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心の在り処
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目を開けても一瞬自分がどこに居るのかわからなかった。
「うっ……!」
気持ち悪い。吐きそうだ。でもトイレや洗面所に行くには起き上がらないといけない。
横になっていても気持ち悪いのに、起き上がる気にはなれない。寝返りを打ってもなにかが込み上げてきそうな気がする。
それにしても、ここはどこだろう。
ベッドの感触も、周囲の雰囲気も、知っている。柔らかいけれどどこか余所余所しいシーツ、決して居心地が悪くはないけれど無難で没個性な部屋のインテリア。
どこかのホテルの部屋だろう。
ということは、あの男に連れ込まれたのかもしれない。
……今、妙なことをされたらきっとすぐ吐くな。
そう思ったけれど、服も脱がされてはいないし、すでになにかされている形跡もない。
そう思った瞬間、ドアが開く音がして全身に緊張が走る。どうにかして身体を動かさないと、と頭で考えるより先に恐怖で身を起こした。
「あ、目が覚めました?」
「……京弥、くん……」
京弥の姿を見た途端、ほっとして急に動いた反動の吐き気が込み上げてきた。
「あっ、ここに……!」
京弥が慌ててビニール袋のセットしてあるゴミ箱を差し出してくれ、ホテルのベッドを汚すという迷惑行為は避けられた。
ぜいぜいと苦しみながら吐き続ける背中を京弥が撫でていてくれる。
数回吐くと、とりあえずは落ち着く。
「お水飲みますか?
それとも口ゆすぎたいです?
洗面所とかトイレとか付き添いますよ」
正直、ベッドの上から動くのも苦痛だったけれど、口をゆすいで水を飲む、というのは身体が欲している気がした。
「トイレ、行きたいかも」
身体を無理やり起こして、ベッドから数歩歩けば着く程度の距離を、京弥に支えてもらいながら歩いた。
用事が済むと、すぐまたベッドの上に倒れ込んでしまった。
「脱水になってると思いますから、ちゃんと水かスポドリ飲んで」
京弥がペットボトルの蓋まで開けてくれて、支えて起こして飲ませてくれた。
「悪いな、もう介護みたいだな……」
「全然悪くはないですよ。
悪いのはあの男です。心配しなくてもきっちり警察に突き出してやりましたから。
どんな薬飲ませたのか聞いたら、いろんな混ぜ物された薬で、高いくせに成分めちゃくちゃなものらしいんで、ほんと身体にどんな悪影響が出るかわからない代物だったみたいなんです。
だから、吐けるんなら吐いた方がいいし、水やスポドリをたくさん飲んで速く体外に出してしまった方がいいらしいです」
吐いている最中も、洗面所に居る間にも、さっきまでのことを思い出すには十分過ぎた。
背中に触れている京弥の手や、支えてもらっていた力強さに、心底ほっとして、泣きたくなるくらい気持ちが不安定になっている。
「ありがと、京弥くん」
「いえいえ、なんでも言ってください。
あ、欲しいものあったら追加で買ってきますよ」
「そうじゃなくて、助けてくれて、ありがとう」
「ああ、……本当に、間に合って良かった」
京弥がそっと手を重ねてくれる。怖くないように気遣いながらも、安心させようと思ってくれているのが伝わる。
「俺、本当に生きた心地しなくて。
月彦さんになにかあったら、とか、目を覚まさない月彦さん見てて危ない薬の中毒症状だったら、とか」
京弥の方が涙ぐみ始めたので、余計に泣くのを堪えられなくなる。
抱きしめてもらって、そのあたたかい腕の中で怖かったと縋りついて、慰めてもらいたい。全て上書きして忘れさせて欲しい。
しかし。
俺は、月彦じゃない。
陽人、だ。
なぜこんなことになっているのか、いまだに混乱するけれど、自分は陽人で、月彦じゃない。
でも、身体は月彦のものだ。自分の身体じゃない。自分の身体の特徴くらい覚えている。
自分がつい先ほどまで我が物顔で使っていたのは、月彦の身体だ。
自分の身体は、もう随分前に死んだ。
でも、自分は、陽人としての心は、ここに確かに存在していて、随分長いこと、月彦の身体で生活してしまっていた。
しかも、自分はそれを忘れていたのだ。
辛い所は全て月彦に押し付けて。
あの時と全く同じだ。なにも変わらない。
月彦に犠牲を強いて、自分はのうのうと安全なところで守られていた。
今は月彦の声が聞こえないけれど、月彦と話がしたい。
もう一度、言葉を交わして、月彦という兄の存在を確かめて、謝って、そして、お礼を言いたい。
月彦に、この身体を返さなくてはならない。
今まで、好き勝手に使ってしまった、この身体と名前を、彼に返そう。そして、自分は早く消えてしまうべきだ。
「だ、大丈夫ですか!? どっか苦しいとか痛いとかあります?」
ベッドの上で膝を抱えてそこに顔を埋めてしまった陽人に、京弥が慌てて声をかける。
京弥は、優しい。
いつも優しかったし、今日も助けてくれた。
好きだ。ずっと昔から好きだった。
でも、それは月彦の身体で、だ。
月彦の身体の中で、自分を月彦だと思い込んでいた陽人が、京弥のことを好きになったのだ。
京弥を見ていると心臓がどきどきどきした。
好きだと思っただけで、喉がきゅうと締め付けられた。
触れ合うと気持ち良いと思えたのは京弥だけだった。
陽人の心がそう感じていただけで、身体も反応したのだろうか。
身体は月彦のものだから、反応していたのは月彦だったのだろうか。
となれば、京弥を好きという気持ちは、本当に陽人のもの?
それとも、身体の持ち主である月彦のもの?
これは、この気持ちは、陽人が消えてしまったら無くなるのだろうか。
……月彦も、京弥が好きだったのだろうか。
「……怖かったですよね。
俺、傍に居るんで、大丈夫ですよ、月彦さん」
京弥が優しく抱きしめてくれる。
こういう優しくてあたたかいところが好きだった。
本当に、どうしようもなく、好きだった。
月彦に身体を返して、陽人が消えてしまえば、少なくとも陽人の気持ちは一緒に消える。
月彦も京弥のことが好きだったのなら、月彦の気持ちは残る。
それでいい。それが、自然なこと。そもそも、自分の身体が死んだときに心も消えていれば、京弥に出会うこともなかったのだ。
月彦が身体を貸してくれたから、少しだけ、自分の時間を延長させてもらえたから京弥と出会えて、こうして続きをすることが出来ている。
なにもかも、もともと在り得なかったことだから、存在するはずのない陽人という心だから、消えてしまえばなにも残らない。
存在していながら、心の存在を消して生きてきた月彦に、もう返してあげなければ。
京弥に抱きしめられていると、そのあたたかさに消える恐怖は薄れるけれど、離れがたくもなってくるから。
「……京弥くん。
キス、していい?」
最後にもう一度だけ、キスして欲しい。
これは月彦の身体だけど、最後に、一度だけ、陽人としてキスをしたい。
京弥に向けて、精一杯、笑った顔を見せる。
笑った顔を覚えていて欲しい。月彦の顔だけれど、陽人の気持ちで笑うから、陽人と呼んでキスして欲しい。
ごめん、月彦。もう一度だけ、お前の身体、使わせて。
「それで、京弥くんには、意味がわからないと思うけど。
陽人、って呼んでみてくれないかな」
京弥の顔へ自分から近付ける。
京弥は目を丸くして固まっていた。きっと意味がわからないのだろう。その京弥の頬を両手で包み、引き寄せた。
唇が触れ合い、自分の唇で京弥の唇を食み、少しだけ舌を入れてみる。
それで満足して離れようと思ったとき、京弥の手が陽人の後頭部を押さえ付けた。
「んっ、」
京弥の舌がもっと深く入って来る。思わず京弥の胸元に縋りついて、舌を受け入れた。
気持ちいい。
これが夢じゃないと教えてくれる。
夢中で京弥の舌に自分の舌を絡め、境界線が溶けてなくなるような気持ちになって、身体があることを忘れそうになる。
「ん、んん、……は、んむ、っは、ん」
随分長い間だったような、ほんの何分かだったような、気持ちになってきた頃、唇を離しただけの距離感のまま、京弥が言った。
「思い、出したんですか……、陽人、さん」
「……え」
「自分のこと、思い出したんですか、陽人さん!」
「京弥くん……、知ってたのか?」
「知ってました。
月彦さんと陽人さんが今、どんな状態なのか、どうしてそうなったのか。
陽人さん、大丈夫ですか?
それで辛くなってる?
俺、陽人さんが自分のことを思い出したら、ずっと陽人さんて呼びたかった。
陽人さんにちゃんと好きだって言いたかった」
「……う、うそだ…… なんで……」
「月彦さんに聞いてたんです。
でも、月彦さんは、このことを陽人さんが思い出すと陽人さんはきっと消えようとするからって、黙ってて欲しいと言われました。
でも、俺は、消えて欲しくないんです。
陽人さんにも、月彦さんにも。
だから、俺と一緒にあがいて、一緒に生きてください」
「うっ……!」
気持ち悪い。吐きそうだ。でもトイレや洗面所に行くには起き上がらないといけない。
横になっていても気持ち悪いのに、起き上がる気にはなれない。寝返りを打ってもなにかが込み上げてきそうな気がする。
それにしても、ここはどこだろう。
ベッドの感触も、周囲の雰囲気も、知っている。柔らかいけれどどこか余所余所しいシーツ、決して居心地が悪くはないけれど無難で没個性な部屋のインテリア。
どこかのホテルの部屋だろう。
ということは、あの男に連れ込まれたのかもしれない。
……今、妙なことをされたらきっとすぐ吐くな。
そう思ったけれど、服も脱がされてはいないし、すでになにかされている形跡もない。
そう思った瞬間、ドアが開く音がして全身に緊張が走る。どうにかして身体を動かさないと、と頭で考えるより先に恐怖で身を起こした。
「あ、目が覚めました?」
「……京弥、くん……」
京弥の姿を見た途端、ほっとして急に動いた反動の吐き気が込み上げてきた。
「あっ、ここに……!」
京弥が慌ててビニール袋のセットしてあるゴミ箱を差し出してくれ、ホテルのベッドを汚すという迷惑行為は避けられた。
ぜいぜいと苦しみながら吐き続ける背中を京弥が撫でていてくれる。
数回吐くと、とりあえずは落ち着く。
「お水飲みますか?
それとも口ゆすぎたいです?
洗面所とかトイレとか付き添いますよ」
正直、ベッドの上から動くのも苦痛だったけれど、口をゆすいで水を飲む、というのは身体が欲している気がした。
「トイレ、行きたいかも」
身体を無理やり起こして、ベッドから数歩歩けば着く程度の距離を、京弥に支えてもらいながら歩いた。
用事が済むと、すぐまたベッドの上に倒れ込んでしまった。
「脱水になってると思いますから、ちゃんと水かスポドリ飲んで」
京弥がペットボトルの蓋まで開けてくれて、支えて起こして飲ませてくれた。
「悪いな、もう介護みたいだな……」
「全然悪くはないですよ。
悪いのはあの男です。心配しなくてもきっちり警察に突き出してやりましたから。
どんな薬飲ませたのか聞いたら、いろんな混ぜ物された薬で、高いくせに成分めちゃくちゃなものらしいんで、ほんと身体にどんな悪影響が出るかわからない代物だったみたいなんです。
だから、吐けるんなら吐いた方がいいし、水やスポドリをたくさん飲んで速く体外に出してしまった方がいいらしいです」
吐いている最中も、洗面所に居る間にも、さっきまでのことを思い出すには十分過ぎた。
背中に触れている京弥の手や、支えてもらっていた力強さに、心底ほっとして、泣きたくなるくらい気持ちが不安定になっている。
「ありがと、京弥くん」
「いえいえ、なんでも言ってください。
あ、欲しいものあったら追加で買ってきますよ」
「そうじゃなくて、助けてくれて、ありがとう」
「ああ、……本当に、間に合って良かった」
京弥がそっと手を重ねてくれる。怖くないように気遣いながらも、安心させようと思ってくれているのが伝わる。
「俺、本当に生きた心地しなくて。
月彦さんになにかあったら、とか、目を覚まさない月彦さん見てて危ない薬の中毒症状だったら、とか」
京弥の方が涙ぐみ始めたので、余計に泣くのを堪えられなくなる。
抱きしめてもらって、そのあたたかい腕の中で怖かったと縋りついて、慰めてもらいたい。全て上書きして忘れさせて欲しい。
しかし。
俺は、月彦じゃない。
陽人、だ。
なぜこんなことになっているのか、いまだに混乱するけれど、自分は陽人で、月彦じゃない。
でも、身体は月彦のものだ。自分の身体じゃない。自分の身体の特徴くらい覚えている。
自分がつい先ほどまで我が物顔で使っていたのは、月彦の身体だ。
自分の身体は、もう随分前に死んだ。
でも、自分は、陽人としての心は、ここに確かに存在していて、随分長いこと、月彦の身体で生活してしまっていた。
しかも、自分はそれを忘れていたのだ。
辛い所は全て月彦に押し付けて。
あの時と全く同じだ。なにも変わらない。
月彦に犠牲を強いて、自分はのうのうと安全なところで守られていた。
今は月彦の声が聞こえないけれど、月彦と話がしたい。
もう一度、言葉を交わして、月彦という兄の存在を確かめて、謝って、そして、お礼を言いたい。
月彦に、この身体を返さなくてはならない。
今まで、好き勝手に使ってしまった、この身体と名前を、彼に返そう。そして、自分は早く消えてしまうべきだ。
「だ、大丈夫ですか!? どっか苦しいとか痛いとかあります?」
ベッドの上で膝を抱えてそこに顔を埋めてしまった陽人に、京弥が慌てて声をかける。
京弥は、優しい。
いつも優しかったし、今日も助けてくれた。
好きだ。ずっと昔から好きだった。
でも、それは月彦の身体で、だ。
月彦の身体の中で、自分を月彦だと思い込んでいた陽人が、京弥のことを好きになったのだ。
京弥を見ていると心臓がどきどきどきした。
好きだと思っただけで、喉がきゅうと締め付けられた。
触れ合うと気持ち良いと思えたのは京弥だけだった。
陽人の心がそう感じていただけで、身体も反応したのだろうか。
身体は月彦のものだから、反応していたのは月彦だったのだろうか。
となれば、京弥を好きという気持ちは、本当に陽人のもの?
それとも、身体の持ち主である月彦のもの?
これは、この気持ちは、陽人が消えてしまったら無くなるのだろうか。
……月彦も、京弥が好きだったのだろうか。
「……怖かったですよね。
俺、傍に居るんで、大丈夫ですよ、月彦さん」
京弥が優しく抱きしめてくれる。
こういう優しくてあたたかいところが好きだった。
本当に、どうしようもなく、好きだった。
月彦に身体を返して、陽人が消えてしまえば、少なくとも陽人の気持ちは一緒に消える。
月彦も京弥のことが好きだったのなら、月彦の気持ちは残る。
それでいい。それが、自然なこと。そもそも、自分の身体が死んだときに心も消えていれば、京弥に出会うこともなかったのだ。
月彦が身体を貸してくれたから、少しだけ、自分の時間を延長させてもらえたから京弥と出会えて、こうして続きをすることが出来ている。
なにもかも、もともと在り得なかったことだから、存在するはずのない陽人という心だから、消えてしまえばなにも残らない。
存在していながら、心の存在を消して生きてきた月彦に、もう返してあげなければ。
京弥に抱きしめられていると、そのあたたかさに消える恐怖は薄れるけれど、離れがたくもなってくるから。
「……京弥くん。
キス、していい?」
最後にもう一度だけ、キスして欲しい。
これは月彦の身体だけど、最後に、一度だけ、陽人としてキスをしたい。
京弥に向けて、精一杯、笑った顔を見せる。
笑った顔を覚えていて欲しい。月彦の顔だけれど、陽人の気持ちで笑うから、陽人と呼んでキスして欲しい。
ごめん、月彦。もう一度だけ、お前の身体、使わせて。
「それで、京弥くんには、意味がわからないと思うけど。
陽人、って呼んでみてくれないかな」
京弥の顔へ自分から近付ける。
京弥は目を丸くして固まっていた。きっと意味がわからないのだろう。その京弥の頬を両手で包み、引き寄せた。
唇が触れ合い、自分の唇で京弥の唇を食み、少しだけ舌を入れてみる。
それで満足して離れようと思ったとき、京弥の手が陽人の後頭部を押さえ付けた。
「んっ、」
京弥の舌がもっと深く入って来る。思わず京弥の胸元に縋りついて、舌を受け入れた。
気持ちいい。
これが夢じゃないと教えてくれる。
夢中で京弥の舌に自分の舌を絡め、境界線が溶けてなくなるような気持ちになって、身体があることを忘れそうになる。
「ん、んん、……は、んむ、っは、ん」
随分長い間だったような、ほんの何分かだったような、気持ちになってきた頃、唇を離しただけの距離感のまま、京弥が言った。
「思い、出したんですか……、陽人、さん」
「……え」
「自分のこと、思い出したんですか、陽人さん!」
「京弥くん……、知ってたのか?」
「知ってました。
月彦さんと陽人さんが今、どんな状態なのか、どうしてそうなったのか。
陽人さん、大丈夫ですか?
それで辛くなってる?
俺、陽人さんが自分のことを思い出したら、ずっと陽人さんて呼びたかった。
陽人さんにちゃんと好きだって言いたかった」
「……う、うそだ…… なんで……」
「月彦さんに聞いてたんです。
でも、月彦さんは、このことを陽人さんが思い出すと陽人さんはきっと消えようとするからって、黙ってて欲しいと言われました。
でも、俺は、消えて欲しくないんです。
陽人さんにも、月彦さんにも。
だから、俺と一緒にあがいて、一緒に生きてください」
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