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第2章 救国のハムスターは新たな人生を歩む

41 ニルス王子の想い その2

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 王都の人混みに目を丸くし、巨大な王宮に目を丸くし、広大な庭園に目を丸くし、そこで開かれていたもよおしにもぐり込んで、また目を丸くした。



 真っ白なローブに金糸で刺繍ししゅうされた、数え切れないほどの紋章。

 魔法陣と見まちがえそうな、たくさんの光の輝きに目を奪われた後、その光をまとった主に、僕は心までも奪われそうになっていた。



 僕の視線の先で、紋章だらけのローブを着た精霊が、手当たり次第にガツガツと食べ物を口に放りこんでいる。

 ローブの中に滑り込んでいる銀色の髪が、せわしなく食べ物に伸ばされる手の動きに合わせて、キラキラときらめく。

 華奢きゃしゃな白い喉元が、ゴクンと食べ物を飲み込む度に、大きく上下する。

 それに合わせて、大きな銀色の目がキュッと閉じられては、また大きく見開かれる。

 魅入られたように、僕はふらふらとその美しい精霊に吸い寄せられた。


 すぐ傍に立ちつくして、この世のものとは思えない光景に目をまたたく。


 離宮にも精霊術師はいたし、何度となく精霊を見たことはあった。

 でも、これほどまでに美しい精霊を見たことはなかった。

 それに、服を着た精霊なんてものを見たことがなかったし、食事をしている精霊も見たことがなかった。


 やっぱり、王都は何もかもがちがうんだ。

 息をとめたまま、時を忘れてじーっと見入っている僕に、ふと精霊が視線を返した。


 次の瞬間、精霊は大きな目をさらに見開いて、あわてて食べていたものを飲み込んだ。

 そして、ととのった顔をギュッとゆがめて、笑みのようなものを作った。

「これは、これは、ゴホン、ゴホン。ニルス殿下。ゴホン、ゲホン。ご機嫌麗しそうでなにより、ゴホン、ガホン、でございます」

 精霊がしゃべったことにも驚いたけど、ずっと離宮で暮らしていた僕のことを知っているのには、もっと驚いた。
 
 僕が王宮に着いたのはついさっきだし、予定より一日早く着いた。

 僕が今日、王宮にいるだなんて伝わってないはずだ。

 ということは、この精霊と僕は会ったことがあるんだろうか? 


 でも、こんなに美しい精霊に会ったことを、忘れてしまうなんて考えられなかった。


 僕のことを知ってるの? 

 って聞いたら、精霊は名前を名乗って、離宮にお見舞いに来たことがあるって答えた。


 ますます、ありえなかった。

 離宮は王都から遠く離れているし、そもそも、僕に会いに来てくれる人なんて数えるほどしかいない。



 でも、精霊はウソをつけないって聞いたことがある。

 じゃあ、どういうことだろう? 


 ……えーっと……そもそも、この子は精霊なんだろうか?

 ひょっとして、人なのかもしれないって思い当たった。

 そうか。

 そうだよね。

 だって、精霊にしてはおかしいことだらけだ。



 僕は精霊みたいな女の子に手を出してって頼んだ。

 精霊と人はれ合えないって聞いたことがある。

 さわれれば人だし、触れなければ精霊だ。

 僕は女の子の手を取った。



 女の子に触れたとたん、懐かしい温もりが僕を包み込んだ。

 亡くなったお母様のことを思い出した。

 目の奥がジーンと痺れて、思わず天を仰いで目を閉じた。

 同時に、僕はもうひとつの温もりを思い出した。



 ハーミア様だ。

 どうして、こんなところに……ううん、どうして、こんな姿で。

 目の奥からじわーっと広がってくる涙を押し込めて、僕は必死に考えた。



 いや、ハーミア様は神の使いだから、姿ぐらい変えられても不思議じゃない。

 たぶん、この姿が本来の姿なんだ。

 そうか、わかった。

 ハーミア様は天使なんだ。

 大天使様がいて、天使がいないなんてことはない。

 天使の加護を持った人だっている。


 創世神話にも王国史にも、天使については書かれてなかった。

 人とよく似た姿をしてるから、誰も天使だとは気づかないんだ。


 でも、いったい、いつからなんだろう? 

 兄上は知ってるんだろうか? 

 いや、知らないはずだ。

 ハーミア様が兄上と一緒にいないことが、そもそもおかしい。



 やっぱり、新しい婚約者のせいなんだろう。

 それで、ハーミア様は兄上に内緒で、姿を変えたんだ。

 だから、お見舞いにも来なかった? 

 じゃあ、王宮にいる救国のハムスター様って誰なんだろう?

 他の天使なのかな?



 僕はおもいきって、

 どうしたの、ハーミア様?

 って聞いてみた。

 そのとたん、ハーミア様のまとっている雰囲気が、すっと重いものに変わった。


 ああ、やっぱり、と僕は思った。

 聞いちゃダメだったんだ。

 迂闊うかつなことを聞いた自分にも、ハーミア様を悲しませた兄上にも、怒りがわいた。



 ハーミア様は遠くを見つめて、ハーモニーだって言った。

 ハーモニー? 

 そういえば、さっきもそんな名前を名乗ってた。

 ハッとした。


 そうだ。

 ハーミア様の名前は兄上が付けたものだった。

 ハムちゃんという愛称で呼べるようにって聞いたことがある。

 ハーミア様なんて呼んだら、兄上のことを思い起こして気分が沈むのかもしれない。



 僕はしばらく考えた後、ハーモニー様って声に出した。

 そうすると、ハーミア様はあわてて、ハーモニーですって言った。

 呼び捨てにしていいってことみたいだった。

 兄上には悪いけど、うれしかった。

 距離が縮まった気がした。

 僕とハーミア様が仲良しだって、認めてもらえた気がした。





 ハーミア様は人の姿をしてても、やっぱりすごかった。

 王都に入る前の街で噂に聞いた、大天使の加護を持った精霊術師が人の姿をしたハーミア様だった。

 魔族四天王を倒して、勲章をいっぱいもらってた。

 兄上の危機も救ったって、あとから王宮で聞かされた。



 ハーミア様は人の姿に変わっても、やっぱり優しかった。

 他の国の王女様と婚約した兄上もちゃんと助けてくれるだなんて、さすがはハーミア様だった。




 王都に来てよかった。

 ハーミア様の無事な姿も拝めた。

 それに、王立学園にハーミア様が一緒に通うって聞いて、僕は舞い上がるほどうれしかった。

 王都に知り合いがいないっていうのもあるけど、ハーミア様と一緒にいられる時間が増えるのが何よりもうれしかった。


 それに、時間をかければ、僕にだってハーミア様の沈んだ心を解きほぐして、笑顔を取り戻すことができるかもしれない。

 そう思った。

 ハーミア様は昔と違って、表情を失くしてしまっていた。

 きっと、兄上のことを想って、いつも心が泣いているんだと思う。


 僕の心の中のハーミア様は、いつもコロコロと楽しそうに笑っていた。

 なんとかしなくちゃ。

 僕はハーミア様じゃなくなったハーモニーに、精一杯の笑みを浮かべて手を振った。





 王都にやってきて、ようやくいろいろなことがわかってきた。

 兄上がハーモニーのことに気が付いていないこと。

 新しい救国のハムスター様はハムスター仲間と暮らしていて、部屋から一歩も外に出ないこと。

 ハーモニーがずいぶん前からハムスターじゃなくなっていたこと。



 ハーモニーはまだ笑ってくれないけど、学園での生活は楽しかった。

 ハーモニーはずっと僕と一緒にいてくれた。

 ユリウスっていう子がハーモニーの絶対結界に弾かれたり、兄上と婚約者の王女様と一緒に昼食をとることになったりと、いろいろあったけど、うまくいっていたと思う。


 精霊祭ではハーモニーと一緒の馬車に乗って、パレードに出ることになった。

 ハーモニーと一緒にお祭りに行って、同じ景色を見るっていう夢がかなった。


 でも、兄上にハーモニーのことがばれてしまった。

 最初はなぜだろうって思ったけど、精霊宮殿の深部にハーモニーが入れてもらえなかった時に、そういうことかって気が付いた。


 ハーモニーが僕に話してくれたことは、ぜんぶ兄上と一緒に経験したことだった。

 子爵家の養女が知ってるはずのないことを、ハーモニーは知ってた。

 兄上がそのことに気が付かないはずがなかった。


 兄上がハーモニーに、君は人なのかって聞いた時、僕はとっさにハーモニーを隠そうとした。

 だって、兄上には他に婚約者がいるんだ。

 ハーモニーは渡せないって思った。

 今の兄上では、ハーモニーを幸せにできない。

 そんなこと、兄上だってわかってるはずだ。



 精霊祭ではいいこともいっぱいあった。

 ハーモニーが笑うのを初めて見た。

 僕に笑いかけたんじゃなくて、護衛の人にだったから、ちょっと妬けたけど。

 すごく小さな声だったけど、笑い声も聞いた。

 僕の顔は真っ赤になってたんじゃないかって思う。

 ハーモニーの笑顔は心をとろけさせる力を持っていた。

 やっぱり、天使だった。

 誰だってあの笑顔を見たら、一目で恋に落ちるって思った。



 あと、シーラ様が僕をハーモニーの婚約者にしてくださるって、おっしゃった。

 思いもよらなかったシーラ様の申し出に、僕は大喜びで飛びついた。

 兄上がハーモニーを幸せにできないんだったら、僕が幸せにしたらいい。

 僕にとってハーモニーは唯一の存在だ。

 絶対に悲しませたりしないって、ハーモニーに約束した。


 シーラ様が出した条件は、僕にとって難なくクリアできることだった。

 ハーモニーがモランデル家を継いで、僕が婿養子となること。

 モランデル家はこの先もずっと、王国一の精霊術師が後を継ぐこと。

 シーラ様のおっしゃることは単純明快だった。

 モランデル家を王国を守る盾とすること。

 ただ、それだけだった。


 僕とハーモニーにはピッタリだと思った。

 ハーミア様だった頃のハーモニーは、シーラ様を褒めることはなかったけど、今では養女になるほどの間柄だ。

 きっとお互い信頼してるんだろう。

 僕はシーラ様の手をとって、ぜひお願いしますって頭を下げた。



 そこまではよかった。

 でも、気が付いた時には、兄上がハーモニーに詰め寄っていた。



 兄上の身勝手な行動を許すわけにはいかなかった。

 僕だって、ついさっきハーモニーに婚約を申し込んだときに、護衛の人の助言で気づかされたばかりだ。

 ハーモニーを悲しませないことがいちばん大切なんだって。

 父上の許しを得て、すべての障害を取り除いた後じゃないと、ダメなんだって。

 兄上はまちがっている。

 ハーモニーを大切に思うなら、兄上だって先にやるべきことがあるはずだって、僕は思った。



 それ以来、僕と兄上は口をきかなくなった。

 僕がまちがっているんだろうかって思うこともある。

 ハーモニーは今でも兄上のことが大好きだ。

 あの護衛の人だって、シーラ様だってわかってるみたいだった。



 それでも、僕は兄上をハーモニーに近寄らせる気はなかった。

 僕はシーラ様と一緒に父上に頭を下げた。

 ハーモニーと一緒にいられるようにって、できるかぎりのことをした。

 シルフィーみたいに飛ぶことはできないけど、お姫様抱っこぐらいはできるようにならなくちゃって、体を少しずつだけど鍛えるようにした。



 新年の行事や建国祭では、すぐ傍にはいられなかったけど、ハーモニーと同じ空気を吸って、同じ時間を感じることができた。

 ハーモニーが前に話してくれてたことを、実際に目で見て、耳で聞いて、同じ体験をして、また、学園でその話をした。

 離宮で夢見てたよりも、ずっとずっと楽しい毎日が過ぎていった。



 でも、ハーモニーは最強の精霊と契約するために、王都から遠く離れたところに行ってしまった。

 シーラ様に尋ねても、もう少ししたら戻ってまいりますって、いつ帰ってくるかは教えてくださらなかった。

 王国のために、力を手に入れて帰ってきますって、シーラ様はおっしゃってくださったけど、僕は不安だった。



 そして、ハーモニーがいない時を見計らったように、あの事件が起きた。

 でも、勇者様がいよいよ処刑台に上がろうかという時に、ハーモニーは帰ってきた。

 さすがはハーモニーだった。

 大天使様と話をして、勇者様の命を助けて、新しい聖剣も貰った。



 父上も大喜びで、なんと僕をハーモニーの婚約者として認めてくださった。



 でも、僕自身が婚約を申し込んで、ハーモニーに許してもらったわけじゃない。

 次の日、僕は朝早くに学園に来て、今か今かとハーモニーが来るのを待っていた。

 ちゃんと自分の言葉で婚約を申し込もうって思ってた。

 でも、待ちに待ったハーモニーを目の前にして、僕は何にも言えなくなっていた。



 馬車から下りたハーモニーは、昨日までのハーモニーじゃなかった。

 昨日見た、優しいほうの大天使様のように、やわらかな春の風をまとっていた。

 いつもの精霊のような硬い表情じゃなく、春の陽だまりを思わせる温かな微笑みを浮かべていた。


 おはようございます、ニルス殿下、ってハーモニーは僕に笑いかけてくれた。

 危うく膝からくずれ落ちそうになった。


 まさしく、天使そのものだった。

 まわりにいた人たちも、ハーモニーを見てとろけそうな、しまりのない顔をしていた。

 あとから馬車を下りてきた、精霊マニアのユリウスだけが、つまらなそうにムスッとしていた。
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