サンコイチ

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「期待してたのにいぃ…………奏ちゃんの嘘つきぃ…………」
「う、ご、ごめんってば!!てっきり年末年始だけだと思っててさ……」
「頑張ったのに…………はあぁ、本格的なプレイは引っ越しまでお預けだなんて…………酷いよぅ……」

 いつもの年末年始の志方家。
 階下では、3人の親達がすでに酒盛りを始めている。
「今日は荒れると思うから、あんまり降りてこない方がいいよ」と幸尚の両親から囁かれた3人は、ありったけのお菓子と飲み物を幸尚の部屋に持ち込んでこちらも合格祝いを兼ねた宴会、の筈だったのだが。

「はあぁぁぁ…………」
「あかりちゃん、そう落ち込まないで……できる範囲でプレイはするから、ね?」
「でもさぁ……去年と違って、尚くんのお父さんとお母さん、国内の仕事も全部断ってるってことは……」
「うん、ずっと家にいるよね…………あ、ほら、まずは乾杯しよ!」

 いつものようにジュースで乾杯してポテチをもぐもぐしながら、あかりは珍しく愚痴り続ける。
 いや、今回は仕方がない。どう考えても奏が悪い。

 苦手な小論文の試験対策だって頑張った。
 排尿管理だってすっかり慣れて、12月に入ってからは放課後の居残りがなくなったお陰でカテーテルを使わずに学校でも過ごせるようになった。
 貞操帯の管理だって……まあ、こっちは二人に任せきりで自分は日々募る発情に悶えているだけだけど、しっかり大切なところは守られたままだ。

 それもこれも、合格したら卒業までずっとプレイ三昧だと自分を鼓舞し続けてきた結果だってのに。


『今回は3人の引越しが終わるまで、国内の仕事も全部断ってるからね』
『え』
『ずっと家にいられるから、あかりちゃん、何でも好きなもの作ってあげるわよー!』
『え、あ、ありがとうおばさん……』


 よりによって尚の両親は「幸尚達とこんな風に過ごせるのはこれが最後だろうから」と、12月から4月いっぱいまで丸々仕事を放棄する事にしてしまったのだ。
 ちなみに4月は「幸尚がいなくなって寂しくなるから仕事はしない」だそうだ。電車で1時間の距離でここまで寂しがれるのもある意味すごい。

 いや、幸尚の両親は何も悪くない。そりゃ可愛い一人息子が家を出るとなれば、これまでほったらかして研究に励んでいた分少しでも一緒にいたいと思うのは当然だろう。
 悪いのは、幸尚に確認もせずあかりを焚き付けた奏だけだ、とあかりはじっとりとした目で小さくなっている奏を睨む。

「もう……落ち込みすぎてお腹がうずうずするよう……」
「あ、落ち込んでもそこは変わらないんだ」
「そんな事で私のえっちい欲望は消え失せないよ…………はぁ、これ、二人へのプレゼントなのに自分で使いたくなるぅ……」
「何だよそれ嫌な予感しかしねえ」

 あかりの手元にあるプレゼントの包みから、どことなくヤバい気配を感じる。
 今年は奮発したんだから!と渡された包みはずっしりと重くて。

「あれ、一つ?」
「うん、二人で一つあればいいから」
「ふうん、…………ってこれ、まさか…………」
「……ちょ、ま、え………………あ、あかりいいいいぃ!?」

 包みを開けた二人は、その場でピシリと固まった。

 奏が素っ頓狂な声を上げるのも無理は無い。
 何せ中に鎮座していたのは、塚野の店に飾ってあったものより少し細身のロングディルドなのだから。
 根元は吸盤で固定可能で、太さは3センチもないだろうか、しかし50センチ近い長さは圧巻である。

 引き攣った顔で眺める奏の横で「間近で見ると本当に長いね」と幸尚がみよーんとディルドを持ち上げる。
 かなり柔らかい素材なのだろう、しかし表面には螺旋状の凹凸が刻まれていて、何とも凶悪な様相だ。

「あ、あのさ、あかり、なんで」と真っ青になり震えながら尋ねる奏に、あかりはにっこりと無言で微笑む。
 その笑顔は……ああ、やはりあかりは師範の娘だと奏は震撼する。

 つまり、完全にブチ切れモードというやつだ。

(やべえ、俺これ死んだわ……走馬灯が見えそう…………)

 だめだ、これは騙された(騙したつもりはないけど)事を相当根に持っている。
 いつものようにご主人様達が愛を深める為にこれを買ってきたのじゃない。いやそれならそれで恐ろしいけど。

 そんなあかりの様子を、幸尚も把握する。
 しかもあの顔は、把握した上で(これは一石二鳥)とか思っている顔だ。

「うん、つまり、あかりちゃんはこれで奥まで貫かれて泣く奏を見ればスッキリすると」
「うん!あ、でもいきなりやっちゃダメだよって塚野さんが」
「やっぱり売ったのオーナーかよ!!」
「一度店に来たら入れ方をじっくり教えてあげるからって」
「しかもオーナーまで俺に入れる気満々じゃねーか!!お前ら俺の尻をなんだと思ってるんだ!!」
「だって奏ちゃんのお尻は入口だし」
「いや出口だから!!」

 必死になってあかりに土下座で謝る奏の隣で、そっか、教えてもらえれば使っていいんだ……とディルドを握りしめ振り向くその瞳は、キラキラと輝いている。
 どうせ、これでまた奏を気持ちよくできる!と舞い上がっているんだろう。だがそんな長すぎる愛は断固お断りだ。

「あ、あのさ、俺そんなの入れたら壊れると思うんだよ、な?」
「塚野さんにしっかり教わるから大丈夫!ふふ、楽しみだなぁ、また僕の知らない奏が見られる……」
「俺はもう俺の知らない自分は見たくないぞ!この2年近くでどれだけ新しい扉を無理やりこじ開けたと思ってんだ」
「でもさ、奏もう結腸はすぐお口開けて僕を迎えてくれるから」
「頼むそんな赤裸々に言うな、心が死ぬ」
「その先にチャレンジして、更に愛を深め合おう、ね?」
「いやいや俺はディルドと愛を深め合う趣味はねえの!!尚のちんこがいいんだってば!!」
「え」
「あ」

 ……今、幸尚のテンションに釣られてうっかり言ってはいけない事を口にした気がする。
 いや、本音だ。本音だけどこれはまずい。

 幸尚の両親が帰ってきてからは、当然セックスだって控えめで。
 そして下に親がいるとはいえ、年末年始の飲み会は大抵大騒ぎでゲームに興じているから、少々声を上げたところで問題ないのは昨年確認済みで。

 そこに「尚のがいい」だなんて熱烈な愛の告白を受けた幸尚がどうなるかなんて、火を見るより明らかだ。

「そっか……そっかぁ…………奏は僕のちんちんでオンナノコになるのがいいんだ……」
「いやそこまでは言ってない」
「ね、奏…………今日は朝まで……」
「おおお落ち着け、な!ほら、先にあかりの洗浄もあるからんむぅぅぅ………………!!」
「んっ…………はぁっ、んむ…………」

 かぷり、と音がしそうな勢いで唇を奪われる。
 ああだめだ、上顎をすりすりと舌でなぞられたら、もう力が入らない。

「…………っは……可愛いなあ、奏……後ろは?」
「んふうぅ…………準備、してる…………」
「ん、じゃ僕あかりちゃんを洗うからいい子で待ってて。寂しくないように……あ、今はこっちを使うから安心して」

 …………今何か不穏な言葉が聞こえたが、多分気のせいだ、そうであってくれ。

 すぐに綻ぶ蕾にいつものエネマグラを突っ込まれれば、勝手に下の口が美味しそうにしゃぶって奏をオンナノコにしてしまう。

(とりあえず、最悪の事態は回避した…………安らかに眠れ、明日の俺)

「ごめんあかりちゃん、僕、あんな熱烈に求められたら……」
「いいよ!推しの情熱的なおせっせは大好物だから!もう尚くんの愛の赴くままに抱き潰しちゃお?」
「う、うん、今日はいつも以上に積極的だね……あかりちゃんの怒りが目に見えそうだよ……」

 もはや朝までコースは既定路線だ。
 いやもうこれであかりの機嫌が治るならいいやと奏は腹を括り、快楽に身を委ねることにした。


 …………


 一方、階下はいつも通り盛り上がっていた。

「ああああっ、ちょっ早っ、ダメもう無理っ!!」
「ははっ、可愛いもんだねえ。ほら、よそ見してる場合じゃないよ?」
「くっ、後ろからとは卑怯者おぉっ!!」
「んもう、激しすぎるよぅ……」

 …………いい歳した大人が6人、携帯ゲーム機を片手に思い思いの体勢で叫んでいる。
 どうやら今年はスマブラらしい、これなら桃鉄ほどの大喧嘩にはならないだろう。

「あーもう、美由さん強すぎ!ほぼ無双じゃない」
「ふふ、私運動はからっきしだけど、格ゲーは得意なのよね。でも拓海さんが強いのは意外」
「そりゃもう、昔はアーケードで遊びまくってたからねえ」

 酒を飲み、ご馳走に舌鼓を打ち、ゲームに興じる。
 ……ここに子供たちが参加しなくなってどのくらいになるだろうか。

 今年はまだ、2階に彼らがいる。
 けれども、来年以降彼らがここに集う保証はない。
 皆、どこか寂しさを感じるのか、今日は酒の減りが早い。

「……紫乃さん、あかりちゃんは変わらず?」

 そう口火を切ったのは、幸尚の父、守だった。

「ええ。最低限のやり取りはメッセージでしてますけど、目も合わせてくれなくて」
「いつまで続くんでしょう……もうあかりが戻ってこないかと思ったら、僕は……!」
「いやいや落ち着いて祐介君。まだ半年じゃないか」
「もう半年ですよ!!ああ、早く元のあかりに戻ってくれないかなぁ……」
「それはないな」
「ぐっ」
「…………元に戻ることはないわよ」
「紫乃さんまでそんなぁ……」

 あれだけの啖呵を切っておいて、元の鞘に戻ったらそれこそ不気味よ、と紫乃は嘆息する。
 拓海も「元に戻って、またあかりちゃんを押し込めちゃどうしようもないね」と祐介を諌めた。

「諦めも肝心だよ、祐介君。もうあかりちゃんは小さな子供じゃない。それを君たちが認めなきゃ、きっとあかりちゃんの態度が軟化することはないだろうね」
「…………軟化する日は来るんでしょうか」
「……ああ、そっか。君たちは絶ってしまったから」
「大丈夫よ!あかりちゃんには奏も幸尚君もついてるんだから。時間はかかるかもしれないけど、和解できる日は来るわよ」

 さ、今日はパーっと飲みましょ!と芽衣子は更にチューハイの缶を開ける。
 何年後になるかわからない、その雪解けの日までは待つしかないから、こうやって親は親で楽しみつつ、その日を待てばいいのだ。

 彼らは彼らのペースで大人になっていく。
 いつか、自分たちが想像もしなかった成長を遂げるかもしれない。
 それは心配でもあり、楽しみでもある。

 だが、彼らは知らない。
「どっちかがあかりちゃんとくっつけばいいのに」と言っているその上で、奏と幸尚ががっつりくっついている事を。
 大人たちがゲームに夢中になっているその上で、子供たちは自分たちが見たことがない大人のおもちゃを使い倒している事を。

 そう、彼らは知らない。
 幼馴染の関係が、この2年足らずで名前のつかない不思議な関係に変貌している事を。

 いずれ訪れる和解と告解の日まで、彼らはただ呑気に、幼馴染である3人の影を懐かしみ続ける。
 それは一時の安らぎであり、互いにとって次の旅路への準備期間。

 ……自立の日は、まだ遠い。


 …………


 年が明けて間もない頃。
 リセットを数日後に控えて落ち着かず、しかしがっつりプレイができない不満を燻らせていたあかりに提案したのは幸尚だった。

「プレイができないなら、ちょっと趣向を変えて考える時間にしない?」

 その言葉にあかりは首を傾げる。

「考える、時間…………?」
「そ、春からは3人で暮らすようになるけど、今までほど一緒ではなくなるよね」

 大学に入れば、共に講義を受ける機会は激減する。
 1年のうちはまだしも、2年になれば奏は別のキャンパスになるし、これまでのようにずっと3人でいることはできないのだ。

 その代わり家でできる事は格段に増えるし、何より帰る家は一つになるのだから、調教という観点からはずいぶん幅が広がるはずである。

「それに、さ」

 少し言い淀む幸尚の顔は赤い。

「…………そっ、卒業したら……その、けっ、結婚して、あかりちゃんを飼うんだよね?」
「!!」
「おう、そのつもりだ」
「それならさ、どんなふうに飼いたいのか、飼われたいのか……そろそろ考えても良いんじゃないかな、って……」
「どんな風に飼いたか、か…………あかりの飼われたいように、ってのが一番だけど……」

 結婚。
 その二文字が、急に現実味を帯びてくる。

 そうだ、もう結婚して生涯を共にする事も……遠い未来の話じゃ無くなるのだ。

 これからの4年間は、思い描いた夢へと現実を近づけていく時間。
 妄想ではない、リアルで生活をする奴隷としてのあかりを作り上げる過程に入るのだと、奏の喉がごくりと鳴る。

(……俺の、奴隷…………あかりを本当の意味で、俺と尚だけの奴隷にしてしまう……)

 このままいけば、きっと自分は幸尚と結婚し、あかりを奴隷として生涯大切に飼い続けるだろう。

 ただ、一つだけ気になることがあって。

 奏は「前にも言ったけどさ」と、すっかり『飼われる』という言葉に反応してうっとりしているあかりを現実に呼び戻した。

「ん…………なに?」
「俺はまだ、あかりが恋をする可能性を捨ててねえんだ」
「…………恋、を?」
「それは僕も。だって、大学に入れば世界だって変わるし、僕たちがずっと側にいる訳じゃない。もしかしたら新しい出会いがあって、あかりちゃんが恋をする日が来るかもしれないって」
「んー、大丈夫だと思うけどなぁ……」

 恋を知らないままのあかりには、想像もつかない。
 けれど、恋という感情は時にそれまでの世界を一変してしまうことを奏も幸尚も自らの経験から実感しているからこそ、もしもあかりが誰かに恋をすれば、確実にこの関係は終わってしまうだろうと考えている。

 今のうちに縛り付けるのは簡単だ。
 もうすっかり被虐の沼に浸かってしまったあかりを、そのまま優しく沈めていけばいい。

(けど、それは嫌なんだよな……)
(やっと心が自由になれたんだ、僕はあかりちゃんの可能性を潰したくない)

 もちろん調教は進める。
 奏の、あかりの望むように、幸尚が垣間見たあかりの被虐嗜好の底まで沈めるつもりでやる。

 けれども大学生という貴重なモラトリアム期間を存分に楽しんで、いわゆる普通の自由な世界を知った上で、自分達を選んで欲しいと思うのは……わがままが過ぎるだろうか。

「大学を卒業するまでは待つから。卒業して、その時もあかりが俺たちの奴隷でいたいと思ってくれるなら……その時は養子縁組をして生涯責任を持って飼う」
「だからさ、この関係を解消したくなったら正直に教えて欲しいんだ。僕たちはそれを止めない、あかりちゃんが幸せになる方がいいから」
「ううん…………あんまりピンと来ないんだけど、でも奏ちゃんと尚くんがそう言うならいいよ」

 恋という感情が分からなくても、二人の優しさが本物である事は分かるから。
 だからあかりは一も二もなく頷く。

 ……そして次の瞬間、それを後悔させられるのだ。

「うん。なら、約束通りあかりちゃんの中はこのまま大学卒業までは触れないままだね」
「………………へっ」
「当然だろ?4年後に向けて使えるように全身くまなく開発はするけどさ、流石に処女までは奪えねえって」
「うんうん、初めては好きな人とがいいと思うし。僕たちがそこに触れるのは結婚してから」
「待って、それじゃ」

 開発はされる。
 なのに、一番触れて欲しいところは、4年間ずっと触れられないまま……

 ぞわ、と背中に何かが走る。
 床が抜けてしまったかのような、堕ちていく感覚に襲われる。

(ああ、今以上の渇望を植え付けられて……そのまま人として過ごしてこいと命じられている…………!)

 頭がくらりとする。
 これからは守ってくれる二人がいないところで、この身を守る透明な檻だけを頼りに、一人で人間の皮を被るのか。
 今でさえ、乳首も股間もずっと疼き続けて、最近ではそこに尿意まで加わったというのに、更に奴隷らしくなった身体を覆い隠して日常を過ごすだなんて。

(なんて…………興奮する……!!)

 …………最高の、大学生活じゃないか。

「っ、はぁっ…………」
「あかり、よだれ垂れてるぞ?……そんなに気に入ってもらえて何よりだ」
「あ、あは……ありがとうございます…………でも、使えるように、って……?」
「んー、あかりさ、ちょっと想像してみ?」
「想像……」
「うん。3人で暮らしている理想の自分って、どんな感じ?」
「理想の、自分…………」

 惚けた頭をフル回転して、奥底にある欲望を引き摺り出してくる。

 脳裏によぎるのは、ピアスを穿たれた日に見せられた塚野の奴隷の姿。
 あんな風に、24時間全てを管理されたい。
 食餌も、排泄も、身体の動きも、感覚さえもご主人様の思うがままに支配されて。

 およそ人とは思えない塊としてご主人様に愛でられ、道具としてご主人様に使われて……

(あ…………使われたい…………)

 そうか、とあかりはまた一つ、気付かされる。
 ただ快楽の獣にされて管理されたいだけじゃない。
 モノとして、ご主人様に使われたい。
 ご主人様が楽しめる道具として『製作』して欲しいのだと。

『人でない、モノになりたい』

 あの初めての暴露の日に、二人に伝えた言葉。
 けれどあの時はもっと軽い気持ちで、どこか夢想の憧れ混じりだったと、自分の奥底に眠る欲望を覗いた今なら言える。

 この言葉は、今の自分には……怖いくらい美しく、そして重い。

 今その望みを口にすれば、自分は毎日ただのモノとして使えるよう調教され……しかし二人の事だ、きっとモノになったあかりも大切に扱うのだろう。
 人としての全てを剥奪され、だが丁重に扱われる、その矛盾をこの欲望は内包している。

 ガバッと顔をあげて二人を見上げる。
 にっこり頷く幸尚は、恐らく最初から気づいていたのだろう。
 あかりの理想とする形は『モノ』すなわち人ですらない、言うならば性玩具なのだと。

「ぁ…………ほんとうに、いいの、かな……?」
「当たり前じゃん。俺は奴隷を飼うのが夢だったんだ、ここで止めるわけがないだろ?」
「僕も、二人が楽しくなれるならそれがいい」
「俺らもうまく管理できるようになるからさ、4年かけて俺たちの形を作っていこう」
「…………私たちの、形……」

 期待しつつも戸惑いを覚える可愛い奴隷に、二人の主人は手を差し伸べる。
 彼女は必ずこの手を取る、そう確信しているから。

 その向かう先は社会の『普通』からあまりにもかけ離れた世界。
 けれども、もう迷うことはない。

「…………奏様、幸尚様」

 すっとその場で土下座したあかりが、頭を床につける。
 見えなくても分かる、その顔は被虐の快楽に酔いしれている。

「……あかりを、お二人のためのモノにして下さい」
「おうよ」
「うん」

 差し伸べられた手を握りしめて、3人は更に倒錯の悦楽に……自ら堕ちていく。


 …………


「……どうしよう、僕めちゃくちゃ緊張してきたんだけど…………!」
「わ、私も……サイトは見たけど、なんか凄いって事しか……」
「ははっ、そんなに緊張しなくても取って食われりゃしないさ!」

 幸尚の誕生日を過ぎたある日の夜。
 3人は賢太に連れられて『Purgatorio』……賢太が経営し、奏がバイトをするSMバーに向かっていた。

「今回はあくまでも、俺の身内がお邪魔している扱い。だから無料でいい」
「あ、ありがとうございます。……でもその、僕はご主人様だけど……そういうの、分からなくて」
「問題ないさ、幸尚君も恋人がいずれ経営する店は見ておきたいだろ?気楽にいこうや」「は、はいっ」

 きっかけは、奏のあかりへのお詫び。
 あの年末の宴会は結局あかりを放置して(幸尚が洗浄はしたとは言え)しまったし、そもそも奏の確認ミスであかりを落ち込ませたのは事実だから、と賢太に交渉して店の見学の許可を取り付けたのだ。

 結構遠いよねと流れる景色を見ながら話す幸尚に、バイトは叔父さんに送り迎えしてもらってたからなーと奏は返す。
 大学からも距離があるから、卒業式が終わったら合宿で免許を取るつもりらしい。
 2週間は留守にするからその間あかりを頼むな、と奏はその期間の管理を幸尚に託す。

「二人でご主人様してると、そういう融通が効くのはいいな」
「だよなー、もう学校も行かなくていいから少しずつ部屋探しもしようと思って」
「おうおう青春だねぇ。…………防音はしっかりした部屋にしろよ?」
「あ、それはもちろん。奏も結構喘ぎ声大きいしね」
「それは暴露するなよぉ!!」

 やがて車は繁華街に着く。
 近くの駐車場に停めて雑居ビルの階段を降りれば、そこに目的の店『Purgatorio』はあった。

「いらっしゃいませ、って何だオーナーか」
「何だとは何だ。奏と恋人と奴隷ちゃんを連れてきたってのに」
「「なにっ!?」」

 奏の名前が出た途端、店内がざわつく。
「そうか奏に恋人が!」「良かったなあ奏!」「てか奴隷まで作ったのかよ、手が早え」と口々に奏に声をかけるスタッフや客に、幸尚とあかりは目を白黒とさせていた。

「はいはい、今日は俺のお客様だからね彼らは。手ぇ出したら海に沈めっぞ」
「それ、奏が来たら毎回言ってますよね」
「当たり前だ、俺のかわいい甥っ子に手を出すなんざ100万年早い」

 賢太に促されて靴を脱ぎ、内履きに履き替えて店内に入る。
 赤の混じった薄暗い照明に、壁にずらりと飾られた拘束具。
 脇にかけられた大量の鞭と鎖、天井からは吊床がぶら下がっている。
 そして正面にはステージが、奥には拘束台や檻が見え隠れしている。

 非日常な空間に、幸尚は緊張が高まり、あかりは興奮しっぱなしだ。

「檻!!ねぇ檻入りたいっ!ふわああああ、あれ、アームバインダー!?全頭マスクもある!!すっごい鞭がいっぱい………………うわあ、磔台まで…………あはぁ、堪んないぃ……」
「あ、あかりちゃんおおお落ち着いて」
「いや尚も落ち着けって」

 真っ赤なソファに腰掛けると、アンケート用紙と枷を持ったスタッフがやってくる。
 注文を取るかと思いきや「奏の奴隷ちゃんは?」と尋ねられおずおずと手を挙げれば「奴隷ちゃんはちゃんと繋がれてないとね?」と奏に枷を手渡した。

「えっ、あっ、まさか」
「希望すればこういう体験もできるんだよ。ま、あかりには日常だけどな?そうだ、気になる拘束具があれば言えば」
「あああ、アームバインダーお願いしますうっ!」
「今めっちゃ食い気味だったな…………みちるさん、俺あかりに着けてみたい」
「いいよ、付いててあげるから着けてみな」

 飲み物を頼みながら、あかりは更衣室でブラを外し薄手のカットソー姿になる。
「ラバースーツの上からだと、もっとギチギチ感が出るのよ、また試しにおいで」と誘われつつ、言われるままに腕を後ろに伸ばして手のひらを合わせる。

「あかり、痛かったり痺れたりしたらすぐ言えよ」
「あ、はい」

 スタッフのサポートを受けて、奏は袋状のアームバインダーをあかりの腕にすっぽり履かせて肩ベルトを止め、指先からギュッ、ギュッと編み上げ紐を引き絞っていく。

「うぁ…………すごい、革がピッタリ……」
「体柔らかいね。痛くない?」
「あ、はい、大丈夫です…………んっ……」

 チラリと奏を見れば、見たことのない真剣な顔つきで紐を編み上げている。

(ああ、仕事している奏様ってこんな感じなんだ)

 額に汗をかきながら拘束をする奏の手で、少しずつ圧迫感が強くなる。
 自然と胸を突き出す格好になり、乳首のピアスの形がくっきりと露わになった。

「へえ、ピアスまでつけてもらってるの?良いご主人様じゃない」
「はい…………はぁっ、んっ、んああっ…………んふっ……」
「大丈夫よー、声出しちゃってもここじゃ誰も気にしないから」

 余った紐を纏めれば、もはや上半身の自由はない。
 手枷とは比べ物にならない拘束感にあかりはあえて身体を捻り、どうにもならないもどかしさを楽しんでいた。

「はあっ、はあっ……人を拘束するのって結構体力使うな……どうだ、あかり?」
「凄いです…………本当に腕、ギチギチで、動かせなくて……お腹が疼いちゃう……」
「良かったわね奴隷ちゃん。……普段ならね、ギャラリーが観に来るのよ」
「え」
「今日の君らはオーナーのお客様だからね、敢えて誰も周りに来ないだけ」
「…………つまり、普通に来たら……」
「もちろん観られないようにすることもできるけどね、奏の奴隷ちゃんは観られるのも満更じゃなさそうねえ?」
「っ、はい…………」

(凄い、ここは凄い……!)

 あかりの奥底にある欲望を露わにしても、誰も嘲笑わない。
 ここでは普通でない事が、当たり前に受け入れられるのだ。

「さ、じゃあ席に戻ろうか?……ああ、奴隷ちゃんは床よ?で、このアンケートに答えてね」

 当然のように床に案内され、足枷をつけられテーブルの足に鎖で括り付けられれば、もう身動きが取れない。

 うっとりしながら「アンケート……?」と尋ねるあかりに「接客の参考にするからな」と隣に座った奏が用紙を見せた。

「へぇ、呼び方、SかMか、好きなプレイに体験希望……」
「本当はこれを書いてからやるんだ。今日は俺が先に伝えておいたからこうなってるけど……ほら、他にも床に座ってたり拘束されているお客さんがいるだろ?」
「あ、ほんとだ……」
「て事で、アンケートは書いてやるから質問には大きな声で答えろよ?」
「っあ………………!」

 まさか、これを見越して先に手を使えなくしたのか。

「スタッフも聞いてくれるからな?ちゃんと答えなきゃ何度でもやり直しさせるぞ」
「ふふ、奴隷ちゃんの秘密、ぜーんぶ聞き出しちゃうからね!」
「あはは…………はぁんっ………………」

(ああ、3人だけの秘密を暴かれちゃう……!)

 知られる事は怖いのに、けれどここなら大丈夫だと囁く声に、身を任せる。
 ……胎の奥から、じわりと愛液が流れ落ちる感触がした。


 …………


 一方、幸尚は賢太とソファに腰掛け、アンケートを埋めつつ奏とあかりのプレイを眺めていた。

「ええと、僕これほとんど書けないんですけど……」
「ん?そっか、幸尚君は全くその気が無いとは聞いていたが……本当に無いんだな。それでご主人様をやるのはしんどく無いかい?」
「……最初は怖かったし、辛かったです。でも今は……奏もあかりちゃんも楽しんでるのが分かるから、二人が楽しいのは……うん、僕も嬉しくて」
「なるほどな」

 テーブルの向こうでは、奏が真剣な表情であかりの腕を袋のような物で包み、紐を引き絞っている。
 その凛々しい顔につい「……かっこいいな…………」と呟けば、賢太が「奏から聞いてはいたけど、本当にベタ惚れなんだな」とニヤリと笑った。

「そっちは仲良くやってるのかい?奴隷が女の子じゃ、気になったりしないか?」
「あ、はい。時々好きすぎて……抱き潰しちゃって怒られますけど……あかりちゃんは特に…………あかりちゃんだし」
「あーなるほど、あまりに近すぎて女性としては見られないと」
「そうですね、大切な幼馴染です」

 と、あかりから「んううっ……!」と悩ましい声が上がる。
 ふと目を向ければ、背中でまとめられたあかりの腕はすっかり一本の黒い棒になってしまっていて。

(…………凄いな)

 特にドキドキするわけでも無い。
 ただ、その拘束姿は綺麗だなと感じて……何故か目が離せない。

「お、幸尚君はアームバインダーを見るのは初めてかい?」
「あ、はい。サイトでちらっとは……でも、本物は全然違うや」
「だろう?この雰囲気は来てもらわないと伝わらないからな」

 俺は飲ませてもらうぞ、とこの雰囲気には似つかわしくない焼酎の瓶を片手に、賢太は機嫌良く話す。

「奏は割とガチガチに管理する中で奴隷を泣かすのが好みだけど、俺は縄でも拘束具でも動けなくした状態でいじめて鳴かすのが好きなんだよ」
「賢太さんもなんですね。……僕、本当にここに来てよかったのかな…………すごい場違い感があるんですけど」
「なぁに、特にそういう趣味のないお客さんだって来るんだから問題ないさ。……それに、幸尚君もアームバインダーには興味があるんだろ?」
「あ……えと……」

 ああ、長年こんな商売を営んでいるだけの事はある。
 こんな短時間で、自分が惹かれたことに気づかれるだなんて。

 賢太に頷きつつ、でも、と幸尚は特に性的な興奮は覚えないことを吐露する。

「その…………不思議な魅力だなとは思います。無機質な袋の中に、確かにあかりちゃんの腕がある……命がないのにある、というか……うまく言語化できないんですけど」
「…………へえ、なるほど……君はそう言うタイプか」
「……?」
「いや、そうだな……君が気に入りそうなイベントがあれば奏を通じて知らせるよ」
「……?はい…………」

 ドリンクが届き戻ってきた二人と歓談する幸尚を、賢太はそっと見つめる。
 奏が全く免疫のない子だからお手柔らかにと言っていたが、何のことはない。
 嗜虐心こそ持たないが、彼の内にはSMに繋がるものがちゃんと流れているじゃないかと。

(まあ、誰だって紐解けばここに繋がる種くらいは持ってるんだがな)

 可愛い甥っ子の、いずれは伴侶になる子だ。
 奴隷がいなくたって、この世界とは何かと関わりを持っていくことになる。
 それなら少しでも、この世界に繋がるものを持っていた方がこの先生きやすいだろう。

 さあてどうやって花開かせるかねえ、と賢太は楽しそうに盛り上がる3人の会話を眺めていた。


 …………


『お待たせしました、本日はCHIKA女王様による鞭打ち体験です!早い者勝ちですよぉ、ご希望の方は女王様にガンガンアピールして下さいね!』

 突如、店内の音楽が変わる。
 スポットライトで照らされるステージには、黒の際どいボディスーツとピンヒールのニーハイブーツに身を包んだ女王様がポーズを取っていた。

「……あ、あれ、塚野さん!?」
「おう。今日出勤日だったんだな」
「うわあ…………普段もかっこいいとは思ってたけど、全然違う……」

 いつものポニーテールを下ろし、濃いめの化粧をした塚野はもはや別人だ。
 その姿には、特にその気のない幸尚ですら圧倒されるオーラを感じる。
 あかりにいたってはすっかり煽られて、もじもじと腰を動かす始末だ。

「千花に打たれた事はあるんだっけ」と賢太が尋ねれば、あの日のことを思い出しのだろう、上擦った声で「バラ鞭で…………はぁ……」と悩ましい吐息を漏らしていた。

「そうか、今日は一本ご希望のお客さんがいるから、じっくり見るといい」
「一本……一本鞭まで体験できるんだ…………」
「ほとんどのお客さんはバラ鞭を希望するし俺らもそれを勧めるけどな、常連の中には強者も多いから」

 彼女のイベントは人気が高いそうだ。
 容赦ない言葉責めと姉御肌の気質、大学時代からバイトで女王様をやってきた長年のキャリアに裏付けられた実力は、これまで数々の奴隷を虜にしたどころか、Sだと豪語する客を何人もM転させてきたという。

「叔父さんはオーナーとは付き合い長いんだっけ」
「ああ、この店を始めた当初からバイトで入ってくれててな。右も左も分からない俺を随分と助けてくれたもんだ」

 ステージでは一人目のショーが始まっている。
 バシンと響く鞭の音に、尻を突き出した奴隷の悲鳴が上がる。
 震える奴隷とは対照的に、余裕たっぷりに鞭を振るう姿は妖艶さと凜々しさを兼ね備えていて、これは人気があるのも頷ける。

「……奏様」

 歓声が上がる中、熱に浮かされた表情で、あかりがそっと囁いた。

「奏様も、ああやって……ステージに立つんですか?」
「あー、これからはな。でも、お客さんを打てるようになるにはもっと練習しないと」
「鞭を打つのも練習がいるんだ」
「そりゃな。狙ったところに狙った強さで振るうって難しいんだぞ?俺なんてもう何年も練習させてもらってるけど、バラならともかく一本はまだ怖え」
「えええ、そんな頃から練習!?」
「おう、叔父さんに勧められてな。いつか店で振ることになるんだからって、それに」

 いつか自分の奴隷を持てたら、鞭で鳴かせてみたいって思ってた。
 ……そう呟いた声に興奮が滲んでいるのを、幸尚は聞き逃さない。

 そう言えば最初に言っていたっけ。鞭やスパンキングもやりたいって。
 あの時は幸尚がそういう痛いのは嫌だと止めたけれど、まさかそんなに思い続けていたとは知らなかった。

 自分のために折れてくれた優しさに惚れ直し、そして申し訳なさを覚える。
 そして思うのだ。

 今なら、受け入れられるかもしれない、と。

(怖い……けど、試さなきゃ分からない…………)

 意を決した幸尚が奏に「…………あかりちゃんを、打ちたい?」と尋ねれば「まあ、そりゃな」と言葉を濁しつつも奏は頷く。

「…………鞭はさ、俺が一番奴隷にやりたかった事だし。でも」
「いいよ」
「「へっ!?」」

 3人で決めた約束だから。
 そう返す前に幸尚の口から出た言葉に、奏はもちろん、あかりも目を丸くしてこちらを見ている。

「いやでも、痛い事はプレイとしてはやらない約束だっただろ?」
「それは僕が辛くなるからやらないって話だったよね。その、あかりちゃんは、鞭で打たれたいって思う……?」
「えと、その…………き、興味はあって……」
「ならやってみようよ」
「っ、でもさ……」

 あかりに仕置きをした……スパンキングの時の記憶が二人の脳裏に蘇る。
 あんなに震えながら泣きじゃくる幸尚は、二度と見たくない。

 今でこそ、幸尚は二人を楽しくするためなら心を抉るような調教も厭わなくなったとは言え、あの頃の優しさは何も失われていない事を二人はよく知っている。

 なのにどうして、と心配そうに見つめる二人に幸尚は「試さなきゃ、分からないから」と返すのだ。

「あかりちゃんが痛くて泣くだけなら、多分耐えられない。でも、気持ちよくなるのなら…………二人が楽しくなるのなら、大丈夫かもしれないって」
「幸尚様…………」
「だから、やってみよう。……どうしてもダメなら、泣きながら止めるよ」
「そこは泣く前に止めて欲しいんだけどな」
「それは諦めて」
「……なら、舞台がいるな」
「「「えっ」」」

 ずっと静かに3人のやりとりを聞いていた賢太が突如「千花!」と声をかける。

「今日はその子で終わり?なら、最後に奏の鞭デビューやろっか」
「え」
「おお!奏とうとう鞭やらせてもらえるのか!」
「頑張れよー!上手かったら俺も打たせてやるからな!」
「え、ちょ叔父さん」
「ほら、舞台は用意してやったんだ。……存分に楽しんでこい」
「…………!!」
「はい、奴隷ちゃんも準備できたよ!」

 いつの間にかスタッフに連れて行かれていたあかりは、アームバインダーを解かれ、スカートを脱ぎ貞操帯を覆うディスポのTバックを身につけていた。
 体の前で手枷をつけられ、首輪から伸びる鎖を手渡されれば、鎖越しに緊張が伝わってきそうだ。

「あ、あわわ、みんなの前で……」
「あかりちゃん、深呼吸だ。心配するな、どうなったってここにあかりちゃんを嘲る奴はいない」
「賢太おじさん……」
「千花も隣にいる。……ご主人様の初めての鞭、存分に受けてきな」
「…………はい……!」

 賢太に背中をバン、と叩かれて、二人は一歩を踏み出した。


 …………


 あのパドルでのお仕置きではない、初めてのプレイとしての鞭に体が震えるのは、決して緊張だけではない。

 そして、それは奏も同じだと、チラリと見えた股間の盛り上がりにあかりは確信する。

「…………あのさ、今日使うのはバラ鞭で、もうオーナーに打たれてるから分かると思うけど、音の割に痛みは少ないんだ」
「……はい」
「それでも強く振れば当然痛いし、当たり所が悪ければ怪我だってする」

 ステージに向かいながら、まっすぐ前を見据えた奏が話す。

「俺、もう5年くらいずっと練習してんだ。バイトに来たら、皿洗いの合間とか、暇さえあれば振ってた」
「…………はい」
「いつか俺の奴隷を持ったら、これの虜にしてやるって…………オーナーや叔父さんにも、スタッフにも打って貰って、体験して、練習して」
「………………」
「……夢、だったんだ。でも、尚が泣くなら叶わなくてもいいやって思ってた」

 幸尚の反応次第では、最初で最後になるかもしれない。
 それでもいい、この機会を与えられたのなら。

「…………俺に預けてくれ。精一杯、悦くしてみせる」
「…………はい、奏様の鞭を、あかりに下さい……!」



 一方で、幸尚は賢太と並んで二人を見守っていた。

「…………ありがとうな、幸尚君」
「え」
「これは、奏の夢だったから」
「夢、ですか」

 賢太はポツポツと語る。


『別に性癖自体はさ、持ってるもんはしゃあねえじゃん?でもさ、俺だってみんなみたいに恋をしてえ……けどこんな性癖持ちじゃ、相手を傷つけるだけじゃんか…………』


 荒み切っていた奏を半ば無理やりSMバーの掃除と皿洗いのバイトに就かせた頃、奏はいつも賢太に愚痴っていた。

 第一印象は「素直で優しい子」だった。
 幼くして無理やり嗜虐の扉を開かされた子供は、それを恨むこともなく、そして欲望を誰かにぶつける事もなく、それ故に消化しきれない想いに潰されかけていたのだ。

 これは、俺にしか理解してやれない。

 そう思ったから手を差し伸べた。
 その捌け口になればと「いつか出会う奴隷の為に今から練習しておけ」とバラ鞭を渡したのも賢太だ。

 数年もしないうちに、その腕はもう客に振るっても問題ないレベルには仕上がっていた。
 店で他のプレイも仕込みながらいずれはこの店を継がせ、いつか彼の孤独を癒せる相手に出会えればと思っていたある日、賢太も初めて見る笑顔で奏が報告してきたのだ。

「俺、恋人と奴隷ができた」と。

 まさかの展開に流石の賢太も目が点になったし、恋人と奴隷が別人だと聞いた時は「お前まさかのスケコマシか」と突っ込んだ。
 奏の恋人は随分優しい人で、奴隷にも散々練習した鞭を振るう事はないと約束したと聞けば、残念に思う反面そこまで想える人に出会えたのかと嬉しくなったものだ。

 今、奏は年頃の子供らしい純情な恋愛(にしては随分爛れていだ気がするが)と、色々やらかしながらも性癖を満たすプレイを堪能している。
 本人もそれで十分満足しているようだった。

「けどな、あれだけ振り続けてきた成果を、客だけに味あわせるのは勿体無い」

 ぐいっと喉に焼ける酒を流し込む。
 子供のいない……結婚など最初から諦めていた賢太にとって、奏は息子同然の存在だ。
 だから彼が店を継ぎたいと言い出したときは祝杯を挙げたし、せめて初めての鞭は、自分の奴隷に振るわせてやりたいとひっそり思っていた。

 それがこんな形で叶うとは。
 まるで我が子の晴れ舞台を見るような気分で……ああもう、勝手に目から汗が出る。

「……そっか」

 そんな事、奏は一度も幸尚に言わなかった。
 言えばきっと幸尚が無理して「いいよ」と言ってしまう事を分かっていたから。
 ああ、愛されてるんだなと思う反面、それなら余計に見届けなければとステージで準備をする二人を見つめる。

「幸尚君、無理はするなよ。あいつにとっては念願だが、だからと言って君が傷つくのはあいつの本意じゃない」
「……もちろんです。大丈夫、だめならもうやめてって泣きつきます」
「泣く事は確定なんだな」

(全く、君たちはどこまでも相手が大切で、だから自分も無理をしないんだな)

 さあ奏、見せてやれ、お前の5年間の集大成を。

 賢太はそっと袖口で涙を拭い、ステージに目を向けた。



「ちゃんと見てるから、いつも的に振るうようにやりなさい」
「おう」
「お、お願いします…………」

 足を肩幅に開き、目の前に置かれた椅子の背もたれを握り、尻を突き出す。
「あら、もう期待してる?もうクロッチにシミが」
「んあ…………あうっ、そんな……」
「良いのよ、観客には見えないから。存分に鳴きなさいな」

 後ろでは、奏が鞭を慣らしで振っている音がする。
 客席は薄暗くて良く見えないが、期待の眼差しは何となく感じられる。

(こんなに人のいる前で打たれるんだ…………)

 不思議と恐怖心はない。
 奏様が預けろと言ったのだ、なら、自分はその時を待つだけ。

 すっ、と奏が側に寄り、耳元で囁く。

「打つのはお尻だけ」

 すい、とバラ鞭でお尻をなぞられる。

「回数は決めない、あかりの様子を見ながら打つ」
「……はい」
「客が怖けりゃ目をつぶれ。セーフワードは」
「『絶交する』です……」
「おう、ダメなら躊躇わず使えよ」

 奏があかりの後ろに立つ。
 いつ訪れるか分からない初撃に、身構える。

 大きな深呼吸の音が聞こえる。
 自分の心臓の鼓動が煩くて、頭が期待と不安で満たされて、身体がピンと張った糸のようで。

 さわり、とまた鞭で撫でられる。
 一瞬ビクリと飛び上がるも、その優しさにふっと力が抜けた、次の瞬間



 パアアァン!!




「…………っあああっ!!」

 緩んだところに飛んできた衝撃に思わず声が漏れ、遅れてやってきた痛みにギュッと椅子を握る手が固くなる。

 塚野の鞭よりは荒く、しかし熱情のこもった打撃は、一気にあかりの心を鷲掴みにする。

(ったい……これが…………奏様の、鞭……!)

 身構えれば静かに眺められる。
 時には痛みのない優しい鞭が飛んでくる。
 そうしてふとできた隙間を、奏は逃さない。

 パンッッ……!!

「くぅぅぅっ…………」

 先端で打たれる痛みに声を上げる。
 そうすれば、敏感になった尻たぶを奏の指がすうっと撫でていく。

「んひゃああっ!?」

(ええっ、なにっ!?こんなの、知らない……!!)

 思わず漏れた声に、甘さが乗っているのを奏は聞き逃さない。

「いいぞあかり、そのまま動くなよ?…………ほら、お尻の感覚に集中して…………」

 強く、弱く、緩急をつけた打撃が、右に、左に飛んでくる。
 ジンジンと痛みを訴える尻は、しかし優しく触れられれば感じたことのない気持ちよさを訴える。

(あれ、気持ちいい……痛い?気持ち、いい?あれ…………?)

 今は打たれているのか、触れられているのか、だんだん境目がなくなっていく。

 そんなあかりに、奏は鞭を振るいながら「いい感じだな」と話しかける。

「尚の調教を快楽に変えられただろ?あかりなら、この痛みも気持ち良くなる」
「…………っ…………!」
「ほら」

(これも、気持ちいい…………)

 打たれるたびに、気持ちいい、気持ちいいと言葉で脳に刻み込む。
 1年前、絶頂欲しさに研究したから知っている。
 …………脳は、簡単に騙せると。

 でも……正直、もう痛いのも気持ちいいのも全部ぐちゃぐちゃで、気持ちいい?気持ち、いい…………!



 そうして、その時は訪れる。

(いい感じだ、ほら、あかり……鳴け)

 狙い澄ました一撃が振り下ろされた瞬間

「んああぁぁっ!!」

 あかりの口から飛び出た悲鳴は、高く、甘く、切ない鳴き声だった。


 …………


「お帰り、どうだった初めての鞭は」
「…………その、お股が疼いて……んうっ…………」
「ああなるほど、あかりちゃんはそっちはずっとお預けだもんな。けど、鞭で気持ち良くなれた、と」
「はい……んぅ、最初は痛いだけだったのに、途中から…………気持ちいいのと痛いのが混ざってきて…………段々訳がわからなくなってきて、痛いのも気持ちいいに…………はぁっ、またされたい……」

 プレイを終え拍手喝采の中、ふらふらと席に戻ってきたあかりを幸尚が「頑張ったね」と抱きしめる。
 そんな幸尚の顔を奏とあかりはまず確認して、ああ泣かなかったと安堵のため息を漏らすのだ。

「……尚、大丈夫か」

 初めての鞭に相当緊張していたのだろう、くったりした奏が幸尚に凭れかかる。
 まだどこか夢見心地のあかりを撫でつつ「大丈夫だよ」と幸尚は奏の額に口付けを落とした。

「最初は緊張したけど…………あかりちゃんの声が途中から変わって、ああ、気持ちいいんだなって。それに」

 奏があんまり嬉しそうだから、僕もなんだか嬉しくて、と幸せそうに微笑む幸尚に、これなら大丈夫だと奏は確信する。

 ああ、恋人に受け入れられる事は、鞭を振るうのと同じくらい幸せで心地がいい。

「……俺、そんなに嬉しそうだった?」
「うん。途中から満面の笑みだった」
「マジか全然気が付かなかった…………もう無我夢中でさ……すっげえ良かった、もう言葉にならねえくらい良かったんだ……」

 まだ、心臓の鼓動が収まらない。鞭を握っていた手が痺れている。
 的を打つのとは全然違う。直接触れていないのに、鞭があかりに当たるたびその緊張が、快感が伝わってくるのを、確かに感じたのだ。

 人を打つのは、想像以上に緊張して、けれど想像以上に気持ちがいい。
 なんなら今すぐにでもこの昂りを幸尚と昇華したいくらいに。

 ちなみに叔父さんから見てどうだった?と尋ねれば「ま、合格点かな」と賢太も頷く。

「まだのめり込む危うさはあるから誰かがサポートに入った方が良いけど、あれなら春からはお客を打てるな」
「良いんじゃない?しっかり狙ったところに打ててたし、打ち分けもできる。あかりちゃんのことも良く見てたしね」
「オーナーが褒めてくれるなんて、俺調子に乗っちゃいそう」
「ま、私に比べればまだまだひよっこだけどね!」
「ちぇー」

 で、幸尚君はこれからも鞭打ちしてもOKかしら?と塚野が尋ねる。
 まあ、拒絶する理由は無いわよねえと付け加えつつ。

「大丈夫です。あかりちゃんが痛いだけじゃ無いって分かったから」
「そうね。最初から鞭で気持ち良くなれるなんて、あかりちゃんほんと奴隷の才能に溢れすぎよ」
「んぁ…………お腹、気持ちいいの収まらない……ふふ、辛いねぇ……」
「あーあー完全に入っちゃってるな……奏、あかりちゃんを打つ時は必ず幸尚君のいるところでな。万が一暴走しても、幸尚君なら止めてくれるだろ」
「おう」

 さあ、もう遅いからあかりちゃんが落ち着いたら塚野に送って貰いなさい、と賢太はまた新しいボトルを開ける。

「叔父さん飲み過ぎだぞ?てか仕事中に飲むなんて珍しい」
「んなもん飲むに決まってるだろうが。こんなめでたい日なんだから、な!」

(良かったな、奏。お前は必ず幸せになれるさ)

 大人になるまで恋人はいらないと言っていた少年は、大人になる前に将来の伴侶を見つけ、性癖を満たし合う同志を得た。

 互いが大切で、だからこそ譲る事はあっても自分を犠牲にしすぎない、そんな関係が垣間見える3人なら、きっと末長く仲良くやっていくだろう。

「はぁ、巣立ちってのは嬉しくも寂しいもんだねぇ…………」
「何早々としんみりしてるんですか、オーナー。これからですよ!」
「奏をしっかり育てないと、私らおまんま食い上げなんですからね!頼みますよ!」
「はは、そうだな!しっかり経営のイロハを叩き込んでやらなきゃな」

 塚野に連れられ店を出る3人を見送り、グラスを片手に物思いに耽る賢太の瞳には、光るものがあった。


 …………


「や、やっと着いた…………」
「奏ちゃん、これからはもっと余裕持って家を出ようね……」
「怖かった……死ぬかと思ったぁ…………」

 卒業式を終え、2週間の合宿で無事免許を取得した奏の運転で、3人は大学のある街に来ていた。
 父からお下がりの車に若葉マークを貼り付けた奏の運転は決して下手ではなかったのだが、奏がナビアプリの案内を聞き間違えたおかげで細道に迷い込み「対向車が来たら終わる」と半泣きになりながら運転する羽目になったお陰で、もう本日は閉店状態である。

 今日は部屋の内見だ。
 奏が合宿の間に幸尚とあかりで物件を探していたのだが、なかなかこれという部屋が見つからず、塚野にその話をしたところそこから賢太の店の常連の伝手で部屋を紹介してもらえることになったのだ。

「にしても、結構伸びたな」
「でしょ?もう結べるんだよ」
「なんか新鮮だね、あかりちゃんの長い髪って」
「私も初めてだからすごく新鮮、でも乾かすのが大変になってくるんだよねえ」

 まだ冷たさの残る風に吹かれて、あかりの髪が揺れる。
 夏の対決以降伸ばし始めた髪は、もう少しで肩に付くほどに伸びていた。
 ずっと憧れていたロングヘアを目指すのだと意気込んでいるようだ。

「中河内さんとそのお連れさんかな」
「はい、今日はよろしくお願いします」
「はいよろしく、いやあ中途半端な大きさの家だからなかなか借り手がつかなくてね。借りてくれればうちも助かるんだよ」

 最寄駅から車で5分の、閑静な住宅街にその物件はあった。
 築30年だが、手入れは行き届いているようだ。

 1階はリビングダイニングとトイレにお風呂、そして和室が一つ。
 2階は主寝室と子供部屋が二つで、2階にもトイレがある。
 大人が3人で住むには悪くない。何より2階にトイレと洗面台があるのは、何かと便利そうだ。

「リフォームして、サッシは樹脂、窓も二重ガラスにしてあるから、断熱も防音も期待できるよ。あいつの伝手ってことは『そういうこと』もやるんだろ?」
「え、あ、はい」
「はは、そんなに照れなくてもいいよ。私もお仲間だから。なに、原状回復だけしてくれれば好きに使ってくれて構わんよ」

 最後に、と玄関の脇にある部屋を案内される。
 中に入った途端、耳が詰まるような感覚を覚えた。

「亡くなった父が音楽を趣味にしていてね、防音室を作ったんだ」
「うわ…………全然音が響かねえ」
「ここならどれだけ叫んでも、近所迷惑にはならんよ。若い子がハメを外すにはぴったりだろう?」

 大学からは少し離れるが、一番遠い奏のキャンパスでも車で15分の距離だ。
 夏には幸尚も免許を取れば互いに送り迎えもできるし、問題はない。

「ここにしよう」

 同じことを考えていたのだろう、奏の言葉に二人も頷く。
 ここが、新しい生活の拠点……初めて親から離れて3人だけで暮らす家だと思うと、ワクワクが止まらない。

(ここで、私は……また堕とされる)

 この床の上で拘束され悶える自分を想像すれば、途端に息が荒くなる。
 ふと隣を見れば、ニヤニヤする奏と、にっこり微笑む幸尚。
 ああ、ご主人様には私が何を考えていたかなんて、完全にお見通しだ。

「……楽しみだな」
「うん…………んぅ……」
「あーあ、あかりちゃんのスイッチが入っちゃってる……奏、せっかく外に出たんだからラブホで少しプレイしていく?」
「ん?俺運転しながらでも煽るくらいはできるぞ?」
「え」
「まって奏まさか」
「後ろにバッグ置いてただろ?あれに首輪と拘束具一通り入ってるから、誘拐ごっこと行こうぜ」
「…………あ、あはは…………!」
「全く、奏は抜かりないなぁ……」

 かくして3人は帰りも案の定「待ってここ何処!?」「いや今度はナビに従ったぞ!!」
「奏様……一本前で曲がってますぅ…………」とわいわい騒ぎつつ、楽しいひと時を過ごしたのだった。
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