前世の私は幸せでした

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18 もう一人の悪として

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「失礼します」

 深夜、特別個室からの呼び出しにブラムが足を運ぶと、窓辺で椅子の上に胡坐をかき、外を眺めるリヴェルの姿があった。
 普段、閉じられている窓は開け放たれ、夜風に吹かれるリヴェルは鼻歌交じりで上機嫌だ。
 開いた窓と胡坐をかく姿に、彼がリヴェルではない事をブラムは確信する。

「やっぱり貴方でしたか、サーリー」
「なんだよ、先生。俺の事はリヴェルみたいに、サーリー殿って呼んでくれねぇの?」
「あれはオルストン嬢の前でしたから。普段は呼び捨てだって貴方も知ってるでしょう。それに、そう呼ばれたければ、もう少し敬える行動をしてください」
「ははっ、ひでー」

 酷いという割には、さして気にも留めていないようで、それ以上追及されることはなかった。
 もう一人の身体の主が気にかかり、ブラムはサーリーに問いかける。

「リヴェルは?」
「寝てるよ。喜び疲れて爆睡だ。ちょっとやそっとじゃ起きやしない」
「そうですか。それで、用件はなんです? 体調が悪いようにも見えませんが」
「まぁ、座んなよ。用件ってほどでもないし、ちょっと話相手が欲しかっただけでさ」
「ご冗談を。わざわざリヴェルが眠ったのを見計らって呼び出すくらいです。何かあるんでしょう?」

 手近な椅子を引き寄せて、ブラムはサーリーと向かい合うように座った。
 脚を組み、真顔で見据えてくるブラムに「つれないなぁ」とサーリーは笑う。

「それじゃ単刀直入に。誘拐犯どもの黒幕は?」

 ピクリと、ブラムの眉が動いたのをサーリーは見逃さない。

「いるんでしょ?」
「何を根拠に……」
「分かるさ! 」

 ブラムの言葉を遮る様に言い放ち、サーリーは大仰に両腕を広げて見せた。

「あの二人、本来なら悪事なんて出来ないような、善人じみた貧乏人だろう?」
「どうして分かるんです」
「身なりと言動見てりゃ分かるよ。弟の方なんざ特にそうだ。恐らく、兄貴の方が金に困ってるところを付けこまれたか、そそのかされでもしたんじゃない? 俺みたいな奴に」

 からからと、サーリーは笑う。
 その姿は、見れば見る程、普段のリヴェルからは想像も出来ない。

「先生さ、どうしようもなく金に困って、切羽詰まって悪事に手を染めるってなったら何する?」
「しませんよ、そんなこと」
「いーから。例えばの話だよ」

 どういう状況になろうとも悪事を働くつもりはないが、答えなければ会話が進みそうにない。
 顎に手を添え、ブラムは少しだけ考え込む素振りを見せた。

「窃盗、でしょうか」
「そ。それが普通」

 びしりと指を指してくるサーリーに、どういう事かと視線を投げかける。

「そういう状況になった時、普通は先生みたいに、金を盗もうって思うのが一般的だと思うんだよね。なのに、あの兄弟はなんで誘拐を選んだのかと思って。金欲しさに誘拐なんてリスク高くて面倒な真似、悪人でも選ぶ奴はなかなか居ないよ。しかも、誘拐相手が病人の貴族だぁ? 素人のどこからそんな発想が出てくるんだよ」
「つまり、誰かが彼らに誘拐の案を提示したと?」
「その通り! それに結界侵入の魔道具なんて高いもん、貧乏大工がどうやって手に入れられる? つーか、どうしてこの部屋に結界があること知ってるのさ」
「……」
「他にも色々疑問はあるけど、俺が考えつくような事だ。先生だって考えついてただろ? そして、とっくに調べ上げてる筈だ。なぁ、先生」

 返事を返さないブラムに構わず、サーリーは嬉々として言葉を続ける。

「黒幕は、王妃様かい?」

 サーリーの言う王妃とは、リヴェルの実の母にして、現国王の正妃。
 まるでその言葉が予測できていたかのように、ブラムは顔色ひとつ変えない。

「不敬ですよ」
「不敬で結構。俺はこの世界の人間じゃないのに、敬う必要がどこにあるのさ」

 例えば、同じ世界の人間だとしても、サーリーが王族や貴族といったものを敬う事はないだろう。彼はそういう人間だ。
 堂々と王妃を疑う発言をするサーリーに、自身の身体がリヴェルのものであるという自覚を持ってほしいものだと、ブラムは思う。どこに他者の目と耳があるか、分かったものではないのだ。

 小さく溜息を吐いて、ブラムは口を開いた。

「確かに、弟の話だと、兄の方が何者かに唆された可能性があるようです。ある日、酒場から帰ってきた兄が魔道具を手に、誘拐の計画を話してきたと」
「ほらな」
「でも、その何者かの正体までは掴めませんでした。まして、王妃様が関わっている証拠はどこにもありません」
「兄貴の方問い詰めりゃあいいじゃん。拷問なりなんなりしてさ」
「ここをどこだと思ってるんですか……。兄の方にも話を聞きましたが、覚えていないそうです」
「はぁ? そんなん嘘に決まって……」
「兄、ダイナーには、魔法が使われた形跡がありました」

 サーリーの言葉を遮ると、ブラムは人差し指で、自身の目の下を指し示した。

「目の下の濃い隈と、記憶の混乱。これは、かけられた本人も気づかない暗示系の魔法に見られる症状です。金に困り、疲弊したダイナーの心に暗示をかけ、本人の意思で行動しているような錯覚を起こさせたのでしょう」
「うわー、陰湿。これだから嫌いだわ、魔法」
「陰湿なのは魔法ではなく、かけた人間の方です。ダイナー本人も、何故あんなことをしたのか分からないと、混乱していました」

 当初、目覚めたダイナーは酷く攻撃的で、弟のディックとは違い、聞き取り調査をしようにも非協力的だった。
 だが、それでも会話を重ねているうちに、ダイナー本人の発言に混乱が見られ、仕舞いには自身が何をしでかしたのか分からなくなる程の困惑を見せていたのだ。
 ブラムは魔法の可能性を疑い、誘拐についての聞き取り調査から治療に切り替え、ダイナーの魔法解除に専念。ダイナーの精神は正常に戻りつつあるが、念のため、監視と拘束を続けているのが現状だ。

「その魔法かけた奴、誰か分かんないの?」
「言ったでしょう。正体は掴めなかったって。肝心のダイナーの記憶が曖昧なんです」
「マジかー。折角、王妃の尻尾が掴めるチャンスだったのになー」

 先程までの嬉々とした表情はどこへやら、サーリーは分かりやすく落胆の表情を見せた。

「どうしてそこまで、王妃様を悪者に仕立てようとするんです?」
「だって、リヴェルを邪魔にしてる王妃が一番怪しいじゃん。邪魔者が消えれば一番喜ぶ」
「その思考は、偏り過ぎです。犯人の目的がリヴェルだとは限らない。単に貴族の人間を狙った可能性だってある。それに、王妃様はリヴェルの実母ですよ」

 トーウェン兄弟はリヴェルの正体を知らず、どこかの貴族の子ども程度の認識しか持っていなかった。
 ダイナーに魔法をかけた犯人と思われる人物の目的が、第二王子であるリヴェルだとは断定できない。

「だから何」

 途端、空気が冷ややかなものに変わる。

「なぁ、こいつをに入れたのは誰だ? 入院してから、兄貴以外に誰か見舞いに来たか? 誘拐騒ぎまで起きてるっていうのに。そもそも、どうして入院してる事を世間に発表しない? 俺からしたら不思議でならないね! こんな目に遭ってるのに、お前ら皆、なんであのババアの側につく?」
「それは」
「あぁ、発表なんてできやしないか。 言えば、どこかから漏れて、知られちまうかもしれないもんな」

 饒舌にまくし立てるサーリーの姿は、落ち着き払っているが、その言葉からは、いつもの飄々とした空気が消えている。
 サーリーは椅子から身を乗り出して、鉛色の髪の隙間からブラムを見つめた。

「第二王子の前世が、人殺しの悪党だって」

 弧を描く口とは裏腹に、サーリーの瞳は笑っていない。

「実の母親だから、そんな酷い事をするわけないとでも? その根拠こそ謎だね。リヴェルもリヴェルだ。現実から目を背けて、いつまでも母親を求めてる。だったら、その目を覚まさせてやるのが、もうひとつの人格としての俺の役目だろ」
「……何をするつもりですか」
「ふふっ、おっしえなーい!」

 急に、子供らしい姿に見合った満面の笑顔を浮かべたかと思うと、ぱっと椅子から飛び降りて、サーリーはくるりと回って見せた。

「どっちの味方か分からない、信用できない先生には教えてやんないよ。でも、あのおねえさんになら教えてあげてもいいかな。 グレース、だっけ?」
「オルストン嬢は関係ないでしょう」

 思いがけず出てきたグレースの名前に、ブラムは険しい表情を見せるが、サーリーは笑顔を崩さない。

「おねえさんはリヴェルに興味持ってるし、リヴェルも気に入ってる。それに先生だって、利用できると思ったから、リヴェルとの食事を許したんでしょ? 先生のそういうところは嫌いじゃないよ」

 サーリーは「それに、前から思ってたんだよね」と前置いて、ブラムの横に立った。

「聖人ぶってるけど、あんた、俺と同じだろ」

 サーリーの言葉に、ブラムは何も返さない。
 暫し視線を合わせた後、目を伏せ、ブラムは大きな溜息をついた。

「貴方と一緒にされるだなんて、心外ですね」

 そう言うと席を立ち、ブラムはサーリーに背を向け歩き出す。

「ありゃ、もう帰るの?」
「これ以上、貴方一人に時間を割ける程、暇じゃないんですよ」
「うっわ、冷たい」
「話し相手になっただけマシでしょう。それと」

 立ち止まり、ブラムは肩越しにサーリーの方を振り返った。

「今度、貴方がオルストン嬢に危害を加えるような事があれば、その時は、容赦しませんから」

 冷ややかな笑顔でそう言い放ち、ブラムは部屋を後にした。

(別に、あのおねえさんをどうこうする気は、今んとこ無いんだけど。あの先生を怒らせるのは、面倒そうだよなー)

 初対面で殺意を向けてしまったのは、サーリーの勘違いだったと分かった今、グレースを傷つけるつもりは無い。
 邪魔になるようなら、それもやぶさかではないのだが、如何せん、グレースと直接話したのはまだ一度だけ。それ以外は、全て内側から見ているだけで、リヴェルが気に入ってはいるものの、サーリーはグレースの事がよく分からないのだ。

(黒猫も先生も、おねえさんがお気に入りみたいだし、手だしたら五月蠅そう)

 去り際のブラムの笑顔を思い出して、サーリーは「こわっ」と呟き、窓辺へと戻る。
 丁度よく、雲が風で流れ、雲間から月が顔を出した。窓辺に頬杖をつき、サーリーは、ぼんやりと月を見上げる。

「今度は、誰も殺さずに生きていけたらいいねぇ」

 吹き込んでくる夜風に、前世を生きていた頃の夜の冷たさを思い出しながら、サーリーは小さく呟いた。



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