幽霊になった僕

くろねこや

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夕食を終えた夜。

僕の身体はソファの上で兄に後ろから抱き締められていた。

よく飽きないよね。

無反応な“人形”相手にさ。



『優弥、戻って来て』

兄の涙。

あの祈るような声を聴いてから、僕の心は揺れていた。

そろそろ身体に戻ってみようかなって。



そんな時だった。



「はは…、やった!!」

突然兄がスマホを見て、快哉かいさいの声を上げた。



「こんなことがあるのか」

片腕で僕の身体を抱きながら、

「優弥、見てごらん」

その画面を僕の顔に向けている。

光を失ったガラス球みたいな僕の目は、何も映さないというのに。


幽霊の僕は、ふわりと近づいて覗き込む。

スマホを持つ兄の手は相当興奮しているのか、震えていて少し見づらい。



『飛行機事故』のニュースだ。

どこかの国。

山に墜落して炎上する大きな飛行機。

鮮やかな炎。真っ黒な煙が立ち昇っている。


『全員、死亡』

動画に添えられたテロップは無情な言葉を伝えていた。


兄は何故この悲しいニュースに興奮してるんだろう? …それとも先程の震えは動揺?

胸がザワザワする。



「この便名、間違いない。僕が渡したチケットと同じ」


『僕が渡したチケット』?


まさか、


「信じられない! 父さんと母さんが死んだ」


兄は僕をギュッと抱きしめて、震えている。



「神様はいるのかもしれないな! これで絶対に優弥を奪われる可能性がなくなった」


揺らいだ声。

泣いているのか?

心配になった僕は、兄の顔を覗き込んで、固まる。

狂ったように笑っていたからだ。


「優弥。僕だけの優弥。嬉しいなぁ…」


うっとりと笑うその顔は、恐ろしいほど美しかった。




上機嫌で僕の身体を風呂に連れ込んだ兄は、長い時間戻ってこなかった。


やっぱり心配になって浴室へ向かう。

さっきは変なこと言ってたけど、冷静になってみたら悲しくなったかな。

あんな両親でも、兄にとっては大事な人たちだったのだろう。

ショックで泣いているのかもしれない。



室内から聞こえてきたのは、

ちゃぷん、ちゃぷん、と大きな水音。



曇りガラスのドアをすり抜け、向こう側に顔を出す。

幽霊だからね。

ガラスも壁も通れるのだ。



そのドアを通り抜けたことを、

……僕は後悔した。




兄は僕の身体を犯していたのだ。

「優弥、優弥、愛してる、優弥、」


お湯で満ちた浴槽のなか、兄の膝に乗せられた僕の身体は背後から抱かれ、力なくガンガン突き上げられていた。

波打つ湯が、ちゃぷん、ちゃぷん、と間抜けな音を立てている。




その時、ゾクリと背中を震えが走った。


目の前の光景のせい?

いや、違う。

正直、兄の異常な行動には引いてたんだけれども。


おかしい。

幽霊になった僕は、寒さを感じない筈なのに。


浴室に飛び出していた上半身を恐る恐る引き抜き、背後を振り返ってみると…


そこにいたのは“真っ黒な人間”だった。


斜めに傾いだ身体。

影みたいにぼんやりしてるのに、向こうが見えないほど濃い黒。

でも、まるで“誰かが紙を鉛筆でぐるぐる塗りつぶし続けている”みたいに、その濃度は安定しない。

ぐるぐる、ぐるぐる、影の中が動いて見える。



幽霊の僕が言うのもなんだけど怖っ!!


しかも酷くクサい。

焦げたような、でもそれだけじゃないような、不快な臭い。

あれだ。

化学のガスバーナーを使う実験で、ふざけて前髪を焦がしたクラスメイトがいたんだけど、あの時の臭いに似てる。

でも、それよりもっと酷い臭い。

1万倍酷い。

大袈裟じゃないよ。ほんとにクサいんだ。


先ほど浴室で見てしまった衝撃的な場面など、頭からすっかり抜け落ちるほど恐ろしくて、おぞましいモノ。


顔らしい部分には、うつろに空いた3つの穴。

その一つから、

信じられない音が聞こえた。



『ユ…ウ……』


ノイズがかったその音。



『ユウ…イチ…ロウ…』


それは兄の名前だった。
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