月満ちる国と朔の姫君

トグサマリ

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【第一章】

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 東の大陸と西の大陸を結ぶ場所に、斧の形をした巨大な半島がある。その斧の刃にあたる部分に、小国エル・ザンディはあった。南側を海に、北側は広大な砂漠に面したエル・ザンディは、東側を大国バハーバドルに押さえられている。かつては領土争いを繰り広げた両国だったが、この百年ほどは友好な関係が続いている。
「ですから、どうか国王さまにお目通りを願いたいのです! 取り次ぎをお願いします!」
 バハーバドルの首都、バハールの中心にある王宮の正門。
 ひとりの少年が、拙いバハーバドル語で門を守る衛兵に詰め寄っていた。少女かと見紛うほど線の柔らかな少年は、透明な声で懸命に国王への取り次ぎを願い出ていた。
 最初こそ何事かと真面目に取り合ってくれた衛兵たちだったが、少年は訴えの内容を明らかにしないため、王に取り次ぐことなど問題外。既に何日も王宮に通い詰め、同じ台詞で訴え続ける少年を、彼らはもはやうんざりした面持ちで無視している。
「ちゃんと聞いてくださいってば。ホントに母はバハーバドルの王女ライラだったんです! 王さまの妹のライラなんです。ホントに母からの伝言が―――」
 訴える最中、背後になにかが迫る気配があった。
 言葉尻をさらうようにして、騎乗した一団が少年の横を駆け抜けていく。
 町の視察から戻ってきた皇太子の一団だった。
 柔らかな風を巻き起こして通り過ぎたものの、その先頭の馬が、門を少し行ったところで止まる。
 こちらを怪訝に振り返ったのは、きらびやかな衣装に身を包んだ青年。額の中央に、影の色をした石をめていた。
「―――。いま、母親がライラだと言ったか?」
「え? あ、はい」
 颯爽と現れた人物に問われ、少年は言葉を詰まらせる。圧倒的な存在感が、青年にはあった。威圧するほどの雰囲気を持ちながらも、しかし砂漠を潤すオアシスのような、しっとりとした声をしていた。
「なるほど」
 馬上から青年は、こちらをじっと値踏みする眼差しで見つめてきて、小さく頷いた。
「名は?」
「え?」
「お前の名だ」
「あ。名前。えと、ディ……アシュガルと」
「ではアシュガル。ついて来い。ライラさまの伝言とやらを聞こう」
「なりませぬ、ジャファール殿下。身元の確かでないこのような者を通すわけにはまいりません」
 門番のひとりが、ジャファール殿下と自らが呼んだ青年に訴える。
 ジャファールは小さな苦笑を頬に刻む。
「お前は知らないだろうがこの者はライラさまに生き写しだ。他人のはずがないほどにな。―――来い」
「え。あ。はいッ」
 こうしてジャファール直々の命によって、幸運だけれどほとんど強引に、少年アシュガルは王宮へと足を踏み入れることができたのだった。


 アシュガルは王宮に入ってすぐの一室に連れられた。
 天井が高い。壁はくすみのない純白の色をしていて、床のモザイクは複雑に絡まりあい、蔦の模様が四方八方に広がっている。大きく取られた窓から、庭の緑が風にそよぐ様子が見てとれた。
 町のすぐそばにまで砂漠が迫ってきているのに、溢れんばかりの緑が庭にある。いったいどれほどの水が使われているのか、考えるだけでもめまいがしそうだ。
 壁際に置かれた一人がけの籐の椅子に腰を下ろしたジャファールは、きょろきょろと部屋を見まわすアシュガルに声をかけた。
「母親がここの王女だと言っていたが、顔以外でそれを証明するものはあるか?」
「はッ、はいッ、カオイガイ? ショウメイ……あ、顔の他での身分の証明ですねッ」
 耳を優しくくすぐるジャファールの声に、アシュガルははっと我に返った。外国語であるバハーバドル語は、意識を集中していないと意味を読みとれない。身分を証明するもの証明するもの、とエル・ザンディ語で呟きながら、彼はライラから譲られたものを見せようと、厚く包帯の巻かれた二の腕を露わにさせた。
 慣れない手つきでおぼつかなく彼が包帯を解いていくと、そこには銀色に輝く細い腕輪が輝いていた。
 銀とも金とも違う、どんな合金なのかは判らない淡い朱色にも見える腕輪が、右腕にはめられていた。『あなたの身分を保証してくれるはず』と、母の腕から外された腕輪だった。
 腕輪のはめられた二の腕を、ずいとジャファールに差し出すアシュガル。
「ここのあたりに、バハーバドルの文字で母の名が刻まれているとのことです」
「……そのようだな」
 ジャファールは息を呑んで、示された腕輪とアシュガルを見つめる。
〝ライラ・アルラフシャーン〟の文字は、彼が言うとおり、示された箇所に確かに刻まれている。
(だが)
 ―――アシュガルは気付いてないのだろうか。
 この腕輪は、オリハルコンでできている、ということを。
 オリハルコンはバハーバドル門外不出の至宝。唯一の例外が、二十年ほど前にエル・ザンディの商人と駆け落ちをしたライラ王女の持つ腕輪―――キディスだった。
 それがいま、彼女の息子とともにこの国に帰ってきた。
(息子?)
 ジャファールは引っかかってならなかった。
 キディスは女性が身に着ける装飾品である。それを二の腕ごとジャファールに示しているアシュガルだったが、どう見てもその腕は細い。男性に腕を見せる大胆さから少年かとも思わせるが、顔立ちやよくよく見れば身体の丸みは女のものだ。
 顔を隠そうともせず日にさらしているのは、戒律に厳しいエル・ザンディの女性には考えられないことだったが、自由奔放なライラ王女の娘だとすれば―――。
「アシュガル。君は、もしかして女なのか?」
「はい。砂漠を越えるために、従弟の名を借りました。本当の名前は、ディーナ・アルカヴァーレといいます」
 やはりそうかと、ジャファールは改めてアシュガル―――ディーナを見た。
 ライラ王女の若いときはもちろん知らないけれど、記憶にある王女を十代にさせた顔が、目の前にあった。日に焼けてはいるものの肌の色はライラ王女よりも白く、瞳の色も、茶色ではなく青い色をしている。
 懐かしさが、ジャファールの胸にこみあがってくる。
「ディーナ。男装して砂漠を越えてまでしてここを訪れた理由はなんだ?」
 バハーバドル語に難儀する彼女を思いやってか、ジャファールはエル・ザンディの言葉で話しかけてくれた。
「あ、ありがとうございま……、あッ!」
 突然ディーナが声をあげた。
 なにごとかと軽く身構えたジャファールの前で、彼女は顔を青くさせ、腕のキディスをさっと隠した。
「どうした」
「あ……あの。ひとつ伺っても、確認なんですけどよろしいでしょうか」
「? 言ってみろ」
「ジャファールさまは、皇太子殿下でいらっしゃるんですよ、ね?」
「……そうだ。これがその証拠だ」
 なにをいまさらと、ジャファールは額の石を指差した。銀の色を幾重にも重ねて影だけを抽出したような、深い色の石がひとつ填め込まれている。
「生まれたとき、このリハールが額にある者が、皇太子となる」
「リハール」
「そのキディスと同じで、オリハルコンでできている」
「きでぃ? おいはうこ?」
 母国語で語られているとはいえ初めて聞く単語に、ディーナの耳と口は追いつかない。
「キディスとオリハルコンだ。キディスは女性が二の腕にはめる腕輪のこと。オリハルコンは、バハーバドルにのみ存在する天界の金属で、この国の至宝だ。これを身に着けられるのは、王族のみ。更にこれを額に宿して生まれた者は、天界からこの国の将来を任された証であるとして、生まれながらにして皇太子となる」
「……」
 眉間にしわを寄せて、ディーナは真剣に聞き入っていた。その、まるで仔犬が飼い主のしつけに戸惑いながらも意味を理解しようとしている姿にも似た彼女の様子に、ジャファールは内心苦笑する。
 ディーナ自身は懸命にジャファールの言葉を頭の中で反芻していた。
 ―――なのだけれど、よく、判らない。
 ただ、彼がまっすぐな眼差しでそう言うのなら、皇太子というのは本当なのだろう。
 嘘をついているようには見えない。
 直感で、そう感じた。
 信じてみよう、と思った。
「おれが皇太子なのが、まずいのか?」
「あ……。いえ」
 小さく首を振るディーナ。
 母ライラに言われていたのだ。譲られたキディスを見せることと、自分の身に起きた事態を、皇太子もしくは国王以外には口外してはならないと。身分を明かせと言われてついキディスを見せてしまった自分の軽率さを一瞬呪ったが、幸運にも本人で助かった。
 密かにほぅと息をついた胸元、懐の奥深くには、国王にのみ見せなさいときつく言われた母の手紙が忍ばせてある。こればかりはちゃんと国王本人であることを確認してから存在を明かさなければ。
「ディーナ?」
 固く決意しているうちに、黙り込んでしまっていたらしい。ディーナはジャファールへと目を上げた。
「わたしがここに来た理由なんですけど。えと。幻聴が、あるのです、わたし」
「幻聴? どのような」
 あまり興味の引かれない声で、ジャファールに続きを促される。
「〈ラシャブ・ヒルラール、ロストゥス。アルー・カウン、ダザ・ハディーラ。アレァートゥ。ディーナ・アルカヴァーレ。ダンティ・ベイ・キュッラ。ダンティ・ベイ・キュッラ、ディーナ〉と」
「!」
 音を立てて、ジャファールは籐椅子から身を乗り出した。
 ディーナを検分するように眼差しに力をこめ、そうして呆然とした表情になった。母ライラと、同じ反応だった。
 ジャファールはすぐに手を叩いてひとを呼ぶ。現れた人物に、彼は「大至急陛下に取り次ぎを。国の大事だ」と言付けた。
 緊迫した空気をまとい、きびきびしたその様子。
 青年の顔から急に皇太子の顔へと変わったジャファール。
 突然のことに、ディーナは戸惑うことすらできない。
 自分のこの幻聴はいったいなにを引き起こそうとしているのか。なにか、恐ろしいことに放り込まれてしまったのかと、ディーナは肝が冷え、叶うことなら、絵物語で姫君がよく陥るという気絶というものをしたくなった。



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