1 / 2
Bar Carpe diem
しおりを挟む
新宿駅東口。独りの少女が吐いた煙を見つめていた。
鹿島一縷。それが少女の名前だ。一縷は二十歳。少女と呼ぶには少し大人すぎるかも知れないが、美しく落ち着いた雰囲気の彼女の心は大人と呼ぶにはあまりにも何も無かった。
先程、登録しているサイトから依頼があった男と食事に行ってきたところだった。とある大きな会社のとある社長。妻子持ちでそれなりに容姿の整った五十台の男だった。一縷の登録しているサイトは高い会費を払って入会する高級レンタル彼女である。三時間ほどの食事で三万円。お小遣いとして二万円。
「楽しかったよ。また君を指名するからよろしくね、ヒカルさん」
男性はそう言ってJR新宿駅へ消えていった。どうして、彼らは高い金額を払ってまで若い女と食事をしたがるのか、一縷には理解出来なかった。高級ソープへ行った方がよっぽど身も心も満たされるのでは、と。一縷が考えを巡らせていると、手元のiPhoneがピコンとマヌケな着信を告げた。
『もうそろそろ着く』
ぶっきらぼうにそれだけが表示された。早く来い、と一縷はiPhoneをきゅっと握った。
「待たせたな」
一縷の頭の上に、男性にしてはやや高めの、気だるそうな声が降ってきた。
「待ったよ。仕事?」
「仕事」
「お疲れ様」
いこう、と一縷は咥えていた煙草を灰皿の中へ放り投げた。
「疲れてんの?」
「疲れてるよ」
「何に?」
「分かれよ」
彼は横目で一縷をちらりと見て歩き出した。
「花は今日どこへ行ってきたの?」
「今日は2件仕事。池袋と新宿で」
彼は花と呼ばれていた。初めて出会った頃、一縷が名を聞いた時にそう呼ぶように言ったのだ。
彼もまた、一縷と似たような仕事をしている男だ。女性に買われてデートや場合によっては身体を重ねる。一縷と違っているのはサイトや店に在籍しているのではなく、完全個人活動。人伝いの口コミやネット募集で成り立たせているところだ。
「今日はどこへ連れて行ってくれるの」
「知り合いがやってるバー。お前みたいなのは行ってみたほうがいい」
私みたいなのってなんだろう。一縷は自分みたいな女が他にもいるのだ、という言い方に少しだけ安堵した。
「結構歩く?」
「結構歩く。好きだろ?歩くの。タクシーでもいいけど」
「いや。歩きたい気分だからちょうどいいよ」
汚い新宿の道を、二人は早足で歩く。別に急いでいる訳ではない。東京では誰もが生き急いでいるのだ。『人間は虫に近い』そう表現したのは一体誰だったかな。一縷は昔読んだ小説の一部を思い出す。なるほど、たしかにこの人の多さは虫に近いのかもしれない。時刻は21:00を過ぎたところだが、昼間と変わらない人々が明るい場所へ、あるいは暗い道へ消えていく。
人、人、人。田舎から出てきた一縷にはこの時間にこんなに人が外を出歩いているのが不可解に思えた。
「二十人も入らない小さなバーなんだけどな。マスターが友達で、色んな人が来るから面白いんだ」
「色んな人?」
「変人って言い方の方が合ってるかもな。良くも悪くも、みんな変わってる。そんな奴らが集まるのさ」
さっきこいつは『お前みたいなの』って言わなかったか。間接的に私を変人だって馬鹿にしているのだろうか。一縷は不快感を覚えたが言葉にはしなかった。
区役所通りを真っ直ぐ行って少し曲がったビルの4F。ガラスで出来た花が飾られている綺麗な扉を、花は無作法に開けた。
「ムラサキ。昨日ぶりだな」
ムラサキ、と呼ばれた男性は煙草を吸いながらこちらを見た。少年のようにも見える、背の低い痩せた男だ。おはよう、と彼ははにかんだ。
「昨日も来てたの?」
「まあな。大体ここにいるよ」
こちらへどうぞ、とムラサキはカウンターへ二人を促した。5人ほど座れる狭いカウンターだ。ズラリとウィスキーやリキュールが並べられた棚を背に、彼は二人におしぼりを渡す。
「花から少し話は聞いていますよ。カルペ・ディエムのマスターの村崎です」
ゆっくりとした口調でムラサキは一縷に名刺を差し出した。店のロゴだろう、紫色の花が一輪描かれた黒い名刺だ。村崎陵太と書かれている。
店内は薄暗く、そして至る所に花瓶が置かれていた。その多くは生花ではなく造花だったが、カウンターに置かれた一輪挿しには薄桃色の薔薇が飾られていた。
「一縷といいます。お花がお好きなんですか?」
名刺を受け取り、一縷は観察するようにムラサキを見た。
「ええ。実家が花屋でして、その影響で」
システムをご説明しますね、とムラサキはメニュー表を開いた。隣で花がビア、と一言注文した。この男、ビールしか飲まないなと一縷は心の中で思った。
「お酒あまり詳しくなくて。甘いカクテルをお任せでお願いします」
「かしこまりました」
ロングカクテルにピーチリキュールを入れてオレンジジュースで割る。その一連の動作を、一縷はくるんとしたまつ毛を少し伏せて眺めた。
「ファジーネーブルです。とてもポピュラーなお酒ですから、飲みやすいし他のお店でも頼みやすいと思いますよ」
ムラサキは入ってきた時と同じようにはにかんで言った。
「平日だからか。人いないな」
乾杯、と花がグラスを傾ける。たしかに二人以外にお客の姿はない。
「そうだねぇ。もう1時間もすれば梓がくるよ」
「お、いいね。こいつのバーデビューには持ってこいだ」
ヘラっと花は口の端を釣り上げて何か悪いことを考えている子供のように笑った。嫌な笑みだ。
「ここはね、なんでか色んな性癖を持った人が集まるんですよ」
花から聞いていますか?とムラサキは続けた。
「性について、一般的にいう普通とは少しズレた人たちが。誰もが自分の信じる愛の形をお話ししに来る、そんな所なんです。それこそ一縷さんのように若い方から、60代のマダムまで幅広くいらっしゃいます。公共の場ではお話ししずらい事も、ここなら誰もが受け入れて聞いてくれるからなんの配慮もなく自分の正義を曝け出せると言っていただけますね」
「俺はそんな話を聞くのが好きで来てるんだ」
手元のおしぼりを弄びながら花が言った。
「あの、お恥ずかしい話ですが異性に好意を持ったことがなくて」
「ではこの店は一縷さんにピッタリかもしれませんね。一縷さんの真っ白な本にみなさんがさまざまな恋事情を書いてくださいますよ」
嫌なのだが。
「俺は思うんだ。お前はいわゆる普通のやつらとは違う雰囲気がある。多分普通の恋愛は難しい。今まで関わってきた人間みんな普通だったろ?だから好きになったりしなかったんだよ。お前は変わったやつらと関係を持った方がいい」
「勝手なことを。私はいたって普通だよ」
クスクスとムラサキは上品に笑った。桜が風に揺られるような、そんな笑い方だ。
「彼らは自分達が変わっているという自覚がある分、常識に敏感です。普通じゃないといっても人を傷付けるような事はしない真摯な方ばかりですから」
「たとえば、どんな方がいらっしゃるんですか?」
「今から来る梓さんは、分かりやすく言うと女王様です。マゾヒストの男性や女性を相手にするお仕事をなさってます。ご自分でサロンもやってらっしゃるプロなんですよ」
「それなら私も知ってます」
なんだ、変わっているといってもそういう性癖の話しか。と一縷はほっとした。常軌を逸した変態が来てしまったらどうしようかと思った。
「すごくいい人さ。変わってるけど、芯が通ってて。美人だしな」
「おや、噂をすれば」
チリン、とベルが鳴って背が高くて細い女性が入ってきた。
「なぁに?私のお話をしていたのかしら」
「ええ。お久しぶりですね梓さん」
「本当に。お仕事もプライベートも忙しくてなかなか来れなくてごめんなさいね」
マルガリータくださる?と彼女は一つ飛ばした花の隣に座った。
「ずいぶん可愛い子を連れているのね花くん。珍しいじゃない」
「まあね。社会見学さ」
「あら、こんな良くないところに社会見学だなんて悪い大人ね」
はじめましてお嬢さん、と梓は目を細めて笑いかけた。その色気のある美しさに思わず一縷は息を詰まらせる。
「はじめまして。一縷といいます」
「いい名前ね。私は梓よ。花くんのお友達?」
お友達なのだろうか。一縷と花は友人とも恋人とも言い表せない奇妙な関係性であるので、どう言っていいか分からず、そうです、と答えた。
「良くないところなんて酷いですね」
ムラサキはちっとも酷いなんて思っていないような口調でマルガリータを梓に渡した。キラキラした爪を反射させながら梓はグラスを受け取る。
「気を悪くしちゃったかしら?ごめんなさいね。乾杯しましょう」
「いただきます」
カチンと2人はグラスを鳴らした。大人で淫美な雰囲気に一縷は胸焼けを覚える。
「一縷さんは今おいつくか聞いてもいいかしら?」
「20歳です」
「まあ、私と12違うのね」
「えっ?32歳なんですか?!」
衝撃の事実に普段大きな声を出さない一縷が声をあげた。どうみても梓の見た目年齢層は20代にしか見えない。
「若作り頑張ってるのよ。けどやっぱり若い子には負けちゃうわね。お肌ぴちぴちだもの」
「その発言はおばさんだな」
おかしそうに花が笑った。そんな花を軽く梓がこづいた。
「花君だって、私より少し年下なだけのくせに」
「俺は年相応を目指してる」
あっ、そう。と梓はぷいとそっぽを向いた。
「嫌な人ね。一縷さん、これからはお姉さんがいろんな世界を見せてあげるからね」
「よろしくお願いします」
ふふっと梓と一縷は笑い合った。
「一縷さんさえよければ私のサロンに遊びにいらっしゃいな。今度緊縛ショーをやるのよ」
「宣伝だ」
ビア、と花はムラサキに言いながらまた揶揄うように言った。そんな花を無視して梓は話を続ける。
「私、SMのサロンをしているの。緊縛師として講師もしていてね。今度生徒さんたちの発表会をするのよ。私も最後に出るんだけどね。音楽に合わせて人を吊ったり、生け花みたいに飾ってみたり、虫を這わせてみたり」
「面白そうですね」
一縷は店の不思議な雰囲気と梓の心地よい話し方に呑まれつつあった。知らない世界。おかしな世界。そこへ引き込まれるような感覚がした。
「お暇があったら是非来て。体験も出来るけどそれは興味があったらで構わないわ。花君も来てくれるんでしょ?」
「来週の日曜だっけ?空けとくよ」
ありがとう、と梓は一縷に名刺を渡した。『SM&Fetish Bar ファンタジー』と書かれていて、裏面には地図が載っている。
「五反田ですか」
「ええ。五反田は風俗店やこういうバー多いからね」
知っている。仕事で何度も足を運んでいる街だ。梓もきっと分かっていて言っているのだろう。
それから3人は2時間ほどムラサキを交えて談笑を続けた。2時間の間に梓のほかに客がくることはなかった。いつもはもう少し人がいるんですけどね、とムラサキは恥ずかしそうに言ったが、一縷としてはあまり人がこなくてほっとしていたのが本音だ。彼女はあまり大勢を好まないのだ。
23:00を過ぎたところで、終電があるし、と花がお会計をもらった。
「あら、もう行ってしまうの?寂しいわ」
「思ってもないくせに」
「一縷ちゃんよ。ばか」
置いていきなさいよ、と3杯目のマルガリータをぐいと一気に流し込んで梓が言った。少し赤く染まった頬がより色っぽい。
「うるせえな。また連れて行くし、イベントも行くよ」
「今日はありがとうございました。イベント、楽しみにしてます」
2時間の間で、一縷はすっかり梓を好きになっていた。大人の女性ときちんと話す経験がなかった彼女は、歳の離れたお姉さんが出来た気持ちになっていた。一縷ちゃん、と親しみを込めた呼び名に変わったのも嬉しかった。
「良い子ね。私も来てくれるのすごく楽しみにしてるわ。また会いましょう」
「また来てくださいね。僕も待っていますから」
ムラサキは扉を開けるためにバーカウンターから出てきて言った。出てきて分かったが、すらっとしていてらとてもスタイルがいい。
「また来ます」
チリン、とベルが鳴って、2人は店を出た。
「どうだっか?良い店だろ」
歩きタバコをしながら、花は一縷に聞いた。
「うん。とても面白かったよ」
「そりゃあ良かった。お前にあの店は必ず合うと思ってたんだ」
少し誇らしげな花に少しむっとしたが、今回ばかりは花に感謝したい気持ちだった。東京へ出てから自分の客以外と話すことがあまりなく、友人と呼べる相手もいなかった一縷にとって、カルペディエムは交流関係を広げる場としてはありがたかった。
「ありがとう」
「どういたしまして」
そして2人は新宿駅へ入って行った。
鹿島一縷。それが少女の名前だ。一縷は二十歳。少女と呼ぶには少し大人すぎるかも知れないが、美しく落ち着いた雰囲気の彼女の心は大人と呼ぶにはあまりにも何も無かった。
先程、登録しているサイトから依頼があった男と食事に行ってきたところだった。とある大きな会社のとある社長。妻子持ちでそれなりに容姿の整った五十台の男だった。一縷の登録しているサイトは高い会費を払って入会する高級レンタル彼女である。三時間ほどの食事で三万円。お小遣いとして二万円。
「楽しかったよ。また君を指名するからよろしくね、ヒカルさん」
男性はそう言ってJR新宿駅へ消えていった。どうして、彼らは高い金額を払ってまで若い女と食事をしたがるのか、一縷には理解出来なかった。高級ソープへ行った方がよっぽど身も心も満たされるのでは、と。一縷が考えを巡らせていると、手元のiPhoneがピコンとマヌケな着信を告げた。
『もうそろそろ着く』
ぶっきらぼうにそれだけが表示された。早く来い、と一縷はiPhoneをきゅっと握った。
「待たせたな」
一縷の頭の上に、男性にしてはやや高めの、気だるそうな声が降ってきた。
「待ったよ。仕事?」
「仕事」
「お疲れ様」
いこう、と一縷は咥えていた煙草を灰皿の中へ放り投げた。
「疲れてんの?」
「疲れてるよ」
「何に?」
「分かれよ」
彼は横目で一縷をちらりと見て歩き出した。
「花は今日どこへ行ってきたの?」
「今日は2件仕事。池袋と新宿で」
彼は花と呼ばれていた。初めて出会った頃、一縷が名を聞いた時にそう呼ぶように言ったのだ。
彼もまた、一縷と似たような仕事をしている男だ。女性に買われてデートや場合によっては身体を重ねる。一縷と違っているのはサイトや店に在籍しているのではなく、完全個人活動。人伝いの口コミやネット募集で成り立たせているところだ。
「今日はどこへ連れて行ってくれるの」
「知り合いがやってるバー。お前みたいなのは行ってみたほうがいい」
私みたいなのってなんだろう。一縷は自分みたいな女が他にもいるのだ、という言い方に少しだけ安堵した。
「結構歩く?」
「結構歩く。好きだろ?歩くの。タクシーでもいいけど」
「いや。歩きたい気分だからちょうどいいよ」
汚い新宿の道を、二人は早足で歩く。別に急いでいる訳ではない。東京では誰もが生き急いでいるのだ。『人間は虫に近い』そう表現したのは一体誰だったかな。一縷は昔読んだ小説の一部を思い出す。なるほど、たしかにこの人の多さは虫に近いのかもしれない。時刻は21:00を過ぎたところだが、昼間と変わらない人々が明るい場所へ、あるいは暗い道へ消えていく。
人、人、人。田舎から出てきた一縷にはこの時間にこんなに人が外を出歩いているのが不可解に思えた。
「二十人も入らない小さなバーなんだけどな。マスターが友達で、色んな人が来るから面白いんだ」
「色んな人?」
「変人って言い方の方が合ってるかもな。良くも悪くも、みんな変わってる。そんな奴らが集まるのさ」
さっきこいつは『お前みたいなの』って言わなかったか。間接的に私を変人だって馬鹿にしているのだろうか。一縷は不快感を覚えたが言葉にはしなかった。
区役所通りを真っ直ぐ行って少し曲がったビルの4F。ガラスで出来た花が飾られている綺麗な扉を、花は無作法に開けた。
「ムラサキ。昨日ぶりだな」
ムラサキ、と呼ばれた男性は煙草を吸いながらこちらを見た。少年のようにも見える、背の低い痩せた男だ。おはよう、と彼ははにかんだ。
「昨日も来てたの?」
「まあな。大体ここにいるよ」
こちらへどうぞ、とムラサキはカウンターへ二人を促した。5人ほど座れる狭いカウンターだ。ズラリとウィスキーやリキュールが並べられた棚を背に、彼は二人におしぼりを渡す。
「花から少し話は聞いていますよ。カルペ・ディエムのマスターの村崎です」
ゆっくりとした口調でムラサキは一縷に名刺を差し出した。店のロゴだろう、紫色の花が一輪描かれた黒い名刺だ。村崎陵太と書かれている。
店内は薄暗く、そして至る所に花瓶が置かれていた。その多くは生花ではなく造花だったが、カウンターに置かれた一輪挿しには薄桃色の薔薇が飾られていた。
「一縷といいます。お花がお好きなんですか?」
名刺を受け取り、一縷は観察するようにムラサキを見た。
「ええ。実家が花屋でして、その影響で」
システムをご説明しますね、とムラサキはメニュー表を開いた。隣で花がビア、と一言注文した。この男、ビールしか飲まないなと一縷は心の中で思った。
「お酒あまり詳しくなくて。甘いカクテルをお任せでお願いします」
「かしこまりました」
ロングカクテルにピーチリキュールを入れてオレンジジュースで割る。その一連の動作を、一縷はくるんとしたまつ毛を少し伏せて眺めた。
「ファジーネーブルです。とてもポピュラーなお酒ですから、飲みやすいし他のお店でも頼みやすいと思いますよ」
ムラサキは入ってきた時と同じようにはにかんで言った。
「平日だからか。人いないな」
乾杯、と花がグラスを傾ける。たしかに二人以外にお客の姿はない。
「そうだねぇ。もう1時間もすれば梓がくるよ」
「お、いいね。こいつのバーデビューには持ってこいだ」
ヘラっと花は口の端を釣り上げて何か悪いことを考えている子供のように笑った。嫌な笑みだ。
「ここはね、なんでか色んな性癖を持った人が集まるんですよ」
花から聞いていますか?とムラサキは続けた。
「性について、一般的にいう普通とは少しズレた人たちが。誰もが自分の信じる愛の形をお話ししに来る、そんな所なんです。それこそ一縷さんのように若い方から、60代のマダムまで幅広くいらっしゃいます。公共の場ではお話ししずらい事も、ここなら誰もが受け入れて聞いてくれるからなんの配慮もなく自分の正義を曝け出せると言っていただけますね」
「俺はそんな話を聞くのが好きで来てるんだ」
手元のおしぼりを弄びながら花が言った。
「あの、お恥ずかしい話ですが異性に好意を持ったことがなくて」
「ではこの店は一縷さんにピッタリかもしれませんね。一縷さんの真っ白な本にみなさんがさまざまな恋事情を書いてくださいますよ」
嫌なのだが。
「俺は思うんだ。お前はいわゆる普通のやつらとは違う雰囲気がある。多分普通の恋愛は難しい。今まで関わってきた人間みんな普通だったろ?だから好きになったりしなかったんだよ。お前は変わったやつらと関係を持った方がいい」
「勝手なことを。私はいたって普通だよ」
クスクスとムラサキは上品に笑った。桜が風に揺られるような、そんな笑い方だ。
「彼らは自分達が変わっているという自覚がある分、常識に敏感です。普通じゃないといっても人を傷付けるような事はしない真摯な方ばかりですから」
「たとえば、どんな方がいらっしゃるんですか?」
「今から来る梓さんは、分かりやすく言うと女王様です。マゾヒストの男性や女性を相手にするお仕事をなさってます。ご自分でサロンもやってらっしゃるプロなんですよ」
「それなら私も知ってます」
なんだ、変わっているといってもそういう性癖の話しか。と一縷はほっとした。常軌を逸した変態が来てしまったらどうしようかと思った。
「すごくいい人さ。変わってるけど、芯が通ってて。美人だしな」
「おや、噂をすれば」
チリン、とベルが鳴って背が高くて細い女性が入ってきた。
「なぁに?私のお話をしていたのかしら」
「ええ。お久しぶりですね梓さん」
「本当に。お仕事もプライベートも忙しくてなかなか来れなくてごめんなさいね」
マルガリータくださる?と彼女は一つ飛ばした花の隣に座った。
「ずいぶん可愛い子を連れているのね花くん。珍しいじゃない」
「まあね。社会見学さ」
「あら、こんな良くないところに社会見学だなんて悪い大人ね」
はじめましてお嬢さん、と梓は目を細めて笑いかけた。その色気のある美しさに思わず一縷は息を詰まらせる。
「はじめまして。一縷といいます」
「いい名前ね。私は梓よ。花くんのお友達?」
お友達なのだろうか。一縷と花は友人とも恋人とも言い表せない奇妙な関係性であるので、どう言っていいか分からず、そうです、と答えた。
「良くないところなんて酷いですね」
ムラサキはちっとも酷いなんて思っていないような口調でマルガリータを梓に渡した。キラキラした爪を反射させながら梓はグラスを受け取る。
「気を悪くしちゃったかしら?ごめんなさいね。乾杯しましょう」
「いただきます」
カチンと2人はグラスを鳴らした。大人で淫美な雰囲気に一縷は胸焼けを覚える。
「一縷さんは今おいつくか聞いてもいいかしら?」
「20歳です」
「まあ、私と12違うのね」
「えっ?32歳なんですか?!」
衝撃の事実に普段大きな声を出さない一縷が声をあげた。どうみても梓の見た目年齢層は20代にしか見えない。
「若作り頑張ってるのよ。けどやっぱり若い子には負けちゃうわね。お肌ぴちぴちだもの」
「その発言はおばさんだな」
おかしそうに花が笑った。そんな花を軽く梓がこづいた。
「花君だって、私より少し年下なだけのくせに」
「俺は年相応を目指してる」
あっ、そう。と梓はぷいとそっぽを向いた。
「嫌な人ね。一縷さん、これからはお姉さんがいろんな世界を見せてあげるからね」
「よろしくお願いします」
ふふっと梓と一縷は笑い合った。
「一縷さんさえよければ私のサロンに遊びにいらっしゃいな。今度緊縛ショーをやるのよ」
「宣伝だ」
ビア、と花はムラサキに言いながらまた揶揄うように言った。そんな花を無視して梓は話を続ける。
「私、SMのサロンをしているの。緊縛師として講師もしていてね。今度生徒さんたちの発表会をするのよ。私も最後に出るんだけどね。音楽に合わせて人を吊ったり、生け花みたいに飾ってみたり、虫を這わせてみたり」
「面白そうですね」
一縷は店の不思議な雰囲気と梓の心地よい話し方に呑まれつつあった。知らない世界。おかしな世界。そこへ引き込まれるような感覚がした。
「お暇があったら是非来て。体験も出来るけどそれは興味があったらで構わないわ。花君も来てくれるんでしょ?」
「来週の日曜だっけ?空けとくよ」
ありがとう、と梓は一縷に名刺を渡した。『SM&Fetish Bar ファンタジー』と書かれていて、裏面には地図が載っている。
「五反田ですか」
「ええ。五反田は風俗店やこういうバー多いからね」
知っている。仕事で何度も足を運んでいる街だ。梓もきっと分かっていて言っているのだろう。
それから3人は2時間ほどムラサキを交えて談笑を続けた。2時間の間に梓のほかに客がくることはなかった。いつもはもう少し人がいるんですけどね、とムラサキは恥ずかしそうに言ったが、一縷としてはあまり人がこなくてほっとしていたのが本音だ。彼女はあまり大勢を好まないのだ。
23:00を過ぎたところで、終電があるし、と花がお会計をもらった。
「あら、もう行ってしまうの?寂しいわ」
「思ってもないくせに」
「一縷ちゃんよ。ばか」
置いていきなさいよ、と3杯目のマルガリータをぐいと一気に流し込んで梓が言った。少し赤く染まった頬がより色っぽい。
「うるせえな。また連れて行くし、イベントも行くよ」
「今日はありがとうございました。イベント、楽しみにしてます」
2時間の間で、一縷はすっかり梓を好きになっていた。大人の女性ときちんと話す経験がなかった彼女は、歳の離れたお姉さんが出来た気持ちになっていた。一縷ちゃん、と親しみを込めた呼び名に変わったのも嬉しかった。
「良い子ね。私も来てくれるのすごく楽しみにしてるわ。また会いましょう」
「また来てくださいね。僕も待っていますから」
ムラサキは扉を開けるためにバーカウンターから出てきて言った。出てきて分かったが、すらっとしていてらとてもスタイルがいい。
「また来ます」
チリン、とベルが鳴って、2人は店を出た。
「どうだっか?良い店だろ」
歩きタバコをしながら、花は一縷に聞いた。
「うん。とても面白かったよ」
「そりゃあ良かった。お前にあの店は必ず合うと思ってたんだ」
少し誇らしげな花に少しむっとしたが、今回ばかりは花に感謝したい気持ちだった。東京へ出てから自分の客以外と話すことがあまりなく、友人と呼べる相手もいなかった一縷にとって、カルペディエムは交流関係を広げる場としてはありがたかった。
「ありがとう」
「どういたしまして」
そして2人は新宿駅へ入って行った。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる