愛を請うひと

くろねこや

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その後の話

主任(後編)

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オレが発した言葉が正解だったのかは分からない。

だが、その日から主任は少しずつ『姉の話』をオレにするようになった。


ひと回り年上だということ。

ようという名前を『はるか』と読み間違えられすぎて、親しくない相手にはそのまま『はるか』と呼ばせていたこと。

頭が良くて、口喧嘩に勝てたことがないこと。

色素の薄い髪は長くて、いつも一つに纏めていたこと。

甘いものより、お酒とおつまみを愛していたこと。

看護師として働き、早くに亡くなった両親の代わりに世話をしてくれたこと。

医療事務をしている年上の男性と知り合って、婿に来てもらって、一緒に暮らし始めたこと。

なかなか子宝に恵まれず、不妊治療を続けていたこと。

妊娠してからは酒より甘いものが好きになって、腹周りを気にしていたこと。


「32歳で亡くなったけど、生きていれば51歳。お腹の子が産まれていたら19歳になっていたね。……会いたかったなぁ」

32歳。凛と同じくらいの年齢だ。

ポロ、ポロ、と床に雫が落ちていく。

こんなに泣いているのに、それでも彼は微笑んでいる。


「抱きしめて慰めてはくれないのかい?」

泣いたのが照れ臭くなったか、主任は急に冗談めかして明るい声を出す。

「嘘だよ。そんな目で見ないで」

凛以外の男を抱きしめたくない。
オレはそんな顔をしていたのだろう。
『セクハラ発言ごめんね』と、
慌てたように手を振っている。

「……告白すると、僕の恋愛対象は男性なんだ。だけど安心して。かなり年上の、たった1人のことしか『そういう目』で見ていないからね」

家に帰りたくない理由。

なぜ『義兄さん』とは呼ばないのか。

おそらく主任は、その『お婿さん』と呼ぶ相手の事が好きなのだろう。


ある男が頭に浮かんだ。

主任よりかなり年上で、医療事務の『田辺』さん。

啓一先生の医院に勤めている人。

だが、それは言わない方がいいだろう。



「来年の春、あの事件をテレビで取り上げたいそうだよ。20年経つからって」

全国ネットのテレビ番組。
そのスタッフから取材したいと連絡があったそうだ。

「事件が起きた頃、マスコミは酷かったよ。犯人は逮捕され、その親はすでにこの世にいない。だからだろうね。僕たち遺族は『取材』という名目でプライベートに踏み込まれ、散々『娯楽』として扱われたんだ」

オレと凛の事件も、顔こそ出されなかったらしいが、テレビで何度も取り上げられたらしい。凛の住んでいたアパートにマスコミが殺到し、隣人や大家に迷惑をかけてしまったそうだ。

しかも当時のネットでは、凛がオレ達に犯されている動画が勝手にコピーされ、ボカシなしで誰にでも閲覧できるようになっていたそうだ。

出所後に凛から聞いて検索してみると、未だ海外のサーバにアップされているのが分かった。

オレの罪は、永遠に消えない。


「僕たちの悲しみは、たった20年で消えるわけない。…それなのに、また『取材』したいって。…彼らはそう言うんだ」

『姉さんのことを、1人でも多く覚えていてほしい』

以前、主任はそう言っていた。

だが『覚えいてほしい』と『不特定多数に知られて、好奇の目に晒される』のは違う。


「……『連続ホーム突き落とし殺人事件』」

オレが口にした言葉に、ビクリと主任の身体が跳ねた。凛が当時のニュースを見ていた。


「どうして…」

「オレの、親友の母親がその事件の1人目の被害者。最近お世話になった方の奥さんが3人目の被害者だからです」

「牧村 芽衣めいさんと、佐久間 はるさんのご家族?」

「はい」

「本当は僕のこと、知っていた?」

「いいえ、話を聞くまで知りませんでした」

「疑ってごめん。自意識過剰な発言だった」



「……そうか。こんな偶然があるんだね」

「取材となれば、その2人にも関わってきます。もちろん『お婿さん』にも。あらかじめ話をしておいた方がいいかもしれません。佐久間さんは警察を辞めて探偵をしていますので頼りになると思います」

「そうか、連絡先を知っているんだ…。聞いておいてもいいかい?」

「はい」

「詩音くんの親友は事件当時…、」

「小1…まだ7歳でした。事情があって、当時の記憶は曖昧になっています。…オレは思い出させたくない」

「それなら絶対に巻き込まない方がいいね。佐久間さんに相談してみるよ。念のため、詩音くんは親友の子を気にかけてあげて」

「分かりました」

竜瑚に伝えておいた方がいいだろう。
彩人の方にも直接マスコミが取材に訪れる可能性がある。

「これ、メールしてきた男の名前と連絡先。僕の名前と写真が施設のホームページに載っているからだろうけど、いきなり職場にメールを送りつけてくるなんてヒドイよね…」

主任は、オレに手書きしたメモを渡しながらため息を吐く。



「……抱きしめてくれてもいいんだよ?」

冗談めかした口調。だが、今の彼を『ひとりにしてはいけない』。何となくそう感じた。

オレの中にいる凛が、そう言っているのだ。

「好きな相手に慰めを求めた方がいいと思います。この件を『相談したい』とでも言って、家に帰ってみてはどうですか?」

「…え? 僕、好きな相手の話、した?」

「分かりますよ。『お婿さん』でしょう?」

「はぁー。そうか。……もしかして、あの人も気付いてるかな?」

「まぁ、よほど鈍くなければ…」

未だに主任の側にいるなら、完全に『脈なし』という訳ではないだろう。

似た顔を見てツラいなら、家を出ていくことも出来た筈だ。


「……明日は、お休みを貰おうかな」

シフト表を見て、主任は決めたようだ。
ベテランのスタッフが纏まった日。
安心して休める筈だ。

「……ダメだったら、また話を聴いてくれるかい?」

「はい。抱きしめるのはNGですが…」

「冷たいよ詩音くん。抱きしめて慰めて」

「イヤです」


ようやく、いつもの明るい表情に戻った。

「そろそろ休憩が終わる。交代の時間だね。今日も話を聴いてくれてありがとう、詩音くん」


毎日笑っていて、頼りになる人。

いつも周りを見ていて、困っているスタッフを見逃さずフォローする人。

しかも施設育ち、刑務所帰りのオレを、差別しない。


この人の『想い』が叶うといい。

もしダメでも、また話を聴いてやろう。

そして、凛に唐揚げを2人分、作ってもらおう。


オレには、他人に対する『思いやり』のような感情が欠落している。

『凛ならどう答えるか』。

そう思考するうち、彼の『お人好し』が少しは移ったか。少しは人間らしくなれただろうか。


…あぁ、凛に会いたいな。

抱きしめて、今すぐその匂いを嗅ぎたい。

早く朝になればいいのに。





それから主任は、家に帰るようになった。

取材を断ったらしいが、幸いしつこく食い下がられることはなかったそうだ。

毎日ニコニコ笑っているし、最近は休憩時間に手作りらしい弁当を食べていることがある。時折聞かされる話は、まるで『砂糖を食わされている』よう。


つまり『そういうこと』なのだろう。
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