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008-② 結婚!?
しおりを挟む翌朝。
陽の光の眩しさで目覚めた俺の視界に真っ先に入ってきたのは。
「ヒッ!」
あの病院にいた狐だ! その細い目で俺を冷たく見下ろしている……。
無言で見つめ合う。
狐が身を翻し、そのまま部屋からいなくなった。
部屋は昨日のままとは言い難い。荷物が運び込まれて雑然としていた。
俺が寝てる間に何があったんだ。
現状把握だ。俺はベッドの上にいて、右腕に点滴を打たれている。点滴の管の先には茶色い袋があり、木のスタンドに垂れ下がっている……。
な。
何を投入されてるんだ、俺は!
戻ってきた狐から、ビシッと睨まれた。
「起きろ。食え」
英語で言われた。
狐はシリアルボールのようなものを持っていた。
「それ、何」
「粥」
狐、英語が話せるんだ。そりゃそうか、いつもあの先生と一緒にいるんだから。
手を添えられて、まるで母さんから起こされているような気分になって、俺は起きた。
あれ? 意外と簡単に起き上がれたな、とボーッとしていたら、木製スプーンを口に文字通り刺された。グサッ。
「うぐっ」
それは冷たいミルク粥だった。甘い。冷たい。
美味しい。
しばらくは大人しく狐から食べさせられていたが、せめて自分で食べねばと気づいて、狐のフサフサした手に触れた。狐が俺を怪訝そうに見た。俺はミルク粥のシリアルボールを受け取った。
「ウィルは?」
「ウィルはティタジェイル」
「えっ」
置いていかれた?
そもそも俺が最後にウィルに会ったのはいつなのか?
「………」
ジッとその薄く開いた碧色の目を見つめていたら、狐がフッと笑って言った。
「寂しい?」
「………」
その質問には答えにくいんだ。
「……ティタジェイルは、ここから遠い?」
俺の質問に、狐はまたフッと笑った。
「近い」
近いのか。俺は心の底からホッとしてしまった。
「ウィルは直ぐに戻る」
「わかった」
「私はミシェル先生の代わり。ティタジェイル、グランバーグに行くまでのカイのお世話をする。ごめんね。あのとき、一人にして」
「え?」
健康診断後の放置のことかな?
ミシェル先生とはあの元気な東欧系美人なことだ。
「謝るようなことじゃ」
「ごめんね」
「いや、あなたのせいじゃ……」
「私のせい。ごめんね」
狐が項垂れている。
別に、謝らなくていいんだけど。
サベラって大抵年齢不詳だけど、もしかしてこの子、かなり若いんじゃないか? 気が回らなかったって後悔してる。普通にいい子では?
あの白い老猫はここにも現れたと思うんだ。
ここには見張りがいるはず。大袈裟だなと思ったけど、あの不気味な白猫に見張りは意味がないんじゃないだろうか。
ウィルにあの白猫のことを言い忘れたな。怪しい奴がいるんだよって。
——狐が逃げ切って報告を上げてきた。
——無事だ。狐だぞ。
ウィルは言っていた。どういう意味だ? この子も危なかったってことでは?
狐は俺の食べ残しを片付けに行った。甲斐甲斐しい。
ウィルは狐ってそのまま呼んでたけど、狐はまんまだよな。狐さん、てわけにいかないし。早く名前、聞かなきゃ。
そのとき、ドタドタと玄関側から足音がして、バーンと激しく音を立てて扉が開いた。
「カイ、起きたか、大丈夫か」
ウィルだ。その後ろには例のやたらと渋い奴。狭い部屋を圧迫する大男二人。
「顔色が良くなったな!」
ウィルが駆け寄ってきて、ベッドの上に座ったままの俺を引き寄せるように抱きしめてスリスリしてくる。
「やめろ、ウィル」
今の俺には全く力がなくてウィルを引き剥がせない。
ウィルの肩越しに狐と目が合った。フッと笑われる。年頃の女子にこんな場面を見られる気恥ずかしさといったらない。
一方のウィルの側近みたいな護衛は相変わらず俺を睨んでくるし。怖いし。
「離せってば。やめろ。落ち着け」
「俺を心配させたお前が悪い」
スリスリが止まらない。なんかこいつ、キャラ変わってないか!?
しばらくの間、俺は療養する、ということになった。
俺がベッドから出て活動し始めたその日に初めて会ったマルチーズ。
彼女こそがこの家を整えてくれていた張本人だと知ったのは、看護師で『狐』のアンバーが俺とマルチーズの間に入って通訳してくれたおかげである。
マルチーズは大変気のつくマルチーズで、家の中はいつも綺麗。同じような顔をしたマルチーズの赤ん坊をいつも背中におぶっている。
マルチーズ親子は近くの村に住んでいるらしい。
マルチーズの奥さんは、ともすれば相手に噛みつきそうな危ない雰囲気をまとうウィルとは対照的な、丸っこい愛嬌のある顔をした品のあるご婦人である。嫌な顔ひとつせず毎日やってくる。
……見返りがあるんだろうか?
俺はこの奥さんから挨拶程度の会話を教わることに成功した。アンバーを介すことなくである。
そのうちに、マルチーズの奥さんとよちよち歩きの赤ん坊とともに森を散歩しながら片言で話すのが、言語特訓の大事な日課となった。
ちなみに散歩のときは俺と奥さんの周りをあからさまに五人ほどの護衛がウロウロしている。
アンバーは二日に一度ほどの頻度でやって来る。
「先生から」
アンバーからは会う度に本を渡された。
俺にこの世界について勉強しろということらしい。
英語の本だった。日本語の辞書も付けてくれ……。
ウィルは三日に一度来る。その時は目つきの怖い、渋い護衛も連れて。
会うときは、まずハグ。
この世界の作法はわからないが、日常的にハグはしないようだ。俺に抱きつくウィルを見て、マルチーズ親子もアンバーもちょっと引いてる……。
毎日が穏やかだった。森の中にいて、雨風も大してなくて平和そのもの。
ある日、マルチーズの奥さんがだいぶ大きな子供を連れてきた。
奥さんには子供が八人いるらしい。
ニンゲンだったら小学校高学年くらいだろうか。長男だそうだ。おとなしい子供だった。
少し肌寒い雨の日にはチェスやカードゲームをしたがってわざわざやってくるようになった。
二人で時間をやり過ごした。
ルールは身振り手振りで、何となくコミュニケーションが取れていた。
暇、というか。退屈、というか。
静かな時間が流れていた。
この森に来てからあっという間に二十日経った。
花は咲き乱れ、葉が微風にざわめく爽やかな陽気。
傘のような大木の下に、時々卵のかけらが散らばっている。親鳥は生きながらえた雛鳥に訓練を施し、蝶は絡み合って飛んでいる。
「おまえはいい時期に来たな」
ウィルの隣でよちよち歩きのマルチーズ顔の赤ん坊と手を繋ぎながら、木に登るマルチーズの子供たちを見つめている。
日々安穏としてる。俺はまんまと老人化してきた。
「この世界は俺の世界とそんなに変わらないんだな」
「ここにはお前たちの世界のモノや価値観、ルールが活かされている」
「平和だな」
「ここはな」
「そろそろ、行く?」
「そうだな」
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