世界樹は詠う

青河 康士郎

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アクナス修練堂−巨岩の一振り

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 エルメ、セリナ、リヨル一行は新緑が眩しい木々に囲まれた丘のうえ、宙に伸びる古びたアーチゲートをくぐった。すると滑らかに整えられた石板と太い木材を巧みに組み合わせた構造物が目の前に現れた。大きなドーム屋根は陶器で葺かれているようで、釉薬の照り返しが清々しい。

エルメは連れの二人を振り返り、誇らしさを滲ませ

「ようこそ、アクナス修練堂へ」

感銘を受けたリヨルは

「聞くと見るとでは大違いです」

修練堂の中では激しく打ち合う音が響き渡っている。堅牢な造りの割に、内部の音が漏れていることにセリナは疑問を感じた。

「あの打ち合う音が大きく感じられるのですが」

「訓練刀ヨールですか。あそこまでの音が響くのは二つ理由があります。一つは修練堂の造りです。いま春先で空気中の水分が増えてます。修練堂の木材がそれを吸い、屋根下に隙間を広げているのです。

二つ目は、今修練している修練生ですね。お二人も入堂式前に段位確定試験をお受けになり、『セグマ』を授かります。セグマは、その者の有する精神性、身体能力、剣技などの総合評価としての段位です。

上位から『黒位、白位、青位、赤位と分かれ、それぞれのセグマは更に上中下に細分化されています。いま、修練しているのは多分白位の修練生でしょう。高反発材のパント材から作られるヨールは、本来打ち合ってもそれほどの衝撃音はでないのですが、あそこまで高位セグマの修練生ですとさすがに事情が異なりますね」

 しばらく進むと、修練堂の細部まで見える様になった。荒廃した遺跡と質素ではあるが造りの良い城砦が見事に調和した建造物だ。ニイン流修練本堂、とエルメが紹介する。丘の下にある林のあちらこちらから高い煙突が伸び、木々と一体化したような町に囲まれている。鍛治仕事なのだろうか、金属を叩くリズミカルな音がいくつも聞こえてくる。

 公都パラリスから程近いアクナス修練本堂は知る人ぞ知る、剣術名家クリスイン家が道統を受け継ぐニイン流の聖地である。

ニイン流。数ある流派の一つではあるが、剣を学ぶ者でその名を知らぬ者は無い。その証拠に武芸にうるさい父親がこの姉弟をわざわざ修行に出すほどなのだから。


 アルス海の南に横たわるエトワイル大陸。大陸北岸を占めるマノニナ法皇国。精強を誇る僧兵が守るこの国へ、食い込むように突き出した広大なヴァン内陸半島を内包する王国がある。北の虎と呼ばれるベグナ王が治めるべグナ選出王国である。ヴァン内陸半島最北端を領地とするアクナス公国は王国の北の守りとしてとしての務めを永らく果たしてきた。

 古くより武芸が盛んな王国内にあって、アクナス公爵クリスイン・エンテスは誰もが認める剣の達人であり、ベグナ三将の筆頭とも目される有能な武将であった。その鬼神のごとき強さは噂を生み、単身で敵陣に乗り込み、敵将のエメルタインを一刀両断した、寄生蛇に頭を侵された地竜を一刀で仕留めた、などと噂され、周辺諸国からは“虎の刀“と畏れられている。

 まして、三年前の戦での活躍があったのだ、その名声は高まるばかりであった。

王国への忠誠は揺るぎなく、それ故に大きく自治権を認められた公国である。物腰は柔らかく、それでいて王への諫言も辞さない古兵(ふるつわもの)であるという。

 ベグナ地方に限ったことではないが、操甲体に乗る乗のらずにかかわらず主流となっているのは古来より両手持ちの曲刀『タツ』であった。いざ戦ともなればこの地方でも歩兵の主力はワールで機動する操甲体である。乱戦では手返しの良い両刃の直剣に利があるのだが、操甲体を覆い尽くす『コルワール』を断ち切るのは困難である。

 またこの大陸に住まう動植物には、人を襲う肉食獣、肉食樹、妖獣、ワールを使う魔獣がいる。それらは『コルワール』と似た防御を誇るもの、滑る粘膜、しなやかで強靭な繊維、硬い殻などで身体を覆うものもいて、切り裂き、突き刺すことができ、折れず曲がらずよく切れる『タツ』が好まれていた。

 十数代以前、アクナス領を配していたクリスインの分家-ロードン家が没落すると、それを引き継ぐようにクリスイン本家がベグナ選出王国に引き移って来た。王国側とどのようなやり取りが交わされたのか想像すべくもないが、交代劇はすんなりと受け入れられた。

 彼らは永年に渡って『タツ』に創意工夫を積み重ね、ついにこの地で『タルツ』を生み出した。

当時、『タルツ』と呼ばれるその刀はクリスイン家のものが引き連れてきた刀匠によってのみ生み出されていたのだが、その技術は継承され、しだいに広く伝播した。
 しかし、タルツを生み出した作刀家門が世に送り出すアクナス産のものは質が別格の物として扱われており、この地を剣の聖地とする要因の一つとなっている。

 『タツ』の何がこの地において広く使用させる原因となったのか。ゆるく弧を描く『タツ』は、その刃に輝く線状ワール“レイワール“を流すことにより、コルワールに覆われた対象を刃こぼれせず、断ち割ることができる。

これは直刀を使用して為すことは難しいこととされている。というのも戦場に使用される防具は、乱戦を想定して余計な装飾を省き、ほぼ曲面の物が多い。直刀の叩き付けるレイワールの刃はコルワールと接触すると止まり、切り込み角度は鈍くコルワールの強度を集中させる。

 タツは曲刀だけに切れば自然と引き切りになるため、コルワールといえども連続的に襲いかかる鋭角のレイワールを弾き切れず、切り分けられてしまう。

しかし、クリスイン家の鍛治衆はそれに満足するような人々ではなかった。鍛錬することに倦むことなく工夫を凝らし日々を過ごし、ついにこれまでなかった刀を生み出した。
それが『タルツ』だ。

 刀匠が不眠不休で作刀に心血を注ぎ、その作業を終えた刀匠は生死の境を彷徨うほどに消耗してしまうという。それ故、刀匠が一生の間にタルツを打つ事ができるのは三度まで、と決められている。

完成された本場の“タルツ“にどのような力が宿るか。

『それは、直に教えを乞うしかないだろう』

そこまで考えを進めたセリナは、先ほどの少年を思い出し微笑んだ。

「ここは面白い事が尽きることない地なのかもしれない」








 走り出したウマの背の上、片手に腰の短タルツをにぎり、うまく行った今日の成果にエルガーの心は躍る。吹き寄せる風に髪を靡かせ、遠くの景色を見ながらエルガーは

「やっぱり御宗家様は凄いな」

と、独りごちのような言葉が思わず口から出ていた。

ナイサは

「当たり前の事を言う。だから御宗家様なんだ」

と言葉少なく答えた。



 今日の一撃はこれまでにない手応えを持っていた。


 踏み込みから生じる動きの流れを足から脚、腰、緩めた肩を通し、余す事なくバイカの重みに乗せ振り抜く。それを人知れず鍛錬した。

 獣脚人ダオンへ無心に繰り出した一振りは、己の芯と大地とが直につながったような不思議な、なんとも言い表せぬものであった。

 半年前にクリスイン・エンテスが放ったエタルツの一振りをエルガーは目撃した。それはエルガーに深い衝撃をもたらし、そして一つの指標となった。


 その日はいつもの通り宗家エンテスがニイン流基本の型と口伝を修練生に教える日となっていた。

 少し離れた大樹の枝の上、天窓に正対し姿勢を正したエルガーが座っていた。ひとまず修練堂に入ることは保留とされていたエルガーにとって、いっぱしの修練生のつもりで見取り稽古をするのは渇望を癒すために必要な習慣となっていた。

 いつも通り時刻より早く師範室の扉が開けられ、誰もいない修練堂にクリスイン・エンテスが入ってきた。白髪混じり髪を後ろに束ね、精悍な顔には円熟の穏やかさが遠くからでも感じとれる。威厳ある口髭と顎髭を蓄えているが、周りから是非にと勧められてしているだけで、本人は気に入ってはいないようである。

 愛用のヨール(レイワールを通すワイス鋼の芯金を高反発性樹皮のパント材で挟み込んだ訓練刀)を持って出るのがいつもの事なのだが、その日エンテスが左腰に差していたのはエルガーの差料と同じエタルツであった。

 広大な修練堂内部に生い茂る木々の間を、飼育されている鳥、浮魚たちが思うがままに飛んでいる。その中をいつもと変わらずエンテスは歩む。空飛ぶ巨大な飛鯨が、修練堂の床の上をゆっくりと滑らかに進む姿を連想させる。中央の円形場まで進み出たエンテスは、歩みを止めしばし静息する。

 閉じていた眼を開くと摺り足で踏み出す。と同時に既にイヨールは高々と天を指していた。流れるような次の踏み込みで静かに振り下ろされた右手は、銀燕のように左下方で弧を描くと正面を横なぎに打ち払い、再び右上方で弧を描くと何物も逃さぬような鋭い打ち込みを正面に放ち、続けざまに三連の突きを打った。樹上のエルガーはその優美と言っても良い動きに言葉を失った。

 しかし、エルガーの目は捉えていた。突然見えたのだ。エンテスの体は輝くハチミツに包まれていた。踏み込んだ足元に生じたさらに眩い光、それはエンテスの身体を駆け上がり、エタルツに達した。実際に起こったのは、修練堂が響き渡るほどの床の踏み鳴らし音だけであった。が、エンテスの動作が起こした衝撃はエルガーの身体全体を激しく打った。それは忘れようにも忘れられぬほど少年の胸に深く刻まれた。
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