1 / 4
邂逅
しおりを挟む寛容でなければならない。
喚き立てる子供にも、顔を合わせれば小言ばかりの妻にも。
およそ身の丈に合わない贅沢な暮らしには、だいぶ前から厭気が差していた。
とは言え、人生は短い。これぐらいの苦難を耐えられなくてどうする。
美しい妻、やたらと元気な子供、都会の一等地、人気住宅街からの出社、社会人としてあるべき姿を親類縁者含め部下、友人知人と全方位に示して生きていかねばならない。
今日も電車が混んでいる。車窓に映る自分の姿を見つめていると、
ブチッ。
突然、何かが切れた。
その後も外面の装いは完璧だった。対外的にはこの能面を崩さずいた、
つもりだった。
―――――
「こんにちは」
その日、初めて。
ハウスキーパーと会った。
送られてきていた名刺をろくに見ておらず、丁寧な仕事ぶりから女だと思い込んでいたが男だった。しかも若かった。
彼は一頻りの挨拶の後に、吉野と名乗った。ペコリと愛想よく頭を下げてきたので、真似た。
「今日は在宅なんですね」
「ええ」
「いつも毎食きちんと食べてくれて有難うございます。いつかお礼を言おうと思っていました」
「捨ててるかも知れないよ」
「俺、ゴミも見てますから」
「え、本当に」
「冗談ですよ。引っかかりましたね」
機嫌取りをしない、自然体の会話が心地良くて、その日から何となく、彼が来る日に合わせて在宅仕事に切り替えた。
周りは仕事絡みで話す人間ばかりだったので、単純に人恋しかったのかもしれない。
彼が帰るときは必ず見送ることにしている。程良い距離感でいたいから。
そのときは、魔が差した。
「一緒に食べて行かないか」
「業務範囲外です」
「その分の手当を出せば?」
「いいですね」
吉野は我が家のキッチンを把握している。
目の前で手際良くテーブルを整えていく。
この子、いいな。そう思った。
―――――
「こんな広い家に一人で住むなんて贅沢ですね」
「妻に浮気されて離縁したんだ。人生を悲観してね、一生一人で住むつもりで買ったんだ」
こんなつまらない話も、彼は神妙な顔で聞いてくれる。
こういうところが実に都合良かった。
「妻一人のせいじゃない。僕の態度も悪かった。家で彼女の機嫌を取る余裕はなかった。妻はまるで僕の鏡だったよ」
「奥さんは今いくつ?」
「別れた時は三十だったかな。あれから三年だから今は」
「あなたは今、いくつ?」
「三十七」
「まだまだこれからですよ」
「どうかな」
「俺は二十五なんだけど。あなたを見てると歳は取りたくないと思いますね。苦労が絶えなさそうです」
そう言って彼はケラケラと楽しそうに笑った。
「あのね。歳を取るって悪いことばかりじゃないんだよ」
「そうですかね? 草臥れているように見えますよ」
「えっ」
「冗談です。怒らないでくださいね」
黙って聞いていたかと思えば、手厳しい。そんなところも気に入っている。
「元妻はブランド品が好きでね。僕を見てごらんよ。この顔、ブランド?」
「笑えませんよ。随分とご自分を卑下しますね」
「彼女は高嶺の花だったから」
「あなたのどこがそんなに悪かったんでしょうね。少し自信がなくて、少し人より悲壮感が漂って見えるぐらい別に」
「はは」
話を変えよう。
「君は若いのにどうしてこの仕事を」
「職業差別ですよ。あなたみたいな人がいるからですよ」
「凄くいいな、君。君を専属にするには幾らかかる?」
「こう見えて高いんです」
「だろうね」
「あなたの笑い方……、気になります。初めからそうなんですか?」
「そう。こうだよ。もっと確認したければ……」
彼の前では気を遣わずにいられた。
―――――
「再婚するの。子供ができるの」
元妻、瑠美からの三年ぶりの電話だった。
彼女の淡々とした話し方は正直、好きではない……。
「あなたに頼みたいことがあるの」
―――――
元妻から譲り受けた息子、玲は別れたときよりも一回り大きくなっていた。
あんなに朝から晩まで喧しかった息子がしょんぼりしているのを見ると、親の業の深さを感じざるを得ない。
どうやら瑠美は開き直って、我が道を行くことにしたらしい。
あのときあれほど、子供は渡さないと豪語していたのに。
推し黙る玲を部屋に通した。
納得しかねるといった顔をする子どもをあやすなんてこれ以上の面倒があるのか。
「今日から君はここで僕と一緒に暮らすんだよ」
「ママは」
「お母さんとは暮らせない」
玲はえぇんと泣いた。相変わらず煩いな、と思った。
久しぶりに会った。いくら血が繋がっていようとも他人だ。
子どもの世話などしていられるか、耳を塞ぎたいと思ったところに、吉野が現れた。鍵を持たせているから勝手に入ってくる。それにしても、このタイミングで。
「あなたの言い方が悪いんですよ」
吉野は泣きじゃくる玲の前で身を屈めた。
「おいで」
玲はあっという間に吉野に抱き上げられた。
「これからはパパと暮らすんだよ。大丈夫。不安にならないで。君を愛しているよ」
驚いた。
そんなに簡単な愛があって良いのか?
玲は泣き止まなかったが、吉野の服を掴んで彼の胸に顔を埋めていた。
ずるいな、と思った。
我慢をするのは止めたんだった。
あの時の息子が羨ましくなって、ある日吉野に聞いてみた。
「ハグして欲しいんだけど、幾ら払えば可能かな?」
吉野の呆れ顔は最高に滑稽だった。
「そういう仕事じゃないんだけど」
「この間は息子にしてたじゃないか」
「あれはサービスです。子供用」
「僕にサービスはないのか」
「いい大人でしょ。困った人だな」
吉野はしばらく顎に手をやって考えていた。
「……そうですね、キスしてくれたらいいですよ」
「え?」
信じられない条件に耳を疑った。こっちには得しかないじゃないか。
「できますか? 俺に」
「勿論」
キスをしたあとに抱き締めてくれるはずだった、彼が真顔になって言った。
「この間、あなたのシャツに付いた口紅を取るのは大変でした」
このあと、謝り倒した。
2
あなたにおすすめの小説
青龍将軍の新婚生活
蒼井あざらし
BL
犬猿の仲だった青辰国と涼白国は長年の争いに終止符を打ち、友好を結ぶこととなった。その友好の証として、それぞれの国を代表する二人の将軍――青龍将軍と白虎将軍の婚姻話が持ち上がる。
武勇名高い二人の将軍の婚姻は政略結婚であることが火を見るより明らかで、国民の誰もが「国境沿いで睨み合いをしていた将軍同士の結婚など上手くいくはずがない」と心の中では思っていた。
そんな国民たちの心配と期待を背負い、青辰の青龍将軍・星燐は家族に高らかに宣言し母国を旅立った。
「私は……良き伴侶となり幸せな家庭を築いて参ります!」
幼少期から伴侶となる人に尽くしたいという願望を持っていた星燐の願いは叶うのか。
中華風政略結婚ラブコメ。
※他のサイトにも投稿しています。
白花の檻(はっかのおり)
AzureHaru
BL
その世界には、生まれながらに祝福を受けた者がいる。その祝福は人ならざるほどの美貌を与えられる。
その祝福によって、交わるはずのなかった2人の運命が交わり狂っていく。
この出会いは祝福か、或いは呪いか。
受け――リュシアン。
祝福を授かりながらも、決して傲慢ではなく、いつも穏やかに笑っている青年。
柔らかな白銀の髪、淡い光を湛えた瞳。人々が息を呑むほどの美しさを持つ。
攻め――アーヴィス。
リュシアンと同じく祝福を授かる。リュシアン以上に人の域を逸脱した容姿。
黒曜石のような瞳、彫刻のように整った顔立ち。
王国に名を轟かせる貴族であり、数々の功績を誇る英雄。
僕は今日、謳う
ゆい
BL
紅葉と海を観に行きたいと、僕は彼に我儘を言った。
彼はこのクリスマスに彼女と結婚する。
彼との最後の思い出が欲しかったから。
彼は少し困り顔をしながらも、付き合ってくれた。
本当にありがとう。親友として、男として、一人の人間として、本当に愛しているよ。
終始セリフばかりです。
話中の曲は、globe 『Wanderin' Destiny』です。
名前が出てこない短編part4です。
誤字脱字がないか確認はしておりますが、ありましたら報告をいただけたら嬉しいです。
途中手直しついでに加筆もするかもです。
感想もお待ちしています。
片付けしていたら、昔懐かしの3.5㌅FDが出てきまして。内容を確認したら、若かりし頃の黒歴史が!
あらすじ自体は悪くはないと思ったので、大幅に修正して投稿しました。
私の黒歴史供養のために、お付き合いくださいませ。
恋した貴方はαなロミオ
須藤慎弥
BL
Ω性の凛太が恋したのは、ロミオに扮したα性の結城先輩でした。
Ω性に引け目を感じている凛太。
凛太を運命の番だと信じているα性の結城。
すれ違う二人を引き寄せたヒート。
ほんわか現代BLオメガバース♡
※二人それぞれの視点が交互に展開します
※R 18要素はほとんどありませんが、表現と受け取り方に個人差があるものと判断しレーティングマークを付けさせていただきますm(*_ _)m
※fujossy様にて行われました「コスプレ」をテーマにした短編コンテスト出品作です
貴族軍人と聖夜の再会~ただ君の幸せだけを~
倉くらの
BL
「こんな姿であの人に会えるわけがない…」
大陸を2つに分けた戦争は終結した。
終戦間際に重症を負った軍人のルーカスは心から慕う上官のスノービル少佐と離れ離れになり、帝都の片隅で路上生活を送ることになる。
一方、少佐は屋敷の者の策略によってルーカスが死んだと知らされて…。
互いを思う2人が戦勝パレードが開催された聖夜祭の日に再会を果たす。
純愛のお話です。
主人公は顔の右半分に火傷を負っていて、右手が無いという状態です。
全3話完結。
君さえ笑ってくれれば最高
大根
BL
ダリオ・ジュレの悩みは1つ。「氷の貴公子」の異名を持つ婚約者、ロベルト・トンプソンがただ1度も笑顔を見せてくれないことだ。感情が顔に出やすいダリオとは対照的な彼の態度に不安を覚えたダリオは、どうにかロベルトの笑顔を引き出そうと毎週様々な作戦を仕掛けるが。
(クーデレ?溺愛美形攻め × 顔に出やすい素直平凡受け)
異世界BLです。
【完結】社畜の俺が一途な犬系イケメン大学生に告白された話
日向汐
BL
「好きです」
「…手離せよ」
「いやだ、」
じっと見つめてくる眼力に気圧される。
ただでさえ16時間勤務の後なんだ。勘弁してくれ──。
・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・:
純真天然イケメン大学生(21)× 気怠げ社畜お兄さん(26)
閉店間際のスーパーでの出会いから始まる、
一途でほんわか甘いラブストーリー🥐☕️💕
・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・:
短期でサクッと読める完結作です♡
ぜひぜひ
ゆるりとお楽しみください☻*
・───────────・
🧸Twitterもぜひ遊びに来てください🫧
❥❥❥ https://x.com/ushio_hinata_2?s=21
・───────────・
応援していただけると励みになります💪( ¨̮ 💪)
なにとぞ、よしなに♡
・───────────・
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる