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5.チサト~夜の始まり夢の終わり3
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休憩時間、教室を移動していたチサトをファーが呼び止めた。
「そこでマサアキの噂を聞いたヨ。『チサト』とうまくいってないみたいネ」
「……」
無言のチサトにファーは不思議そうに聞く。
「『チサト』はマサアキ好みなんでショ? マサアキはワガママなのか?」
「そんなことない、と思う、けど」
「ふぅん。あ! 次、数学ネ。急ぐヨ、チサト」
走りながらも席に着いてからも、チサトはマサアキのことを考えていた。やがて日本人の先生が入ってきた。
「今日はまず、行列の復習をしましょう」
「……ここは?」
あたりを見まわすチサト。誰もいない。しんとした教室だ。
「『学校』?」
ドアを開けて外に出る。長い廊下にもチサトは見覚えがなかった。
「『夢の国』の『学校』かな?」
歩きながら他の教室をのぞき見るが、人の姿はない。
(休みなの?)
それでもチサトは初めて来た『学校』にどきどきしていた。現在いる階をの教室をのぞき終わると、廊下の端の階段で上の階へ行く。そうして、教室という教室を見てまわった。
半分以上あきらめた気持ちで勢い良くドアを開けると、やっと人の声がした。
「あら? めずらしいわね」
その部屋は不思議な造りをしていた。大きな木の幹が壁の一面になっている。もう一面はすべて上まで埋まった本棚で、さらに一面はなにやらが入った瓶が並んでいた。チサトより少し年上らしい女の人は、脚立に座り、本を取りだしているところらしかった。
「ここには滅多に人が来ないのよ。『図書館』があるから、こんな小さな『図書室』なんて、ねぇ?」
にこにこ顔の彼女は、言葉とは裏腹に、そんなことはいっこうにかまわなそうだった。
「お客様なんて久しぶり。お茶でもいかが?」
「いいんですか? いただきます」
チサトが部屋に入ると彼女は脚立からおりて、ポニーテールにした小麦色の髪を嬉しげに揺らしながらお茶をいれる。
「きれいな赤茶の髪ね」
「そうですか?」
「ええ。だから、ハイビスカスティにしたのよ」
笑顔と一緒に透明のカップに入れて差し出された湯気のたつお茶は、確かにチサトの髪のように赤く、どこかツンとくる香りが漂っている。
今ではほとんど見かけることのない花を、チサトは知識の中で知っている。ハイビスカスという名前と赤い色から、チサトは南国に咲いていたという大きく華やかな花を思い出した。
(お花のお茶だから甘いのかな?)
一口飲むと口の中に酸っぱい味が広がった。
「!」
予想外の味に、チサトは咳き込む。
「良かったら、ハチミツを入れる?」
「い、いえ。大丈夫です」
「このハイビスカスティ、あの赤い花で作っているんじゃないのよ」
「え、そうなんですか?」
「同じアオイ科のローゼルという花びらは赤くない花なんだけど、その花や果実を使っているの。ローゼルの学名にハイビスカスが入っているからハイビスカスティと呼ばれているそうよ」
「へぇ」
チサトは初めて味わうお茶をじっくり観察した。
「これはなんの花か知ってる?」
彼女は視線で幹の壁にチサトをうながした。
チサトが幹に目をやると、さぁっとカーテンのように薄いピンク色の花が浮かび、枝が揺れて花びらが舞った。
「わ……。桜ですか?」
満開の桜に見とれるチサト。
「ご名答! 私は花が好きで実際に栽培しているんだけど、本物の桜はまだ咲かせられなくて。あら? 今日は特別な日だわ。あなた、方程式は知ってる?」
「友達と一緒に一度使っただけです」
答えた瞬間、桜の幻影は消えた。
(残念)
「今、計算するからちょっと待っててね」
紙と鉛筆を手に、彼女はつぶやく。
「えっと、あそこの座標は(0910)だから、ジーニィの解は(1092)で、(811810)ね」
「え!? それがジーニィの方程式?」
「そうよ」
彼女は、それがどうかして? とチサトに視線を返す。
(それって行列じゃあ)
「これは一般的な解。これで行きたい先の座標を知っていれば、イメージができなくても行けるの。そこの座標がわかるからね」
「でも、私、座標を知らないです」
「そうよねぇ。私も全部は知らないし。あ、この学校のどこかに、世界のすべての座標が載っている地図があるって聞いたことがあるわ。探してみたらどうかしら?」
お茶を飲みながらチサトは考える。
(こっちの学校にもミライがいるかもしれないし、ミライを探しつつ、地図を探せばいいか)
「探してみます!」
「頑張ってね。そうそう、ここの座標を教えるわね。(33)よ」
「じゃあ、ジーニィの解は?」
「(19)。解も他に何種類かあるから、それも探してみたら?」
「そうします。じゃあ、行きますね」
立ち上がったチサトに慌てて彼女は呼びかける。
「あ! 忘れないで! (811810)で必ず行ってね!」
「はい。ありがとうございました。お茶もごちそうさまでした。おいしかったです」
ドアを閉めてしばらく進んでからチサトは気づいた。
(あ、名前も聞かなかった。でもまた会えるよね)
そして再び教室をのぞきながら歩き、階段をのぼり、上へ上へと歩いていった。
「広―い! ノースくらいありそう」
行ってもいっても教室はある。でも、人はさっき会った彼女だけで、他には誰もいなかった。
(知ってる人が出てくるのなら、ミユウが出てきたらいいのに)
ため息をつきながらチサトは歩き続けた。
「……疲れたぁ……」
図書室で休憩したものの、後は止まらず歩き通しだ。
「もう! いいかげんミライに会うとか、座標を見つけるとか!」
勢い良く開けたドアの向こうの壁には、パネルがいくつも飾ってあった。
チサトは手前の小さなパネルを見た。
「ミライの絵?」
『植物園』を切り取ったような絵の右下には、小さく数字が書かれている。
(87)
「これだ!」
片っ端からチサトはパネルを見ていった。
たくさん風景が描かれている。そのどれも右下に数字が書いてあった。
「でも、これ全部は覚えられない」
呆然と顔を上げたチサトの目に、教室の真ん中にあった小さな机がうつった。机には、四角い浅いくぼみと文章があった。
――置いて下さい。
「?」
(この大きさは、地図?)
チサトは地図を出すと、そのくぼみに置いた。
「ピッタリ!」
――座標を書き込みます。
全座標書き込み
選んで書き込み
キャンセル
チサトは全座標書き込みを選んだ。
――地図の容量が足りません。
数を増やしてもいいですか?
はい
いいえ
圧縮
はいを選ぶと、
――少しお待ち下さい。
くぼみに置いた地図が輝きだした。そしてゆっくりと浮かび上がると、その下にもう一枚の紙が現れた。
――詳細地図を作りますか?
はい
いいえ
はいを選ぶと、その下にさらに何枚もの紙が現れた。
紙は水晶のように半透明で輝いていたが、やがてゆっくりと光は消えていった。
――完了しました。
文字と同時に、紙はすべて消えた。
「えっ?」
驚いたチサトだが、(地図)と願うと、いつもの地図が目の前に現れた。
「座標は書いてないのね」
すると、一面に座標が書いている地図が現れた。二枚をそろえて持つと、ちょうど植物園に(87)が重なっている。
「二枚重ねたらその場所の座標がわかるのね。便利。でも、さっきの図書室は?」
新たな地図が現れた。どうやら学校内部の地図らしい。
(すごい量)
地図をしまおうとしたチサトの目に、ひっかかるものがあった。
(87)
学校の端に(87)が重なっている。
「植物園と学校って、つながってるんだっけ? ここからだと近い。行ってみよう」
チサトはパネルの部屋を出ると、さらに上に向かった。
「このあたりだと思うんだけど」
上の階は平たく広い妙な場所だった。
床はタイルでトイレかお風呂のようだったが、どちらでもないらしい。花もなく、ただ、壁に扉がいくつもあるだけだった。
「んん?」
チサトは再び地図を見て(87)が重なっていると思われる扉に近づいた。
カチリ
ドアはなんなく開いた。向こうには、ただただ闇があった。
「!」
光もなく、音もない。
開いたドアから洩れ入るはずの光も、闇に食われ、濃い空気のようにどんよりとしていた。
チサトは勢いよくドアを閉めた。
(ここ、あそこだ!)
すぐに走り出す。階段を飛ぶようにおりる。それでも閉めたはずのドアから闇があふれ出てくるようで怖かった。
(もっと、もっと遠くへ! どこか。そうだ! さっき聞いた場所へ!)
「811810!」
風がチサトの頬を撫でた。
「やぁ。君、ちょうど良い時に来たね」
「え?」
思わずつぶっていた目を開く。チサトは暗くなり始めた空の下、眼下に建物を見下ろしていた。
声をかけてくれたらしい人影にチサトは尋ねた。
「あの、ここ、どこですか?」
「ここは『学校』の屋上だよ」
(あんまり離れてない。でも、人がいるだけマシだ)
声は男のものだった。だが、薄暗いので顔がはっきりと見えない。
「なにがちょうどいいの?」
「まぁ見ててごらんよ。もうすぐだから」
「?」
空に顔を向けるその人にならい、チサトもじっと空を見た。
風は気持ちよく髪をなぶる。
チサトの気持ちはだんだんと落ち着いていった。
「始まった!」
空に小さな赤い点ができたかと思うと、それはたちまち広がっていった。
「わ……あ!」
『学校』から『植物園』から、どこからともなく『あかいモノ』が空に竜巻のように吸い上げられていく。
ポスト、花、モミジ、瓦、ペンキ、リンゴ、ボール、鳥、レンガ、服、じゅうたん、紐、ブドウ、柿、トマト……。
それらは考えられるすべての『あかいモノ』だった。
橙や紫も混ざったそれらは一直線に空に向かい、まるで一枚の布が織り込まれていくように、空に美しい夕焼けをつくっていった。
「きれい……」
(こんなことならもっと世界をきれいにしないと夕焼けもきれいじゃなくなるわ)
変に納得するチサト。
そうして、空の半分に美しいタペストリーができあがった途端、リトマス紙が赤から青に変わるように、すぅっと鮮やかな紺色の空になり、もう、星がちかちか瞬いているのだった。
「きれいだったね」
チサトに笑うその男の顔はやはり見えず、チサトはうなずきながらどきどきした。
よくよく見れば、屋上には他にも人がたくさんいて、夕焼けの余韻を楽しんでいる。ほっとしたチサトは再び空を見た。今はこぼれんばかりの星が競い合うように輝いている。
一瞬のスペクタクルショーに、チサトも、ほぅ、と息をつく。
「ちょっと冷えてきたね。『喫茶店』でお茶でも飲まない?」
「……飲む」
実際、肌寒くなってきたしこの男の顔を見たかったこともあって、チサトはうなずいた。
二人は一瞬でテーブルにつくとメニューを開き、すぐ暖かいモノを注文する。
「!!」
メニューから顔を上げやっと見えた顔は、最近は顔もあわさないチサトの恋人のものだった。
(マサアキ!?)
まじまじと見つめるチサトに男はにっこりと笑った。
「あ、自己紹介まだだったね。俺はライト」
「ライト?」
「そう。でも、ラーとかライとかよく略される。短い名前なのに呼びにくいのかな」
屈託無く笑うその顔は、見慣れているはずなのに懐かしい感じがした。
「君は?」
(私のことを知らないの? 名前も違うし、そっくりな別人?)
「……チサト」
「よろしく、チサト。チサトは初めて夕焼けを見たの?」
「うん。初めて」
「それは本当にラッキーだよ。俺なんかけっこー通っているのに、なかなかお目にかかれなくって。初めて聞いたときには、たかが夕焼けって思っていたけど、一度見たら、もう、やみつきで! 自分も吸い込まれそうになるあの瞬間がたまらないんだ!」
夢中になって話すマサアキそっくりなライトに、チサトは少し複雑な気持ちになった。
「他にもここでは色々と不思議なことがあるんだけど。チサトは地図持ってる?」
先ほど増えたばかりの地図をチサトは出した。
「へえ! バッチリだね。これが」
ライトの前に、書き込みの入った地図が出る。
「俺のなんだけど、これはこの世界の不思議なことを調べて、それについての情報を書き込んだものなんだ」
よく見ると、たしかに同じ絵柄が並ぶ横に、細かい字で説明が書いてある。
「あ、『猫の夢』」
「チサトも行ったことあるんだ? あそこって海も砂もすごくきれいだよね。俺もよく行くんだけど、一度、あそこで雨にあったことがあって」
「雨がふるの?」
「霧みたいな、やわらかい細かい雨。あの島と海とに、もやがかかったみたいに降っていたんだ。そしたら海辺に男の姿が見えた。そばに行ってみたかったけど、動いたらそれだけで消えてしまいそうで」
「うんうん」
「俺は猫を見たんだ。猫なら、動いてもきっと大丈夫だと思ったからね。もしかしたらあの男は猫の主人かもしれないし」
「うん」
「でも、猫は眠っていたんだ。目を閉じて、気持ちよさそうに。そして猫が目を覚ました時、空は嘘のように晴れて、雨も男も消えたんだ。それで俺は、ああ、これが本当に『猫の夢』なんだって思ったんだ……って、ごめん。なんか、なんでもない話で」
「ううん。面白いよ」
(こんな風に他愛のない話、マサアキとは全然しなくなってた。お互いの話を聞き合うこと、付き合い初めは夢中で何時間でも楽しかったのに……)
「そこでマサアキの噂を聞いたヨ。『チサト』とうまくいってないみたいネ」
「……」
無言のチサトにファーは不思議そうに聞く。
「『チサト』はマサアキ好みなんでショ? マサアキはワガママなのか?」
「そんなことない、と思う、けど」
「ふぅん。あ! 次、数学ネ。急ぐヨ、チサト」
走りながらも席に着いてからも、チサトはマサアキのことを考えていた。やがて日本人の先生が入ってきた。
「今日はまず、行列の復習をしましょう」
「……ここは?」
あたりを見まわすチサト。誰もいない。しんとした教室だ。
「『学校』?」
ドアを開けて外に出る。長い廊下にもチサトは見覚えがなかった。
「『夢の国』の『学校』かな?」
歩きながら他の教室をのぞき見るが、人の姿はない。
(休みなの?)
それでもチサトは初めて来た『学校』にどきどきしていた。現在いる階をの教室をのぞき終わると、廊下の端の階段で上の階へ行く。そうして、教室という教室を見てまわった。
半分以上あきらめた気持ちで勢い良くドアを開けると、やっと人の声がした。
「あら? めずらしいわね」
その部屋は不思議な造りをしていた。大きな木の幹が壁の一面になっている。もう一面はすべて上まで埋まった本棚で、さらに一面はなにやらが入った瓶が並んでいた。チサトより少し年上らしい女の人は、脚立に座り、本を取りだしているところらしかった。
「ここには滅多に人が来ないのよ。『図書館』があるから、こんな小さな『図書室』なんて、ねぇ?」
にこにこ顔の彼女は、言葉とは裏腹に、そんなことはいっこうにかまわなそうだった。
「お客様なんて久しぶり。お茶でもいかが?」
「いいんですか? いただきます」
チサトが部屋に入ると彼女は脚立からおりて、ポニーテールにした小麦色の髪を嬉しげに揺らしながらお茶をいれる。
「きれいな赤茶の髪ね」
「そうですか?」
「ええ。だから、ハイビスカスティにしたのよ」
笑顔と一緒に透明のカップに入れて差し出された湯気のたつお茶は、確かにチサトの髪のように赤く、どこかツンとくる香りが漂っている。
今ではほとんど見かけることのない花を、チサトは知識の中で知っている。ハイビスカスという名前と赤い色から、チサトは南国に咲いていたという大きく華やかな花を思い出した。
(お花のお茶だから甘いのかな?)
一口飲むと口の中に酸っぱい味が広がった。
「!」
予想外の味に、チサトは咳き込む。
「良かったら、ハチミツを入れる?」
「い、いえ。大丈夫です」
「このハイビスカスティ、あの赤い花で作っているんじゃないのよ」
「え、そうなんですか?」
「同じアオイ科のローゼルという花びらは赤くない花なんだけど、その花や果実を使っているの。ローゼルの学名にハイビスカスが入っているからハイビスカスティと呼ばれているそうよ」
「へぇ」
チサトは初めて味わうお茶をじっくり観察した。
「これはなんの花か知ってる?」
彼女は視線で幹の壁にチサトをうながした。
チサトが幹に目をやると、さぁっとカーテンのように薄いピンク色の花が浮かび、枝が揺れて花びらが舞った。
「わ……。桜ですか?」
満開の桜に見とれるチサト。
「ご名答! 私は花が好きで実際に栽培しているんだけど、本物の桜はまだ咲かせられなくて。あら? 今日は特別な日だわ。あなた、方程式は知ってる?」
「友達と一緒に一度使っただけです」
答えた瞬間、桜の幻影は消えた。
(残念)
「今、計算するからちょっと待っててね」
紙と鉛筆を手に、彼女はつぶやく。
「えっと、あそこの座標は(0910)だから、ジーニィの解は(1092)で、(811810)ね」
「え!? それがジーニィの方程式?」
「そうよ」
彼女は、それがどうかして? とチサトに視線を返す。
(それって行列じゃあ)
「これは一般的な解。これで行きたい先の座標を知っていれば、イメージができなくても行けるの。そこの座標がわかるからね」
「でも、私、座標を知らないです」
「そうよねぇ。私も全部は知らないし。あ、この学校のどこかに、世界のすべての座標が載っている地図があるって聞いたことがあるわ。探してみたらどうかしら?」
お茶を飲みながらチサトは考える。
(こっちの学校にもミライがいるかもしれないし、ミライを探しつつ、地図を探せばいいか)
「探してみます!」
「頑張ってね。そうそう、ここの座標を教えるわね。(33)よ」
「じゃあ、ジーニィの解は?」
「(19)。解も他に何種類かあるから、それも探してみたら?」
「そうします。じゃあ、行きますね」
立ち上がったチサトに慌てて彼女は呼びかける。
「あ! 忘れないで! (811810)で必ず行ってね!」
「はい。ありがとうございました。お茶もごちそうさまでした。おいしかったです」
ドアを閉めてしばらく進んでからチサトは気づいた。
(あ、名前も聞かなかった。でもまた会えるよね)
そして再び教室をのぞきながら歩き、階段をのぼり、上へ上へと歩いていった。
「広―い! ノースくらいありそう」
行ってもいっても教室はある。でも、人はさっき会った彼女だけで、他には誰もいなかった。
(知ってる人が出てくるのなら、ミユウが出てきたらいいのに)
ため息をつきながらチサトは歩き続けた。
「……疲れたぁ……」
図書室で休憩したものの、後は止まらず歩き通しだ。
「もう! いいかげんミライに会うとか、座標を見つけるとか!」
勢い良く開けたドアの向こうの壁には、パネルがいくつも飾ってあった。
チサトは手前の小さなパネルを見た。
「ミライの絵?」
『植物園』を切り取ったような絵の右下には、小さく数字が書かれている。
(87)
「これだ!」
片っ端からチサトはパネルを見ていった。
たくさん風景が描かれている。そのどれも右下に数字が書いてあった。
「でも、これ全部は覚えられない」
呆然と顔を上げたチサトの目に、教室の真ん中にあった小さな机がうつった。机には、四角い浅いくぼみと文章があった。
――置いて下さい。
「?」
(この大きさは、地図?)
チサトは地図を出すと、そのくぼみに置いた。
「ピッタリ!」
――座標を書き込みます。
全座標書き込み
選んで書き込み
キャンセル
チサトは全座標書き込みを選んだ。
――地図の容量が足りません。
数を増やしてもいいですか?
はい
いいえ
圧縮
はいを選ぶと、
――少しお待ち下さい。
くぼみに置いた地図が輝きだした。そしてゆっくりと浮かび上がると、その下にもう一枚の紙が現れた。
――詳細地図を作りますか?
はい
いいえ
はいを選ぶと、その下にさらに何枚もの紙が現れた。
紙は水晶のように半透明で輝いていたが、やがてゆっくりと光は消えていった。
――完了しました。
文字と同時に、紙はすべて消えた。
「えっ?」
驚いたチサトだが、(地図)と願うと、いつもの地図が目の前に現れた。
「座標は書いてないのね」
すると、一面に座標が書いている地図が現れた。二枚をそろえて持つと、ちょうど植物園に(87)が重なっている。
「二枚重ねたらその場所の座標がわかるのね。便利。でも、さっきの図書室は?」
新たな地図が現れた。どうやら学校内部の地図らしい。
(すごい量)
地図をしまおうとしたチサトの目に、ひっかかるものがあった。
(87)
学校の端に(87)が重なっている。
「植物園と学校って、つながってるんだっけ? ここからだと近い。行ってみよう」
チサトはパネルの部屋を出ると、さらに上に向かった。
「このあたりだと思うんだけど」
上の階は平たく広い妙な場所だった。
床はタイルでトイレかお風呂のようだったが、どちらでもないらしい。花もなく、ただ、壁に扉がいくつもあるだけだった。
「んん?」
チサトは再び地図を見て(87)が重なっていると思われる扉に近づいた。
カチリ
ドアはなんなく開いた。向こうには、ただただ闇があった。
「!」
光もなく、音もない。
開いたドアから洩れ入るはずの光も、闇に食われ、濃い空気のようにどんよりとしていた。
チサトは勢いよくドアを閉めた。
(ここ、あそこだ!)
すぐに走り出す。階段を飛ぶようにおりる。それでも閉めたはずのドアから闇があふれ出てくるようで怖かった。
(もっと、もっと遠くへ! どこか。そうだ! さっき聞いた場所へ!)
「811810!」
風がチサトの頬を撫でた。
「やぁ。君、ちょうど良い時に来たね」
「え?」
思わずつぶっていた目を開く。チサトは暗くなり始めた空の下、眼下に建物を見下ろしていた。
声をかけてくれたらしい人影にチサトは尋ねた。
「あの、ここ、どこですか?」
「ここは『学校』の屋上だよ」
(あんまり離れてない。でも、人がいるだけマシだ)
声は男のものだった。だが、薄暗いので顔がはっきりと見えない。
「なにがちょうどいいの?」
「まぁ見ててごらんよ。もうすぐだから」
「?」
空に顔を向けるその人にならい、チサトもじっと空を見た。
風は気持ちよく髪をなぶる。
チサトの気持ちはだんだんと落ち着いていった。
「始まった!」
空に小さな赤い点ができたかと思うと、それはたちまち広がっていった。
「わ……あ!」
『学校』から『植物園』から、どこからともなく『あかいモノ』が空に竜巻のように吸い上げられていく。
ポスト、花、モミジ、瓦、ペンキ、リンゴ、ボール、鳥、レンガ、服、じゅうたん、紐、ブドウ、柿、トマト……。
それらは考えられるすべての『あかいモノ』だった。
橙や紫も混ざったそれらは一直線に空に向かい、まるで一枚の布が織り込まれていくように、空に美しい夕焼けをつくっていった。
「きれい……」
(こんなことならもっと世界をきれいにしないと夕焼けもきれいじゃなくなるわ)
変に納得するチサト。
そうして、空の半分に美しいタペストリーができあがった途端、リトマス紙が赤から青に変わるように、すぅっと鮮やかな紺色の空になり、もう、星がちかちか瞬いているのだった。
「きれいだったね」
チサトに笑うその男の顔はやはり見えず、チサトはうなずきながらどきどきした。
よくよく見れば、屋上には他にも人がたくさんいて、夕焼けの余韻を楽しんでいる。ほっとしたチサトは再び空を見た。今はこぼれんばかりの星が競い合うように輝いている。
一瞬のスペクタクルショーに、チサトも、ほぅ、と息をつく。
「ちょっと冷えてきたね。『喫茶店』でお茶でも飲まない?」
「……飲む」
実際、肌寒くなってきたしこの男の顔を見たかったこともあって、チサトはうなずいた。
二人は一瞬でテーブルにつくとメニューを開き、すぐ暖かいモノを注文する。
「!!」
メニューから顔を上げやっと見えた顔は、最近は顔もあわさないチサトの恋人のものだった。
(マサアキ!?)
まじまじと見つめるチサトに男はにっこりと笑った。
「あ、自己紹介まだだったね。俺はライト」
「ライト?」
「そう。でも、ラーとかライとかよく略される。短い名前なのに呼びにくいのかな」
屈託無く笑うその顔は、見慣れているはずなのに懐かしい感じがした。
「君は?」
(私のことを知らないの? 名前も違うし、そっくりな別人?)
「……チサト」
「よろしく、チサト。チサトは初めて夕焼けを見たの?」
「うん。初めて」
「それは本当にラッキーだよ。俺なんかけっこー通っているのに、なかなかお目にかかれなくって。初めて聞いたときには、たかが夕焼けって思っていたけど、一度見たら、もう、やみつきで! 自分も吸い込まれそうになるあの瞬間がたまらないんだ!」
夢中になって話すマサアキそっくりなライトに、チサトは少し複雑な気持ちになった。
「他にもここでは色々と不思議なことがあるんだけど。チサトは地図持ってる?」
先ほど増えたばかりの地図をチサトは出した。
「へえ! バッチリだね。これが」
ライトの前に、書き込みの入った地図が出る。
「俺のなんだけど、これはこの世界の不思議なことを調べて、それについての情報を書き込んだものなんだ」
よく見ると、たしかに同じ絵柄が並ぶ横に、細かい字で説明が書いてある。
「あ、『猫の夢』」
「チサトも行ったことあるんだ? あそこって海も砂もすごくきれいだよね。俺もよく行くんだけど、一度、あそこで雨にあったことがあって」
「雨がふるの?」
「霧みたいな、やわらかい細かい雨。あの島と海とに、もやがかかったみたいに降っていたんだ。そしたら海辺に男の姿が見えた。そばに行ってみたかったけど、動いたらそれだけで消えてしまいそうで」
「うんうん」
「俺は猫を見たんだ。猫なら、動いてもきっと大丈夫だと思ったからね。もしかしたらあの男は猫の主人かもしれないし」
「うん」
「でも、猫は眠っていたんだ。目を閉じて、気持ちよさそうに。そして猫が目を覚ました時、空は嘘のように晴れて、雨も男も消えたんだ。それで俺は、ああ、これが本当に『猫の夢』なんだって思ったんだ……って、ごめん。なんか、なんでもない話で」
「ううん。面白いよ」
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公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
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