと、青年は壁に向かって大きく深呼吸をし何やら構えている。そして疾風のような動きで壁に回し蹴りを入れた。蹴りの直撃を受けた壁は、意外にも脆く粉々に砕け散った。
「…案外弱い壁だったんですね…」
「ここだけ脆い素材でできてるんだ」
青年が壁を指差すと、うっすら壁に印のようなものが付いていた。
「何でここだけ?」
「『壁を破るならここにしろ』と言ってた」
「…つまり、あなたが壁壊しまくってるんですね…」
「凄いな。何で分かった?」
「…考えなくても分かります」
この人、すごく残念な美形だ。塩崎はそう思った。
「とりあえず行ってみましょう。只ならぬ様子でしたし」
塩崎と青年は、壁に空いた穴からラボの敷地内に入った。
敷地の中は建物の周りを芝生が囲んでいた。そしてその芝生にて、少年と大人の攻防が繰り広げられていた。
黒いジャンパーとジーンズ姿でサングラスをかけた男が、銀髪の少年を肩に担いでいる。少年は脚をバタバタさせて、男の体に蹴りを入れていた。
「痛っ!おとなしくしてくださいっ!」
「るっせえ!拉致られそうになっておとなしくしてるバカがいるかっつうの!痛いならてめえが放せや!」
なんとも口の悪い少年だ、塩崎は思った。ひょっとして、ドクター・サイの息子だろうか。それならば助けなければ!そう思った塩崎は、警察に電話しようと電話を手に取った。
「こらぁ!そこのガキ!警察なんか呼ぶんじゃねーぞ!」
そう叫んだのは少年の方だった。
「え…でも」
「警察なんか呼んだらめんどくせえんだよ!ここの見取り図とかセキュリティとかが外部にバレちまうだろうがよ!」
「でも…警察なら…」
「警察が聖人だとでも思ってんのか?めでたいお祭りはてめえの頭の中でやってろバーカ!」
初対面の他人にここまで罵られたのは初めてだった塩崎は、ショックで呆然と立ち尽くした。すると、塩崎と共に入ってきた青年が飛び出し、サングラスの男に足払いをかけた。男の肩から落ちそうになった少年を地面スレスレで受け止めた。そのまま少年を地面に転がすと、今度は男の腕を取って関節技を決めた。
「今すぐ出ていくなら放してやる。今度は骨を折るぞ」
痛みに悶える男に忠告して解放すると、男は一目散に逃げていった。
危機を脱したことを確認して、青年は銀髪の少年に手を差し伸べた。 しかし少年はその手を取らず、自力で立ち上がった。
「大丈夫か、哉」
「え…哉って…ドクター・サイ?」
塩崎は銀髪の少年をまじまじと見た。
顔立ちはまるでアイドルタレントのように整っていて、女の子と間違えそうな美形だが、年齢はどう見積もっても15~6歳くらいにしか見えない。
「なんだよ、人の顔じろじろ見てんじゃねーよ。羨ましいのかバーカ」
どうやら自分の顔立ちが整っている自覚はあるらしい。
「いえ、あの…貴方はドクター・サイですか?」
塩崎は恐る恐る尋ねてみた。すると少年は鋭く大きな目で塩崎を睨み付けた。
「あ?だったら何だよ」
塩崎は眩暈がした。
長い間憧れて、そんな彼に近づきたくて必死に勉強して理系の大学院にまで進んだというのに…まさか憧れの天才科学者が、自分より幼い少年だったなんて…
「お前、全部顔に出てるぞ。大方俺に憧れて押し掛けて来てみれば、お前より若そうな美男子がドクター哉だったもんだからがっかりしてんだろ」
若干の語弊を除いては全部読まれている。
塩崎は背中が寒くなった。
「会ったこともない俺に勝手に憧れて、勝手にがっかりしてんじゃねーよ、このガキが。俺に失礼だろうが」
塩崎は返す言葉がなかった。確かに会ったこともないドクター・サイに勝手に幻想を抱いていたのは自分だ。他人の幻想に、哉が付き合う義務は欠片もない。
「幻滅したんならさっさと帰れや。こったは忙しいんだよ」
哉はさっさと塩崎に背を向けて、研究所内に戻ろうとした。しかし…
「いいえ!僕は諦めません!」
塩崎は哉の前に回り込んで通せんぼした。
「僕は塩崎真人と言います!『psy lab』に入って働くために小学生から頑張ってきたんです!見た目の幻想なんかで諦めきれないです!」
「…お前、意外とはっきり言うじゃねーか。この正直ドリーマーめ」
「お願いです!僕を貴方の元で働かせてください!何でもやりますから!」
「この展開で厚かましい奴だな!とか言って、絶対あとで『そんなことできません!』とか言い出すタイプだろお前」
「そうですけど、ここで働けるなら文句言いながらでも何でもやります!」
「認めるのかよ!んで文句も言うのかよ!」
「思ったことは口に出して言えって育てられてきたんです!だから嫌なことは嫌って言います!でもここで働けるなら嫌なそとでもやります!」
「それってただの使いづらい奴じゃねーか!お前本当に働く気あんのか?」
「あります!僕は子供の頃にドクター・サイの偉業に感動したんです!だから僕はここでその偉業のお手伝いをしたいんです!」
ハチャメチャなやり取りの後、塩崎はふと気がついた。
自分より年下にしか見えないドクター・サイの偉業に感動したのが、塩崎自身が子供の頃のことだ。
では、目の前のドクター・サイ=ドクター哉が本物なのだとしたら…
「あの、あなたはおいくつなのでしょうか?」
すると哉は忌々しげに塩崎を睨み付けた。
「お前さっきから失礼発言しかしねえなあ。35だよ、それがどーした」
「…えええええー!」
シミシワひとつないという類いの驚きではなく、目の前の哉は本当に10代の少年にしか見えないのだ。それが35歳で塩崎より10歳以上年上だというのだから、塩崎のリアクションは当然といえる。
「うるせえな。お前が子供の時に俺が何か特許取ってたんなら、普通に歳食ってりゃそうなるだろうがよ」
確かに冷静に考えればそうなのだ。どんなに若く見えようと、哉は塩崎より年長でなければ辻褄が合わない。
「…ドクター哉の都市伝説、実は子供の皮を被ったおっさん」
「なんだとこらぁ!」
「哉」
下らないやり取りの合間に、ふと青年が哉に声をかけた。
「早く医者を呼んだ方がいい。でないと…」
「いいよ。これくらい運動のうちに入らねえよ。それよりまたお前はうちの壁壊しやがって。お前が毎回毎回壁破壊して入ってくるから、この『塩焼き』っていう部外者にも内部見られちまったじゃねーか」
「…塩崎です。ところで貴方は、ドクター哉のお知り合いですか?」
そう、さっきからずっと気になっていた。壁を破壊してもあんまりゃ怒られている様子がない辺り、きっと知った仲なのだろうとは思うが。
「私はカズキ。哉とは幼稚園からの幼なじみだ」
「そうだったんですかー。それでドクターを助ける為に…」
「別に頼んでねえし。いつも余計なことすんなよ」
哉はぼそりと吐き捨てるように呟いた。塩崎は、二人はてっきり仲がいいのかと思っていたが、そうでもないのか哉はカズキに助けられることを面白く思ってないらしい。
「そうはいかない、哉のご両親に哉のことをよろしくと頼まれているんだから」
「小学生の時の話してんじゃねーよ!俺はもういい大人なんだから、自分の身ぐらい自分で守れるって言ってんだよ!」
「拉致られそうになったくせに」
「うるせー!」
いや、仲は悪くないのか。まるで漫才の掛け合いを見ているようだ。この二人の会話を、多分真剣に聞いてはいけないんだろう。
すると、哉が突然その場に座り込んでうずくまった。
「…どうしたんですか?」
「立ちくらみだろう。だから医者に行った方がいいんだ」
そう言ってカズキは、芝生で丸くなっている哉の身体を軽々と抱き上げた。
カズキは175センチはあろうかという長身、哉は恐らく160センチあるかどうかの小柄、まさに王子様のお姫様抱っこだ。
「哉、病院か主治医を呼ぶかどっちだ」
「…寝てりゃ治る。どっちもいらねえ。あとそこの塩焼き、お前もついてこい」
「え?」
「お前は知りすぎた。話つけるから中入れ」
「…はい!」
こうして塩崎は、憧れの「psy lab」への入室を成功させた。それと引き換えに、山ほどの面倒事に巻き込まれることにはなるのだが。
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