婚約者を見限った令嬢は、1年前からやり直す。

伊月 慧

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1,婚約者の裏切り

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 サルマンス王国の王都に、高い塔がある。
 昨年に完成したその塔はアルテミス侯爵家が建築費を出した。
 この国でアルテミスの名を知らない者はいない。
 アルテミス侯爵家はサルマンス王国の建国に一番の功績を残した、代々由緒正しい家だ。王家に最も近く、民のことまで気遣うアルテミス侯爵を民は敬い、感謝している。
 アルテミス侯爵家には後継となる息子がおらず(いるにはいるが、本人が後継を拒んでいる)、長女であるヒューリアがサルマンス王家の第二王子と婚約することで、アルテミス侯爵家は安泰となるはずだった。
 侯爵令嬢のヒューリアは美しく、本当に神に愛されているような子だった。美しい黒髪に透き通るような白い肌は、誰もが見惚れた。
 婚約者のルイスとヒューリアは決して無理矢理な政略結婚ではなく、むしろルイスが推し進めたものだった。はずだ。

 確かに、ヒューリアはそう聞いていた。



 塔の完成は終わっているが、アルテミス侯爵や王家は塔に名前をつけなかった。皆が好きなように呼んでいたが、『アルテミス塔』と呼ばれるようになるのは時間の問題だった。もちろん、アルテミス侯爵に因んでだ。

 そんな塔の屋上は、立ち入り禁止だった。柵もなく、落ちたら当たり前に死んでしまうからだ。危険なので柵を付けようと、今更言っていた。
 そんな危険な場所に、ヒューリアは立っていた。

「本当、いい眺め…」

 皮肉だと、ヒューリアは思った。
 父がヒューリアの婚約というめでたい日に完成させてくれたのに、その塔でヒューリアはまさに飛び降りようとしていた。

 ヒューリアの美しい顔の瞼は腫れて、美しい服は塔の長い階段を歩いたため、ぼろぼろになっていた。

「…ごめんなさい、お父様、お母様」

 それから。

「さようなら、ルイス様…」

 その日、ヒューリアは全てから解き放たれるように塔の天辺から飛び降りた。
 楽になりたいという願いと共に。


 けれど、ヒューリアの人生がそこで終わることはなかった。



***



 ヒューリアは夜会の夜、婚約者であるルイスを探していた。

 ルイスとは婚約してからマトモに話すことがなく、笑いかけてくれることも全くなくなった。
 最後に言われたのは、婚約する前の一言。

「君に一目惚れをしたようだ」

 と。
 それはヒューリアも同じ気持ちだった。お互い惹かれ合ったのだ。ルイスはこの国の第二王子で、婚約の話が出たときにアルテミス侯爵は喜んで受けた。もちろん、ヒューリアも嬉しかった。
 けれど婚約してからはろくに話すこともなくなってしまった。
 自分のなにがいけないのか分からないまま、ヒューリアは日々を過ごしていた。


「あ…ルイスさ、ま…………」

 屋敷の裏庭にいたのはルイスと、一人の女。
 その女に向かって笑いかけるルイスの姿。そして頬を赤く染める、女。

(…ルイス様…?)

 その後ルイスはヒューリアに気付くことなく、その女の手を握ってどこかへ行く。その雰囲気はまさに、恋人そのものだった。

 すぐに間違いのはずだと思い、女を調べた。こんなことしたくなかったけれど、愛する人のことを知っておきたかった。
 そして素性はすぐに出た。彼女は男爵令嬢で、リーザという。ルイスと同じ学園に通っているらしい。学園でも噂になるほど親密な間柄だという。




「…ルイス様」

 城に用があったとき、ルイスとすれ違った。呼び掛けるが、返事はない。

「…失礼します」

 通りすぎようとした時、腕を掴まれた。

「え?る、ルイス様…?」
「どうして城にいる」
「あ、あの……」

 久しぶりに聞いたルイスの声に戸惑いながら、答える。

「カイン様に、相談したいことがあるからと呼ばれまして…」
「なに?」

 カインはルイスの兄で、王位第一継承者だ。

「城に来るな」
「え…?」

 どうして、と尋ねようとしたその時。

「ルイス様っ!」

 後ろから駆けてきたのは、確かにあの夜会の夜、ルイスに手を引かれて二人で消えた、あの女だった。

「リーザ」
「少し席を外すと仰ったのに、酷いですわ!……あら?こちらは…」

 リーザと呼ばれた女がヒューリアの方を見るなり、嫌そうな顔をする。

「…ヒューリア…様…」
「…初めまして。えーと……リーザさん」

 リーザ。男爵令嬢。
 そんな顔をしなくていいのに。

「ルイス様、ヒューリア様と先約があったのですか?」
「…いや。リーザが先だよ。あぁ、ついでにヒューリアも来るか?」

 見せつけなくてもいいのに、と。そんなことを考えてしまう自分が醜くて嫌だ。

「…私は帰りますので、お二人でどうぞ。私はカイン様に用があっただけですもの。失礼します」

 出来るだけ顔を見ないようにお辞儀する。
 愛する人が他の女の手を取る。それがこれほど辛くて苦しいものだなんて、知らなかった。

(…このまま、婚約破棄されてしまうのかしら…)

 そうなれば女として、それほど屈辱的なことはない。それならばらいっそ。
 そう思って城を出ると、大きな陰に入った。陰はアルテミス塔のものだった。

「…変な死に方をして、奇怪事件になるよりも…」

 この塔から飛び降りれば、確実に死ねる。自殺として処理される。初めてルイスと出会ったこの塔。そこから飛び降りる。
 そうすれば彼も、少しは私を思って泣いてくれるだろうか。

 そんなことを考えて、ヒューリアは飛び降りたのだ。

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