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第〇三章 熱狂するヒト
熱狂するヒト(07)
しおりを挟む保健室では、真由乃と明人の言い争いが続いていた。
「何度も聞くが、そこまでして俺を授業に出させたい理由はなんだ?」
「だから何度も言ってるじゃないですかー となりがいないのが寂しいんです!」
「俺は寂しくない」
「わたしはさみしいです――」
――いやああぁあっ!
突然、誰かの叫び声が聞こえる。
聞き間違いではない、明里の声だった。
明人は保健室のベッドから飛び起きて真由乃と目を合わせる。
「行けるか?」
「うん――」
明人は、ポケットから薄手の小手――毒手を取り出した。
真由乃も急いで準備する。
真由乃の植器――炎環は鍵付きロッカーの中にある。柳に頼み込み、そのロッカーごと保健室に置かせてもらっていた。
「行けます!」
「よし、悪いがヤナギには誰も来ないよう見張っておいて欲しい」
「わかった、アキトくん」
3人は、廊下の外に一斉に飛び出す。
声がした方に向かうと、すぐに異変に気付く。
廊下の奥――理科室から、薬品の異臭と不気味な雰囲気が漂っていた。
「明人さん」
「ああ――」
明人は、中を確認するよりも前に扉を蹴り飛ばした。真由乃も続いて中に入る。
「――あかりんっ!」
「まゆのん?!」
明里は涙を浮かべ、床にへたり込み、ブルブル怯えている。明里の目の前の床には、真っ直ぐ伸びた触手が突き刺さっている。
『あ゛、え゛……?』
奥には≪怪物≫がいた。
真由乃はいち早く危険を察し、明里を助けようと走り出した。
「真由乃――とまれっ!」
怪物は床に突き刺していた触手を素早く口の中に引っ込め、そのまま真由乃の行く手を阻むように勢いよく触手を伸ばす。
かろうじて立ち止まった真由乃の足元に突き刺さり、触手が刺さった床からは煙が上がる。
「そんなっ……」
「おい! 逃げろ!」
明里に強く呼びかけるも、無理な話だった。
明里は足が竦んで立てないどころか、震えるだけで動くことさえままならない。
怪物は触手を口に引っ込め、明里にゆっくりと近づいていく。すぐにでも明里を助けたいが、目で追えないほどの速度で伸びてくる触手を避けながら、明里に近づいて手を引くのは困難を極めた。
「どうすれば……」
どうすれば明里を助けられる。
怪物は、明里の目の前まで迫る。
明里には何もできない。
どうすればいい、考えろ――
考える真由乃の頭上を、透明な何かが通過する。実験で使われる細長いフラスコだった。
フラスコは怪物の頭上をも通り過ぎ、奥の戸棚にぶつかって割れる。
「ふせろっ!」
明人は、先程よりも大きい声で明里に呼びかける。
明里はガラスが割れる音にハッとし、咄嗟に頭を腕で覆う。
直後、同じくガラスの音に反応した怪物が戸棚に振り返り、口から素早く触手を放った。
触手は、鍵のかかった戸棚の厚いガラス扉も難なく突き破り、中に入っている薬品がガラス片と一緒に飛び散った。
『――あ゛ががががっ゛!』
液体状の薬品は触手自体にも飛び散り、「ジュー」という音を立てて触手から湯気が立つ。
怪物は荒れ狂い、戸棚に触手を何度も何度も突き刺す。その度に扉の破片が飛び散り、明里は頭を覆ったまま顔を上げられないでいた。
「――逃げるぞ」
気づけば傍らに明人が来て、明里を抱えようとする。明里は安心感から足が動かせるようになり、自ら立とうとする。
パキッ――
足を動かした拍子に、飛び散っていたガラスの破片を踏んでしまう。破片が粉々になる音が理科室に響く。
怪物はその音を聞き逃さなかった。
「明人さん、うしろっ!」
「くそっ――」
明人は、無理やり明里を抱えて横に飛ぶ。
完全に避けたつもりが、迫ってくる触手があまりの速度でギリギリ間に合わず、明人の肩を掠めて理科室の大きなテーブルを突き破る。
怪物はすぐに触手を引っ込め、逃げようとする明人に向かってもう1度放ってくる。明人は、体全体で明里を覆い隠し、触手が狙いを外すことを祈る。
「――させないっ」
真由乃は懐の刀――炎環を抜き、飛び出してきた触手を弾く。触手は思わぬ方向に突き刺さった。
「助かる――」
明人はすぐさま怪物から距離を取り、理科室の扉付近まで移動し、明里と一緒に大きなテーブルの影に隠れた。
触手は一度は怯むも、すぐに体勢を立て直して真由乃に向かって放ち続ける。真由乃は何度も迫って来る触手を弾いて受け流すが、それ以上のことができない。
「おもっ、い……」
触手の1発1発が鉄球のように固く、刀で受けたときの衝撃が手首に直接響いてくる。体力に限界が来るのも時間の問題だった。
「いや、いやっ――ねえっ……なんなの、これ?」
明里は状況が1つも把握できず、泣きながら明人に問いかける。その問いに答えてる時間は当然ない。
「あとでちゃんと教える」
明里をテーブルの影に座らせたまま、明人は立ち上がった。
「来い、怪物――」
テーブルに転がっていたフラスコを手に取り、少しだけ高く上に投げる。
フラスコはすぐに真っ逆さまになって落ち、テーブルの上で大きな音を立てて割れる。
音に反応した怪物は、標的を真由乃から明人に切り替える。
「明人さん! どうして――」
触手は休むこと無く明人に向かって一直線に伸びる。
瞬きする間もなく、明人の眼前に迫る。
その触手を明人は両手で握り、すんでの所で受け止めた。
「いまだ! 真由乃っ!」
両手でガッシリと触手を掴む。
だが、触手も負けじと明人に迫る。明人の顔めがけて、じわりじわりと迫り続ける。
真由乃は炎環を構え直し、怪物を見据える。
怪物は、怪物でありながら、ヒトの形を成していた。
白目を剥いて上を向いていようが、口から触手が出ていようが、ヒトの体でヒトの顔である事に違いはなく、藻掻き苦しんでいるように見える。
「真由乃……長くはもたない、ぞ……」
明人の声で冷静になる。
あれはヒトではない。怪物だ。
真由乃は構えの姿勢を維持したまま、ゆっくりと怪物に迫る。明人が触手の動きを止めていることで、本体もプルプル震えるだけで一歩も動かない。
前と同じ――ただ斬る、それだけ。
炎環の間合いに入る。真由乃はゆっくり目を閉じた――
「まゆのんっ!」
明里の声に驚き、目を開ける。
「ばかっ……しずかに、して、ろ……」
「まゆのん……なに、するつもりなの?」
「あかりん……」
明里は、真由乃が手に持つ刀を見つめる。
「それ、宗太だよね……? 宗太、まだ生きてるよね?」
「あかりん、宗太さんはもう――」
「やだ……何言ってるの? 冗談はやめてよ、まゆのん――」
「まゆ、のっ……き、れ――」
明人は限界に近い。目先1cmも離れていないところまで触手が伸びてきている。
真由乃は心を鬼にして明里を無視し、怪物に向き直る。
『あ゛う゛ぇえ゛え゛……』
何かを訴える怪物――
なるべく聞かないよう、真由乃は目を閉じて集中する。
「まゆのんっ! なんで?! やだよ、こんなのっ……やだよっ!」
涙を零しながら泣き叫ぶ明里――
真由乃の手が震える。
目を閉じていても明里の泣き顔が、怪物の顔が頭に浮かぶ。
怪物の格好をした、ヒトの顔が頭に浮かぶ。
「ねえ、まゆのんっ!」
「く、っそ……」
明人は触手を掴んだまま、テーブルの上にあるまだ割れていないフラスコに足を伸ばす。もう一度割って怪物の気を引くつもりだった。
だがギリギリのところで届かない。それでも明人は足を伸ばし続ける。
「うごいて、わたし……」
自分自身に暗示をかけ続ける。その効果虚しく、真由乃の手の震えは止まらない。
「お願い、早くしないと……っ!」
――ガシャーン!
ガラスが割れる音、明人ではない。
割れたのは理科室の大きな窓だった。
怪物は触手を引っ込め、窓の方を振り向く。
ブロンドのツインテール――
グラマラスな肉体美が、おヘソの出た装いで強調される。
「ハロ~」
振り向き様、怪物の胴体には刃のドでかい斧が喰い込んだ。
斧は、怪物の皮膚を潰しながら横切っていく。怪物の胴体は触手を出す間もなく真っ二つにされる。中からはアメ玉サイズのタネが飛び出した。
「NOT YET!」
斧は勢いそのまま、体から飛び出たタネにぶつかる。
『あ゛い゛、あ゛……』
斧にぶつかり、タネは粉々に砕け散った。
切り離された怪物の上半身はしばらく呻きを上げ、やがて静かになる。
明里は、膝から崩れ落ちる。
理科室にいつもの静けさが戻った。
女の子はガムを噛みながらひと通り辺りを見渡す。そして真由乃と目が合うと、ガムを風船のように膨らませ、破裂させる。
「アナタがマユノね?」
「え……?」
「ナニもしないでつっ立ってるだけ、キュートなおニンギョーちゃんだコト」
「おにんぎょう、さん……?」
「このシゴト、むいてないよ?」
女の子は真由乃から体を背け、明人の方を向いて人差し指を差す。
「――アキト! ベリースウィートよ!」
節々に混ざる異国の言葉――
真由乃は何も言い返せない。
斧を抱えて悠然と立つその女の子を、眺めることしかできなかった。
******
とある山の中、木々に囲まれた巨大な和風の屋敷――
屋敷の中は周囲の環境に似合わず、綺麗に整理整頓されて清潔感に溢れている。
その一室で町角ゆあんは、真ん中に置いてある大きなマッサージチェアに腰を掛け、気持ちよさそうに天井を向く。
その目は白目を剥き、口からは筍状の触手が飛び出していた。
まさに、至福のとき――
怪物と成り果てた宗太を通し、真由乃と明人――そして明里が苦しむ姿の一部始終を鑑賞していた。
「――えひっ!」
気持ち良すぎて口がニヤける。つい涎が溢れ、垂れてしまう。
そんな最高のひと時も、あっという間に終わりを告げる。
突如後ろから来た金髪の女に体を割かれ、ゆあんが見ていた景色は停電したように真っ暗になる。ゆあんの目は正常に戻り、触手は喉の奥へと引っ込んだ。
「ちぇっ……もう終わりかあ~」
同じくしてマッサージチェアも施術を終え、停止する。時間的にはちょうど良かった。
「――入るわね」
襖の奥から声が聞こえ、許可する前に襖が開かれる。
「ちょっとー ゆあん、なにも言ってないんだけどー」
マッサージチェアで横になったたまま足をパタパタさせ、頬を膨らませる。
そんなゆあんを部屋に入ってきた女は冷淡に見つめる。大人びた雰囲気を醸し出し、綺麗で長い紫色の髪がなびく。
「イツキ様が呼んでるわ」
「イツキ様?!」
ゆあんは、嬉しくなって飛び起きた。
「なんだろ~ また褒めてくれるかな~」
顔がどうしてもニヤけてしまう。
「早くしなさい」
「わかってるってー 命令しないでよね」
やっとこさマッサージチェアから立ち上がり、思い切り伸びをする。
「んー 今回も傑作だったなあ……あの男の苦い顔、ヨリちゃんにも見せたかったよー」
ゆあんは、厭らしい目で女を見つめた。
「少し勝手が過ぎるんじゃない?」
「ゆあんの勝手でしょー」
「その勝手に巻き込まれるのはごめんだわ」
「――構わないよ」
2人の女に割って入るように、白髪の青年が話しかける。
肌も白く、透き通った端正な顔立ちは、サラサラな真っ白い髪と相まって『美』を象徴する。
「イツキさまっ!!」
ゆあんは、目をハートにしてイツキの腰に飛びついた。
「イツキさまっ! ゆあん、悪くないですよね?」
「ああ、もちろんだよ」
青年は、微笑んでゆあんの頭を撫でる。ゆあんも心の底から嬉しそうに青年を受け入れ、イツキの体に頬を擦りつける。
「しかし、イツキ様――」
「いいんだ、ヨリコ……」
青年は襖の外を振り返り、大きな縁側から澄んだ夜空に目を向ける。
「そろそろ、派手に動こうと思っていたから……今日はそれをみんなに伝えに来たんだ」
「イツキさまあ……」
青年が夜空を見上げてうっとりする姿――
誰もが見惚れるその姿に、ゆあんもいつしか虜になっていた。
「さあ始めよう、植人の皆さん――」
青年は両手を広げ、夜空に向かって静かに呟いた。
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