楡と葡萄

津蔵坂あけび

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事件発生

遺族

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 雨の中、掘り返された弥兵衛の死体を見るや否や、依光は崩れ落ちた。それまでは静かにさめざめと泣いていたが、自らが殺した主の死体を見て、いよいよ感極まったのか、声を上げて咽び泣いた。震える肩が、悲しみなのか、雨に濡れた寒さなのか。
 依光があげる嗚咽に、三好はおろおろとしながらも、宥めようとする。

「今は泣かせてやれ」

 源田のどっしりとした声が、それを制止した。

「それよりも死体を雨のかからないところに移すのが先だ。担架を用意してくれ」

 三好が持ってきた担架に弥兵衛の死体を引き上げ、持ち上げる。担架から水がびちゃびちゃと滴った。屋敷は立派だが、人の気配というものを全くない。

「屋敷の中には誰かいるのか」

 源田が投げかけた質問に依光は無言で頷いた。ということは、依光と弥兵衛の二人しかこの広い屋敷に住んでいなかったことになる。豪農の家系で跡取として育てられたのだから、身寄りがいないということはないが、少なくともこの場所にはいない。二人で屋敷の中に遺体を担ぎこみながら、連絡の手段を考える。が、どうやら依光に根掘り葉掘り聞いていくしかないようだ。弱ったな、源田は口を歪めた。
 屋敷の日本庭園を横目に、縁側に弥兵衛の遺体寝かせる。死因が左胸の切傷による大量失血であることは明確。源田の頭を悩ませるのは、遺族との連絡手段だ。

「さっき、君は川上殿の死が望んだことと言っていたな」

 縁側を濡らす依光に問いかける。静かに彼は頷いた。ならば、弥兵衛から遺言の類を受け取っているかもしれない。僅かな希望を胸に、問い詰める。

「そうか、もし、川上殿に何か事があった場合、どこに連絡するべきか、知っていたりするか」

 依光は、黙ったままで歪んだ硝子戸の向こう側を指差した。遺書の置き場所を知っているのか。

「中を案内してくれないか」

 依光がすくっと立ち上がる。細身で背の高い彼は、柳の様だ。青白い肌は、この世にあらざる者を思わせる。彼はゆらりと引き戸を開けた。入側縁は、ほのかに楠の香りがする。床材も艶があって、奥の和室との間を仕切る障子も和紙が新しい。

「本当にここに男二人しかいなかったのですかね」
「にしては、手入れが行き届いているな」

 依光は、この屋敷の使用人のようなことをしていたのかもしれない。それでもこの広い屋敷を一人で掃除するとなると、相当骨が折れるだろう。天井から吊り下がる電灯の笠にも埃が一切乗っていないのを見て、源田は感心した。
 和室に上がると、床の間に飾られた日本刀があった。水墨画の描かれた掛け軸の下で、漆で塗られた鞘が穏やかな光を放っている。刀掛けには、もう一本、刀を掛ける箇所があった。

「あの脇差はここに収められていたんでしょうか」
「だろうな」

 葡萄畑に遺体とともに埋まっていた血塗られた刃も、もともとは床の間を賑わせていたのか。在りし日を想像しながら、和室を見渡す。すると、和室のちょうど真ん中に縁側の方を向いて置かれた文机が目に入った。帳面と万年筆が置いてあり、ちょうど手記を止めたところで時が止まっているかのようだった。見ると、昨日の日付が記されている。遺体の保存状態から推測はついていたが、まさに昨晩、弥兵衛は殺されたということになるのか。源田も三好も驚きを隠せなかった。
 二人が顔を見合わせている間に、依光は屈みこんで文机の引き出しのダイアルを回している。手錠で括られて難儀しているのを見た源田は、彼を一時的に開放することにした。
 ダイアル錠が掛けられた引き出しから、依光は手帳を取り出した。そこには住所と斎藤真美子さいとう まみこと名前が書かれてあった。斎藤の名字の横に、川上と表記してあり、婚姻して名字が変わっているが、家族であるということが分かる。
 ひとまず、その場を三好に任せ、源田は最寄りの公衆電話へと蝙蝠傘を差して向かった。署に要請をかけ、弥兵衛の遺体を安置所に搬送し、依光を留置所に送る。署からの車が到着するまでを待つまでの間、公衆電話ボックスの中で雨を凌ぎながら煙草をふかしていた。ちょうど二本目に移ろうかという頃合いに署からの車が到着した。
 
「川上殿の遺体の搬送を頼む。それから依光という少年を留置所に送ってくれ。遺体と依光のことは、三好に任せてある。屋敷にいるから彼に聞いてくれ。私は弥兵衛殿のご遺族を訪ねる」

 到着した二台のうち、小型のものに乗り込み、運転手に件の手帳に記された住所をわたした。車で向かえば十数分ほどで着く場所だ。
 川上弥兵衛の妹、真美子は真新しい洋装の屋敷に住んでいた。年の離れた兄妹で、真美子の風貌は若かった。薄桃色の着物に、海老茶色の袴を履いており、華やかな印象を漂わせていたが、源田から訃報を耳にすると、それも夜の帳のように翳ったものとなった。

「……そうですか。お伝えいただき、ありがとうございます。私のもとへ真っ先にいらしたということは、まだ兄は独り身のままでしたのね」
「ええ、失礼ながらお尋ねしますが、御両親は」
「七年前に他界しております。生前の介護は主に私が」

 真美子は、源田に紅茶を振舞った。茶器を傾けるその手つきからは、彼女の品性と教養が伺える。

「兄は、縁談を尽く断っておりましたから、跡取がいつまでたっても出来ないと母は不満ばかりでした。ついには煙たがれるようになりまして。兄は、母の死に目に会うことも叶いませんでした。親をして、朴念仁と揶揄されておりましたからね」
「弥兵衛殿ならば、縁談は引く手数多だったでしょう」
「ええ、そりゃあもう。色男でしたもの」

 色男という言葉が口を突いて出るその瞬間、彼女に笑顔が戻った。訃報に胸を痛めど、昔のことを思い出すと、懐かしさで顔がほころぶのだった。彼女が嫁ぐまでは、仲睦まじい兄妹であったようだ。

「ときに、小姓の依光さんは、どうしていますか」
「ご存じなのですか」
「ええ、兄がそれはそれは可愛がっておりましたから」

 朗らかな笑みを浮かべる彼女に、真実を話すのは残酷かと思えたが、唯一の遺族である彼女に伝えないわけにはいかない。源田はすう、と深呼吸をした。

「よく聞いてください。川上弥兵衛殿を殺めたのは、その依光です」

 何を言っているのか分からない。そう言いたげな表情を、彼女は浮かべた。それまで艶のあった額に、くっきりと皺が入って険しい顔つきになった。
 しかし、責めるように源田の瞳を見つめても、彼の表情が変わらないと分かると、彼女も硬直した表情を解いた。代わりに彼女の顔を落胆の色が覆った。

「そんな。どうして――」
「依光は、自ら手を下していながら、川上殿の死をひどく悼んでおりました。私もどうして彼が川上殿を殺したのか、分かりかねています」
「そうですか」

 声色がしおれて青くなった。そこからは会話は、事務的なものになった。凶器として使われた脇差や、手記などを証拠品として取り置くことの了承を得、今後さらに捜査をしたうえで検察官に引き継ぐことを説明し終えたころには、真美子は、会ったころの若々しさが消えうせるほど憔悴しきっていた。
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