異世界で狼に捕まりました。〜シングルマザーになったけど、子供たちが可愛いので幸せです〜

雪成

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「誰が、裏切り者だって……? 2年前、私を捨てたのは貴方でしょう⁉︎」


 彼の言葉が許せなかった。

 ローガンの腕を振り解いて彼と向かい合い、黒く染まった瞳を強く睨み返す。


「俺が、アリサを捨てた?」
「そうよ! 何も言わずに居なくなって、それからずっと知らんぷりしてたくせに! 私がどんな思いで今まで過ごしてきたか、何も知らないくせに……っ! 私を裏切った貴方に、私を裏切り者だという資格なんてないっ!」
「何言っているんだ、ちゃんと伝承石を置いていっただろう⁉︎」
「でん……⁉︎」
「伝承石だ! 青い玉の魔石をお前に置いていった!」

 青い玉……だって?
 それを聞いて薄っすらと脳裏を横切ったのは、当時彼の部屋に残されていた美しい宝石だ。
 ……私が海に投げ捨てた、あの。

 もしかして、あれが伝承石ってやつだろうか……。
 いやいやまさか! 店で見かける魔石は、もっと黒や灰色の石ころみたいなものだもの。
 浮かんだ疑惑を離散させるように、私は首を左右に振った。

「し、知らない……」
「知らない筈がない。アリサが受け取ったという記録だけは残っているんだ! その後、あの石をどうした?」
「……伝承石って……なに……?」
「……」


 私の言葉に、ローガンの表情がストンと抜け落ちた。

 呆れとも怒りとも違う、新種の生き物を見てしまった時みたいな『これは、なんだ……?』というような顔だ。
 ……失礼な!
 

「だ、だって……っ、仕方ないじゃない! ほんとにわからないんだもの! 私がこっちの常識に疎いのはローガンだって知ってるでしょう⁉︎」
「それなら誰かに聞けばいいだろう!」
「聞いたけど、ローガンの居場所なら誰も知らなかった!」
「そうじゃない! 今は石の話をしているんだ!」
「………っ、な……なんで、私が、ローガンに怒られるの……?」


 私の声が震えると、ローガンは言葉を飲み込んでバツが悪そうに視線を落とした。

 なんで私がローガンから叱られなきゃいけないの?
 黙って出て行ったのはそっちなのに、なんで?

 今のローガンは髪や目の色、人を威圧するような態度も、まるで別人のようだ。
 少なくとも私の知っている以前の彼は、声を荒げたりする事はなかった。
 それは私自身も同じで、感情的な今の自分はすごく嫌だ。

 こんな風に言い争うくらいなら、会わなければよかった。

 

「伝承石……は、離れた相手と通信できる魔石ですよ」

 私が俯いてしまいそうになったとき、ローガンの背後で倒れていたミドさんが、首元を押さえながらゆっくりと身を起こして言った。


「ミドさんっ! 大丈夫ですか⁉︎」
「……はい、なんとか。はは、でも死ぬかと思いました」

 いや笑えない!
 本当に死んじゃうかと思って怖かったんだから!
 
 ミドさんの声は酷く潰れてしまっていたけれど、緊張感を解くような彼の変わらない穏やかな物言いにホッとして息が漏れた。


「そこから一歩でも動けば命はない」

 けれど、ローガンが振り向く事なくミドさんに恐ろしい宣告をする。
 完全に巻き込まれただけのミドさんに何の恨みがあるのかと思うほど当たりが強い。
 

「ローガン、いい加減に……っ」
「はい。わかってます、キースさん」
「……」
「キース……?」


 ミドさんが、ローガンをキースと呼んだ……?
 それについてローガンは否定するでも肯定するでもなく、無反応だ。

 キースは私の愛息子の名前だ。
 でも、もしかして、ローガンは……。


「やっぱり、貴方は黒狼のキースさんですね? まあ、その姿を見れば聞くまでもないでしょうけれど。伝承石なんて、転移も可能な国宝級の魔石ですよ。そんなもの、簡単には手に入りません。王族か……英雄でない限り」


 英雄。絵本で見た、黒狼のキース。

 私は知らない、そんな人。
 ローガンは、銀髪碧眼で白銀の尻尾で、私を揶揄って笑うような少し子供っぽい人で。

 やっぱりこの人はローガンじゃない。
 知らない、知らない、知らない……っ!


「アリサ」


 黒狼に手を伸ばされて咄嗟に身を引いた。
 その反応に相手は顔を顰める。


「触らないで。貴方なんか、知らない……っ」
「……アリサ、全てを許すと言っても?」
「貴方に許されなきゃいけないようなことを、私はしていない!」


 何度も迎えに来てって思った。
 助けて欲しいって、ローガンを呼んだよ。
 でも、来てくれなかった。

 子供達の父親は居ない。
 私の好きだった人も、きっともう居ない。


「……そうか、わかった」

 黒狼はフッと息を吐くと、短くそう言い捨てた。

 終わった……
 そう思ったのも束の間。


「ぎゃあ‼︎‼︎」
「アリサさん⁉︎」

 次の瞬間には、私は米俵のように黒狼の肩に担ぎ上げられていた。

「ひぃええぇ! た、高……っ! 怖い! 降ろして!」
「暴れると腹が苦しいぞ」
「分かってるなら降ろせー!」

 完全に人攫いスタイルだ。
 堂に行っているのはなぜ!

「英雄が人攫いなんて、世も末‼︎」
「ハッ、上等だ」

 悪……っ!
 この人今、鼻で笑った⁉︎

「最低っ、こんな人だったなんて……っ」
「アリサは、俺を知らないんだろう?」
「⁉︎ し、知らないけど!」
「そうか。じゃあ、ハジメマシテ。黒狼のキースだ」
「~~くっっ! 嘘つき! 名前も全部嘘だったの⁉︎ 私の事、騙したの⁉︎」
「事情があったんだ。でも、全部が嘘じゃない」
「嘘つき! 貴方に本当の事なんて、何もなかった!」
「お前を愛してた。今も愛してる。それは嘘じゃない」


 黒狼に担がれて、相手の顔は見えなくて。
 でも、ローガンの声でそんなことを言われたら、じわっと瞳が潤んでいく。

 私を見て、驚いたように目を見開いたミドさんの顔が、滲んで見えなくなっていく。

 やめて……。
 それが一番嘘だったくせに。
 私が寂しい時、辛いとき、そばにいてくれなかったくせに。

 彼に置いていかれた。
 捨てられたと思った。
 あの時の絶望が、心に深く突き刺さって消えない。

 私はきっと子供達がお腹に居なかったら、正気じゃ居られなかった。

 もう、振り回さないで。
 子供達がいればそれで良いって、私、やっと覚悟を決めたのに。


「キースさん、アリサさんを離してください!」


 ミドさんが立ち上がって黒狼の前に回り込み、進路を塞いだ。
 人攫いの肩上でえぐえぐと泣く私にその様子は見えないけれど、英雄を前に勇気を振り絞ってくれたミドさんの震えながらも誠実な声が耳に届いてくる。


「動くなと、言った筈だが?」
「か……っ、彼女が泣いているのが、わからないんですか?」
「……アリサはこのまま連れて行く。子供は、お前が育てればいいだろう」

 男の言葉にゾッとした。
 キースとライラを取り上げられる……⁉︎
 冗談じゃない!
 ワタワタと足をバタつかせて、男の背中を叩く。うっ……腹に圧が来る……っ!

「やだ、離して……っ!」
「自由にしてあげてください! 先に手を離したのは、キースさんでしょう?」

 黒狼の三角の獣耳がピクリと動いた。

「勘違いするな。俺が許すのはアリサだけで、お前を許したわけじゃない。アリサの血が入っていなければ子供共々、お前を殺してやりたいくらいだ」

 なんて事を。
 キースとライラを殺す?

「そんな事をしたら、絶対に許さないんだから! 私が貴方を殺してやる!」
「子供の養育者として兎は見逃すと言っているだろ?」
「最低! 最低! 最低!」
「ふん。俺は元々、英雄でも手本となるような人格者でもない」

 黒狼は何を言われようと引く気配がなく、私がいくら抵抗してもびくともしない。

 なぜ今更私に執着するのかわからない。
 またすぐに飽きて捨てられるかもしれない。

 黒狼にどんな気紛れがあろうとも、私は子供達と離れるわけにはいかないのだ。私がいなくなったらこの子達は2人ぼっちになってしまう。

 ……違う。私が、ひとりぼっちになってしまうのが、怖い。


 無駄な抵抗を試みていると、いつの間にか黒狼の足元にヨチヨチとキースが近付いて来ていた。
 バランスを取るように両手を前に出して歩いていたので、黒狼の足に小さな掌がタッチした。

「だ、ダメ……っ!こっちに来ちゃダメ!」

 私の声と足に何かが触れた感触に男が振り返ると、足元に居たキースが弾みで床に尻餅をついてコロリと転がった。

「キース……っ!」
「キースくん!」
「………キース?」


 被っていたうさぎのフードから、キースの三角の耳がこぼれ落ちる。
 転がった拍子に尻尾もヒョッコリと白いポンチョからはみ出てきた。

「………黒…?」

 ボソリと黒狼が呟く。

「兎じゃない………」

 そして、たっぷりの間を置いて答えを出した。

「……俺の子か?」
「違うっ!」
「俺の子だ……」
「違うってば!」


 何度否定しても「俺の子」を連発してくる。
 担いでいた私をアッサリと床に降ろして、尻餅をついていたキースの前にストンと腰を落とすとマジマジとその顔を見つめて「瞳も黒い……間違いない、俺の、子だ……」と噛みしめ始めた。

 さっきまで殺してやるって言ってたくせに‼︎

 黒狼はキースの両脇に手を差し込んでヒョイと抱き上げた。
 人見知りをしないキースだけど、流石に人形のように固まってしまっている。
 きっと頭の中では『ダレ、コノオジサン、シラナイ…』と混乱しているだろう。

 黒狼はキースを腕に抱いたまま、今度は無駄に長い足で大泣きして声が枯れてしまっているライラへ近付いていく。
 ライラは目の前に迫ってきた大きな影にビクッと肩を震わせると、男に抱かれて腹話術の人形のように固まってしまっているキースの様子を見とめて、更に怯えて口をあわあわとさせた。これは再び泣き出すぞという合図である。

「ライラ!」

 男がライラに伸ばした手を遮って、ライラを抱きしめる。それでも時すでに遅し。ライラは再び泣き出した。あああ……もう声がガラガラ……。

「ごめんね、こわいよね、ごめんね。……ねぇっ、もうキースを返して!」
「ライラ? 女神の名だな」
「私の話、聞いてる⁉︎」
「……」


 無視である。
 抱きしめていた隙間から、男は難なくライラのポンチョのフードも頭から外した。

「あっ」

 そして案の定、顕になったのは黒い三角の獣耳。

「俺の子だ」
「違うっ!」

 このやり取り何回目よ⁉︎


「違う事はない。黒狼は親が黒狼であるのが条件だがそれでも稀種だ。父親は俺以外に考えられない」
「わ、私が黒髪だから……!」
「他の狼と浮気したと?」
「そんな事してない‼︎」

 売り言葉に買い言葉で思わず口に出してしまったけれど、ハッとした時には目の前の黒狼がそれはそれは嬉しそうに笑っていた。

「そうか、そうか」

 大きな手で頭をグリグリと撫でられる。
 だからそういうところが雑なの‼︎ 髪の毛ぐしゃぐしゃになるの‼︎

「やめて! 触らないで!」
「そう毛を逆立てるな」
「立ててない! 私人間だし!」
「アリサ」

 名前を呼ばれて、ライラごと引き寄せられた。
 大きくて逞しい身体にギュッと抱きこまれて、胸の中で先に抱かれていたキースと目が合うとすごく不思議そうな顔をしていて。

「アリサ、すぐに王都へ行こう。子供達も一緒だ。向こうに家も用意してある。不自由はさせない」
「……」
「アリサは正式に俺の妻となる。子供達もきちんと籍に入れなくてはならないからな」

 この人は、なんの話をしているのだろう。
 王都? 家? 籍?

 私は、そんな事を望んでいるんじゃない。
 何もわかっていない。

 ……彼を受け入れる事はできない。


「王都には行かない」

 そう言って、彼の胸を押し返した。

「……疑った事を怒っているのか?」
「行かないったら、行かない。私はここを離れる気はないから」
「アリサ、我儘を言うな」
「我儘? 私が我儘なの?」
「そうだろう。俺は王都に仕事がある。それに子供達はどうする? ここではろくな教育も受けられない」
「あ、それなら大丈夫ですよ。福祉課では教育支援も……」
「煩い黙ってろ」
「ハイ……っ!」

 気を利かせて話を挟んでくれたミドさんをひと睨みすると、黒狼は眉を寄せたまま溜息を吐いた。
 聞き分けのない子供に困り果てた親のような顔しないで。

「とにかく明日また迎えにくる」
「来なくていい」
「持って行くものも選定しなくていい。全て一瞬で運び出せる。今生の別れではないが、挨拶したい相手がいればしておくといい」
「……」

 ふーん……、一瞬で運び出せるんだ。
 だからあの日もあの部屋は塵ひとつ無かったんだ。……ふーん。

「王都に帰りたければ、貴方だけ勝手に帰ればいい。私と子供達を巻き込まないで」
「アリサ……」
「突然いなくなったのに、突然現れて、実は英雄で、明日から王都で暮らしましょうって言われて、私は貴方の何を信じればいいの? どうしてそれで私がついていくと思うの?」
「俺はお前を忘れたわけじゃない」
「だから、そんなの知らないんだってば! だってローガンは側に居なかったし、その間本当は猫獣人とイチャイチャしてたかもしれないし、これも何かの気紛れで、また私が要らなくなるかもしれないでしょう⁉︎」
「猫? なんの話だ」
「セクシー猫獣人だよ! 港の外れにいたじゃない!」
「……ああ」

 ああ⁉︎
 なにその『アレか……』みたいな反応は!
 やっぱり何かあったんじゃないの⁉︎
 先にセクシー猫獣人を連れて王都に行ってたんじゃないの⁉︎
 それで別れたからまた私とよりを戻そうとしてるんじゃないの⁉︎
 もうやだ、男なんて信じられない。
 信じたってどうせまた嘘をつくんでしょう? すぐに居なくなるでしょう?
 もう裏切られたって泣きたくない。
 バカな自分には戻りたくない。


「私にはもう子供達がいるの。昔の、貴方しか居なかった私じゃないの!」
「……俺は要らないと?」
「そうだよ! もう要らないの!」

 男の表情が固まる。
 元々の鋭利な冷たさを感じさせる美形に迫力が増すから怖い。

「……なら、このまま拐うしかないな」
「すぐ犯罪に走ろうとするのやめて」
「俺はお前を置いては帰らない。お前が俺を必要であろうがなかろうが関係ない」
「じゃあ、私の気持ちはどうなるの?」
「……どうでもいい」


 男の言葉に、心を思い切り殴られた気がした。
 この人にとって私は何なのか、分かった気がしたから。


 どうでもいい。
 そうだ、そうなんだよ。
 結局私は彼にとって、その辺の石ころみたいな『どうでもいい』存在なんだ。


 馬鹿だなぁ……私。
 なんでこんな人を好きだったんだろう。

 もっと優しい人だったとか、私を大切にしてくれていたとか、会えない間に記憶の良いところだけを切り抜いて美化してしまっていたのかな。
 なんと情けないことか。


「ローガン」


 呼んだ彼の名前に、きっともうあの頃の焦がれるような温度は篭らない。




「さようなら。二度と私の前に現れないで」

 
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