浮気癖夫が妻に浮気された話。

伊月 慧

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「い、今の、笹野さんか…?」

 男の悲痛な呼び掛けに、妻の香織がコロコロと笑った。

「もしかしなくても、笹野さんね。…あぁ、ご飯の準備しなくちゃね?」

 そう言って風の早さで服を着た妻が、いつものようにエプロンをつけて台所に立つ。

「…香織」

 和樹の呼び掛けに、今度は答えない。

「香織!」

 もう一度強く呼び掛けると、ようやく香織が振り向いた。

「もう…なに?あなた。朝から大声なんて出さないで」
「わ、悪い」

 咄嗟に謝ってしまい、「いやいや」と呟く。

「お前、なんでよりにもよって笹野さんと…!」

 お前は俺を愛していたんじゃないのか。
 なぁ、香織。なんで会社の先輩の笹野さんなんだよ。よりにもよって、なんで俺が知ってる男なんだよ。

「…好きなの」
「……は?」
「陽一さんのことが、好きなの。…ずっと、忘れられなかったの」
「ずっと…?」
「運命だって思ったわ。貴方との結婚式に現れて、貴方の会社の先輩って聞いて」

 ちょっと待て。どういうことだ。

「お前、笹野さんと知り合いだったのか…?」

 和樹が知っているのは、笹野と香織は面識があるくらいだということだ。

「そうよ。…貴方と出会うずっと前に、私と陽一さんは恋人だったの」

(な…に…言ってるんだ…?)

「私は貴方に尽くそうとした。今更陽一さんに現を抜かしたりしないように、必死で貴方を愛した。けれど貴方は私だけのそばにはいてくれない」

 淡々と告げる妻の顔に、見惚れた。
 家事に疲れくたびれていた妻は、こんなにも美しかっただろうか。

「…陽一さんね、私だけを愛しているって言ってくれているの。だから私、」
「笹野さんのせいか…!」
「え?」

 笹野さんのせいで、そんなにも若返るのか。昔のように綺麗になるのか。

「っ……お前とは離婚だ!」

 そんな、あの人に気があるようなことを言うな。俺に泣いてすがって、別れたくないと、いつものように下手に出ろよ。

 頼むから、お願いだから。

「…分かりました」

 …なんでだよ。

「本当は私から言うつもりだったけれど、いいわ。今日にでも一緒に離婚届けを貰いに行きましょう」

 なんでお前はそう、平然としていられるんだ。

 妻の顔を見て、当たり前のことを叩きつけられた。

 この女はもう、俺のことをなんとも思っていないのだ。


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