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第一章
04:事件
しおりを挟むそれは七月のこと。麗が誕生日を迎え、十四歳になった時のことだ。友人の朋夜から『予言』を受けたことも忘れかけた時だ。
いつも一緒に帰宅しているもう一人の友人と分かれ、最寄り駅で降りた後。
「麗くん」
まとわりつくような声が名を呼んだ。
「え、」
声の主は二十歳前ぐらいの女性。顔立ちは美人と言っても過言ではない。しかし、セミロングの髪はごわついていて、目には生気がない。それが彼女の印象を重くさせている。
麗はその女性に見覚えがあった。その時は髪も綺麗に整えられ、メイクもしていた。だからすぐには気付かなかった。
「ねぇ、麗くん」
気付いた瞬間、どっと背中に汗が滲んだ。その変貌ぶりにではない。彼女の手に握られていた包丁が目についたからだ。
「やっぱり私、麗くんが好き」
艶をなくした唇が、艶めいた、まとわりつく声音で愛を吐き出す。
そう、この女性は、家に遊びに来たことがある。
「おかしいよね? 中学生に本気で恋するなんて! でもね、やっぱり私は麗くんが好き。麗くんじゃなきゃ嫌。ねえ、麗くん。私のこと綺麗って言ってくれたの覚えてる? その時の麗くんの顔が忘れられないの。ねえ、なんで私のこと振ったの? 年上すぎるから? それとも麗くんのお兄さんを傷つけたから? ねえ、教えて。好き、好きなの、麗くん、ねえ、」
じりっと距離が詰められる。細い指が、しっかりと柄を握り直した。
本能的に、麗の足が逃げようと後退した。――それは、彼女にとって拒絶と同じだった。
――――
当時のネットニュースをプリントしたものに目を通した朔夜が喉を鳴らした。そこにあったのはただの淡々とした情報に過ぎないが、麗自身から聞かされたそれはあまりに生々しい現実。
「幸い、すぐに取り押さえられたから俺自身は全治一か月のケガ。傷は残ったけど、命に別状はなかった」
そう言って、麗は袖を捲って見せる。そこには斜めに走った、白く盛り上がった傷跡。咄嗟に腕で庇ったため、命に係わるような傷は追わなかった。
しかし、麗にとっての地獄はそこから始まった。
「包丁で切りかかられた時に、同じ場面があった気がして――デジャブっていうのかな。それは、『俺』が女の人を、何度も、何度も、刺してた」
袖を戻しながら、麗が視線を落とした。
「その事件をきっかけに、学校にも――外出も出来なくなった。殺されかけた恐怖と、誰かを殺した記憶が交互に襲ってくる。――今日まで、外に出られなかったんだ」
「でも、今日は麗くんの恐怖より大事なもんがあったから出られたんやろ」
過剰と言えるほどに姿を隠し、恐怖に震えながらも朔夜と朧唯を待った。それは紛れもない事実だ。ただ、それだけのことなのに。
ぼろっと大きな粒が、麗の頬をすべり落ちた。張り詰めていたものがようやく形になったかのように。
「――麗くん、まだ続きがあるんだろ。聞かせてほしい」
しかし、『時間』もない。とめどなく流れてくる涙をぬぐう麗に、朔夜は続けるようにと促した。
事件はきっかけにすぎない。麗を本当に苦しめているのは、その犯人ではないと朔夜も朧唯も気付いていた。
「あの時からっ、――兄に、『俺』が殺した女の人が、重なって見える。それだけじゃなくて、もうひとり、綺麗な男の人も、兄じゃない人が、ぶれて、重なって」
「麗くん……」
朧唯が、ぬぐってもぬぐっても溢れる麗の涙を気にしてタオルを持ってきた。しゃくりあげる麗の背を撫でながら、『ゆっくりで大丈夫』と宥める。
「――――『俺』は、その人たちが、愛しくて、憎くて、誰かのものになんて、したくなくて」
ぴたり、と嗚咽が止まった。
「だから、殺したんだ」
その言葉に、抉るような雨の音が重なった。
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