種々雑多(しゅじゅざった)

梁瀬

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噺  白黒つける

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 今回は、思い付きのはなし
まとまるかどうかも分からない、見切り発車。


 本日も、どうぞよしなに。



 昔からある言葉に、〝つける〟ってのがありますが、
日常では、あまり聞きませんね。
意味は、物事の善悪、真偽などを決める。 決着をつけるといったものです。

 この言葉には、二つの色が入っています。白と黒。
色の持つ印象が、善と悪。真実と偽り。という正反対な言葉になるのでしょうね。
例えば白は、潔白。明白。 黒は、腹黒、黒幕。
 そこには、物事を区別する明確な線引きがあります。

 昨今では、様々な事が多様化していき、一つの基準で判断し、区別したり、
境目で線引きすることは、とても難しくなっています。
 寧ろ、物事を明確にしたり、はっきりとした区別をせずに、
大きな括りのまま、敢えて、曖昧なままにする傾向もあります。

 そうは言っても、犯罪に限っては、
白黒つけて明確にしなければ、無秩序になってしまいます。
現代の犯罪が、如何に複雑化したとしても、変えてはならないものがあります。
まさに善悪、真偽が、それだと思います。

 昔だろうと今だろうと、罪の重さは変わりません。
ただ、人の価値観、ものの味方は、時代と共に少しずつ変化しました。
 
 大泥棒と称された〝ねずみ小僧〟
諸説あるとはいえ、決して人を傷つけず、武家屋敷や大名屋敷だけに忍び入り、
金品を盗み、盗品を貧しい人に分け与えた。という話しを聞いた事がある方もいるかと思います。

 盗んだものを貧しい人に分け与えても、盗人には変わりありません。
けれども、貧しい人には〝義賊ぎぞく〟と称されました。

 さらに、誰が付けたか〝ねずみ小僧〟
動作が敏捷なので、小僧と呼ばれたらしいのですが、
 ねずみ小僧の本名は確か、次郎吉。
義賊と称された男は、天保てんぽう3年侵入した先で捕らえられ、
市中引き回しの上、獄門となった。
 当時36歳だった次郎吉は、中年のオッサンでではない。
個人的な印象になりますが、小動物のねずみ=大罪を犯しそうにない。
小僧=悪戯小僧。といった、小さく愛らしい表現に、あざとさを感じます。


 この大泥棒で、義賊の〝ねずみ小僧〟の異名を持つ男が、
現代に転生したなら、きっと…
〝市中引き回しの上、36歳で獄門となったが、令和に転生して義賊を続けてみた。〟
そんなタイトルが付くかも知れませんね。

 現代の法律では、どのような罪状になるのでしょうか?
情状酌量の余地はあるのか?はたまた、執行猶予は付くか?


 もし貴方が、この〝ねずみ小僧〟に、白黒つけるとしたら…
       有罪ですか? 無罪ですか? 


       それとも、Grayねずみ色ですか?



 
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