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第二章
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しおりを挟む広場にレーナの姿が現れると、人々は待ってましたとばかり、彼女に石礫やごみを投げつけてきた。粗末な囚人服は、見る間に汚物に汚されてゆく。
轟きわたる罵声。皆が皆彼女を罵るせいで、耳に届く頃には、それは言葉としての形をなしていなかった。
レーナは乱暴に引きずられ、火刑台の柱に縛りつけられた。
「レーナ!」
愛しい声が、罵声を割って聞こえた。突然の声にはっと見まわすと、狂乱する人々の中、まさに目の前に、ヨアンがいた。
―――ヨアン。
胸の奥底が、強く強く引きつれる。震えが走り、身体が千々に千切れそうになる。
ヨアン。
彼の姿はレーナの感情のすべてを奪い、爆発させた。
たったひとつの想いが収束する。
彼を残したまま、死んでしまうのか。
いやだ。
死にたくない。消えたくない。
(このまま)
すべてこぼれ落としたこのままで炎に包まれるのか。
想いは、手繰り寄せられるように別の思いも駆り立てた。
ロマン・トゥルダのことを、結局自分はなにも判らなかった。
(なにも……)
底知れぬ恐怖が足元から噴き出した。
矛盾に満ちたこの楽園に自分は負けたのか?
―――そう、負けたのだ。火刑台がすべてを物語っているではないか。
答えはどこにもなかった。最初から、なかったのだ。
答えとは、なんなのか。
聖書にあった悪魔の獣のように獰猛な人々の姿。
火刑台に立つ自分。
これまでしてきたことは、まったくの無駄だったのか? ロマン・トゥルダの現実から目を背けていればよかったのか? そうすれば、ヨアンとともに幸せでいられたのだろうか?
悔しくてならなかった。このまま死ぬのは、絶対に嫌だった。
けれど、―――これがロマン・トゥルダの意思。
レーナはもはや、ロマン・トゥルダの人々に殺されるしかないのだ。
もう、それしか道はない。
(わたしは、負けたのだから)
「行くなッ!」
(ヨアン、ヨアン……!)
涙のあふれる目を大きく開いて、彼女は恋人の姿を求めた。
思えば、ヨアンにはいつも苦労ばかりかけていた。最後の最後まで、彼を苦しませてしまうだなんて。―――悲しませたくなんかないのに。本当はずっと、ずっと一緒にいたかった。
「行かないでくれ……!」
ヨアンは腕を懸命に伸ばす。けれど、ふたりの間はあまりにも遠く距離があった。手を伸ばしたくともレーナは拘束されて身動きが取れない。はめられた猿轡で、呻くことしかできなかった。
(ああ―――!)
ヨアンは柵を乗り越え、レーナのもとに駆け寄ろうとしてる。彼女はしかし、それを目で制した。
(来ないで!)
まるで声が聞こえたかのように、ヨアンの動きがはっと止まる。
(あなたまでみんなに恨まれてしまう! ヨアンは、ヨアンは誰からも好かれるヨアンでいて!)
「僕はどうしたらいいんだ!ッ」
ヨアンは叫ぶ。
(ロマン・トゥルダの汚濁にはまみれないで。あなただけは、自分を見失わないで。この楽園に、溺れたりしないで。……ヨアン……)
レーナの足元の薪に油がかけられる。そして、彼女の身体にも。囚人服に、冷たく油が沁み込んでいく。鼻の奥が、油のきつい臭いにつんと刺激され、痛みを訴える。
刑吏の掲げる松明に、火が点けられた。大きくどよめく群衆たち。
(ヨアン。誰よりも愛してる。出逢えてよかった。我儘ばっかり言っててごめん。ごめん。思いを曲げて生きていけなくてごめんなさい。―――許して、ヨアン。あなたをひとりにさせてしまうなんて!)
彼女の頬に、ひと筋の涙が流れ落ちた。
(これがわたし。わたしの生! ヨアン、お願い、わたしを覚えていて。わたしの生を、忘れないで!)
目の前が急に真っ赤な炎に変わった。直後、激しい熱が彼女を襲う。刑吏が火刑台に火を放ったのだ。
凄まじい熱が襲いくる。肌を焦がし、焼けつく焔。激しく噴き出す真っ黒な煙に、彼女の肺が爛れてゆく。
炎に包まれ身悶えするレーナの姿に、群衆は歓声に沸いた。
「やめろおおおお! レーナ!」
堪えきれず、ヨアンは柵を乗り越え、レーナのもとに駆け寄った。それを、刑吏たちがおしとどめる。ヨアンを抑える彼らの顔は、恍惚としていた。
怒りが、とめどなく噴出する。抑えられなかった。自分自身に対しても、ロマン・トゥルダの愚かな人々に対しても。
何故嬉々としている。判っているのか。
お前たちはいま、公然とひと殺しをしているんだぞ!
もはや炎に包まれ、姿ははっきりと見えない。そのとき、猿轡が外れたのか、レーナのものであろう悲鳴が広場の隅々にまで響き渡った。
「あああ……ッ!」
「うわあああああッ!」
女性の声とは思えない地獄の底からの唸りのような不気味な悲鳴に、ヨアンは気が狂いそうだった。
(僕が至らなかったばかりに!)
憤然と抵抗をし、刑吏に殴りかかるヨアン。
「ヨアン! いけない、やめて!」
振りかざした拳が、宙ではたと止まる。
いまの言葉は、レーナのものなのか?
ヨアンは顔を火刑台へと向ける。
「幸せになって、ヨアン……。愛してる、ずっと、ずっと……」
「レーナ」
ヨアンのいる場所から火刑台までまだ幾らかの距離がある。それでも凄まじい熱気に煽られていた。
―――レーナはこれを遥かに上まわる灼熱に焼かれて―――、なのに、彼女にはまだ意識があると?
「やめろ。やだ……、もう、やめてくれ、頼むよ……誰か……」
がっくりと膝から力が抜けたヨアン。レーナはひとりで立っているのではなく、柱に縛りつけられている鎖によって、身体を支えられているにすぎない。苦しみにくずおれることすら、許されないのか。
「神よ……!」
火刑台から、潰れた声が天空へと響いた。
「これがあなたの楽園です! ―――これがお望みかッ!」
その言葉を最後にして、―――レーナは、動かなくなった。柱に繋ぎとめられたままぐったりと力尽きた黒いひと影が、燃え盛る炎の間から姿を現す。
歓声が、ひときわ高くなった。
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