世界樹は詠う

青河 康士郎

文字の大きさ
上 下
8 / 11

アクナス修練堂の日々−8

しおりを挟む
 エルガーは以前からノーニャの治療を行なっていた。当然のように初めは町の医者にかかっていたのだが、この医療所に薬草を収めていたエルガーに町医から声がかかった。かねてより薬草の知識が豊富なだけでなく、ある程度の治療の知識まであるエルガーの力をこの医者は見ぬていた。患者の名を伏せたまま、ノーニャの病状を詳しく伝え、エルガーなら治療をどう進めるか尋ねた。答えはこの医者の期待のままだった。

 6歳になるノーニャは、利発な子でよくエルガーに懐いた。月日が経つうちにエルガーの陰日向の無い振る舞いに心許したのか、研師をはじめ家族皆が色々と話をするようになったのは自然な事だった。エルガーの話す、森に自生する不思議な植物、動物、宙を泳ぐ浮魚、そして精霊の話にノーニャは夢中になった。

 アリ型知性族、ミルマイシナ族が作る巨大な洞窟の話をエルガーがしているとき、研師の家族が備えていた避難経路の話をノーニャがし出した。避難経路の出口の井戸、通路の突き当たりにある井戸穴の向かい側には隠し扉があり、装備部屋がある、と。エルガーは誰にも口外しない事を約束し、詳しい事をその場にいたノーニャの母親から聞いて知っていた。

 ノーニャが獣脚人ダオンに攫われ、姿を眩ました。警邏隊に囲まれていた母親は、潤んだ瞳に身体を振るわせ必死に説明をしていた。遠目からその姿を見ていたエルガーを見つけると、研師の妻は何かを訴えるように強い眼差しをエルガーへ送ってきた。

 全てを理解したエルガーは、準備を整えあの井戸へと向かったのだった。脅された上に娘の身を心配した母親は、あの隠し部屋のことを教える意外に選択肢はなかったのであろう、と。

それにしても、とセリナは思う。ノーニャというあの研師の娘の発作を想定して、器具を組み立て吸入の準備までしていたエルガーの機転といい、その薬草に関する知識といい、歳にそぐわぬ振る舞いに驚いた。どういった経歴でそうなるのか出自が気になる。先を急かさないように、と思ったがエルメがその気持ちを読み取ったかのように

「まあ、年下の割には随分と気転が効いていたわね。これまでどこでどんな暮らしを送っていたのか、聞いてあげてもいいわよ」
 

 エルガーは、自分の幼少期を過ごした場所を詳しくは語らなかった。が、想像を絶するほど深い森にある女王の治める国であったそうだ。

 そこに暮らす人々は、木々の声を聞き、草花の歌を聴くことができるという。エルガーはそこで暮らすうちに自然と薬草の知識を身につけたらしい。その誰にも知られぬ国で、誰にも知られぬ時に戦が起こったという。エルガーは九歳にして、戦下に身を置くことになった。老若男女を問わず国民の全てが生き残るためにだけに生きた。エルガーに割り振られた役割は採集隊薬草班。

「なるほど、それであれ程の見事な水結層を張れるように」

リヨルが関心したように呟いた。気配とは生体活動が引き起こす電磁波である。よく懐いた愛玩動物たちは日頃から飼い主の生体波紋(固有の電磁波のパターン)を記憶している。だから離れた場所でも飼い主の生体波紋を判別し、その帰宅を察知することができるのだ。生体波紋を受信している主な器官が耳であり、補助器官として体表を覆う羽毛、鱗、体毛がある。何らかの異変を感知した際に全身の毛が逆立つのは、より感度を上げようとする防衛反応である。

 オーグを展開し、浮遊する水蒸気を凝集させ回転運動を与えたものが水結層である。極性を持つ水分子は生体波紋を散乱させ、気配を限りなく無に近づける。

 しかし、事に当たって咄嗟に気配を消しすぎるのは、初学の者が陥りがちな落とし穴である。エルガーの見せた水結層は、バックグラウンドに生ずる自然界の生体波紋と見事に調和する熟練者のものであった。

 エルガー以外の3人は気づいてしまった。『つまりはそれだけ卓越した技術を身につけなければ生き残れないような、厳しい状況を潜り抜けてきた』ということに。

 「でも、それだけでは説明にならないわよ。あの風に舞う木の葉のような剣は何。あれをどこで学んだの」

エルメは心中穏やかでなかった。何気ない風を装ったが幾分語気が強まっていた。

『あれはいつぞやお祖父様の見せた不思議な型、それをなぜこのエルガーが』

強い眼差しを向けるエルメを横に、セリナとリヨルはほんの一瞬だけ視線を交わした。『学んだ、と言った』と。

ダオン・ジョンシャーがエルガーに向かって振り下ろした三節剣。獣脚人の巨体から繰り出されたあの重剣には、力みの無いしなやかさのある、しかし十分に剣の重心を乗せた見事な打ち込みであった。それをエルガーは片手打ちに跳ね除けた。あの舞うような動きをみた時、この姉弟は同じ思いを持った。どこかで見た、何かを彷彿とさせる動きであると。それが何なのか定かにならないのがもどかしいのだが、確かに見た記憶がある、と。エルメの言葉から推測するにエルメも同じ思いを持ったらしい。

 白い石積みの街並み。通り沿いには小綺麗な商店街が軒を連ねている。前を向きながら話を聞いていたリヨルの視界の隅に、入り口に掛る屋根の支柱に紛れて太く歪な柱がちらりと見えた。一同がそれを越えたところで、問いに答えようとエルガーが皆を振り返った。すると巨大な何かが上方から伸びエルガーの胴体に巻きつくと、あっという間に抱え上げられた。

「わあっ」

エルガーが驚きの声を上げる。

 エルメ、セリナ、リヨルがとっさに見上げると、青空を背景に黒々と大きな馬の頭があった。歪な柱と見えたのは巨馬アルヘカント種の前脚で、その上に聳(そび)えるように、大きな人影があった。

 だれかわかったのか、エルメは

「あら、ナイサ ?」

と問いかけた。

 「エルガー、見つけた」

 重低音ではあるが、優しい女性の声である。珍しい巨人族のそれも女性だ。背中にはその身体に見合った巨剣の影が空を斜めに切り取っている。

嘘ではないが、余計な事を言わないよう言葉を選んでエルガーは


 「研師の子にいつもの薬草を」

と言いかけると、その大きな女性はエルガーの言葉を遮り

「ダンガスとカムナ、同じ部屋にナギヤの燕竜来た。カムナ怒ってる。ナイサはエルガー捕まえに来た」



ナイサはポンっとエルガーを前に乗せると、

「エルガーのオーグ揺れてる。エルガー無事でよかった。ご主人、心配してない。カムナ、心配してる。エルガー、ナイサと早く帰る」

するとエルメは折り曲げた両腕を胸の前まで持ち上げ、逆に向いた手のひら同士を合わせ、指を折り曲げて組んだ。ガニス族に人を紹介する仕草である。

エルガーを馬の上に残し、ナイサは下馬した。それでも見上げるような位置に頭がある。銀のサークレットから流れ落ちる豊かなブロンド髪、青い瞳、整った眉に鼻、肉感的な唇。

「セリナ様、リヨル様、紹介します。私の叔母クリスイン・アーネルの護衛兼使用人、ガニス族のナイサです。ナイサ、お二人は南クロイダン共和騎士国からいらっしゃったセリナ・カナリ様、御舎弟のリヨル・カナリ様。議員騎士様の御息女、御子息です」

紹介されない者には話す事をしないガニス族なので、ここで初めて二人に視線を合わせた。

「ハバガースのナイサがお目にかかる。お二人、修練生になるか。ここの修練堂、学ぶ事沢山ある。良き修練をお祈りする」

セリナもリヨルも、この美しくも素朴な巨人が大層気に入ったようであった。ナイサは腰を屈め手のひらをこちらへ向けた。セリナもその大きな手に自分の手を合わせる。セリナがオーグを介して感じたのは、溢れるエネルギーと優しさであった。リヨルとも挨拶を交わす。

 姉弟の親愛の情が伝わったようで、ナイサの温かい笑顔が帰ってきた。颯と身を翻すと、巨人は見上げるような馬に軽々と跨った。

「じゃあエルガー、叔母の使用人としてしっかり働きなさい」

とエルメが言うと、鞍の前輪をしっかりと両腕で抱え込んでいるエルガーは

「この春の入堂生と一緒に・・・」

まで言いかかると、突然巨馬は竿立ちし、ズシンと石畳を踏みしめると走りだした。

「ボクも修練堂に入るんだぁー、三人ともよろしくねー」

最後の部分ではもうかなり距離が離れていたが、なんとか聞き取れた三人であった。
しおりを挟む

処理中です...