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後編
届かなかった?(他)
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手が空を切った。こちらに向けられた指先にも触れられず。
後ろから伸びてきた沢山の手によって、引き止められた。体の、服のあちらこちらを引っ張られる。
「ッ、待てッッ!!」
「危険ですッ!!殿下!!」
縋るようにして叫んだ。だけれど、部下達の声も、手も己をその場に留める。
アリサとアーベルが黒い沼のような影にトプンと小さな音をたてて、沈んでいく。
沢山の小さな手に引き摺られて、引きずり込まれて、アーベルは泣き、アリサの瞳にもハッキリと恐怖の色が浮かんでいたのに。
届かなかった。
伸ばした手は、届かなかった。
何の為にここに来た?
何の為に部下を呼んだ?
「全ては、最悪の未来を回避する為に……」
アリサとアーベルの危険ですら、
――必要な事だったとでも言うのか?
彼女達に刃物を振りかぶっていた男を見て、血の気が引いた。生きた心地がしなかった。
手を握りしめる。強く、強く。
周辺にはハイデマリーが力尽きたように転がっている。息もあるようだし、目立った外傷もない。ただ、随分と無理をしたのか、普段は後宮でお高くとまっている彼女にしてはボロボロだった。既に治癒の人間が治療にあたっている。
考えていたのは、一瞬の事だった。
「第七部隊は魔法を追跡しろ!アリサとアーベルの行方を追え!第八部隊は先程の魔法の解析を!おそらく固有魔法だ!犯人を絞れ!第六部隊は周辺の捜索をしろ!!」
ローデリヒは腹の底から声を張り上げた。反射的に騎士達は動き出す。
「――残りの第三部隊は、私と共に事情聴取だ」
拘束されて石畳に転がっている、襲撃者を冷たい目で見下ろした。
――――――――――――
―――――――
影に呑まれた筈だった。
一寸は光が通らない闇に呑まれた筈だったのに。
「……え?どこ?」
いつの間にか建物の中らしき場所にいた。石造りの壁は、結構雑に積んでいるのか隙間風が酷い。見た覚えが全くないので、どこか知らない場所なのだろう。
当たり前だ。
「どう見ても、牢屋……」
頭上のはるか上に鉄格子の小窓。そこから明かりが一応入るが、アーベルですらくぐれるか分からない狭さだ。
まず部屋の三方は壁なんだよね……。残りの一方も小窓と同じの鉄格子。廊下が見えるけれど……、向かい側も牢屋みたいで鉄格子だった。
そして、なんか雨漏りしているのか、……向かいは水浸し。その中に沈むように白いのが見えるような……?え……、骨……?なんの?
「いや、考えちゃダメだ。ホラーの方向に考えちゃダメだ……」
ぞわぁっと鳥肌が立ってるけれども。
抱き締めていたアーベルは、いつの間にか静かになっていた。疲れたようだった。私の肩に頭を預けて、ウトウトしている。
背中をトントンとあやしながらなんとか出れないものか……、と鉄格子を観察するけれど、南京錠みたいな物が付いているだけ。
「……取れ?そう?」
だいぶ古そうな南京錠を片手で掴む。
よくよく見ると鍵穴もツルの部分も錆びている。どうやってこれ施錠したんだろ……?錆びすぎて動かなくない?破壊するしかない?
……というかまず、私達ってどうやってこの中に入ったんだろう?謎だ……。
「ずっと会いたかった、と言うべきか?」
いきなり頭上から声がして、心臓が止まるかと思った。大きく目を見開いて、音がするくらい勢い良く上を向く。
ローブを身にまとった人が、いつの間にか目の前に立っていた。低く、落ち着いた声からして男の人。
「もっとも、お前は俺の事等知らないだろうがな」
ゆっくりと被っていたフードを外した下の顔は、確かに会ったことのない顔だった。
会ったことは、なかったけれど。
「……いいえ、知っています。貴方の事」
南京錠から手を離す。無意識にアーベルの背中へと手を回した。男から隠すように。
アーベルは関係ないから。
「貴方は……、トピアス・サロライネン侯爵の親族の1人ですね?」
私の能力がきっかけで、――人生を狂わされたうちの一人。
アルヴォネン国王に殺された人も、その親族で人生を狂わされた人も、覚えているから。
「よく分かっているじゃないか。……トピアスの嫡男だった。名前はカレルヴォ。家名はもうない」
「……ルーカス達が探していましたから」
切れ長の黒目。黒い髪は短く切っているし、鍛えているのかそこそこ体格も良い。
街中にいても違和感が無さそう風貌なのに。死んだような濁った瞳で見下ろされると、ゾッとする。
何故なら、家長が反逆罪で死刑になった一家の末路は、決して楽なものではないから。
きっと彼も、険しい人生だったのだろう。
「……目的は復讐、とかでしょうか?」
私の問いにハッと鼻で笑った。
「随分と物わかりが良いじゃないか」
そりゃあ、散々襲撃されまくってましたし、とか思ったけど、黙っておく。
「こうやって連れ去ったのは、王城から出たからですか?」
「そうだ。王城でも手が出せない深部に居たからな」
離れはルーカスとティーナが破壊したからね……。あの結界は、意外と私の能力だけじゃなくて、襲撃者からも守ってくれてたわけだ。思い返してみると夜会に出た時も襲撃されてたし。
「ずっと、ずっと、会いたかった。父親が死んでから、ずっと。1日たりともお前の事を考えなかった日はなかった」
地を這うような声音だった。彼の輪郭がボタリ、ボタリと黒い雫になって床に落ちる。ドロドロと粘度の高い液体のように。
溶けていた。体が闇に。
「国家反逆罪に問われた一族がまともな職に就けるか?まともに学校に通えるか?まともな物を売ってもらえるか?――まともに生活出来ると思うか?」
私の目の前の影が、人型に変わる。その人型は、徐々に闇のような黒から人の色に変わった。
影から影へと移動したようだった。
「貴族の通う学校は退学させられ、住むところは追われ、お金や貴重品すら持ち出せなかった。取引先だった人間達はみんな俺達へ背を向けた。だから、生きるためなら何でもした。そうしないと、家族も死んでしまうからな」
牢屋の中に入ってきたカレルヴォから、逃げるように後退りする。
「お前が居なければ、家族が殺される事はなかった。家族が路頭に迷う事もなかった」
壁が背中に当たる。彼からアーベルを隠すように抱き締める。
わざわざ彼の口から言葉を聞かなくても、彼が次に行う行動は分かっていた。ずっと伝わってきていたから。
私に向けられているのは、混じり気のない純粋な殺意。
ゆっくりとカレルヴォは刃を抜く。刃先が小窓から入ってくる光を反射した。
この全く逃げ場のない場所で。
「……私を殺す気ですか?」
今更だな、と彼は吐き捨てた。
「お前は、俺の気持ちも分かっているんだろう?」
「……そう、ですね」
殺されても仕方ない事をしたのは分かっている。深く恨まれても仕方ない事をしたとも思っている。
それでも、だ。
「お願いです。アーベルとお腹の子供は関係ない、はずです」
「そうだな」
「だから」
「見逃せ、と?」
私の言葉に被せるようにカレルヴォは聞いた。
「そう、です」
「正直、アルヴォネン国王も含めてお前達に連なる全てが許せない。俺達が死にそうになりながら這いつくばっているその瞬間でも、お前達は幸せそうに笑っていたんだろう?!」
死んだような瞳に激情が宿った。
「ずっとお前がどうやったら一番苦しんで死ぬか考えていた。勿論、抱いてるガキも許せないから、どうせならそいつからの方が良さそうだな」
アーベルを抱く手に力がこもる。
それでも、カレルヴォの手が伸びてきて、アーベルの服に指が掛かった。アーベルは不安そうに私を見上げる。
「だ、だめっ!!」
掴まれた服を掴み返す。けれど、こちらは屋敷に引きこもってばかりの人間。力で押される。
「アーベルはやめて!!」
「うるさい」
アーベルが私の手から段々と離れていく。
「お願いだから!!どうして?!アーベルは関係ない!!」
「俺達だってそうだった!!」
往生際悪く追いすがる私に業を煮やしたのか、カレルヴォは大きく拳を振りかぶった。
殴られる、と思わず目を閉じる。
ギュッと握っていたアーベルの服が、手の中から無くなった。思わず追いすがるように手を伸ばす。
「ッ?!」
声にならない悲鳴を上げたのは、私ではなかった。
「ギリギリ間に合った、という所ですか……」
おそるおそる目を開けた私の前には、手にナイフが刺さって蹲るカレルヴォと細く息を吐いた16歳のアーベル、だった。
後ろから伸びてきた沢山の手によって、引き止められた。体の、服のあちらこちらを引っ張られる。
「ッ、待てッッ!!」
「危険ですッ!!殿下!!」
縋るようにして叫んだ。だけれど、部下達の声も、手も己をその場に留める。
アリサとアーベルが黒い沼のような影にトプンと小さな音をたてて、沈んでいく。
沢山の小さな手に引き摺られて、引きずり込まれて、アーベルは泣き、アリサの瞳にもハッキリと恐怖の色が浮かんでいたのに。
届かなかった。
伸ばした手は、届かなかった。
何の為にここに来た?
何の為に部下を呼んだ?
「全ては、最悪の未来を回避する為に……」
アリサとアーベルの危険ですら、
――必要な事だったとでも言うのか?
彼女達に刃物を振りかぶっていた男を見て、血の気が引いた。生きた心地がしなかった。
手を握りしめる。強く、強く。
周辺にはハイデマリーが力尽きたように転がっている。息もあるようだし、目立った外傷もない。ただ、随分と無理をしたのか、普段は後宮でお高くとまっている彼女にしてはボロボロだった。既に治癒の人間が治療にあたっている。
考えていたのは、一瞬の事だった。
「第七部隊は魔法を追跡しろ!アリサとアーベルの行方を追え!第八部隊は先程の魔法の解析を!おそらく固有魔法だ!犯人を絞れ!第六部隊は周辺の捜索をしろ!!」
ローデリヒは腹の底から声を張り上げた。反射的に騎士達は動き出す。
「――残りの第三部隊は、私と共に事情聴取だ」
拘束されて石畳に転がっている、襲撃者を冷たい目で見下ろした。
――――――――――――
―――――――
影に呑まれた筈だった。
一寸は光が通らない闇に呑まれた筈だったのに。
「……え?どこ?」
いつの間にか建物の中らしき場所にいた。石造りの壁は、結構雑に積んでいるのか隙間風が酷い。見た覚えが全くないので、どこか知らない場所なのだろう。
当たり前だ。
「どう見ても、牢屋……」
頭上のはるか上に鉄格子の小窓。そこから明かりが一応入るが、アーベルですらくぐれるか分からない狭さだ。
まず部屋の三方は壁なんだよね……。残りの一方も小窓と同じの鉄格子。廊下が見えるけれど……、向かい側も牢屋みたいで鉄格子だった。
そして、なんか雨漏りしているのか、……向かいは水浸し。その中に沈むように白いのが見えるような……?え……、骨……?なんの?
「いや、考えちゃダメだ。ホラーの方向に考えちゃダメだ……」
ぞわぁっと鳥肌が立ってるけれども。
抱き締めていたアーベルは、いつの間にか静かになっていた。疲れたようだった。私の肩に頭を預けて、ウトウトしている。
背中をトントンとあやしながらなんとか出れないものか……、と鉄格子を観察するけれど、南京錠みたいな物が付いているだけ。
「……取れ?そう?」
だいぶ古そうな南京錠を片手で掴む。
よくよく見ると鍵穴もツルの部分も錆びている。どうやってこれ施錠したんだろ……?錆びすぎて動かなくない?破壊するしかない?
……というかまず、私達ってどうやってこの中に入ったんだろう?謎だ……。
「ずっと会いたかった、と言うべきか?」
いきなり頭上から声がして、心臓が止まるかと思った。大きく目を見開いて、音がするくらい勢い良く上を向く。
ローブを身にまとった人が、いつの間にか目の前に立っていた。低く、落ち着いた声からして男の人。
「もっとも、お前は俺の事等知らないだろうがな」
ゆっくりと被っていたフードを外した下の顔は、確かに会ったことのない顔だった。
会ったことは、なかったけれど。
「……いいえ、知っています。貴方の事」
南京錠から手を離す。無意識にアーベルの背中へと手を回した。男から隠すように。
アーベルは関係ないから。
「貴方は……、トピアス・サロライネン侯爵の親族の1人ですね?」
私の能力がきっかけで、――人生を狂わされたうちの一人。
アルヴォネン国王に殺された人も、その親族で人生を狂わされた人も、覚えているから。
「よく分かっているじゃないか。……トピアスの嫡男だった。名前はカレルヴォ。家名はもうない」
「……ルーカス達が探していましたから」
切れ長の黒目。黒い髪は短く切っているし、鍛えているのかそこそこ体格も良い。
街中にいても違和感が無さそう風貌なのに。死んだような濁った瞳で見下ろされると、ゾッとする。
何故なら、家長が反逆罪で死刑になった一家の末路は、決して楽なものではないから。
きっと彼も、険しい人生だったのだろう。
「……目的は復讐、とかでしょうか?」
私の問いにハッと鼻で笑った。
「随分と物わかりが良いじゃないか」
そりゃあ、散々襲撃されまくってましたし、とか思ったけど、黙っておく。
「こうやって連れ去ったのは、王城から出たからですか?」
「そうだ。王城でも手が出せない深部に居たからな」
離れはルーカスとティーナが破壊したからね……。あの結界は、意外と私の能力だけじゃなくて、襲撃者からも守ってくれてたわけだ。思い返してみると夜会に出た時も襲撃されてたし。
「ずっと、ずっと、会いたかった。父親が死んでから、ずっと。1日たりともお前の事を考えなかった日はなかった」
地を這うような声音だった。彼の輪郭がボタリ、ボタリと黒い雫になって床に落ちる。ドロドロと粘度の高い液体のように。
溶けていた。体が闇に。
「国家反逆罪に問われた一族がまともな職に就けるか?まともに学校に通えるか?まともな物を売ってもらえるか?――まともに生活出来ると思うか?」
私の目の前の影が、人型に変わる。その人型は、徐々に闇のような黒から人の色に変わった。
影から影へと移動したようだった。
「貴族の通う学校は退学させられ、住むところは追われ、お金や貴重品すら持ち出せなかった。取引先だった人間達はみんな俺達へ背を向けた。だから、生きるためなら何でもした。そうしないと、家族も死んでしまうからな」
牢屋の中に入ってきたカレルヴォから、逃げるように後退りする。
「お前が居なければ、家族が殺される事はなかった。家族が路頭に迷う事もなかった」
壁が背中に当たる。彼からアーベルを隠すように抱き締める。
わざわざ彼の口から言葉を聞かなくても、彼が次に行う行動は分かっていた。ずっと伝わってきていたから。
私に向けられているのは、混じり気のない純粋な殺意。
ゆっくりとカレルヴォは刃を抜く。刃先が小窓から入ってくる光を反射した。
この全く逃げ場のない場所で。
「……私を殺す気ですか?」
今更だな、と彼は吐き捨てた。
「お前は、俺の気持ちも分かっているんだろう?」
「……そう、ですね」
殺されても仕方ない事をしたのは分かっている。深く恨まれても仕方ない事をしたとも思っている。
それでも、だ。
「お願いです。アーベルとお腹の子供は関係ない、はずです」
「そうだな」
「だから」
「見逃せ、と?」
私の言葉に被せるようにカレルヴォは聞いた。
「そう、です」
「正直、アルヴォネン国王も含めてお前達に連なる全てが許せない。俺達が死にそうになりながら這いつくばっているその瞬間でも、お前達は幸せそうに笑っていたんだろう?!」
死んだような瞳に激情が宿った。
「ずっとお前がどうやったら一番苦しんで死ぬか考えていた。勿論、抱いてるガキも許せないから、どうせならそいつからの方が良さそうだな」
アーベルを抱く手に力がこもる。
それでも、カレルヴォの手が伸びてきて、アーベルの服に指が掛かった。アーベルは不安そうに私を見上げる。
「だ、だめっ!!」
掴まれた服を掴み返す。けれど、こちらは屋敷に引きこもってばかりの人間。力で押される。
「アーベルはやめて!!」
「うるさい」
アーベルが私の手から段々と離れていく。
「お願いだから!!どうして?!アーベルは関係ない!!」
「俺達だってそうだった!!」
往生際悪く追いすがる私に業を煮やしたのか、カレルヴォは大きく拳を振りかぶった。
殴られる、と思わず目を閉じる。
ギュッと握っていたアーベルの服が、手の中から無くなった。思わず追いすがるように手を伸ばす。
「ッ?!」
声にならない悲鳴を上げたのは、私ではなかった。
「ギリギリ間に合った、という所ですか……」
おそるおそる目を開けた私の前には、手にナイフが刺さって蹲るカレルヴォと細く息を吐いた16歳のアーベル、だった。
応援ありがとうございます!
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