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プロローグ
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しおりを挟む総務部の槇さんは、地味なモブを自称している。
その無表情をより一層わかりにくくする、やたらと太めの黒縁眼鏡は彼女のトレードマークだ。
いつ見てもその真っ直ぐな黒髪を首の後ろで束ねている。その見た目からして真面目そうで堅そうで融通がまあ利かなそうである。
部署混合の新年会で隣の席になって初めてまともに話をした。
いつも気難しい顔をしているから話しかけてはいけない類の人かと思っていた。
ところが意外や意外、結構、いやかなり話しやすい人で、流行りの映画の話などでしっかりと盛り上がった。
今度一緒に観に行きましょうね、までは定型文だったが、この人となら本当の約束をしたいと本気で思った。
その後、端的に言って、槇さんにお持ち帰りされた。
場が散ったあとに槇さんが、「私の家に来てください」と言ってくれた。
よく聞き取れなかったが、前後不覚の状態だったので何にでも頷いたことだけは覚えている。
酒に弱くはないつもりだが、この日に限って水も挟まず、さすがに無理な量を飲んだ。
頭一個分は小柄な槇さんに抱えられるように支えてもらいながら、会場を出てしばらく道なりに歩いた。
槇さんは細いのに意外と力があった。
駅前のタクシー乗り場からタクシーに乗って揺られて半時間、どこにでもあるような普通のマンションの前で降ろされた。
足元の覚束ない酔っ払いと化した自分が招かれた槇さんの部屋は広めの1DKで、ベッドとテーブル、ソファ、テレビとテレビ台、無駄なものはなし、以上。といった大変シンプルな部屋だった。
頼もしい槇さんに支えられながら、ソファに座るよう促された。
それからは何だか色々面倒臭くなってしまい、ただただソファに沈み込むように横になっていた。
そのうち、遠くの方で心地よいシャワーの音を聞いた。
「起きられました? あの……、具合はいかがですか? 今日は泊まっていってください、狭いところですけれど。あの、……移動はできますか? ベッドで休んでください。そちらの方が広いですから。私はソファで寝ますから……」
少し離れた場所から槇さんが遠慮気味に言ってくるのを、夢うつつで聞いた。
重い瞼を開くと、槇さんの姿が見えた。風呂上がり前後であまり様相が変わらない人だ。
髪は一つ結びのままに見えるけれど、もしかしたらアップにしているのかもしれなかった。
背筋を真っ直ぐにして、どうやら正座しているようだった。黒縁眼鏡が間接照明に反射していた。
部屋の主であるにも関わらず、居心地が悪そうだった。
「シャワーはお使いになりますか? 私のことはお気になさらず。テーブルにお水があります。お飲みください。どうぞ」
「あの、僕」
帰ります、と言いかけてやめた。
付き合ってもいない女性の部屋に上がり込むなんて道義的に宜しくないことは重々承知の上で、取り敢えず今すぐ帰るのはやめた。
泥酔状態の男を部屋に上げるなんて、あなたちょっと警戒心が足らないんじゃないですか?
酒に呑まれたカッコ悪い男がそんなことを偉そうに言うつもりもなくて。
ただ、槇さんに言わなくてはならないことを思い出したのだ。
「あの、槇さん」
半身を起こすだけで槇さんはビクつくのだった。
「はい。何でしょうか」
「僕のこと、気になってますよね?」
槇さんはあからさまに目を逸らした。
ああ、図星なんだな?
なら、畳みかけよう。
「時々、見てますよね、僕のこと。社食とか、僕のいる営業部のフロアに来たときとか」
「見てません……」
「今、僕はこんな状態なので、槇さんの好きにできるんですけど?」
「三浦さんは私には勿体ない人です」
槇さんはこれでもかというぐらいに頭と両手を横に振って言った。
その否定の仕方は肯定だなあと思ったら愉しくなった。
総務部の鉄の女が動揺している。
もっと揺さぶってみたくなった。
次の瞬間、これまでの人生で培ってきた、なけなしの倫理観が崩壊した。
「じゃあ、僕が槇さんを好きにしてもいいんでしょうか?」
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