全部誤解です。

雪成

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蛇足

(17)天然こわい。

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※※※


「ナッちゃあぁん!!」

 ミレーヌは、我慢できずに馬車から降りてきたばかりのナタリアに抱きついた。
 ボンヤリと外を眺めていた自室の窓から侯爵家の馬車が門前に止まったのが見えた瞬間に、侍女の制止も聞かず弾かれるように走ってきたのだ。

「どうしたの!? 今日は結婚準備は忙しくないの!?」
「ふふふ、全然忙しくないわよ。元々ね」

 ナタリアは興奮気味のミレーヌを両手を広げて受け止めると、ニッコリと笑って此処にはいないクラウドに向けた嫌味を溢した。


 
 
 ナタリアの突然の訪問は、伯爵家の使用人たちを騒つかせた。
 相手はカーライル侯爵家の御令嬢である。
 決して粗相があってはいけないと薔薇の咲き誇る庭園の一角に大きなテーブルセットと日除けを設置して、様々な茶菓子の他に、簡易的なミニキッチンと料理人を側に待機させることで軽食にもすぐさま対応できるようにした。
 
 教育された伯爵家の使用人達は決してバタついた様子は見せなかったが、何処か漂う緊張感に目敏いナタリアが気付かないはずがない。
 
 案内された席に着くと、すうっと周囲に視線を流してから首を傾げてみせた。
 
「先に鳩を飛ばしたのだけれど、もしかして私がこちらに来ることの連絡が行ってなかったのかしら?」
「いつもの部長さん? いいえ、最近は来ていないわ。でも、ナッちゃんならいつでも大歓迎よ!」
「ふふ、ありがとう。けれど、どうしたのかしら。戻ってきた鳩の足元に手紙は無かったから貴女が受け取ったものと思っていたのだけれど」

 ミレーヌの背後では、クラウドに加担している心当たりのあるものがビクリと肩を震わせた。
 『鳩を屋敷に入れるな』というクラウドからの言付けで、ある日廊下の窓から滑り込むように入り込んできた鳩を追い返そうと使用人が奮闘していると、その足元からポロリと手紙が取れて床に落ちた。
 鳩はそのまま一目散に飛んで帰ってしまったが、使用人は残された手紙があまりに薄汚れていたためにゴミとして燃やし、処分してしまったのだ。
 もちろんそれが侯爵令嬢からの手紙だとわかっていたのならそんなことはしなかった。

 バレれば処罰されるかもしれないと、当事者である使用人は額に脂汗を浮かべてミニキッキンの後ろでそっと気配を消した。


 密かに凍りついた現場に、ナタリアは僅かに目を眇めて溜息をついた。
 腹は立つけれど、ここで伯爵家の使用人を責めるつもりはない。クラウドの指示であることは分かり切っているし、なにより目の前でただ申し訳なさそうに眉を下げる親友を悲しませたくはないのだ。
 ナタリアは気を取り直して微笑みを浮かべると「まあ、いいわ」と一蹴し、一通の封書を取り出した。


「それより今日は、これをミッちゃんに手渡したくてきたのよ」

 ナタリアが差し出したのは、家紋の蝋封がされた結婚式の招待状だった。

「是非来てね」
「もちろんよ! ナッちゃん、ありがとうっ!」

 大好きなナタリアのウエディングドレス姿はさぞや綺麗だろうと、ミレーヌは招待状を胸に抱き、その姿を想像して頬を紅潮させた。
 
「ああ、どんなウエディングドレスなのかしら。とっても楽しみ!」
「私よりレオがはりきってしまって大変なの。いくつも試作品を着せられて、私はもう飽きてしまったわ」
「まあ、そんなのずるい! 私だっていろんなドレスを着たナッちゃんが見たいのにっ」
「うふふ」

 拗ねたように少しだけ唇を尖らせたミレーヌに、ナタリアは相好を崩した。
 今日もナタリアの推しは、なんてかわいいのだろうか。
 甘えるような素振りも親友のナタリアにだから見せてくれる表情であることを知っているからこそ、より甘やかしたくなるというものだ。
 
 しかし、ナタリアはデレデレしている場合ではなかった。
 結婚式の招待状なんてついでであって、本題は別にある。その為に、クラウドの本拠地にまでわざわざ足を運んだのだ。
 ナタリアは、ティーカップを優雅に傾けながらさり気なく話題をミレーヌに振った。


「……ところで、ミッちゃん。その後、クラウド様のご結婚の話はどうなったのかしら?」


 先日聞いたクラウドの暴挙はミレーヌのトンチンカンが一時的にミラクル回避したとはいえ、危機的状況を脱したわけではない。
 もちろんこの間、ナタリアはミレーヌの元へアリアナを仕向けてその誤解を助長させたりもしたが、やはり自分で状況を確認しなくてはアリアナの報告だけでは心許なかった。
 
 普段のクラウドならば愛するミレーヌの望まぬ事を強制するとは思えないが、奴はすでに手負いの獣だ。追い詰められたら何をしでかすか分かったものではない。
 もし、ナタリアの目の届かないところでミレーヌを傷つけるようなことをしていたら、ただじゃおかないと決めている。

 表面上は変わらずにこやかに笑顔を浮かべながら、ナタリアは少しの変化も見逃すまいとミレーヌの様子を注意深く窺う。
 
 ミレーヌはナタリアの問いに「う…っ」と言葉をつまらせると、暫く視線を彷徨かせてからゆっくりと口を開いた。


「実はね、ナッちゃん。先日、アリアナ様が私にご挨拶にいらっしゃったの」
「まあ、アリアナが?」

 もちろん、知っている。
 知っているが、初耳だと言わんばかりにナタリアは口元に手を添えて驚いて見せた。
 

「まったく、あの子ったら。ご迷惑ではなかったかしら」
「いいえ。お話できて、とても楽しかったわ」

 ニコリと笑顔を浮かべたミレーヌは「私、ミレーヌお姉様って呼ばれてるの」と声を弾ませた。
 
「アリアナ様は慎ましやかで可愛らしくて……彼女が思った通りのとても素敵な方だとわかって安心したわ」


(慎ましやか? ま、真逆だわ……)


 ナタリアは、アリアナが戻ってきた際に言っていた言葉を思い出していた。

『ミレーヌ様は騙されやすくて心配だわっ。あれで大丈夫なの!? ナタリアお姉様、ちゃんとサポートしてあげてよね!?』

 あの自分中心のアリアナが他人の心配をしていたのだ。それほどミレーヌは人の悪意に疎く、危うく見えたらしい。
 本人に自覚はないが、幼い頃からクラウドに真綿に包まれるように手厚く庇護されていたことに加えて、学生時代は女帝と呼ばれたナタリアが常に側にいたことで事前に危険は排除され、純粋培養が加速した。

 貴族社会ではマイナスかもしれないが、優しく朗らかな面はナタリアが好きな彼女の長所でもある。
 ナタリアだって、そんなミレーヌの素直な性格を利用しているようで罪悪感があるけれど、こうでもしなければ義弟に甘いミレーヌは拒絶などできないだろう。クラウドはその隙を確実についてくる。彼女を丸め込むことなど簡単なのだから。


(ごめんね、ミッちゃん。でも必ず貴女が幸せになれる道を探すから許してね)



 アリアナの訪問がナタリアの差し金とは知らないミレーヌは、何かを迷うように茶器に添えた指をモジモジと遊ばせている。
 どうしたのかと問えば、唇を引き結び「私、弟離れをする覚悟を決めたわ!」と唐突に宣言した。



「ミッちゃん……っ!」

 恐ろしいほどに、ナタリアの思惑通りの回答だった。
 たった数時間、お茶の席を共にしてこの成果。
 アリアナがすごいのかミレーヌがすごいのかわからないが、とにかくすごい。畏怖さえ感じる。


「もし、クラウドの結婚が両親に反対されるような事があるのなら、私が後押ししてあげなくちゃ。姉として!」
「そうね! ぜひ、そうしてあげて」
「ええ! 姉として! 弟が可愛いから!」

 妙に『姉』である事を強調してふんすと拳を握って決意を表すミレーヌに頷きながらも、この策が上手く行ったらもう少し人を疑うように言い聞かせなくては、とナタリアは心に刻んだ。


「それでね、ナッちゃん。私達って少しだけ他の姉弟よりも距離が近かったでしょう?」
「かなり、近いと思うわ」
「だから、これからはアリアナ様が変な誤解をされないように、家族として適切な距離を意識することにしたの。クラウドにも過度な触れ合いはいけない事だとちゃんと言い聞かせておいたわ」
「ぐふっ!」

 油断していたナタリアは、堪らず紅茶を吹き出した。

「ナッちゃん?!」
「あ、ごめんなさい。ちょ、ちょっと、鼻に……虫が、ね……?」
「鼻に?! 大丈夫?!」
「ええ、飛んでいったわ」
「良かった……!」

 なんとかミレーヌには誤魔化したけれど、気を抜くとまた口角がフヨフヨと上がってきてしまいそうになる。
 ナタリアはその時のクラウドの心境を思うとテーブルを叩いて爆笑したい気持ちであったが、手近にあったナプキンでニヤける口元を隠し、数度咳払いをして自分を律した。
 

「……クラウド様は、なんて?」
「多分、わかってくれていると思うわ。でも、クラウドは今この家に帰ってきていないからわざわざ宣言することでもなかったかもしれない」
「え? 帰っていないって、どういうこと?」
「お仕事が忙しいらしくて、もうずっと騎士団本部に泊まり込みなの。騎士という職業は大変なのね」

 ナタリアはパチパチと数度瞳を瞬いた。
 
(騎士の仕事が忙しい……?)


 鳩を飛ばすために、ナタリアはここ最近の騎士の仕事のスケジュールを秘密裏に手に入れている。
 それによれば、今の時期は遠征や王族警備をするような催しもない所謂閑散期であり、主に訓練に時間を割くことが多いはずだ。

 それなのに、クラウドが嘘をついてまで騎士団本部に泊まり込みでミレーヌのいる屋敷に戻らないというのは、単純に彼女に会う事を避けているのでは?
 

(なるほど……これは思ったよりも重傷なのかもしれないわ。普段何でも受け入れてくれるミッちゃんに拒絶されるのはさすがに堪えたようね)


 辛うじて働いた理性がそうさせているのなら、今はクラウドの出方を待って刺激をしないほうがいいだろう。
 そう考えたナタリアがミレーヌにアドバイスをしようと口を開き掛けたとき、ミレーヌはそれよりも一呼吸早く声を弾ませて言った。


「それでね、私、クラウドが心配で騎士団本部へ差し入れに行ってきたの」
「騎士団に!?」
「ええ。もちろん邪魔しないようにすぐに帰ろうと思っていたのだけれど、親切な騎士様がクラウドのところまで案内してくれてね」


 なんてことだ。
 すでに瀕死であろうクラウドに対し、わざとやってんじゃないかと思うほどの追撃である。

 これを意識的に行っていればアリアナを超える悪女かもしれないが、当の本人は「騎士団本部って中が意外と広くてびっくりしちゃった」と、ニッコリしながら呑気にお茶を飲んでいるのだ。
 
 
 
 天然こわい。

 ナタリアはこのとき初めて、少しだけクラウドに同情した。



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