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9 すれ違い
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父上の下へ行く。と簡潔に告げられて部屋から連れ出された。カイラス様は私を抱え、広々とした廊下を歩く。ふと見上げた顔は、いつもと同じなのに緊張しているように見えた。
ひときわ大きく立派な扉の前に立ち、カイラス様はノックをした。返事を聞いて中へ入る。
「カイラス、急に呼び出してすまない。猫を飼っていると聞いたものだから気になってな」
ダニエル様だ。書き物をしていたらしく、ペンを置いて立ち上がると私の顔を覗き込んだ。私の父より年上のはずなのに表情も肌の色も若々しい。カイラス様と同じく目鼻立ちも美しかった。
私は挨拶代わりに「にゃあ」と鳴く。
「黒猫か。何を考えているのか分からない顔だな。愛らしい」
軽く私の頭を撫でてソファまで下がった。腰かけると、向かいにかけるようカイラス様に言う。私は膝の上だ。
「ついでだから聞いておきたい。シャルラン家との結婚はいつにする。先方は待ちわびているようだ」
「……………………」
「乗り気ではないのか」
ダニエル様は微笑んでカイラス様を見つめている。一方カイラス様の表情は固い。小さく首を振った。
「いえ、そういうわけでは。父上に従います」
「……………………」
今度はダニエル様が黙った。黙って真面目な顔をしていると本当にそっくりだ。厳かな部屋の雰囲気と相まって、まるで美術館にいるみたい。ダニエル様は目を伏せて言葉を選んでいるようだった。
「たまにはお前の希望を言ってもいいんだぞ」
「父上の手を煩わせるようなことはありません」
「……ではその猫を捨ててこい」
えっ!? 急展開に焦った。思わずカイラス様の顔を見上げる。普段通り作り物のように動かない。カイラス様は僅かに唇を動かして言った。
「父上がそう言うのであれば捨ててきます」
ほとんど躊躇いがなかった。あんなに可愛がっていても捨てられるのか。カイラス様にとって父親の命令はそれほどに絶対のものらしい。ダニエル様は忠実な息子に苦々しい表情を浮かべた。
「冗談だ、カイラス。嫌なことは嫌と言っていいんだ」
「嫌ではありません。父上に従います」
……何となく二人の関係が分かった。ダニエル様はもっとカイラス様の意見を聞きたい。でもカイラス様は何も言わず従うだけ。お互いすれ違ってしまっている。
ダニエル様はふうと息を吐いて、難しい問題に対するように眉間に皺を寄せた。
「とにかく、猫はそのままでいい。結婚の日取りについてはまた向こうとよく相談してくれ。下がっていいぞ」
「はい」
カイラス様は丁寧に頭を下げて部屋を出た。親子にしては堅苦しすぎるような。我が家なんてもっと気楽なものだ。
カイラス様は部屋に戻っても、私を遠目に見るばかりで撫でようともしなかった。逆に私の方が混乱する。いつもの『はあ~~可愛い~』はどこに行ってしまったんだろう。
いつもと違った様子のカイラス様は、夜になっても私に触れないままだった。
11時50分が過ぎ、人に戻った私が床で丸くなっていると、
「アリゼ、床で寝るな」
怒られてしまった。しかし婚約関係でもない男女が同じベッドに入るのは良くないことだ。断ろうとするがカイラス様は頑なだった。
「お前は半分猫だ。些細なことには構うな」
今はどう見ても人間なのに。今日のカイラス様は少し変だ。父親と会話をしたせいだろうか。
私は大人しく同じベッドに入った。できるだけ身を小さくして端に寄る。するとカイラス様が頭を撫でてきた。優しい手つきに困惑する。
「あ、あの、カイラス様、今の私は猫では……」
「猫だろうお前は」
そう言いながら後ろから抱きしめられる。さすがに、と拒否しようとするも腕の力が強くてどうしようもなかった。
「カイラス様……困ります……」
「俺は猫を可愛がっているだけだ」
ずっと触らなかったせいで急に物足りなくなったのかもしれない。私は諦めて受け入れた。カイラス様の猫好きは相当なもののようだ。猫の時に抱き上げられるのは慣れていても、人の状態では緊張して仕方ない。
今すぐ猫に戻れればいいのに。カイラス様の温もりと息遣いを感じながら、自分は猫だとひたすら言い聞かせ続けた。
**
人の温もりに気持ちが落ち着く。アリゼは黙ってされるがままになっている。ありがたいと思った。何も聞かずにいてくれて、何も言わないでいてくれる。
俺は、猫を捨ててこいと言われても何も思わなかった。動揺はしたが、できないことじゃなかった。不安になった。俺にとって、猫もどうでもいいものだったのかと。
猫は俺の癒しで、愛しているものだ。しかし父上に言われれば簡単に捨ててしまえる。俺の感情は無価値だが、無ではない。最低限の生き甲斐として猫がある、と思っていた。
はっきりと表現できない不安が心にさざ波を立てる。俺は生きながらにして人形のようになってしまうのではないか。何にも心が動かずに、ただ血のために生き続けるだけの。
人の体温を感じる。息遣いが聞こえる。普段なら他人の存在など煩わしくてたまらないというのに、今はとても救われていた。
アリゼは何も言わずに俺の突飛な行動も受け入れている。思えば猫の状態でもそうだ。引っかいてもいいだろうに、逃げてもいいだろうに文句一つ言われたこともない。
俺を怒らせたら妹に迷惑がかかるとでも思っているのだろうか。
自分でそう考えて、所詮は、とがっかりしていた。他に理由があるはずもないのに。俺は何を求めているというのか。
ひときわ大きく立派な扉の前に立ち、カイラス様はノックをした。返事を聞いて中へ入る。
「カイラス、急に呼び出してすまない。猫を飼っていると聞いたものだから気になってな」
ダニエル様だ。書き物をしていたらしく、ペンを置いて立ち上がると私の顔を覗き込んだ。私の父より年上のはずなのに表情も肌の色も若々しい。カイラス様と同じく目鼻立ちも美しかった。
私は挨拶代わりに「にゃあ」と鳴く。
「黒猫か。何を考えているのか分からない顔だな。愛らしい」
軽く私の頭を撫でてソファまで下がった。腰かけると、向かいにかけるようカイラス様に言う。私は膝の上だ。
「ついでだから聞いておきたい。シャルラン家との結婚はいつにする。先方は待ちわびているようだ」
「……………………」
「乗り気ではないのか」
ダニエル様は微笑んでカイラス様を見つめている。一方カイラス様の表情は固い。小さく首を振った。
「いえ、そういうわけでは。父上に従います」
「……………………」
今度はダニエル様が黙った。黙って真面目な顔をしていると本当にそっくりだ。厳かな部屋の雰囲気と相まって、まるで美術館にいるみたい。ダニエル様は目を伏せて言葉を選んでいるようだった。
「たまにはお前の希望を言ってもいいんだぞ」
「父上の手を煩わせるようなことはありません」
「……ではその猫を捨ててこい」
えっ!? 急展開に焦った。思わずカイラス様の顔を見上げる。普段通り作り物のように動かない。カイラス様は僅かに唇を動かして言った。
「父上がそう言うのであれば捨ててきます」
ほとんど躊躇いがなかった。あんなに可愛がっていても捨てられるのか。カイラス様にとって父親の命令はそれほどに絶対のものらしい。ダニエル様は忠実な息子に苦々しい表情を浮かべた。
「冗談だ、カイラス。嫌なことは嫌と言っていいんだ」
「嫌ではありません。父上に従います」
……何となく二人の関係が分かった。ダニエル様はもっとカイラス様の意見を聞きたい。でもカイラス様は何も言わず従うだけ。お互いすれ違ってしまっている。
ダニエル様はふうと息を吐いて、難しい問題に対するように眉間に皺を寄せた。
「とにかく、猫はそのままでいい。結婚の日取りについてはまた向こうとよく相談してくれ。下がっていいぞ」
「はい」
カイラス様は丁寧に頭を下げて部屋を出た。親子にしては堅苦しすぎるような。我が家なんてもっと気楽なものだ。
カイラス様は部屋に戻っても、私を遠目に見るばかりで撫でようともしなかった。逆に私の方が混乱する。いつもの『はあ~~可愛い~』はどこに行ってしまったんだろう。
いつもと違った様子のカイラス様は、夜になっても私に触れないままだった。
11時50分が過ぎ、人に戻った私が床で丸くなっていると、
「アリゼ、床で寝るな」
怒られてしまった。しかし婚約関係でもない男女が同じベッドに入るのは良くないことだ。断ろうとするがカイラス様は頑なだった。
「お前は半分猫だ。些細なことには構うな」
今はどう見ても人間なのに。今日のカイラス様は少し変だ。父親と会話をしたせいだろうか。
私は大人しく同じベッドに入った。できるだけ身を小さくして端に寄る。するとカイラス様が頭を撫でてきた。優しい手つきに困惑する。
「あ、あの、カイラス様、今の私は猫では……」
「猫だろうお前は」
そう言いながら後ろから抱きしめられる。さすがに、と拒否しようとするも腕の力が強くてどうしようもなかった。
「カイラス様……困ります……」
「俺は猫を可愛がっているだけだ」
ずっと触らなかったせいで急に物足りなくなったのかもしれない。私は諦めて受け入れた。カイラス様の猫好きは相当なもののようだ。猫の時に抱き上げられるのは慣れていても、人の状態では緊張して仕方ない。
今すぐ猫に戻れればいいのに。カイラス様の温もりと息遣いを感じながら、自分は猫だとひたすら言い聞かせ続けた。
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人の温もりに気持ちが落ち着く。アリゼは黙ってされるがままになっている。ありがたいと思った。何も聞かずにいてくれて、何も言わないでいてくれる。
俺は、猫を捨ててこいと言われても何も思わなかった。動揺はしたが、できないことじゃなかった。不安になった。俺にとって、猫もどうでもいいものだったのかと。
猫は俺の癒しで、愛しているものだ。しかし父上に言われれば簡単に捨ててしまえる。俺の感情は無価値だが、無ではない。最低限の生き甲斐として猫がある、と思っていた。
はっきりと表現できない不安が心にさざ波を立てる。俺は生きながらにして人形のようになってしまうのではないか。何にも心が動かずに、ただ血のために生き続けるだけの。
人の体温を感じる。息遣いが聞こえる。普段なら他人の存在など煩わしくてたまらないというのに、今はとても救われていた。
アリゼは何も言わずに俺の突飛な行動も受け入れている。思えば猫の状態でもそうだ。引っかいてもいいだろうに、逃げてもいいだろうに文句一つ言われたこともない。
俺を怒らせたら妹に迷惑がかかるとでも思っているのだろうか。
自分でそう考えて、所詮は、とがっかりしていた。他に理由があるはずもないのに。俺は何を求めているというのか。
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