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蛇足
(6)アリアナ、危ない橋を渡る
しおりを挟む「いや無理だから」
カーライル侯爵家の一室で開口一番、アリアナが本来は愛らしいはずの顔を般若のように歪めてそう言い放った。
ナタリアにとってその答えは想定内だ。全く動じずにニッコリと笑顔を浮かべたまま、甘えるように首を傾げた。
「そこを何とかならない? 貴女にしか頼めないことなのよ」
「またクラウド様に絡むだなんて、いくらナタリアお姉様の頼みでも無理なものは無理。私に死ねと仰るの?」
「いやだわ。物騒な事を言わないで頂戴」
「そんな物騒な男なのは知ってるでしょ!?」
『久しぶりにお茶をしましょう』とナタリアに呼び出されカーライル侯爵家を訪れたアリアナは、最初こそアリアナの好きな甘い香りのハーブティーと巷で話題のパンケーキまで用意してもてなしてくれたナタリアに感激していたが、腰を落ち着けて話始めた途端に無理難題を押し付けられて気分が急降下した。
聞いてられるか!とばかりに、お行儀悪くソファの背もたれに身体を預けてわざとズズズッと音を立てて紅茶を雑に啜り、小さな反抗を示す。
しかし、いつもなら「行儀が悪い」と眉を寄せるであろうナタリアは表情を変えずに、むしろニコリと微笑むものだから、アリアナの方がムッとして唇を突き出すことになった。
「……噂では、ミレーヌ様に告白したあの騎士は、7日後に原因不明の高熱に侵されて亡くなったらしいじゃない……」
「何の呪いよ、生きてるわよ。クラウド様は未開の地の伝染病ではないのよ」
「それにナタリアお姉様はあの男が夜会のダンスの最中にこの私になんて言ったか知ってるでしょ!」
「あら、なんだったかしら?」
「とぼけないで! 『こんな茶番に付き合ってやるのはミレーヌのためだ。一曲終わったら君が親しい男に引き渡してあげるから二度と手間を掛けさせないでくれ』って言ったのよ! あいつ、私の事知ってたのにしらばっくれてたのっ。その気がないなら最初から断ればいいのに、無駄にぶりっ子をして恥をかいたわ!」
「……ミッちゃんに聞かせたくなかったんでしょうね」
「しかもミレーヌ様が他の男と居るところを見た時のあの男の顔……今思い出しても恐ろしい! 間近で見ちゃった私はしばらく震えて動けなかったし、いつか報復にくるんじゃないかって怯えてたんだからね!」
「怯えていた割には最近もお盛んらしいじゃない。伯父様が嘆いていたわよ」
「怖くってひとりじゃいられないもの、仕方ないわ。これも全部ナタリアお姉様のせいよ」
アリアナはふんっと顎を上げて腕を組み、ナタリアに抗議した。
アリアナの男好きは今に始まった事ではなくナタリアが責められる筋合いはないのだが、ナタリアの思惑を実行するには彼女の協力が必要なのだ。
勿論、もうアリアナがクラウドを落とせるとは思っていない。それでも協力を願うのは、ミレーヌが都合よく勘違いをしてくれているから。
お人好しのミレーヌなら、クラウドにはアリアナが居ると思っているうちは決してクラウドには靡かない。むしろ協力すると言い出すだろう。
アリアナの言い分はひとまず飲み込んで、ナタリアは息を吐いた。
「アリアナ、クラウド様は恐れるような方ではないわ。とても情が深くていらっしゃるのよ」
「それってミレーヌ様限定でしょ。知ってるわ、シスコンで有名だもの」
「ミッちゃんが結婚して家を出る時が来れば、クラウド様だって姉離れをせざるを得ないでしょう。よく考えてみて? シスコンさえ除けばあれ程良い物件で婚約者が未定の男性は他にいないはずよ」
アリアナの狩りは趣味ともいえるが、より良い婚姻する為の謂わば婚活でもある。
学生時代から数々の男性と浮世を流して来たが、身分が高ければ幼少期からの婚約者がおり、居ないとしても次男以下やアリアナの実家である子爵家よりも家格が劣るため、いまいちピンと来なかった。だからこそ未だにせっせと勤しんでいるのだ。
親に任せれば身の丈にあったそれなりの相手と縁を結ぶことになるのだろうが、アリアナはそれでは満足しない。せっかくの恵まれた容姿をフル活用して常に上を目指したい。
確かに、クラウドは適齢期の独身男性の中で身分も見た目の麗しさも兼ね備えている上、頭も良い。直に継ぐであろう伯爵家の領地も栄えており、財産も申し分ないだろう。
けれど、それ以上の難がある。
アリアナだって、女として幸せになりたいのだ。
底知れぬ闇を抱えた夫に怯えて暮らすなど、冗談ではない。
「条件だけ見ればそうかもしれないけれど、いわく付きの事故物件じゃない!」
「まあ!アリアナったら言い過ぎよ……ふ…ふふっ」
「ナタリアお姉様、ウケてる場合じゃないわ。ミレーヌ様が御結婚なんてされたら姉離れどころか拗らせるだけ。もうミレーヌ様がクラウド様と結婚してさしあげればいいのよ」
「なんて事を…っ、縁起でもない!」
「だってそうじゃない? 少なくともミレーヌ様が側に居るときならまともな人間に見えるわ。クラウド様も幸せだし、私達にも害はないし」
「だめよ、それではミッちゃんが幸せになれないわ」
「……まあ、そこは、ほら、ね? 身内の責任とか…猛獣使いの定めとか…あるわけじゃない?」
アリアナには全くその気はないようで、自分にお鉢が回ってくるくらいなら適当な理由を並べてクラウドをミレーヌに押し付けるつもりだ。
あの夜会の日は、難攻不落と言われるクラウドを力試しに攻略してみたいという好奇心から軽い気持ちでナタリアの策略に乗ったが、難攻不落と呼ばれるにはそれなりの理由と危険が伴う事を身をもって知った今となっては、魔が差したとしか言えない。
「……そうね、タダとは言わないわ。名前だけでも貸してくれたらアリアナにも良い話をあげる」
「良い話ぃ~?」
アリアナは裏があるのではと疑いながら、目を細めてナタリアを見る。
「レオの従兄弟を紹介してあげてもいいわ」
「あのレオナルド様の従兄弟? そんな男性、居たかしら?」
「知らなくても仕方ないわね。仕事の都合で一年のほとんどを隣国で過ごしていらっしゃるから、こちらの社交界に顔を出す事はほぼ無いのよ。年はアリアナより10歳上だけれど子爵家の三男で」
「歳なんかどうでも良いけど子爵家…しかも三男…?ふ……っ、ナタリアお姉様は、私がそれで心動かされるとお思いなの?」
アリアナは、随分と見くびられたものだと鼻で笑った。
そのくらいの条件の男なら幾らでもいる。
優秀で評判の良いレオナルドの従兄弟であろうとも、所詮は子爵家三男。アリアナのお眼鏡には適わない。
しかし、その反応を見越していたかのようにナタリアは涼しい顔で話を続けた。
「あちらへ留学していた学生時代に起業した会社が大当たりして、現在は隣国で爵位を得ていらっしゃるわ。しかも、相当な資産がお有りだとか」
「な…っ?!」
「事業を通じて、王族との取引もあるから覚えもめでたくていらして」
「まあ!!」
「幅広い見識で若き王太子様の指南役もされているとか」
「な、なんてこと……っ」
「お忙しくて婚姻どころではなくこのお年まで独身でいらしたそうだけど、とても素敵な貴公子よ。でも、アリアナは三男なんて興味ないわよね?」
「なにを仰るの!? 大切なのはその方自身の伸びしろですわっ! 親愛なるナタリアお姉様、私は何をすれば良いのかしら!?」
ただのモブかと思えばとんでもない隠しキャラが出てきたことで、アリアナはそれまでの反抗的な態度を改め綺麗に掌を返した。
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