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第一章 都市伝説の天才科学者

取引という名の面接

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  塩崎は思わぬ展開により「psy lab」の内部へと通されることになった。そこでようやくラボへの入所経路を知ることとなった。
 外部からの目隠しになっている壁は、事前にアポのある来客のみに開門場所を伝えるシステムになっていて、開門場所は自在に変えられるらしい。
 宅配を装った誰かが門を通過できたのは、事前に宅配業者に潜入し、何度かラボへ実際に宅配を繰り返して情報を得ていたのだという。
 次にラボへの出入口は、門が開いた時点で初めて示されるようになっていた。出入口になっている壁面が赤く点滅し、前に立つと自動で入り口が開くのだ。

 塩崎とカズキが通されたのは、ラボ入り口すぐにある受付カウンターのすぐそばにある応接スペースだった。
 ラボ内部は白い内装に囲まれて無機質な造りだが、 応接用のテーブルとソファーは 見た目では事務的なデザインだが、座ると高級と分かるものだった。座り心地がとても良く、しかも安楽だ。
 カズキは、抱えていた哉を一番大きな横長のソファーに寝かせた。哉は顔を手で覆って仰向けになった。
 塩崎は、彼ら以外に人気のないこのスペースを見渡した。

「こちらは職員の方は何人ほど…」

「いない。哉が人嫌いだから、身近に誰も置きたくないんだ」

「え!ドクター一人でこのラボを運営しているんですか?大変じゃないですか?」

 このラボの全容は分からないが、外から見ただけでも結構な面積があるはずだ。ざっと見積もっても、少年野球の練習グラウンド程度の広さはある。

「そうでもねえよ。ラボの殆どが1つの作業場だから、部屋数なんて片手で足りる」

 横たわったままで哉が呟いた。そしてゆっくりと起き上がり座位をとる。

「さて塩焼き」

「塩崎です。塩崎真人しおざきまひと

「どっちでもいいよ。旨そうな方でいいじゃん」

「…ひどい」

「細かいこと気にしてると大きくなれないぞ」

 あんたが言うか、塩崎は心の中で呟いた。

「まあいい。お前は俺の秘密を色々知ってしまったわけだが…ここで俺からの提案がある。好きなのを選べ」

 哉は塩崎の目の前に人差し指を立てた。

「その一、綺麗さっぱり記憶を失って帰る。ただし必要以上の記憶も消える可能性がある」

「それ困ります」

「その二、お前がうっかり死ぬ」

「嫌です」

「その三、まぐろ漁船に40年ほど乗ってくる。帰国予定は俺が死ぬ頃」

「無理です」

「その四…」

「ドクター、こういう時って僕に多少なりともメリットがないと成立しないと思いますよ…何で僕が消える提案ばっかりなんですか?」

「チッ」

「舌打ちしないでください!」

 塩崎はため息をついた。

「ドクターとしては秘密が守られればいいんですよね?そして僕はここで働きたいという希望がある。だったら話は早くないですか?」

「…お前は何かの役に立つのかよ?」

「えっ…そう言われると困るんですけど…一応履歴書持ってきたんでご覧になりますか?」

 塩崎は手持ちのショルダーバッグから書類を取り出して哉に手渡した。哉はそれを広げて黙って目を通す。

「今は院生か」

「はい、24歳です。就職活動中です」

「それで俺んとこに?何で?科学技術系ならよそにもあるだろ。お前の大学院ならいろんな企業に口利きできるんじゃねえの?」

「僕は子供の頃からドクター哉のラボで働くことが目標でした。なので他の施設では意味がないんです。僕がドクター哉に憧れたきっかけは、僕が10歳の時のロケット打ち上げの際に起こったトラブルでした」

 塩崎が10歳の時、国営の宇宙開発機関よるロケット打ち上げが決行されたのだが、打ち上げ直前のトラブルの為に中止または延期を余儀なくされる、というところだった。幼い塩崎は打ち上げ現場の観覧スペースでそれを見ていた。
 すると、一人の白衣を来た人物が発射直前のロケットに近づき、外からハッチを開けた。そして中の宇宙飛行士に何やら話し掛けて離れた。
 それから30分後、ロケットは無事に発射した。
 後日、あの時ロケットに近づいた科学者は何をしたのかという問い合わせに対する回答が発表された。
 あの時の科学者は、現場でただ一人不具合の原因に気がつき対処したのだという。その原因の具体的な内容は明かされなかったが、軽微な不具合だと発表された。ロケットはその後無事に帰還し、宇宙飛行士も全員無事だった。

 大勢の関係者の中にあって、ただ一人異常の原因に気付き、ものの数分でそれを解決した。その科学者こそが「ドクター・サイ」だと公表された。
 それを新聞で知った塩崎は、ドクター・サイについて調べ、最年少のプロジェクトメンバーだと知った。きっとその科学者は、今後頭角を表すに違いないと塩崎は確信していた。そして自分もドクター・サイのような科学者になろうと思った。
 事実ドクター・サイは次々に実現不可能だったことを可能にした。
 世界最強の軍事兵器を開発し、日本のどこかにそれを配備したと公表したことで他国を牽制し、その後の外交がし自国にとって有利に進めやすくなった。
 土と同じ地熱を保つことを可能にしたアスファルトの開発により、地球温暖化を解決した。
 装置しても肌の触感を損なうことなく、かつ装置による変な間が空くことを防ぐことで、パートナーがコンドームを嫌がることなく、望まない妊娠をする女性たちの救世主となった。
 どれも世界的に大きな影響を与えた。やっぱり自分の目に狂いはなかった。きっと今後も世界に影響を及ぼすものを開発するに違いない。塩崎は、是非自分もその末端でいいから関わりたいと思った。

 そんな自分の熱い思いを、塩崎は一生懸命語った。そんな塩崎の肩をカズキが叩いた。

「哉、寝てるぞ」

「え!」

 見ると、面接官である哉はうとうと船をこいでいた。

「ちょっと!ドクター!起きてくださいよ!」

「…え、あぁ…」

 大声で怒鳴られて、哉が目を開けた。

「わり。だってお前話長いんだもん。面白くもないし」

「志望動機が面白くてどうするんですか!」

「あほ!別に面白おかしいエピソード出せって言ってんじゃねーんだよ。俺が食い付くように、退屈しないように話せって言ってるの。営業トークの基本だろうが。俺が『あ、こいつ雇いたいなー』って思わなきゃダメなの。お前にとって大事なプレゼンなんだよ」

 意外とまともなことを言っている。見た目は子供でも伊達に35年生きてるわけじゃないんだなあ、と塩崎は思った。

「しっかし随分カビの生えたようなエピソードぶっこんできたなあ。国が造ったロケットの話だろ、それ」

 ちゃんと聞いてたんだ…

「あの時一体何のトラブルがあったんですか?」

 張本人が目の前にいるのだから、またとない機会だと思い、塩崎はあの時の真相を訊いてみた。

「あー、あれな。何だっけな…確か、宇宙飛行士の誰かが発射直前にテンパったんだよな…発射直前にトイレに行きたくなったか何とかって…」

「えー!」

「宇宙飛行士ってのはオムツ穿いて宇宙に行くんだよ。途中でトイレに行けないからな。ところがそいつはこともあろうに、緊張のあまり便意が来ちまったんだよな」

「えっ!それでどうしたんですか?」

「頭ではオムツでやるしかないって分かってても、やっぱり抵抗があるわけだ。しかもそいつはエリート中のエリートで、そんな自分がオムツで漏らすとかあり得ないわけよ。それでどうしても降りる、トイレに行かせろって喚きだしたんだな」

「…嘘のような本当の話ってやつですね…」

「まあそうだよな。それで指令棟の奴らも困り果ててな。んで、このままじゃロケット飛ばねえし俺も家に帰れねえから、ロケットまで直接そいつを説得に行ったんだよ」

「何て説得したんですか?」

「俺の開発したオムツは世界一だ!不快感ほぼゼロ、ブツも匂いも漏れねえから、安心してそこでしろ!」

 塩崎は一瞬時が止まったように固まった。

「え!ドクターが開発したのって、オムツだったんですか?」

「誰がロケットを開発したなんて言ったよ。俺が開発したのは、宇宙飛行士用のオムツだよ。ロケットには興味ねーよ」

 …これは想定外だった。塩崎は長年勘違いをしてきたようだ。

「そうだったんですか…オムツの方で…ていうか、ドクターの専門分野って一体何ですか?」

 最強兵器、アスファルト、コンドーム、そしてオムツ、哉の開発してきたものは一見何の共通点も見つからない。すると哉は耳の穴を掻きながら言った。

「俺が世に出してるものってのは、あくまで副産物だよ。メインにやってる事の過程で、たまたま応用できるものがみつかったから、金儲け用にやってるだけ。だから一貫性も共通点もねえんだよ」

 哉の名を有名にしたものは、全て副産物だと言い切った。本腰を入れたわけでもなく、こんなにも世界に称賛されるものが作れるのだから、やはりドクター哉は天才だと塩崎は思った。そうなると気になることは…

「ではドクターのメインにされていることって何ですか?」

「教えない」

 哉はべーっと舌を出した。

「知りたきゃ俺に雇用されることだな。お前が俺にとってメリットがあることを、お前自身が証明してみせな。俺の秘密を守るためとか、お前のつまんねえ志望動機なんてぶっちゃけどーでもいいんだよ」

「え!」

 一生懸命語ったのに、どうでもいいと言われ塩崎は肩を落とした。

「お前みたいな奴が、年に10人は来るんだよ。珍しくも面白くもねえ」

「ええーー!」

「お前、自分だけが俺のファンだとでも思ってたのかよ…」

 言われてみれば、ドクター・サイは世界的に有名な科学者なのだから、彼に憧れている同業者は大勢いるだろう。

「なんでそんな簡単なことに気づかなかったんだろう…」

「それはお前が馬鹿だからだろ?」

 哉の容赦ない一言に塩崎は更に凹んだ。それを見た哉が声を立てて笑った。

「まあそう落ち込むなよ。別に馬鹿が悪いとは言ってねえだろ?」

 哉は組んでた脚を組み直し、ソファーにもたれかかった。

「いいか塩焼き、お前にはもう一度俺の面接を受ける権利をやる。それでこのラボと俺の秘密を守ることとチャラだ」

「え…」

 塩崎はゆるゆると俯いていた顔を上げた。

「期限は三日後、お前がまだ俺んとこで働きたいなら、もう一度ここに来い。もう一回だけ就職試験してやるよ。それまでに俺がお前を雇うメリットを探してこい」

「…ほんとですか?」

「何度も言わせんなよ。気が変わるぞ」

「いえ、僕三日後に必ず来ます!」

「そっか。ならさっさと帰れ。俺は忙しいんだ。あ、帰りはカズキに誘導してもらえ。でないと出られねえから」

 そう言い残して、哉は応接スペースから立ち去った。
 塩崎は哉の姿が廊下の向こうに消えるまで、ずっと頭を下げて見送った。

「良かったな」

 不意にカズキが呟いた。今まで黙っていたものだから、すっかり存在を忘れていた塩崎だった。

「…はい。首の皮一枚繋がったってところですかね?」

 そう言って塩崎が肩をすくめると、今まで表情を崩さなかったカズキが、ほんの少し口元を緩めた気がした。

「私は塩崎に頑張ってほしいと思う。哉は同性の友達がいないから、塩崎が来たら少しは楽しいんじゃないかな」

「そうなんですか…あ、でもカズキさんがいるじゃないですか」

「私は違うよ」

 カズキはそう言って、哉とは反対側の廊下をさっさと歩き始めた。

 塩崎は首を傾げた。さっきのやりとりを見ても、哉とカズキはそこそこ親密に見えたのだが、友達ではないのだろうか。幼なじみはまた違うのかな?と思ったが、カズキが見えなくなりそうなので、塩崎はあわてて後を追った。




 塩崎を送ったカズキは、哉のいる作業場に入っていった。作業場は天井から地面まで二十メートルはあろうかという高さを誇る。円形になった部屋の床もまた、直径二十メートルくらいの広さを有していた。しかし中にはいろんな機材が設置されているため、そんなに広さを感じない。

「相変わらず◯ンダムでも造れそうな作業場だな」

 入り口のドアにもたれかかりながら、作業場を見渡した。

「造れるよ。どっかの金持ちのマニアに原寸大レプリカってオークションで売ってやった」

 哉はパソコンのキーボードを打ちながら、カズキの顔を見ずに受け答えした。

「休んでなくていいのか?」

「は?あんなんで休んでたら何もできねーよ」

「哉に万が一のことがあったら…」

「うるせえよ。誰だって死ぬときゃ死ぬんだよ」

 しばしカタカタとキーボードの音だけが鳴り響いた。

「そういえば、塩焼きは帰ったのか?」

 ふと哉が沈黙を破った。カズキはひとつ頷いて、すぐそばにあったパイプ椅子に腰かけた。

「哉は塩崎が気に入ったのか?」

「別に。何でそう思うんだ?」

「面接なんてしたの初めてだったから。それに、男相手にあんなに喋ってるのも」

「あいつ馬鹿だけど、ラボの秘密をネタに脅してこなかったから。馬鹿だから思い付かなかっただけかもしれないけど、危険はないだろ。とりあえず話聞いた感じでは、どっかの企業の回し者ってわけでもなさそうだし、秘密を知った奴は目の届くところに置いとくのがベストなんだよ。ただ、やっぱり使えない奴は置きたくねえから、その辺はシビアにいかねえとな」

 口と同時に手も絶えず動いていたが、ふと哉の手が止まりモニターからカズキの顔へ視線を変えた。

「そういえば、お前は何でうちに来たんだ?用事があったんじゃなかったのか?」

「あ…そうだ。母さんから哉に晩御飯のおかずを預かったんだ」

 カズキはおかずのお裾分けに来る途中に、ラボの周りをうろうろしていた塩崎と遭遇したのだった。

「おばさん、いつも悪いなあ。別に俺の飯なんて心配しなくてもいいのに…んで、肝心のおかずは?」

 カズキは自分の空になっている手を見ながら首を傾げた。

「…どこだろう」

「お前は隣の家のおつかいもできねーのか!三歳児以下じゃねーかよ!」

 哉はキーボードの上に突っ伏した。モニターに「bbbbbbbbbbbbbb」の表示が走っていく。

「体調が悪いのか?」

「お前のせいだバーカ!」






 都心部に外資系製薬会社「デイヴィス社」の日本支社オフィスがある。
哉とカズキがささやかな言い合いをしている頃、その会議室にて幹部会議が行われていた。その会議には、カズキに撃退された男の姿もあった。ただし、着席はせずに彼の上司の傍らに立っていた。

「で、ドクター・サイを連れてこられなかった…というわけか」

「…申し訳ございません部長。ドクターに交渉を持ちかけたのですが拒否されまして、少しばかり強引にお越しいただこうとしたのですが、隣のガキに妨害を受けまして…」

 部長と呼ばれた彼の上司はため息をつきながら、自分の顎を撫でた。

「隣のガキ…確か空手の世界チャンピオンが住んでいるんだったか?名前は…カズキ・ホウジョウ」

「ドクターを訪ねると目ざとくホウジョウが邪魔をしに来る。まずはそちらをどうにかしなくてはならないのでは?」

 他の出席者から意見が飛び出す中、部長は傍らの部下に目線をやることなく言った。

「そういうことだ。いいな、首尾よくやれよ」

「承知しました」
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