前世の私は幸せでした

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17 二つの人格

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「フィグ……?」
「ぶあーお」
「さっきの男の人も?」
「ぶあっ」
「ほんとに?」
「ぶあっ!!」

 問いかけるように呟くと、尻尾を揺らしながら、恐らく肯定であろう返事が返ってくる。
 にわかには信じられないが、今、グレースの足元にいるのは、先程までそこに居た青年ではなく、確かにフィグだ。

(確かに、魔法が使えれば出来ない事じゃないけど、でも、待って……一緒に散歩したり、ご飯食べたり、膝の上で寝てたのも、全部あの男の人だったってこと……?)

 入院生活の殆どをフィグと過ごしていたと言っても過言ではない。
 今まで共に過ごした記憶が、黒猫から青年姿のフィグに置き換えられ、グレースの脳内を走馬灯のように駆け巡っていく。

「オルストン嬢、オルストン嬢!……これは、混乱で固まってますね」
「ぶっ……」

 フィグをみつめたまま動きを止めたグレースを、伺うように覗き込むブラム。
 まさか固まられるとは思ってもいなかったのだろう。フィグは困った様に耳を伏せて、小さく鳴いた。

「おねえさん、大丈夫?」
「はっ……!!」

 リヴェルが服の袖を軽く引っ張ると、息を吹き返したようにグレースの身体が跳ねた。

「あ、わたしっ」
「ちょっと固まってましたね。大丈夫ですか?」
「ご、ごめんなさい! 大丈夫、大丈夫なんですけど……!」

 我に返ったグレースに、にこやかにブラムが微笑みかけると、グレースは焦ったように胸の前で右手を振る。そして、伏し目がちに口を開いた。

「あの、つまり、私は男の人と入院生活を共にしてたという事でしょうか……?」

 赤面交じりの困惑したグレースの表情に、無理もないとブラムは苦笑した。
 身近で生活してきた猫が、実は人間の異性だったと知れば、年頃のグレースでなくても誰だって混乱するだろう。
 当のフィグはというと、グレースの言葉と表情に「なぜ今更そんな事を気にするのか?」と言いたげに、クエスチョンを浮かべて首を傾げている。

「人語を理解し、人間の姿に変化する事ができますが、フィグはあくまで猫です。その証拠に、人間の機微というものに疎くてですね、今、オルストン嬢が困惑してる理由も分かってません」
「おい、なんか馬鹿にしてるだろ」
「!?」

 ブラムがフィグを指し示したかと思うと、今度は青年ではなく、十歳くらいの少年の姿に変化した。
 白衣でも着流し姿でもなく、黒いシャツと短パン姿だが、黒い髪と白い瞳は変わっていない。
 不満げなフィグには取り合わず、ブラムは続けた。

「このように、年齢も関係ないんです。なろうと思えば女性にもなれます。だから、オルストン嬢は男性と生活していたわけではありませんよ」
「そう、なんですね……。それを聞いて、少し落ち着きました」

 多少驚いてはいるものの、安堵の表情を見せたグレースに、変わらずにこやかにブラムは微笑む。

「何だ? グレースは男の姿が嫌なのか? 嫌なら変わるぞ」
「嫌というわけではないけれど、男の人と生活してたらと思うと、少し気恥ずかしかったというか……。えっと、フィグは誰にでもなれるの?」

 真っ直ぐにみつめてくるフィグの見慣れぬ姿に多少たじろぎながらも、グレースは疑問を口にした。

「見た事ある人間なら、大体のは似せれる。ただ、細かいとこまできっちり一緒にしたり、そもそも見た事ない奴は力の消費がでかくて腹減るから、やりたくないな」

 フィグはソファーに座り直して、足と腕を組み、ふんすっと鼻を鳴らした。
 フィグのそんな姿は、華奢な少年姿という事もあってか、威圧感が消え、なんだか愛らしい。グレースにしがみ付いていたリヴェルも先程までの怯えが薄れたようで、グレースの袖を握る力が随分と抜けている。
 しかし、フィグの変化に、グレースほど驚いた様子をリヴェルは見せていなかった。

「リヴェル君は知ってた?」
「うん。黒猫のおにいさん、よく部屋に来るから」
「……チッ。おい、ブラム。聞く事は聞いたし、もういいだろ」

 リヴェルの言葉に眉根を寄せて舌打ちをすると、フィグは座り直したソファーから立ち上がり、グレースの隣に立つ。

「部屋戻るぞ、グレース」
「ええと……」

 急な事に戸惑いながらブラムを見ると「構いませんよ」と返される。
 本当に良いのだろうかとも思ったが、今回の騒動や犯人達について、グレースにはこれ以上話せる事はない。何故だか不機嫌そうなフィグの様子も考えると、このまま離席する方が良いだろう。

「じゃあ、失礼します」
「あっ……」

 立ち上がり離れるグレースに、リヴェルは名残惜しそうに手を伸ばしたが、すぐにその手を引っ込め、静かに俯く。
 そんなリヴェルに気付き、グレースは視線を合わるようにしゃがみ込んだ。

「言うのが遅れちゃったけど、さっきは庇ってくれて有難う、リヴェル君。今度一緒にご飯でもどうかしら?」
「えっ……」

 リヴェルは突然の申し出に目を丸くし、俯いていた顔を上げてグレースを見た。

「私のお友達が、ここの厨房で働いてるんだけど、リヴェル君があんまりご飯食べてないの心配してたわ。一人で食べるより、一緒に食べる方が楽しいし、ご飯もいっぱい食べれるかなって思ったんだけど、どうかしら? 勿論、ブラム先生のお許しが出ればだけど」
「……っ! うん、うんっ!」

 瞳を輝かせながら何度も頷くリヴェルに微笑んで、グレースはブラムに視線を移した。

「良いでしょうか? ブラム先生」
「……そんなに嬉しそうな表情を見せられては、駄目とは言えませんね。ただし、色々と条件が付いてしまいますが……。守れますか? リヴェル殿」

 ブラムの問いに、リヴェルは更に力強く頷く。
 一人、不服そうな表情を浮かべているフィグに気付いたが、見ないふりをしてブラムは続けた。

「では、リヴェル殿の体調等の様子をみて、大丈夫そうな時は、オルストン嬢にお知らせしますね」
「はい、宜しくお願いします。それじゃあ、またね。リヴェル君」
「うんっ!」

 満面の笑みのリヴェルに見送られ、グレースはフィグと共に部屋を後にした。

「よく平気だな」

 特別室を出て病室に向かう途中、グレースの隣を歩くフィグが口を開いた。
 その姿は少年のまま、杖をつくグレースに合わせて、ゆっくりと歩幅を合わせてくれている。
 言葉の意味が分からずフィグを見ると、視線は前を向いたまま「リヴェルの事だよ」と返された。

「あいつに殺されそうになったの、忘れたわけじゃないだろ。あんな思いさせられて、何で助けた?」

 数日前、殺意を向けてきた少年の事を、グレースは思い出す。

(やっぱり、あれもリヴェル君だったんだ)

 見た目は同じでも、あまりの雰囲気の違いに、もしかしたら別人かもしれないと思っていたが、やはり同一人物だったらしい。

「連れていかれちゃうと思って、とっさの事だったの。それに、あの時みたいな恐怖は感じなくて……まるで別人みたいだったから」
「別人、ね」
「フィグは、リヴェル君が嫌い?」

 リヴェルと対峙している時のフィグの様子は、決して好意的なものではなかった。

「そんなの……いや、ちょっと違うか」

 当たり前と続くのかと思いきや、フィグは少しだけ考え込むような素振りを見せる。

「リヴェル、別に嫌いじゃない」

 多少強調するような言い方に疑問を持ったが、理由を尋ねる前に、二人はグレースの病室に辿り着いた。
 扉を開けて中に入り、籠った空気を入れ替えようとグレースが窓を開けると、気持ちの良い風が吹き込んでくる。

「嫌いなのは、中にいる奴だ」

 聞こえてきた声に振り返ると、フィグはグレースと向き合う様に、ベッドの上にひょいっと飛び乗った。

「中?」
「リヴェルは、二重人格なんだよ」

 グレースは、わずかに目を見開いた。

「グレースを殺そうとしたのは、リヴェルじゃなく、あいつの中にいるもう一人の方だ」
「二重、人格……」

 驚きはしたが、リヴェルの別人具合を目の当たりにしているグレースにとって、その言葉は納得がいくものだった。

「リヴェルは、癇癪さえ起こさなきゃ大人しいガキだから嫌いじゃない。けど、サーリーは別だ。何考えてるか分からない上に、ことあるごとに喧嘩売ってきやがる」
「サーリー?」
「もう一人の方の名前」

 余程嫌いなのか、苦々しい顔でフィグは名前を口にした。

「二重人格の人に、会うのは初めてだわ」
「ブラムが言うには、記憶転移症者に極まれーーーに、あるんだと。うん十年ぶりの症例だとか何とか」
「転移症者にある症状なの?」
「なんでも、前世の記憶が受け入れられなくて、前世と今で人格を分けちまうとか。詳しく知りたいならブラムに聞いた方が良い」
「じゃあ、その、サーリーは、リヴェル君の前世ってこと?」
「あぁ。だから、リヴェルには近づかない方がいい」

 子供の姿にはそぐわない、フィグのまじめな表情。
 心配してくれているのだと、グレースも分からないわけではない。

「また、殺されそうになるかもしれないから?」
「……危険なんだよ。そもそも、あの部屋の結界は、何しでかすか分からないサーリーを外に出さない為に張ったもんだ。あいつは性格も、前世での行いも褒められたもんじゃない」
「でも、リヴェル君はそんな悪い子には見えなかったわ」
「いくら別人に見えても、サーリーはリヴェルの前世。魂は一緒だ。いつまた殺そうとしてくるか分からないし、一緒に飯食うのも、止めた方がいい」
「そんな……」

 それは多少横暴ではないかと思ったが否定はできず、グレースは何も言えなくなる。
 人格は違えど、魂は同じ。同じく転移症者であるグレースには、身をもって理解できるからだ。

「……フィグの言う事も分かるわ。でも、約束したもの」

 あの時の殺意を思い出すと、今でも身がすくむ。だが、誘拐されそうになった時、力強く握られた手の感触や、食事の約束ひとつで心底嬉しそうに笑うリヴェルの事を考えると、どうしても放ってはおけない。

「あんなに小さな子との約束を破るなんて出来ないわ。私、昔から子供に弱いのよ」

 自分の身が危険だと言われても、幼いリヴェルをどうしても放っておけないのは、きっとさがなのだろう。
 前世である善子に子供は居なかったが、善子の弟妹が幼かった頃や、春と桜の兄妹を、リヴェルに重ねてしまうのだ。
 そう言い切り、笑顔を向けるグレースに、フィグはわざとらしく嘆息する。
 グレースからの返事は、フィグの予想通りのものだった。

「……そう言うと思ったよ。ま、俺とブラムも一緒だろうしな。そうじゃなきゃ、危険と分かっててブラムが承諾するわけないし」
「じゃあ、皆で一緒に食事が出来るのね!」

 一変して嬉しそうに手を合わせ、先程のリヴェルのように瞳を輝かせるグレースに、フィグはついつい吹き出してしまう。

「あら、私何かおかしなこと言った?」
「いーや。嬉しそうで何より」
「!?」

 笑うフィグを覗き込むようにして顔を近づけるグレースの鼻先目掛けて、フィグは自身の鼻先をちょんっと当てる。
 猫の姿のフィグにやられる事は度々あったが、今のフィグは少年だ。
 面食らって赤面するグレースを横目に、フィグは大きく欠伸をする。

「ふぁあーあ……。じゃ、俺は寝る」
「え!? ちょっと待って、まだ聞きたいことが……」
「ずっとブラムに付き合ってて俺も寝不足なんだ。これ以上は痩せちまう」
「それについても聞きたいんですが!?」
「んー? 力使い過ぎると痩せちまうんだよ。あ、リヴェルの事は他言無用な。おやすみ」
「あ……!」

 力なく答えると瞼を閉じ、フィグはそのままベッドに倒れ込むと同時に、いつものふくよかな黒猫に戻ってしまう。

「寝ちゃった」

(どうして人になれるのかとか、着流しとか、刀とか、他にも色々聞きたかったんだけど)

 こちらの世界では見慣れない姿に日本を思い出し、色々と聞いてみたかったのだが、誘拐騒ぎのせいで寝不足なのだと思うと、無理強いは出来ない。
 フィグが万全な時にゆっくりと話を聞こうと思い直し、グレースは、ぷうぷうと鼻を鳴らして眠るフィグに「おやすみ」と声を掛け、柔らかな毛並みをそっと撫でた。


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