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第53話 ごめんね。
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「どこ行ってたんだよ、探したんだぞ!」
字面だけを追えば、怒っているようにも聞こえる竜弥の言葉だったが、彼の声色はとても明るかった。
上空から己の前に帰還した黒衣の幼女。
それは彼にとっては大切な相棒であり、この状況における救世主の如き存在なのだから当然だ。
「ごめんごめん。それなりに収穫もあったし、許してちょうだい。それにまずは、魔魂を喰らわせて。上空を飛んでる時に魔魂誘導砲の起動音がしたから、全力で中央管理塔に突っ込んだのよ。おかげで、体内の魔魂がほとんど尽きたわ」
ふらついた様子のユリファの所作に、いつもの力強さはない。
黒く大きな翼はしおれ、顔色も酷く白くなっている。
それこそが、魔魂が不足している証拠だろう。
竜弥は彼女の提案に対し、躊躇せず頷く。
ユリファに魔魂を与えること。
彼の存在意義はそこにある。
情けない話だがそれが今の現実であり、最善策だった。
そうして、竜弥は疲弊しきったユリファの小柄な体を腕の中に招き入れようと、両手を伸ばす。
彼女の黒衣に手が触れようとしたその時だった。
――差し出した両腕が、振り下ろされた巨大な脚に踏み潰された。
顔が地面に激しく叩きつけられ、竜弥は何が起こったのかわからなかった。
うつ伏せに倒された自分の身体。鼻血が噴き出した顔をゆっくりと上げると、視界には自分の伸び切った両腕が入る。
無意識にその腕の先を辿っていく。
そして腕の先端、通常であれば、二つの手が存在するその場所にあったのは、血溜まり。
赤い水溜りに子供が無邪気に飛び込んだかのように、赤い飛沫が四方八方、自分の顔にもびっしゃりと付着していることにようやく気付く。
だが、実際に赤い水溜りを踏みつけているのは子供ではなかった。
ある意味では子供かもしれないが、その図体は子供のそれとは似ても似つかない。
その筋肉質の醜い太脚は、楽しそうに、竜弥の手を何度も何度も踏みつける。
血液が飛び散る。肉片が飛び散る。
竜弥の、血液が飛び散る。竜弥の、肉片が飛び散る。
そして、脳が理解した。
理解してしまった。
ユリファを抱きかかえるために差し出した竜弥の両手は、『無邪気な箱』胴体部に無惨に踏み潰されて。
――原型を留めていなかった。
「う……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!!!」
ぐちゃり、ぐちゃり、と聞くだけで正気を失わせるような音がフロアに広がる。
竜弥の絶叫はそれをかき消すようにどこまでも響いていく。
痛みによって弾け飛んだ意識が、狂気となって脳内を埋め尽くす。
――痛い! 痛い! 痛い! 痛い? 痛くない。痛覚とはなんだったか。この状態が痛い? なら、痛い。痛くない。楽しい。あれ、俺、ここで何してるんだ? 明日の学校の時間割なんだっけ。体育はだるいからめんどいな。痛い。でもなんだ痛いか最近、ずっと身体を動か痛いしている気が痛いするんだけど、なん痛いでだっけ? 痛い。痛い? 痛いッ! 痛いッ!! 痛いッッッ!!!!!
※
「竜弥ッ!」
鋭いユリファの言葉も竜弥の意識には届かない。
彼は大きく両目を見開いて、がくがくと痙攣した後、大量の涙を流してから白目を剥いて卒倒した。
その様子を見て、酷く愉悦に浸った哄笑を響かせる人間が一人。
「結局、ユリファさまの攻略方法なんて簡単なんですよ。潰せばいいんです。その厄介な少年を」
『無邪気な箱』が破った中央管理塔外壁の大穴から、先ほどユリファが対峙した雑魚魔術師が現れる。それもかなり満悦した表情で。
「魔魂誘導砲のせいで、『存在しない結社』はほぼ壊滅。俺もさすがに肝を冷やしました。ですが、惜しかったですね。金杖の術式と地理的な幸運もあり、俺は攻撃を免れた。そして、最後の抵抗で力を使い果たした中央管理塔は、これから俺に制圧されるんです。反撃能力のない管理塔と魔魂のない三大魔祖相手なら、生き残った少数の人間で制圧は容易い。むしろ、感謝しますよ。仲間の数が減ったことで、制圧の手柄を少ない人数で分け合えるのですから」
仲間が死んだことを悲しまず、それどころか喜んでいる雑魚魔術師の言動に、ユリファは怖気が走った。
「……許さないッ! 竜弥をこんな風にした報いを受けてもらうッ!」
殺意を隠そうともしないユリファは地面を勢いよく蹴り、高速で『無邪気な箱』に接近、その胴体部を吹き飛ばす。
怒気を孕んだ一撃に、胴体部は三メートルほど後方の床へと崩れ落ちる。
――このまま、一気に終わらせるッ!
すぐさま方向を変えた彼女は、そのまま雑魚魔術師との距離を詰めるが。
「――その程度じゃ、金杖の敵じゃないですよ」
「……っ!」
雑魚魔術師の盾となる形で、白色の魔法陣が出現。ユリファは後ろにステップを踏んで避ける。
白色魔術は三大魔祖に唯一、大きなダメージを与えられる聖なる術式を使ったものである。
通常であれば、魔魂消費が激しく連発することはできないのだが、魔魂消費を必要としない金杖を介する場合、その欠点は克服される。
金杖と白色魔術、そして三大魔祖の組み合わせは、ユリファにとって最も忌み嫌うものであり、雑魚魔術師にとって最も有益なものであった。
「魔魂を喰らえないユリファさまなど、ただの幼女じゃないですかぁ! 面白いですね、愉快ですよ、その無様な姿!」
雑魚魔術師の戯言を無視して、ユリファは負傷した竜弥に目をやる。
彼の両手は見るに堪えないレベルで破損しているが、エギア・ネクロガルドの力を持つ彼であれば、十分再生可能な範囲である。
だがもちろん、完治には相応の時間はかかるし、起き上がれるようになるだけでも、十数分はかかるだろう。
恐らく、致命傷部分が癒えるまでは、彼の体内の魔魂は全て修復に使われる。
となると、ユリファが魔魂を喰らえるようになるまでには、同じく十数分以上がかかるということだ。
戦闘において、その待ち時間はあまりにも長い。
打つ手がなく、ユリファが硬直した一瞬。
それは、相手に反撃のチャンスを与えるのに十分な時間だった。
「キュキュア!!」
ユリファの死角から、突如極太の脚が現れた。高速で振り抜かれたそれは、彼女の腹部に突き刺さり、ユリファの意識が白くぼやける。
――まずいっ!
そう感じた時には、もう遅い。
魔魂シールドを破られ、『無邪気な箱』術式の浸食を許した中央管理塔のあらゆる壁から隆起した無数の腕が、ユリファの華奢な身体を握りつぶそうと、猛々しい獣の如く襲い掛かった。
それは絶望の光景。
壁面から天井から受付カウンターから突き出された筋肉質の腕。それがユリファの視界を満たす。
決定打を与えられず、起き上がった単眼の『無邪気な箱』はその無数の腕の中心で、軽やかなステップを踏む。
彼女を殺すことができる、歓喜に溺れるように。
竜弥は依然卒倒したままだ。
敵の魔術師は高笑いをして、ユリファの死に姿を見物しようとしている。もう、この状況をひっくり返す手は――なかった。
ユリファは歪む視界の中、小さく謝罪を口にする。
「ごめんね、竜弥……」
最期の時が、迫っていた。
字面だけを追えば、怒っているようにも聞こえる竜弥の言葉だったが、彼の声色はとても明るかった。
上空から己の前に帰還した黒衣の幼女。
それは彼にとっては大切な相棒であり、この状況における救世主の如き存在なのだから当然だ。
「ごめんごめん。それなりに収穫もあったし、許してちょうだい。それにまずは、魔魂を喰らわせて。上空を飛んでる時に魔魂誘導砲の起動音がしたから、全力で中央管理塔に突っ込んだのよ。おかげで、体内の魔魂がほとんど尽きたわ」
ふらついた様子のユリファの所作に、いつもの力強さはない。
黒く大きな翼はしおれ、顔色も酷く白くなっている。
それこそが、魔魂が不足している証拠だろう。
竜弥は彼女の提案に対し、躊躇せず頷く。
ユリファに魔魂を与えること。
彼の存在意義はそこにある。
情けない話だがそれが今の現実であり、最善策だった。
そうして、竜弥は疲弊しきったユリファの小柄な体を腕の中に招き入れようと、両手を伸ばす。
彼女の黒衣に手が触れようとしたその時だった。
――差し出した両腕が、振り下ろされた巨大な脚に踏み潰された。
顔が地面に激しく叩きつけられ、竜弥は何が起こったのかわからなかった。
うつ伏せに倒された自分の身体。鼻血が噴き出した顔をゆっくりと上げると、視界には自分の伸び切った両腕が入る。
無意識にその腕の先を辿っていく。
そして腕の先端、通常であれば、二つの手が存在するその場所にあったのは、血溜まり。
赤い水溜りに子供が無邪気に飛び込んだかのように、赤い飛沫が四方八方、自分の顔にもびっしゃりと付着していることにようやく気付く。
だが、実際に赤い水溜りを踏みつけているのは子供ではなかった。
ある意味では子供かもしれないが、その図体は子供のそれとは似ても似つかない。
その筋肉質の醜い太脚は、楽しそうに、竜弥の手を何度も何度も踏みつける。
血液が飛び散る。肉片が飛び散る。
竜弥の、血液が飛び散る。竜弥の、肉片が飛び散る。
そして、脳が理解した。
理解してしまった。
ユリファを抱きかかえるために差し出した竜弥の両手は、『無邪気な箱』胴体部に無惨に踏み潰されて。
――原型を留めていなかった。
「う……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!!!」
ぐちゃり、ぐちゃり、と聞くだけで正気を失わせるような音がフロアに広がる。
竜弥の絶叫はそれをかき消すようにどこまでも響いていく。
痛みによって弾け飛んだ意識が、狂気となって脳内を埋め尽くす。
――痛い! 痛い! 痛い! 痛い? 痛くない。痛覚とはなんだったか。この状態が痛い? なら、痛い。痛くない。楽しい。あれ、俺、ここで何してるんだ? 明日の学校の時間割なんだっけ。体育はだるいからめんどいな。痛い。でもなんだ痛いか最近、ずっと身体を動か痛いしている気が痛いするんだけど、なん痛いでだっけ? 痛い。痛い? 痛いッ! 痛いッ!! 痛いッッッ!!!!!
※
「竜弥ッ!」
鋭いユリファの言葉も竜弥の意識には届かない。
彼は大きく両目を見開いて、がくがくと痙攣した後、大量の涙を流してから白目を剥いて卒倒した。
その様子を見て、酷く愉悦に浸った哄笑を響かせる人間が一人。
「結局、ユリファさまの攻略方法なんて簡単なんですよ。潰せばいいんです。その厄介な少年を」
『無邪気な箱』が破った中央管理塔外壁の大穴から、先ほどユリファが対峙した雑魚魔術師が現れる。それもかなり満悦した表情で。
「魔魂誘導砲のせいで、『存在しない結社』はほぼ壊滅。俺もさすがに肝を冷やしました。ですが、惜しかったですね。金杖の術式と地理的な幸運もあり、俺は攻撃を免れた。そして、最後の抵抗で力を使い果たした中央管理塔は、これから俺に制圧されるんです。反撃能力のない管理塔と魔魂のない三大魔祖相手なら、生き残った少数の人間で制圧は容易い。むしろ、感謝しますよ。仲間の数が減ったことで、制圧の手柄を少ない人数で分け合えるのですから」
仲間が死んだことを悲しまず、それどころか喜んでいる雑魚魔術師の言動に、ユリファは怖気が走った。
「……許さないッ! 竜弥をこんな風にした報いを受けてもらうッ!」
殺意を隠そうともしないユリファは地面を勢いよく蹴り、高速で『無邪気な箱』に接近、その胴体部を吹き飛ばす。
怒気を孕んだ一撃に、胴体部は三メートルほど後方の床へと崩れ落ちる。
――このまま、一気に終わらせるッ!
すぐさま方向を変えた彼女は、そのまま雑魚魔術師との距離を詰めるが。
「――その程度じゃ、金杖の敵じゃないですよ」
「……っ!」
雑魚魔術師の盾となる形で、白色の魔法陣が出現。ユリファは後ろにステップを踏んで避ける。
白色魔術は三大魔祖に唯一、大きなダメージを与えられる聖なる術式を使ったものである。
通常であれば、魔魂消費が激しく連発することはできないのだが、魔魂消費を必要としない金杖を介する場合、その欠点は克服される。
金杖と白色魔術、そして三大魔祖の組み合わせは、ユリファにとって最も忌み嫌うものであり、雑魚魔術師にとって最も有益なものであった。
「魔魂を喰らえないユリファさまなど、ただの幼女じゃないですかぁ! 面白いですね、愉快ですよ、その無様な姿!」
雑魚魔術師の戯言を無視して、ユリファは負傷した竜弥に目をやる。
彼の両手は見るに堪えないレベルで破損しているが、エギア・ネクロガルドの力を持つ彼であれば、十分再生可能な範囲である。
だがもちろん、完治には相応の時間はかかるし、起き上がれるようになるだけでも、十数分はかかるだろう。
恐らく、致命傷部分が癒えるまでは、彼の体内の魔魂は全て修復に使われる。
となると、ユリファが魔魂を喰らえるようになるまでには、同じく十数分以上がかかるということだ。
戦闘において、その待ち時間はあまりにも長い。
打つ手がなく、ユリファが硬直した一瞬。
それは、相手に反撃のチャンスを与えるのに十分な時間だった。
「キュキュア!!」
ユリファの死角から、突如極太の脚が現れた。高速で振り抜かれたそれは、彼女の腹部に突き刺さり、ユリファの意識が白くぼやける。
――まずいっ!
そう感じた時には、もう遅い。
魔魂シールドを破られ、『無邪気な箱』術式の浸食を許した中央管理塔のあらゆる壁から隆起した無数の腕が、ユリファの華奢な身体を握りつぶそうと、猛々しい獣の如く襲い掛かった。
それは絶望の光景。
壁面から天井から受付カウンターから突き出された筋肉質の腕。それがユリファの視界を満たす。
決定打を与えられず、起き上がった単眼の『無邪気な箱』はその無数の腕の中心で、軽やかなステップを踏む。
彼女を殺すことができる、歓喜に溺れるように。
竜弥は依然卒倒したままだ。
敵の魔術師は高笑いをして、ユリファの死に姿を見物しようとしている。もう、この状況をひっくり返す手は――なかった。
ユリファは歪む視界の中、小さく謝罪を口にする。
「ごめんね、竜弥……」
最期の時が、迫っていた。
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