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第2章 救国のハムスターは新たな人生を歩む

18 天使かしら? 大天使かしら?

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 短く切りそろえられた金色の髪が風をまとって、ぶわっと大きくふくれあがる。

 これでもかと勢い良く突き出された拳が、相手の突き出した二本指におおいかぶせられる。

 つり上がった金色の目がおのが勝利を誇示するかのように、大きく見開かれる。

 薄い唇が、勝利を噛みしめんばかりに片方だけ持ち上げられる。

 つんっととがった鼻先からは、負けた相手を吹き飛ばさんばかりの鼻息が、ふんっという音とともに吐き出された。

「よっしゃー! じゃあ、加護のレベルを先に調べるってことで決まりね!」

 握りしめた拳を高々と振り上げながら、シーラは勝ち誇った声を響かせた。

 じゃんけんに勝っただけで、これほどまでに人は喜ぶことができるのだろうか。

 ある意味、尊敬に値する。

 でもね、シーラ。

 今の明らかに後出しだよね?


 トールがチョキを出した自分の手を悲しげに見つめ、申し訳なさそうにクレアに視線を送る。

 クレアは無表情のまま、切れ長の赤い目をうっすらと細めた。

 明らかに、後出しをしたシーラを責めるべきだ、という目だ。

 だが、トールはあきらめ顔で、頭を左右に軽く振った。言っても無駄だということだろう。



 このファンタジーな異世界に人として転生してはや十カ月。

 ハムスター時代の三年を含めると、三年と十カ月という長きにわたって、この世界で暮らしているというのに、この場の主導権を握っているのがシーラである理由がさっぱり理解できない。

 そもそも、ここはトールのお屋敷の庭であり、私はトールの遠戚の女の子という設定になっているのだ。

 訳知り顔に横から口をはさむ権利など、一片たりともシーラは持っていないのだ。


 にもかかわらず、昨日は私の持っている加護のレベルを調べるという名目で、水の精霊ウィンディーネを召喚し、私を攻撃させようとした。

 かつての私の専属護衛であるクレアが現われなかったら、あっけにとられて放心状態だったオリーヴィア様の不意を突く形で、心ゆくまで私をボコるつもりだったにちがいない。




 どこからともなく颯爽と現われたクレアは、今にも攻撃を仕掛けようとしたウィンディーネと私の間に立ち塞がり、いつもの省エネモード全開で言葉少なにこう告げた。

「お引き取り願えますか、モランデル子爵様」

「はっ!?」とか、「何でよ!?」とか、「あんた何様よ!?」などと頑として引き下がろうとしなかったシーラだったが、淡々とお引き取りを願うクレアと、ようやく我に帰ったオリーヴィア様の援護口撃によって、しぶしぶ精霊召喚を解除した。

 そして、不満タラタラといった様子で、足早にお屋敷から出ていった。


 おー、さすがは私の元専属護衛クレアだわ。

 あのシーラ相手に一歩も引かないだなんてと、目をウルウルとさせながら感謝の言葉を伝えたのだが、クレアはいたって平然と何事もなかったように、私とオリーヴィア様に頭を下げて去っていった。

 私はオリーヴィア様にも深い感謝の言葉を述べて、無事自室へと戻った。


 しかし、さすがはシーラ。

 これしきのことで引き下がる性悪女子爵様ではなかった。

 夜遅く屋敷に戻ってきたトールに、私は書斎に呼び出された。

 向かい合うような形で、ソファーに座った私に、トールは迷惑顔で口を開いた。

 ただ、その矛先は私にではなく、まっすぐシーラに向かっていた。


 加護の件だろうと予想して、想定される質問とそれに対する模範解答を用意していた私は、盛大な肩すかしをくらうことになった。

 話の内容のほとんどがシーラへのグチ。

 今日起こったことよりも、まずはグチ。

 シーラのバカが、というフレーズが、会話の半分以上を占めていた。

 その、シーラのバカが、という何度も繰り返されるフレーズを除けば、中身はそれほど多くはなかった。


 要約すると、クレアとオリーヴィア様によって屋敷を追い出されたシーラは、その足で王宮に出向き、召喚獣省の長官であるトールの執務室に押しかけたそうだ。

 恩着せがましく、ハーモニーを引き取ってもいいわよと持ちかけたらしい。

 加護のことには一切触れず、精霊召喚の能力があるみたいだし、魔力も少しはあるみたいだしね、と。


 シーラは精霊省の長官なので、その申し出自体はおかしくない。

 将来有望な術師を手元に置いて育てたいという考えは、トールにもよくわかる。

 ただ、本人の同意も得ずにそんなことはできないからと、トールは返答を先延ばしにした。

 それでも、シーラは引き下がらず、何度も何度も、私を引き取ると言い続けた。


 いい加減しつこいな、と思い始めたところで、執務室のドアがノックされた。

 念のため、お屋敷で起きたことをいち早く報告しておこうとしたクレアが現われたのだ。

 その瞬間、シーラは立ち上がって大声で叫んだそうだ。

「あいつが加護を持ってるのを見つけたのは私なのよ! 私にも権利があるはずよ! 絶対譲らないわ!」 

 そんなわけで、発見者の権利なるものをゴリ押しするシーラに半ば押し切られる形で、明日、私の持っている加護の力の確認と魔力量の測定、さらには精霊召喚能力の有無を調べることになった、とトールは私に頭を下げた。

 もちろん、シーラ立会いのもとで。


 シーラに引き取られるよりはましだということで、私は三つのテストを受けることを承諾したが、悪いことばかりでもなかった。

 代わりにというか、シーラ対策にというか、なんと家名をゲットしたのだ。

 レンホルム伯爵家の遠縁にあたる田舎の小領主で、後継ぎがなく断絶したオスカリウスという家名を名乗っていいことになったのだ。

 召喚獣契約陣から現われたという事実を隠すために、遠縁の女の子を預かっているという設定になっていた私の身分に、裏付けを与えるためだ。

 これによって、私はハーモニー・オスカリウスというフルネームを手に入れた。

 ふふっ、着々と自立への道が固まりつつあるね。

 初めてシーラが役に立ったよ、と私は心の中で笑みを浮かべた。


 ただ、私に家名を告げたトールの顔には、笑みなど一切浮かんでいなかった。

「そうしないと君を拾得物と見做したシーラが、どんな難癖をつけてくるかわからないからな」

 私の目を心配そうに覗き込んだトールは、ふっとため息をついた。

 たしかにシーラならば、人が拾ったものを、私が落としたのよと、いいがかりをつけてくるだろう。

 まちがいない。

 恐るべし、シーラ。

 私のことを落とし物扱いかよ。




 さて、そのシーラだけど、魔力量測定を先にやろうとしたクレアに難癖をつけ、じゃんけんで決めようと言いだしたあげく、後出しで勝利を強奪した。

 魔力をほとんど持たないシーラは、魔力量にはそれほど興味がないのだろう。

 お目当ては私の加護のレベルなのだ。

 自分の見つけた希少価値のある加護持ちが、どんな利益をもたらすかを見極めたいのだ。


 すこし離れたところに立ったクレアが、魔法陣が金糸で刺繍された耐魔布を片手に説明を始める。

「ハーモニー様は私が張った防御膜に触れるだけで結構です。ハーモニー様が発動する防御膜が、私が張った防御膜より強ければ、私の防御膜が破壊されます。逆に、ハーモニー様の防御膜が弱ければ、ハーモニー様の防御膜が破壊されます。モランデル子爵様のお話では、ハーモニー様の防御膜は体に張りつくような形で発動したということなので、その場合、体ごと弾き飛ばされる可能性がございます。トール様はその場合に備えてください。では、まずは第十位防御膜からです」

 クレアって長話もできるんだね、などと感心しながらも、私はクレアの張った防御膜に右手を軽く当てた。

 その瞬間、パリンという音を響かせて、クレアの防御膜がシャボン玉が弾けたように消え去った。

 衝撃で少しだけクレアが後ずさった。

「では、次は第九位防御膜です」

 クレアが別の耐魔布を手に、魔法陣を発動させ、防御膜を張る。

 刺繍された魔法陣は半径二メートルタイプのドーム型防御膜を張るものだ。

 主に自分の身を守る時に使う防御膜だ。

 軽く触れて、破壊する。

「では、次は第八位防御膜です」

 クレアのまとっている黒いローブに刺繍された魔法陣は、ほとんどが第一位から第三位までの防御膜だ。

 第三位ともなると半径百メートルもの範囲指定をしたものがある。

 クレアの実力のほどがうかがわれる。

 治癒系の魔法陣もいくつか刺繍されているが、第四位以下の防御膜はひとつもない。

 だから、わざわざ耐魔布に刺繍された魔法陣を用意したのだろう。

 これも軽く触れて、破壊する。

「では、次は第七位防御膜です」

 どの魔法陣にも発動点がある。

 魔術師ひとりで発動することが想定されている魔法陣は、発動点がふたつだ。

 二カ所を同時に指で押さえ、魔力を流し込むことによって、防御膜が発動する。

 軽く触れて、破壊。

「では、次は第六位防御膜です」

 十位から六位までが、下位防御膜と呼ばれる。

 加護の場合、ここまでが天使の加護と呼ばれる。

 軽く触れて、破壊。

「では、次は第五位防御膜です」

 拮抗するか破壊すれば、私の加護は上位防御膜以上。

 大天使の加護ということになる。

 軽く触れて、破壊。

 めずらしく口を開かずテストを見守っていたシーラの金色のつり上がった目が、シュッと細められた。

「では、次は第四位防御膜です」

 さすがは、クレアだ。

 淡々とテストが進む。

 無駄口は一切ない。

 軽く触れて、破壊。だんだん破壊した時の衝撃が大きくなる。

 私には影響はないけれど、クレアが後ずさる距離がだんだん大きくなる。

「では、次は第三位防御膜です」

 たしか、第三位防御膜をひとりで張ることができれば、国家一級魔術師として認められたはずだ。

 クレアはここで初めて、耐魔布ではなくローブに刺繍された魔法陣を使って防御膜を発動させた。

 軽く触れて、破壊。

 クレアへの反動はすさまじく、一メートルばかり後ずさった。

「では、次は第二位防御膜です」

 クレアのローブに刺繍されている第二位防御膜の魔法陣は半径二メートル、五メートル、十メートル、二十メートルの四種類。

 右胸に刺繍された半径二メートル指定の魔法陣を左手で触れて発動させている。

 軽く触れて、破壊。

 クレアが衝撃で倒れ込む。

「では、次は第一位防御膜です」

 何事もなかったように起き上がったクレアが、ローブの左胸に刺繍された魔法陣に手をかざす。

 右利きの魔術師は、もっとも頼りとする魔法陣を左の胸の上に刺繍するらしい。

 半径二メートルの第一位防御膜を発動させる魔法陣。

 クレアの持つ最強かつ、もっとも多用する防御膜なのだろう。

 トールが心配そうに見つめる中、私はゆっくりと右手で防御膜に触れた。

 ガシャーンという音とともに、クレアが後ろにバックステップで三メートルほど跳んで着地した。

 さすがはクレア。

 眉ひとつしかめずに、淡々とした声で、テストの終了を告げた。

「第一位防御膜、もしくはそれを越えるものの発動を確認しました。加護のランクは大天使の加護か、もしくはそれを越えるもの。これ以上は複数の国家一級魔術師によって張った結界との強度比較を要します」
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